富野由悠季監督とその作品をひたすら語るブログ

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井荻麟作詞論 第54回 「キングゲイナー・オーバー!」

2016/01/15 16:31|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。全部は110回以上の予定です。今日の第54回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』のオープニングである「キングゲイナー・オーバー!」を語りたいと思います。



キングゲイナー・オーバー!
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:田中公平/歌:福山芳樹

キング キング キングゲイナー メタル・オーバーマン キングゲイナー

真白い地平の向こうから あいつの影が 俺を呼ぶんだ

 WOWOWスクランブルアニメの第2弾富野作品のOPとして作られたものであり、アニメ・ゲーム音楽の大御所である田中公平をして完敗と言わせしめたこの曲は映像に相まって、確かに非凡な熱量と出来を備えている。タイトルの主役ロボットの名前を連呼する形は富野以前からのスタイルなのだが、あえて2002年で昔からのスタイルに則る自体に意味があると言える。

 曲自体には難しい言葉が一切なく、意味自体もひねりが見えず、わかりやすい歌詞として仕上げられている。冒頭の歌詞を見るに、素直に主人公のゲイナー・サンガ少年がもう一人の主人公であるゲイン・ビジョウに触発された曲として捉えていいだろう。



 まず、この歌詞が特筆すべきなのは、いわゆる白富野あるいは復活富野--つまり『ブレンパワード』以降の富野監督が大きく掲げたテーマを内包している。「身体性」と「社会論」というものだ。

こもるだけでは 何ができると

愛と勇気は 言葉 感じられれば 力

 つまり、内(家のことかもしれないし、心の中という意味かもしれない)にこもるだけでは何もできない。そして言葉はあくまで言葉に過ぎないが、自分の身体を通して感じて発揮させることがあれば、例えそれが無形なものでも、本当の力になる。これが「身体性」だ。

ひとりだけでは いやだ お前だけでも 無理だ

 と、誰かと繋ぐことの大事さを語っている。これが「社会性」というものだ。特に、その核心となる価値観が『機動戦士ガンダムⅢ』におけるテーマソング「めぐりあい」の「誰もひとりでは生きられない」と共通しているものの、「お前と俺」というもっとストレートで身近な繋がりに落とし込んでいるところは実に見事である。

 このように「身体性」と「社会論」の全開はいわゆるニュータイプ否定ではないものの、精神論も入っているニュータイプ概念よりも地に着いたものとなっている。のちの『新訳Z』のニュータイプ論にもフィードバックされたことを考えると、この歌詞はまさにこの時期の集大成と言える。



 この歌詞にはもうひとつのポイントがあるが、それはセックスのことだ。歌詞のいたるところに、その要素が伺える。

君と出会って 胸をあわせば 命が

愛と勇気は 言葉 感じられれば 力

抱かせてくれよ お前の心 命を

愛と勇気は 口だけのことと わかれば 求めあい

 と、これでもかってくらい男と女――セックスのことを語っている。つまり、この一見男と男の熱い曲は実はラブソング--もっとわかり易くいうと、「求愛の歌」だ。

 セックスだと聞いて辟易する人もいるかもしれないが、そもそも身体性と社会論の大本となるのは、富野が『ブレンパワード』以降全面的に打ち出した要素である性別論、つまり「セックス」なので、無視してはいけないものなのだ。



 そして上の話を分かるとき、もう一つ面白いところがある。上では、俺がずっとお前のことを言っているように見えるが、冒頭を読み返すと、違うものが見えてくる。

真白い地平の向こうから あいつの影が 俺を呼ぶんだ
こもるだけでは 何ができると いじける俺に 教えてくれた

凍てつく空気を 切り裂いて 奴に遅れず 飛んで見せたい

 というように、少年である俺は一見お前という女性を求めているが、実は奴という大人の男のことをめちゃくちゃ意識している。俺の行動のきっかけとなるものも、実は全部「奴」によって釣られた結果なのだ。そして決め付けは以下の歌詞である。

あしたという日 覗きたいから おじける俺を 忘れるために
抱かせてくれよ お前の心 命を

 それはどういうことかというと、「俺はやつに見返してやりたいから、オレを男にしてくれ!」という斬新な口説き文句だ。「こもるだけでは 何ができると」という歌詞をゲイン・ビジョウという色男(性的な意味で)に当てはまると、この曲は実は壮大な三角関係であり、ゲイナー少年がゲインへのラブコールだと理解することもできる

 「ひとりだけではいやだ」というわがままも、「お前だけでも無理だ」という無根拠な断定も、確かに少年特有の「オーバー」であり、アホなところだ。それを見て呆れる人もいるのでしょう。しかし、少年が大人の男を追いつつ、女の子を求める姿はまさしくそのようなものである。そういう意味では、このタイトルを「偉くなりたいゲイナーくん、やりすぎだよ!」と無理やり読めなくもない「キングゲイナー・オーバー」という曲自体は、還暦過ぎた富野由悠季がそんなアホかわいい青少年へ送るエールなのだろう。



 余談ですが、この「キングゲイナー・オーバー!」は歌詞も曲も熱い、とにかくものすごく熱い曲なのです。上の熱い(?)解説を読めば、そこには富野監督が視聴者へのエールだと理解することもできますが、作劇上でも、シベリアという過酷な舞台を中和するためには、ここまでの熱力がないといけないだろう、という演出家の富野由悠季のバランス感覚が見せる技ではあるのでしょう。

 そういう意味では、改めて富野由悠季の凄さが分かりますよね。

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井荻麟作詞論 第34回 「銀色ドレス」

2016/01/13 20:33|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:4
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 井荻麟作詞論の記事は100回以上予定です。今日の第34回では、テレビアニメ『機動戦士Zガンダム』の挿入歌「銀色ドレス」を語りたいと思います。



銀色ドレス
作詞:井荻麟/作曲:馬飼野康二/編曲:馬飼野康二/歌:森口博子

僕を見つめてた 蒼い瞳
ある日 突然に 消えてしまう

 この曲は森口博子氏デビューのシングル、かの有名の「水の星へ愛をこめて」のカップリングとして作られ、挿入歌としても20話で使われるものである。本編で使われたのは1回きりのわりに、名エピソード「灼熱の脱出」に森口氏の無垢な歌声に相まって、かなり印象深いものとなっている。

