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富野由悠季の『クロスボーン・ガンダム』を語る 後編 「クロスボーンに潜むトミノエッセンス」

2009/11/01 20:08|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:13
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富野由悠季の『クロスボーン・ガンダム』を語る 前編 「クロスボーンはどこまでトミノだったの?」


 昨日に引き続き、今日も富野由悠季と長谷川裕一の合作『機動戦士クロスボーン・ガンダム』を語ります。使っている本は昨日と同じく稲葉振一郎氏の『オタクの遺伝子』です。

 正直、この作者はかなりの長谷川ファンで、長谷川についての造詣がものすごく深いのですが、あまりにも長谷川ファンすぎるため、かえって話の全貌を見えなくなっちゃう部分もあります。特に富野作品とガンダムシリーズに関していえば、この『クロスボーン』の健やかさを強調するために、今までの「ニュータイプ」を一括りにただの亡霊話と規定しちゃうところなんかは、どうしても違和感を感じずにいられません。なぜなら、「ニュータイプ」は設定としての世界を規定するものではなく、物語としての世界を反映するものです
 こういう作品を語ってるのに、いつの間にか設定語りになっちゃうところは、ある意味語り手が典型的に落ちやすい落とし穴だったが、この本の作者の論調でも、それが表れています。当然、長谷川を語る文脈でいえば別に間違っていませんし、稲葉氏の長谷川を持ち上げたいための故意だと知ってますけど、結局、富野作品やガンダムを語るにしても、一々「富野より正解を出している!」と長谷川を褒めたいところが、自分にとってあまり好きじゃない一因です。
 なので、富野あるいはガンダムのためなら購入すべきかどうかと悩んでる方がいれば、私ははっきりとオススメしないと言います。

 しかしながら、この作者が書いたこの本はSF文脈あるいは長谷川文脈で見れば、間違いなく力作ですし、この本の形式も方法論も個人にとって勉強になるところがありますので、多少SFと長谷川ファンであれば、買っても絶対損はしないと思います。

オタクの遺伝子オタクの遺伝子
(2005/02/26)
稲葉 振一郎

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 さてさて、以下は本題。


第5巻に出てくる、『クロスボーン・ガンダム』のなかでも特に屈指の名シーンである、トビアが地球の山を登って疲れたところで、空を見たら鳥がザッーと飛んでいるシーンに関しては、原作者である富野の実体験によるもの。
 長谷川によると、富野は打ち合わせのときに、自分が海外旅行した時の話を延々に語って、そのなかの1つのエピソードが、これの元ネタになったという。

誰もいない山のなかをおじさんがひとりで歩いているんだよ、どこから来たのと訊けば一〇キロ先から歩いてきたと答える。考えられないでしょ。

鳥の群がいつまでもいつまでも、一〇分も二〇分も飛んでいるんだ、すごいだろう。

 実際、このシーンをそのまま入れたのは長谷川だが、地球の「自然」の話を出すのは、二人の打ち合わせによるもの。


 ⑪でも語りますが、後半の舞台を地球にしたのは長谷川ですが、地球を出すことならば、そういった読者に地球の自然を感じさせる意向も、間違いなく富野の構想のなかにありました。


最初の富野の構想では、「フロンティアサイドで発生したコスモ・バビロニア建国戦争が、クロスボーン・バンガード軍の勝利に終わった宇宙世紀0123年から一〇年後、宇宙海賊クロスボーン・バンガードを名乗るキンケドゥ、ベラ・ロナらとベルナデット・ブリエットにあたる人物が、密かに地球侵略を企んでいる木星帝国と木星圏で戦う」という話だったが、誰も知らないところで密かに地球侵略の企みがって、誰にも知られないまま、地球から遠く離れた木星で戦っていたという話は盛り上がりに欠ける長谷川の主張を理由として、後半の展開を地球まで来たという話をした。
 長谷川によると、何故富野は木星だけでケリをつける意図があったのというと、元々『Vガンダム』以後で木星を描く構想があったのと、おそらく『Vガンダム』との整合のために、誰も見ていない《ガンダム》のストーリーを独立させたかったための手段だという。


 昔も言いましたけど、富野はほとんど(世界観としての)時間を遡って作品作る例がないなか、『クロスボーン』は結果的にそういう掟みたいなものを破った希有な例になった。『Vガン』のアイデアを継承しながら、『Vガン』をフォローしなければいけないというのは、クロスボーンの特性であり、奇異点でもある。


また、キンケドゥもベラ・ロナも『クロスボーン』では、宇宙世紀0128年に完成した旗艦バビロニア・バンガードの処女航海中に事故に遭い、公式にはすでに死んでいる存在しない人間として登場するのも、『F91』では勝利したはずのコスモ・バビロニア自体が、その創始者マイッツアー・ロナの孫娘であるベラ・ロナの「貴族主義はまちがっています。人は平等です」という演説で内部崩壊したということになっていたのも、原作からすでにあった設定です。
 ただし、それまで至る経緯を、長谷川は一切知らなかった。「ドレル・ロナはどうしたんですか」という質問に対しても、富野の「気にしなくていいよ。忘れて」という答えしか得なかったという。