 ファンの界隈を見ると、この曲は時折「意味不明」と言われているが、それはわかる話。構成の難解、言葉の飛躍などもそうだが、一番の原因はおそらく視点の曖昧さにあると思う。女性歌手が歌う曲でありながら、男性一人称の「僕」を使いながらも、女性が使うような語尾もある。それでいて、「君」に対して呼びかけている。ではこの曲はいったい男性か女性か、果たしてどの視点で、誰が誰に対して歌っているものなのだろうか。

 それもあって、井荻麟記事は原則的に本編との関係性を語らないが、特に抽象的で難解なこの曲に対して、今回は本編で使われたモチーフ、すなわちカミーユとフォウの関係性を借りて説明したいと思う。二人にフォーカスすることで、色んなものが見えてくる。



こんど出会えれば 間違わない
良い日であったと 抱き合うだろう

 歌詞を見ると、カミーユがシンデレラのようにいきなり出会い、いきなり消えるフォウに対して、次回も会えたら、今度こそは…という内容になっている。ひどく情熱を感じられるものである。しかし、本当にそういうものなのだろうか。

今日という刻(とき)は 忘れないで

涙はもう 渇ききって 
夢などにはとらわれず

 というのも、二番目の歌詞を見れば、おそらくカミーユ本人もすでに自分のシンデレラに会うのが不可能だと察したからこそ、そのような別れの言葉をフォウに残すのであろう。このように明るい雰囲気のなかで、切ない別れを歌うものとなっている。

 しかし、Bメロを見ると、また別な視点を発見できる。

ドレス着て 明日にむかう心を 
いつまでも 暖めておくわ

小さい僕に こだわらないで

 20話を見れば分かるとおり、「過去」にこだわっているフォウが、「未来」を作ろうというカミーユを宇宙に送り出す。となると、この歌詞はカミーユがフォウに送る別れの歌であると同時に、フォウがカミーユを見送る内容でもある。

 二人とも蒼い瞳(髪色も濃淡の差があるが同じ)を持っているし、「出会ったひと時の奇跡」という意味では、やはり二人にとって同質である。つまり、やや飛躍する解釈になるかもしれないが、カミーユにとってフォウはシンデレラである同時に、フォウにとってはカミーユもまたシンデレラである。こうして、「ドレス着る」などの言葉に囚われずに、ユニセックス的な視点から吟味すると、いろいろなものが見えてくる。



小さい僕に こだわらないで

 この言葉が実に興味深いなのは、フォウがカミーユに諭すものだとすれば、フォウという小さい僕(フォウ自身)のことにこだわらない意味も、カミーユという小さい僕(カミーユ自身)のことにこだわらない意味も同時に存在している。下の歌詞に合せると、「過去を振り切って、未来を作ろ」というメッセージは一目瞭然だ。

新世紀 開き 宇宙(そら)に求めたりするのは
やめよう
銀色のドレスをまとって

 銀色ドレスがどういうものなのか? それは固定な解釈をつけられないし、付く必要もない。宇宙にある無数な星という綺麗な風景のことかもしれないし、シンデレラであるからには、(モビル)スーツに対しては、女性がドレスを着るものという発想もできる。しかし、この綺麗なイメージの後ろにあるのは、厳然なる「死」の匂いなのだ。

 本編にも「カミーユ…空へ!」というセリフがあるように、フォウはカミーユを送り出す役割を背負っている。しかし、前述のとおり、歌詞ではこれが二度と会えなくなるような別れと仄めかしている。その原因ははっきりで、フォウの手はすでに濡れていたからだ。 何によって濡れたかは誰もか知ってるが、あえて明言しない曖昧さはまさに井荻麟の憎いところである。

濡れた手を拭いて 全てすむと 
君が思うのは いけないけど

 このような言葉を明る過ぎるほどの曲のなかで展開されるから、逆に恐ろしい。そしてそのような状態での別れだから、今生の別れ=死別だと予感させる。そういう視点から見ると、次の歌詞は別の意味を帯びることになる。



新世紀 開き 宇宙(そら)に求めたりするのは
やめよう 
銀色ドレス

新世紀 掴み 生命(いのち)生まれて 
時代(とき)の流れに乗る 
銀色のドレスをまとって

 「宇宙に求めることをやめよう」という歌詞は、劇中のフォウがカミーユを宇宙に送る行動と「カミーユ…空へ」というセリフに矛盾している。が、一番目と二番目をつないで見ると、「新世紀は宇宙(そら)に存在してなく、ただ時代(とき)にあるから、新しい場所を求めるのではなく、ただただ時の流れに身を任せよ」と解かすこともできる。そして、未来を目指して共に宇宙に上がと求めるカミーユに対して、過去に縛られたフォウが伝えた話だとすると、このニュータイプ的な直感というより死ぬ間近の悟りみたいな言葉には、言葉以上の意義が付随される。

 すなわち、唯一ありのままの自分を受け入れてくれたフォウが優しくかけたこの言葉と裏腹に、フォウを失ったあとのカミーユは、ひたすら他人(シャアやエマなど)に応えるべく自分を無理にしている――つまり時代の流れに逆らっていて、精神をすり減らしていく。そして最後、悪しき時代の申し子という象徴であるシロッコと対決して、自らの精神をぶつけて崩壊した。これはあらかじめカミーユの運命を示したものだとすると、まさに時代(とき)の涙ほかない。

 「銀色ドレス」という曲は綺麗だ。森口氏の無垢なる歌声とフォウというイノセントなキャラ造型を含め、そのユニセックスな倒錯感と明るさの後ろにある死の予感などの要素が、この曲を透明で綺麗な青いピュア色に与えた。それでいて、この曲はOPやEDと違い、その雰囲気や内容の意味が作品世界全体に及ぼすことがなく、ただひたすらカミーユとフォウの二人の間で完結している。そういう意味では、この曲はまさに二人だけの「密会」である。

井荻麟作詞論 第53回 富野作品のOP・EDおよび挿入歌のビジネス事情その2

2016/01/11 18:50|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第53回では、井荻麟の範疇を越えて、富野由悠季監督の作品に出てくるOP・EDおよび挿入歌のビジネス事情を語りたいと思います。話の内容は『ブレンパワード』から『ガンダム Gのレコンギスタ』に収める範囲内のもので、それ以前の話は第27回の「その1」に収録されています。



 今回の話に入る前に、まずは以下の記事を読んでいただくことがオススメ。

井荻麟作詞論 第21回 ザブングル~エルガイム時期の富野由悠季と井荻麟
井荻麟作詞論 第32回 Z~V時期の富野由悠季と井荻麟
井荻麟作詞論 第27回 富野作品のOP・EDおよび挿入歌におけるビジネス事情その1

 簡単に説明すると、ガンダムからのアニメブームを作った一翼として、富野は井荻麟という立場からアニメ音楽の地位上げとビジネスに貢献したと同時に、作詞を作品作りの手法の一つとして多くの作詞を書いた。作詞によっては「「方向性を示す」「意思表明」などの微妙な違いがあるものの、それがすべて作品の一部として作品と緊密に連結できた。

 一方、そこまで子供のものでしかなかったアニメ音楽が大きな商売になれると、レコード会社はより売れるようなプロの作詞家を起用し始めるようになった。富野作品においては、そこには監督である富野本人の意思も入っているものの、映像だけでなく、音楽をも作品作りのために駆使してきた富野にとっては、一大武器を失ったとは言える。



 確かに、OPとEDで作品をコントロールできなくなる意味では、一時の敗北と言えなくもない。しかし、V以降の富野は、また新しい方向性を模索し始め、新しい転換に入った。具体的にいうと、「他人の手によるOPとEDでも出来るだけ指示を出す傍ら、挿入歌で世界観を深化する」という手法を取った。

 詳しい内容は60回の「劇中歌と芸能としての作詞」で語るので、ここではそのビジネス的な部分について語りたい。V以降の井荻麟は、OPとEDを手がけることが少なくなる一方、挿入歌を多く書けるようになった。一番顕著的な違いはどこにあるかというと、つまり「アーティスト」と「収録媒体」にある。メジャー(あるいはメジャーを目指す)歌手が歌い、「シングルCD」として発売されるOPやEDと違い、挿入歌はアーティストがマイナーな上、オリジナルサウンドトラック――つまる「サントラCD」に収録されるようなものだ。これはどういう意味かというと、つまり挿入歌は(比較的に)商売から離れているところにあるという意味を示している。

 作品のことを誰よりも重んじる富野にとって、メジャーなところで発揮できないでいるのはさぞ心苦しいであろう。しかし、そういう苦渋の選択でも、作品のためならば存在価値がある。いわば、商売の最前線から退いた代わりに、後方支援に回ったのだ。そして『V』や『ターンエー』『キングゲイナー』などを見れば分かるとおり、その挿入歌が確実に作品にプラスな効果を与えていて、井荻麟は、再び自由に発揮する場を獲得したのである。



 それだけじゃない。転機もいずれ訪れる。

 ガンダム20周年という節目、および富野由悠季が『ターンエーガンダム』前後で鮮烈的に遂げた復活にあわせて、再評価の機運が燃え上がり、いわゆる「富野ブランド」に近いものが形成した。ガンダムからやや距離を置かれたものの、アニメファンに強い訴求力と高い知名度を有する作品群として注目されていた。その傾向から井荻麟に与える影響も見かける。

 富野ブランドの形成の過程にはいろんな模索が見られるものの、その中に存在している井荻麟の立ち位置を一言でいうと「ビジネスの一番メインストリームとなる部分を譲りながら、(前述の挿入歌で作品を深化する部分を含めて)作品の核となる部分を最大限に自分で把握する」というものだった。具体的にいうと、歌手の売り込みという意味も入っているOPは他人に任す代わりに、ほとんどのEDが井荻麟作詞という特徴が挙げられる。この傾向が形成された1998年の『ブレンパワード』がそうだったし、最新作である『Gのレコンギスタ』も同じではあった。

 さらに、『ターンエーガンダム』というガンダムの節目になる作品に関しても、売れっ子や売りたい歌手が用意されたものの、やはり作品自体が富野由悠季でしか作れないという理由でOPの歌詞を作ることができたし、『キングゲイナー』の富野全開という方向性の元では、やはりOPを自ら手がけることができた。そういう意味では、近年のこの形こそは一番「商売」と「作品」のバランスを保っていた采配と言えるかもしれない。



 最新作の『Gレコ』においても、富野は二つのポップ歌手によるOPを許容しながら、ちゃんと作品の方向性を大きく規定したEDを自分の手で書いた。それが作品においてもビジネスにおいても大きくプラスを働いたし、富野作品といえども、必ずしもビジネスと抵触しないことを証明できた。『ブレンパワード』以来、試行錯誤もあったんでしょうが、将来、新作の富野アニメがまた作られる時、今のような形はまた踏襲されるのであろう。

井荻麟作詞論 第52回「月の繭」

2016/01/08 15:26|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第52回では、テレビアニメ『∀ガンダム』の2ndエンディングであり、最終話の挿入歌でもある「月の繭」について語りたいと思います。



月の繭
作詞:井荻麟/作曲:菅野よう子/編曲:菅野よう子/歌:奥井亜紀

山の端 月は満ち
息づくあなたの森

 この曲は井荻麟が『ターンエーガンダム』において作った5番目にして最後の作詞であり、第41話から第49話まで使われている2ndエンディングなのだが、最終話のラストにも挿入歌としてフルサイズで流されていた。特筆すべきなのは、この曲の旋律の大元となる「MOON」は音楽担当の菅野よう子氏が『∀』において一番最初に作った曲で、1話のラストシーンに使われていたものであるため、この歌詞は数々の井荻麟作詞のなかでも数少ない曲先の仕事となる。

 こんな特異な経緯からも分かったとおり、「月の繭」は今までのどの井荻麟作詞とも異なる特色と雰囲気を持っている。



夏草浴びて眠る
愛(いと)おしい 横顔
おぼろな この星
大地に 銀の涙

 今までの記事で論じたとおり、井荻麟の作詞だいたい「意志表明」か「物語性」のどちらの特徴を持っている。しかし、この曲は「意思」「物語」など動的な要素をもっておらず、むしろ静的な情景の描写に徹している。「あなた」というフレーズに入っているものの、やはり方向性(=物語の明確な変化)が入っていない。カメラワーク的な視点から、その歌詞に表した景色の並び方を見ると、地面に対するアップから空、宇宙に対するロングへと、普通の風景(具体的)からどんどん幻想的な情景(概念的)となっている。

 また、「あなたの森」というのは、ガンダム』のモチーフの一つでもあった「金枝篇」で取り上げられた「ディアナの森」のことだろう。神話においてディアナは月の女神である同時に森を司る女神でもあることを考えれば、おそらく間違い無いなのだが、森がまた安息する場所ということを本編の描写にてり合わせれば、劇中の最重要人物で月の女王であるディアナ・ソレルが静かに眠る(=死)という場所だと分かる。そういう意味では、この曲は「死」へ捧げる歌詞だといえる。



 2番目の歌詞を見ると、1番目に比べて少し動き出す感じがある。

あの月 あなたなら
悲しみを写さずに
世の揺らぎ見つめて
嘆かず飛んでみる

 ここで指す「あなた」は一番目とは違う感触で、むしろディアナが自分を見取るロランに語りかけてるように聞こえる。明言されていないものの、「世の揺らぎ」「悲しみ」は長い歴史の暗部のことを示すように読み取れる。それが劇中の黒歴史ではあるし、今までガンダムシリーズで描いてたあらゆるもののことなのでしょう。また、1番目の歌詞との対比性から見ると、「生」を称える歌詞と解かすこともできる。

繭(まゆ)たる蛹(さなぎ)たちは
七(なな)たび身をかえる

世の揺らぎ見つめて
嘆かず飛んでみる

 そして、Aメロの終わりの部分より少しの動き出す予感を思わせて、曲調と共にBメロ――つまりメインテーマの部分へ昇華していく。



青にLaLaLu LaLaLu染まる 恋し繭玉(まゆだま)
揚羽(あげは)の蝶になる

 ここらの歌詞は非常に曖昧である上、やはりストーリー性を帯びていないため、その解釈を完全に視聴者に委ねている。しかし、エンディング映像で見られるように、メタモルフォーゼという意象(心意と物象)を借りて、人類と時と空間のことを描いている。ひどく静的な流れのなかに、繭が蝶へ幻化する歌が展開され、それは人の心のなかで揺らぐ陽炎のようなものである。

 また、その色彩感覚も見逃せない。エンディング映像を見ると、歌詞のなかにもあった色の幻化模様は、よりはっきりとしたイメージによって描かれている。「七たび」=「七生」という言葉がある通り、揺れ動く七色の羽は宇宙の色に照り合わせて、まさに無限なる永遠を象徴している。

やがて宇宙(そら)をつつむ 無限の翅模様(はねもよう)
いのち輝かせよ

 蝶というメタファーは本編では月光蝶、あるいはディアナ・ソレルを想起させるが、そもそも蝶という存在は命短し儚い存在であり、まさに広大な宇宙(時間と空間)に身を置かれる人間のようだ。しかし、そんなちっぽけな存在でも、一生懸命に生きて、世代を重ねているからこそ、永久という時間を存在していける。その終わることの無い生と死のなかから、我々は命の尊さを感じることができる

 このように、歌詞とエンディング映像で壮大な象徴性を用意させながら、最終話のエピローグで淡々と人の営みを描く場面に投入したからこそ、逆に平凡のなかの非凡という、美しいまでに偉大なコントラストを表現することができた。そこから見ると、「月の繭」という一見難解なタイトルの意味も自ずとわかってくるはずだ。

 すなわち、繭というものが羽化する前の蛹(未成熟な生命)を守る存在だとすると、繭が地球のメタファーという意味になる。いつか羽化(成熟)して銀河へ飛び出す日が来るまで、何度も何度も地球という繭のなかで生と死を繰り返しながら生きていく。つまり、「月の繭」はディアナを歌うものであると同時に、地球そのものを称える歌でもある。このように、井荻麟は天才作曲家・菅野よう子が第1話で提示したメロディと、監督である富野由悠季が作った『ターンエー』という長大な物語を通して得た感触を融和させたことによって、ガンダムと生と死と時間と空間とを遺憾なく最高なハーモニーとして作り上げた。



 上の説明にもあったが、この曲は2ndエンディングという触れ込みであったが、そのスケール感を出すには1分くらいの尺ではとても足りなかった。なので、真価を発揮するのはやはり最終話の「黄金の秋」だろう。この曲から醸し出した命の尊さ、それから時と生命が永遠に続くだろうというテーマは、2015年時点での最新作『ガンダム Gのレコンギスタ』まで包括できるものなので、ガンダムシリーズにおいて究極なエンディングテーマであることと言っていいだろう。

 「月の繭」はガンダムシリーズの終着点とも言われる『∀ガンダム』のエンディングであることと、1話に流された曲が最終話に換骨奪胎した形で物語を締めくくった効果的な使い方などから、ガンダムシリーズ史上最高の名曲とよく称えられるが、それはただ立ち位置があるからの評価ではなく、むしろその位置に恥じない傑出な出来があったからこその評価なのであろう。


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井荻麟作詞論 第51回「CENTURY COLOR」

2015/04/08 02:01|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第51回では、テレビアニメ『∀ガンダム』の2ndオープニング「CENTURY COLOR」について語りたいと思います。



CENTURY COLOR

作詞:井荻麟、浜口祐夢/作曲:浜口祐夢/編曲:RAY-GUNS/歌:RAY-GUNS

赤い 赤い 花びらよ [Uh..Century Color]
青い 青い 羽根になれ [Uh..Million Color]
あなたの未来染めて藍(あい)して 生まれ変わってゆく...

 2ndオープニングでありながら、異例的に1クールほどしか使われなかった曲であるため、純粋な視聴者にとってあまり馴染みのない曲と言われている。

 富野の述懐によると、もともと最後まで1stオープニングの「ターンAターン」を使うつもりだったが、外部の商業的な思惑で、この曲の追加を余儀なくされたという。その経緯から1クールにしか使われてなかったが、当初の予定にはなかったにせよ、単純な結果としては、凄く優れる出来が残していたと言える。



 歌手や曲調などで考えると、前期とはうって変わったようなイメージが強いのだが、歌詞を吟味すれば、案外近いところもある。

繰り返す季節達が 心と身体を洗ってくれる
あなたの中にある傷口をいたわり 深く癒し合いながら

ほんのちいさなツボミ ふたりで育てる
藍(あい)だけでいい 永遠(ずっ)と...

 このようにして、「ターンAターン」で取り上げた「歴史の悠久(=時=繰り返す季節)」「人の人の結合(=癒し合いながら )」、そして「人との繋がりでじっくり歴史の傷痕を癒す」「未来を築く(=ふたりで育てる )」などの要素は、実はこの曲にも全部含めている。

 つまり、この作詞は決して単純なビジネスの要請による産物ではない。テーマにおいても、前期と後期オープニングの二曲はまったく同質といっていい。そういう意味でも、『∀ガンダム』のテーマが最初から最後までブレていなかったことはオープニングからも伺える。

 しかし、それだけではない。「CENTURY COLOR」の特徴はむしろ前期からの問題意識を継承しつつ、さらに開放感を与えたところにある。



 作詞で使われている「色遣い」を見れば一目瞭然で、「ターンAターン」が「黒」や「烙印」「悲しみ」「せつなさ」など暗い色調のフレーズに綴られたのに対して、「CENTURY COLOR」は「赤」「青」「藍」「夢」など鮮やかで軽い色調を中心に展開されている。また、前者が西城秀樹氏の重みのある歌い方であるのに対して、後者がRAY-GUNSの奔放で自由な歌い方という要素も相まって、『∀ガンダム』のテーマである「全否定・全肯定」のうちの「全肯定」のニュアンスを強く感じさせてくれる

 これは、映像表現からも伺える。「ターンAターン」のオープニング映像では、黒歴史の断片(歴代ガンダム作品の映像)が黒い太陽に収束して燃え尽きるのに対して、「CENTURY COLOR」では逆に地球から開放され、葉となり、ロランの手で光となっていくという極めて対照的な形となっている。両方が同じ問題意識を持ちながらも、前者を前置きにして後者を見ると、その全肯定である健やかさと解放感をより一層実感できる。

 さらに邪推すると、赤と青という色は容易にガンダムのトリコロールカラーを想起できることからも、かつてガンダムシリーズのしがらみに縛られ、苦しみ続けていた富野は、ようやくガンダムを再び肯定したといえるし、そのような赤と青を帯びている∀ガンダムは、まさに人に希望を与えてくれるガンダムということを仄めかしているかもしれない。

 つまり、この曲はターンAターンをスプリングボードにして大きく跳ね上がった会心作で、放送前から制作された1stオープニングと違って、監督の富野が放送中の空気と作品が持っている豊穣な養分を吸い取ったからこそ、ようやく出来上がった曲である。そういう意味では、この「赤」を「藍」で「青」にするという鮮やかな色彩感覚は、まさに作家・富野由悠季の復活を象徴するものでしょう。



 ところで、この作詞は例に漏れず英語が入っているが、タイトルにもなっていることから、富野が手がけたものと言っていいだろう。

  「センチュリーカラー」「ミリオンカラー」は直訳すると「世紀の色」「百万個の色」で、ストレートに「(人類が歴史を重ねた)世紀には無限の色がある」 と解かすことが素直なのだが、だからといって、あえてそのフレーズから性的な意味を見出すこともごく自然であろう。このようにして、セックスは1stオープニングから受け継いだテーマの一つであり、いわゆる白富野の命題の一つでもあるから。

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井荻麟作詞論 第50回「月の魂」

2015/03/31 18:49|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第50回では、テレビアニメ『∀ガンダム』の挿入歌「月の魂」について語りたいと思います。



月の魂
作詞:井荻麟/作曲:菅野よう子/編曲:菅野よう子/歌:レット隊

月の魂(たま)よ
月の魂よ 宿れ 宿れ 宿れ
我らが魂と 宿れ 宿れ 宿れ

 この曲は監督の富野が『∀ガンダム』で書いた三番目の挿入歌だ。あくまで物語世界に存在している「肉声」として書かれた意味では、「宵越しの祭り」と似ている性質を持っている。しかし、同じく一定の「コミュニティ」を描いた歌詞でありながら、この曲はさらに一歩進んで、部族の歌とも取れる高揚感を持つものになっている。



 上にも書いたが、「宵越しの祭り」が「地方での祭り歌」だとすると、「月の魂」は「部族の降神の歌」というより原始的な要素を持っているものであろう。

 作曲に相まって、その共同体の大きさを実際にイメージすることもできよう。月への憧れを象徴し、その土着性と月の信仰を表すような描写をなされていて、一見ただの雰囲気作りとも思えるが、月信仰が実在することを踏まえて、レット隊という月の末裔なのに地球で原始的な暮らしをする出自を考えれば、正暦の地球というフィクション世界の歴史を想起させられる。また、フィクション世界の奥行きを一気に出させることもできる。

 また、レット隊の性格付けにもなっていて、曲を聴くだけでその時代錯誤感としぶとい生命力を自然的に流れてくることができるだろう。



  ところで、この曲は劇中では24話の初登場、27話のフラット踊りと爆発シーン、39話の最後の宇宙漂流の計4回で使われたが、一番印象を残すのは、なんといっても「夜中の夜明け」―ーすなわち核爆弾の爆発シーンでしょう。その意図によく分からない人もいるので、以下で少しだけ解釈を試みたい。

 そもそも、降神の歌は神を求める――つまり超越的な何かに触れることによって、生と死の狭間に近づきたい性質なので、レット隊のこの歌もまた例外ではない。となると、あのしぶとい生命力から来る力強い歌による鼓動の後ろにあるのは、逆説的に厳然なる「死」なのだろう。

 狂気の象徴とも言われる月の下で、神の歌を歌う。それはすなわち生と死の極限を求める。また、核爆弾の絶大なる威力を考えると、あのような人間ではどうしょうもない爆発の前では、人々は思わず宗教的な意味と異なる神々しさを感じるのも、ある意味当然なことであろう。そのような人智を超えた力のもとでは、人はひれ伏すしかない。

 「生と死の狭間で、神々しい圧倒的な力と狂気に震え上りつつ、生命の鼓動を感じる」という意図でそのシーンにかけたと解釈することができるし、逆にこの光景でさえ人間が作り出したことを考えて、人の愚かさに嘆くこともできよう。ただ、言葉にするとかえって陳腐化する気がしてならないので、あえて解釈に頼らずに自分の感じる気分に浸ることもいいかもしれない。



 上の話を考えると、この曲が計4回の使われ方の性格も分かってくるかもしれない。

 24話の初登場では、レット隊の顔見せとして、その場違い能天気で時代錯誤感を醸しだす。27話のフラット踊りでは、レット隊の性格を再度アピールすると共に、核爆弾の争奪戦を控えても、なお好戦な態度を示すその人類の闘争心と愚かさを暗示する。

 そして核爆弾のところは上で書いた通りとして、、39話の最後の宇宙漂流では、逆に27話と違って「死が必至な場面で、生命を謳歌する」という、まさに逆手に取った使い方をして、見事にこのレット隊のテーマを「生きても死んでも元気いっぱい」という境界に昇華してくれました。

井荻麟作詞論 第49回 「月下美人/お嬢さん、内緒話です」

2015/02/24 10:07|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は富野由悠季監督の作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第49回では、テレビアニメ『∀ガンダム』の挿入歌「月下美人/お嬢さん、内緒話です」について語りたいと思います。



お嬢さん お嬢さん
あなたひとりで ふたりかも
陽ざしがつくる ふくらみと
月のひかりの もうひとり

 言うまでもなく、この曲は12話に登場する『∀ガンダム』の2番目の挿入歌だが、意外なことに複雑な成立経緯を持っている。歌い手である西城秀樹氏によると、この曲はもともと予定外のものであり、後に「ターンAターン」のカップリングとして同じシングルCDに収録されていたが、完成したあと、挿入歌としても使われることが決めたので、改めてテレビ放送版を録音したという。

 以上の経緯から、同じものでありながら二つのバージョンがある。シングルCDおよびGUNDAM SONG 145に収録されているのは「月下美人」というフルバージョン。オリジナル・サウンド・トラック第1巻に収録されているのは12話で使われていて、新たに録音された「お嬢さん、内緒話です」という短縮版。このように複雑な成立経緯があったためか、この挿入歌はほかの二曲とやや異なる性質になっている。



 タイトルの「月下美人」が示したとおり、これはロランから見たキエルのことを指している。しかし実はこのキエルはキエルではなく、月の女王ディアナが擬装している姿なのだ。

お嬢さん お嬢さん
あなたひとりで ふたりかも

 大地と太陽によって育った健やかなキエルと、月に生まれる妖精かのような儚いディアナ、二人はまさに対照的だった。

陽ざしがつくる ふくらみと
月のひかりの もうひとり

あなた抱いても もうひとり
レエスのフリル 咲きほこる
月のひかりの 妖精が

 しかし、二人がそれぞれの役割を演じているうちに、不思議なことに、二人の影はなぜかだんだんと重ねて見えてしまう。

月のひかりの うす化粧
重なる影に 恋心

 ロランはもともとディアナに似ている理由で、キエルに憧れていた。しかし、ロランが決定的にキエルを好きになっているのは、天真爛漫も気高い振る舞いをするディアナを見たからだ。では、彼が本当に好きになったのは果たして誰でしょうか。

 ディアナを描きつつ、その身を通してキエルというキャラを描く。そしてキエルを描きつつ、その身を通してディアナというキャラをも描く。これほど骨太のストーリーに御伽噺かのような設定を投入したことによって、監督の富野は真に不思議な描写の手法を達成していた。これがまさに『∀ガンダム』という作品における一番のセンスオブワンダーだ。



 また、タイトルで分かるとおり、この曲はロランの視点から見た内容だ。「月下美人」というタイトルもそうだし、本編で使われたバージョンのタイトル「お嬢さん、内緒話です」は、まさにストレートにロランの恋心にフォーカスするものとなっている。

 一方、フルサイズの歌詞を聴けば、この曲の意味をもうちょっと広く取ることができる。どういうことかというと、ロランの気持ちを代弁するところがあるが、厳密的いうと、その視点はロランというキャラの知を超えているため、完全にロランのものではなく、むしろもっと俯瞰的な角度から歌ったものなので、本編を反映した挿入歌というよりも、あくまで劇中に挿入したイメージソングみたいな性質として捉えることができる。

あなたの行く道 ふたつでも
手をかしましょう このぼくの

あなたふたりの ままですか
ぼくに任せて みませんか

 それでも、上の歌詞に書かれたとおり、「ディアナが決める道を、ロランが力を貸して共にする」という構図がまさに地球編中盤までの展開そのものだ。そういう意味では、この歌詞はやはり『ターンエーガンダム』の雰囲気を遺憾なく反映した興味深い挿入歌と言えるだろう。


井荻麟作詞論 第48回 「宵越しの祭り」

2015/02/10 11:18|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は富野由悠季監督の作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第48回では、テレビアニメ『∀ガンダム』の挿入歌「宵越しの祭り」について語りたいと思います。



宵越しの祭り
作詞:井荻麟/作曲:菅野よう子/編曲:菅野よう子/歌:ホワイトドールの祭りの会一同

シーシッシー シーシッシー
ラーセッセー ラーセッセー

 『∀ガンダム』において、監督である富野は5曲もの歌詞を担当したが、そのなかでも特筆すべきなのは、挿入歌の立ち位置の変化という部分だ。今まで『逆襲のシャア』や『Vガンダム』でもその片鱗を見せたが、本格的な変貌を見せたのは、やはりこの作品からなのだ。

 歌詞自体を読むと、内容は至ってシンプルなのだが、よく吟味すれば、この時期の富野作品の共通的特徴を見かける。それについては、まず『ブレンパワード』以降の、いわゆる「黒富野から白富野」的な変化に関して、簡単に説明したい。

 『ブレンパワード』以降、半リタイアから復帰した富野が大きく変わった。具体的いうと、「病気」になる恐れがある描写や物語を徹底的に避ける代りに、「健やかさ」を模索している作風になっている。そして、現実の歴史を生きている人間がどのようにして健やかさを求めてきたか、それから現実に存在している健やかさを、フィクションに反映させるためにはどうやるかを考えた末、彼が到達している結論の一つは、すなわち「祭り」という要素をとること――つまり、物語(フィクション)世界で祭りを再演するという手法なのだ。



 今回の歌詞が短いなので、全部解説する。

シーシッシー シーシッシー
ラーセッセー ラーセッセー


 タイトルともなっている「宵越しの祭り」は、主人公が暮らしている地域における一年一度の成人式だ。本編のなか、1話のキエルと、2話のソシエとロランが違う年で参加しているのがそれだ。若い男女はこの祭りで互いのパートナーを選び、共に一夜を過ごしていれば、初めて成人とみなされる。

年を越せ 夜を越せ
年を越せ 夜を越せ

 そして、この祭りの根源となっているのは、「ホワイトドール」という共通的な信仰。いうまでもなく、石像に封印されている∀ガンダムのご神体のことだよね。

ホワイトドールのご加護の元に
ホワイトドールのご加護の元に

 このようにして、歌曲の「歌」と「歌詞」は映像と共に、世界観を描く要素の一つとして作用していて、劇中の「祭り事」と「土着の信仰」を表してくれた



 さらに象徴的なのは、この詞である。

男は男 女は女
男は男 女は女

 82曲にもおよぶ井荻麟の作詞のなか、これほど単純に富野由悠季の性別観を表した詞もいないでしょう。

 監督である富野によれば、企画段階では登場人物が自由に性別を転換できるアイデアもあったが、それがこの作品に相応しくないという理由で却下されたのち、性というテーマをより強調するために、富野が改めてこの歌詞を書いたという。男はあくまで男、そして女はあくまで女。それ以上それ以下でもない。

 もちろん、劇中の描写を見れば分かるとおり、富野がセックスに対する見方は決して一面的に狭いものではない。また、性のあるべき姿を強要しているわけではない。しかし究極的いえば、人類が世代を重ね、世界へ継続させるためには、どうしても男と女の結合=セックスという方式を経てないといけない。これは誰もか否定できないことではある。



 以上の「土着の信仰」と「セックス」という話を分かれば、この「宵越しの祭り」が持っている意味をはじめて分かる。

 もともと祭りというのはハレの場で、日常のストレスを発散するために設けられた一種の特殊空間および時間だ。人々はそれに参加し、人と人のふれあいによって、生きる力を再獲得する。このへんの性質は現実世界に存在している祭りと同じものとは言えるが、この構図をまんまに本編の映像およびこの歌詞に出てくる「宵越しの祭り」に当てはまると、この成人式の性質が自ずとわかってくるはずだ。

 成人式=男と女がパートナーを捜し求める場所=男と女の結合=セックスという、現実にも存在していた論法から考えれば、この「宵越しの祭り」は実に下俗的――いや、動物的とさえ言える。しかし、その下俗さはまさに人類が土に根ざすような象徴で、いわば生命力の表れともいえる。それによって、「信仰」という人々の考えているものが、「祭り」という場を経て、「セックス」という行動に移る。この行動そのものが健やかさの表れで、富野流の別言葉を借りると、「身体性」というものだ。

 以上を読めば、「祭り」は白富野的なテーマである身体性を達成するために導入された要素だと分かるはずだ。一人の身体性はあくまで一人のものでしかないが、しかし自分の体を外へ拡散すれば、それが「社会」そのものになる。



 さらに重要なのは、「祭り」はコミュニティ=不特定多数との繋がりを継続させるための儀式でもある。その不特定多数によって、人間は空間的にも時間的にも繋がっていられる。これは単純な事実陳述ではなく、アニメというフィクションにとっても非常に大事な要素だ。

 アニメは所詮平面的な絵空事で、そこに描かれているものが全て――つまり空間的な描写ができても、時間という要素はなかなか描けないでいる。しかし、今度「祭り」という大昔から存在しているものをきちんと描けば、必ずやその風土・歴史の積み重ねを視聴者へ提示し、一気に作品の奥行きを深めることができる。そしてこの時間の要素を上の「身体性」に重ねて考えれば、さらにその重さを分かるはずだ。

 これ以上の説明は省くが、要するに、信仰→祭り→セックス→絶えず生む力→世代を重ねること→健やかな人生の達成という構図だ。考え方としては飛躍的なところがあるが、これによって、この歌詞に散りばめられている要素はようやく全部繋げた。

 ガンダムシリーズや『ブレンパワード』などで見かけたように、富野は人類が生き延びられることを何より重要視している。だからこそ、「祭り」を通して、大地に根ざす人類=永遠に生きるための真理をなんとしても伝えたいのであろう。だから、「宵越しの祭り」ははなっから『∀ガンダム』のテーマを暗示する内容であり、生命のめくりくるを象徴する曲でもある。祭りが来れば、新たな一年がまた来て、「生」もまた繰り返される。それがまさに「宵越しの祭り」が『∀ガンダム』という作品のラストシーンに使われる理由ではあるし、そのラストシーンが代表する意味でもある

▽続きを読む▽

井荻麟作詞論 第47回 「ターンAターン」

2015/02/03 17:31|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は富野由悠季監督の作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第47回では、テレビアニメ『∀ガンダム』のオープニングテーマ「ターンAターン」について語りたいと思います。



ターンAターン
作詞:井荻麟/作曲:小林亜星/編曲:矢田部正/歌:西城秀樹

ターンAターン ターンAターン ターンA

刻が未来にすすむと 誰がきめたんだ
烙印をけす命が 歴史をかきなおす

 『∀ガンダム』は1993-94年放送の『機動戦士Vガンダム』で一旦離れた富野由悠季が5年を経て、ふたたびガンダムに復帰した作品だ。原作者という身に加え、20周年という節目に一旦不本意な形で終わってしまったガンダムの監督を務めることで、今まで商業色が強かった平成三部作にうって変わって、富野は作品作りにおいて製作サイドからかなり自由に任せられた。特にOPの作詞に関しては、93年の『機動戦士Vガンダム』OP1以来なので、オープニングが映像面に関しても作詞面に関しても、かなり原作者の色を反映している。

 そしてこの作詞の特筆すべき特徴は、ガンダムシリーズのスタイルを反映しながら、いわゆる「白富野」「復活富野」といった『ブレンパワード』以降の作風を継承する作りとなっている



 第33回の「Ζ・刻を越えて」と第39回の「STAND UP TO THE VICTORY」でも言及したが、Z以降の富野ガンダムのOPには「意志の表明」という共通的な特徴を持っている。それが劇中の登場人物のものであると同時に、監督から視聴者へストレートに訴える一種のメッセージともなっている。

刻が未来にすすむと 誰がきめたんだ
烙印をけす命が 歴史をかきなおす

 これはもっとも『∀ガンダム』という作品を象徴する詞と言えるのでしょう。この作品の世界観や時代背景を物語ったと同時に、今まで宇宙世紀という軸でどんどん設定年代と内容を掘り下げるガンダム作品、ひいてはどんどん先鋭化してしまっているロボットアニメから脱却し、ふたたび「ファースト」――つまり原点回帰という意志を、作詞の体を借りて訴えている。



 また、白富野的なところも見逃せない。

あなたとの間に 命ある形を
この星に捧げる 愛というしるしで


 これは、明らかにセックスのことを指している。ターンエーにめぐる逸話や劇中で見かける描写でもわかるとおり、富野がこの作品においてもっとも重視しているテーマはまさしく人の性の有り様。そして根源からターンエーという作品に出てくるあらゆる人物を支配しているのはほかでもなく、「セックス」というものだ。

 性別論に関して、男と女の結合こそが人の円融という考え方は今までの富野作品(アニメ・小説問わずに)にも出ている要素なのだが、これほどはっきりとセックスを世代論と地球の再生に緊密な連結にするのは、明らかに今までよりステップアップして、白富野以降のテーマを引き継いている



 さらに、作品におけるキーワードの一つであり、テーマの一つでもある「黒歴史」についての描き方も興味深い。

巡りくる切なさ 悲しみを払って

黒くくすんだ暦を 新たに書き直す

ゆるやかに育てて 傷口を癒そう


 と、このように黒歴史という言葉を別の形で再三に繰り返す。黒歴史は本編の言葉を借りて説明すると、「全否定・全肯定」という言葉に尽きるが、これら「切なさ」「悲しみ」「黒くくすんだ暦」「傷口」などといった歌詞に用いられた言葉からは、西城氏の声の重厚さ、さらに映像の色調も相まって、どうしても「全否定」的なニュアンスが強く入ってしまっている

 もちろん、富野はもともと全話にこの曲を使う意図があるということからわかるとおり、この曲は否定一辺倒な曲ではない。肯定のニュアンスもちゃんと入っている。そういう意味では、この曲はまさしく『∀ガンダム』という作品そのものを体現するものだと言える。

 しかしながら、一つの作品の構成要素が複雑に多様であるように、歌もまた一面的ではない。歌詞-歌声-映像の三位一体で与えられる威力は実にすさまじいもの。単独に聞くと、確かに重厚で荘厳な気品さえ漂っている絶品だ。しかし、対比が生まれると、どうしても比較的に落ち着いた性質を与えられるものだ。そういう意味では、もう一つのオープニングテーマと対になっているところはぜひとも見逃さないでほしいのだが、それは第51回の『CENTURY COLOR』で改めて語ろう。

【レビュー】同人誌「富野音楽演出論」:監督と作曲家と音響監督が奏でる交響曲

2015/01/22 01:16|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:2
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 【レビュー】同人誌「富野音楽演出論」:監督と作曲家と音響監督が奏でる交響曲
 C87で初出、現在同人誌通信販売サイトCOMIC ZINにて販売中の「富野音楽演出論」という富野由悠季監督の作品の音楽に関する同人誌を手に入れましたので、今日はその内容に関するレビューを紹介したいと思います。



COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 TOMINO's Music Direction

【作家】日暮里炒飯
【発行日】2014/12/31
【サイズ】その他

富野由悠季監督作品の音楽演出について、体系と私見で紐解いていきます。CDサイズの本で、本文56Pモノクロ、ブックレットのような形式です。

tomino music

 作者は「日暮里炒飯」というペンネームで、サントラに関するレビューサイト「NIPPORI SOUNDTRACK」を運営している方です。

 本文部分に49ページもあるものの、CDサイズの小冊子である上に文字のサイズが大きめなので、ページ数の割に比較的に簡潔な内容となっています。

 そういうボリュームの関係で本格的な論文にはあと一歩という部分を否めないものの、それら決して多くない文字で、実にちゃんと解説のポイントを抑えています。



 「音楽演出論」を謳えるだけあって、音楽自体に対する説明や作品と音楽の関係性、音楽に関する時代の脈絡については過不足なく取り上げて、一本筋の説得力ある論述に仕上げてくれています。特に、音響監督を論説の軸とする部分は光っていて、この本をただの「富野作品のファンブック」以上のものにさせてくれました。

 また、関係者の発言や資料の引用もほどほどあり、全体の信憑性を増やしています。足りない部分に関して執筆者個人の見解で補うところがあるものの、その見方が概ね筋通っているものであるために、論述にはおおよそ破綻が見かけません。

 音楽演出に関する論説は商業文章・研究を含めて数が非常に限られていることを考えれば、この「富野音楽演出論」は実に有効かつ有用な文章になってくれているのではないかと褒め称えたい。



 惜しむべきは、富野作品全体をあまねく遊歴したものの、作品主体か作曲家主体か音響監督主体か、という軸がややブレている部分もあり、全体の構成がやや散漫であるきらいは否めません。また、執筆者の初めての長文のためか、文章にはまだこなれていない部分が読み取れます。

 また、『Gのレコンギスタ』という新作に合せて、総論に急ぎすぎている気配があるものの、ボリュームの関係か、個別論から総論にフィードバックする部分が足りていないため、結論部分はややはっきりしていませんでした(もちろん、Gレコという作品がまだ終わっていないのも理由の一つではあるが)。

 結果的に、音楽演出論としては興味深いものではあるが、商業文章に匹敵するにはあと一歩という印象が残っています。

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 しかし、文字通り「あと一歩」だ。場数をもう少し踏んで、よりはっきりとした構成さえできれば、商業としても通用できる一家言にはなれるのでしょう。そういう意味では作者の次回作には大いに期待したい。

 最後に、この「富野音楽演出論」の目次だけを紹介させていただきます。興味ある方はぜひ入手して読みましょう。

1 序文
2 虫プロの演出
3 初監督作品「海のトリトン」
4 ガンダムまでの道のり、そして
5 藤野貞義氏と、三枝成彰氏
6 暗黒から「白富野」へ、浦上靖夫氏再び 
7 EDとアイキャッチから見る御大
8 元気でいられるように

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