 『F91』の続編を意識してるところはあるにしても、どこか知らないところで決着をついたことにしたのは、新しい話を作りたいというためであろう。


『クロスボーン』は例外的に幸せな終わり方をしていた理由に関しては、長谷川は「自分が描いているからです」という。原作だと「キンケドゥは死んじゃってもいいよ」や「生きていても片手片足がなくなっている」という設定になっていたが、結局長谷川の意向によって、ベラ・ロナと二人地球に生きていく話になった。その結末に関して、富野も気に入っているらしい。

 長谷川は「キンケドゥは死んじゃってもいいよ」を暗い話として捉えるのだが、むしろそれが漫画家に与える権限だと考えられる。


富野は設定を出す際にあたって、裏の事情をはっきりとおっしゃらないようで、たとえば長谷川の「キンケドゥと書いてありますけど、これシーブックですよね」に対し「それはわからない。シャアが仮面を被っているようなもので、仮面を使えるということである程度大人になったということなんじゃないかな」みたいな説明を返したという。

 これは富野のいつもの説明の仕方で、説明下手とも取れるが、むしろそれが作り手に対する挑戦で、想像させることによってキャラを膨らませる方法論のひとつといえる。また、ちょっと違うだが、小説の設定を先に並べることによって、読み手に想像させることも、どことなく彷彿している。これに関してまた別の記事で語りたい。
 もっとも、これはあくまで若手に対する方法であるべきで、『∀』のときの西城秀樹の例から見れば分かるように(∀の癒しの参照)、同じキャリアを持つ人に対してならば通用しなくなる。


クラックス・ドゥガチについては、富野の原作のアイデアでは、コンピューターかもしれないというのと、老人で実は大した人物ではないという、二つのパターンがありました。そして最終的には、この二つをあわせたみたいな話になったが、その裏にある地球に対して憎悪を抱いている話も、その妻は地球から来たという話も、設定のなかにはすでにあったもの。

 これは⑭の傍証で、あえてこの設定の意味を語らず、長谷川にさらに一歩に進む話(設定ではなく、話というのを注目したい)を作らせる。


話の最後ドゥガチが「真の人類の未来? 地球不要論!? そんなものは言葉の飾りだっ! わしが真に願ってやまぬのは唯ひとつ! 紅蓮の炎に焼かれて消える地球そのものだ――っ」という本音に関しては、長谷川はドゥガチのこの今の世の中が気に入らないという思いを、富野の気持ちを代弁したかもしれないと思った。また、ドゥガチの言葉に対して、トビアが言った「安心したよっ! ドゥガチっ! あんた……まだ人間だ。ニュータイプでも新しい人類でも……異星からの侵略者でもない! 心のゆがんだだけのただの人間だっ!」も長谷川による台詞。
 これにたいして、富野は「ぜひ言わせてくれ」といって、ドゥガチのあの台詞を足したという。「若造のいうことかああっ」


 これは長谷川どころか、今まで大半の人間が富野の「本音」と「大義」に対する捉え方を誤解したゆえのキャラ作りで、別にいけないとは言わないけれど、多くの人はドゥガチを富野らしいキャラとして捉えるのは個人に関しては違和感がある。むしろ、長谷川が誤って捉えた富野の幻像みたいキャラ。
 富野節のなかでも極めて有名である「XXのいうことか!」は元々目下の人間が目上だったはずの人間に対して吐く台詞だが、ここだけがまったく反対ということは、決して無視してはなりません。なぜそうなったのは、長谷川がトビアをドゥガチの上位に置いたからということは明確ですが、何故長谷川がトビアを上位に置けたというと、富野が言ってた「小物」を誤解、あるいはこういう描き方しかできなかったからです。そういう意味では、それが長谷川裕一の限界といえるかもしれません。


「私にはニュータイプの力は”神”があたえたもうた力だと思えるのですよ、戦って滅んでゆくしかない人間になげかけらえた生き延びる術――希望ですが――今はまだあまりにもその数が少なさ過ぎる」「(ニュータイプとしての)あなた(トビア)の力を汚れた戦いに使ってはいけないの」というシェリンドンの考えに対して、長谷川はこれを《ガンダム》におけるニュータイプの考え方と捉え、長谷川の話によると、富野の原作にもシェリンドンの考え方が書かれているという。人類はニュータイプになるだろうけど、時間がかかるから、コスモ・クルツ教団が先導していくと書かれいる、と。

 これは長谷川の誤解で、富野は別にニュータイプの正しい考え方を規定してない。⑨と対照すればわかるところで、原作の最初では核心となるニュータイプ論は無かったのに、そのニュータイプ論を語るシェリンドンとコスモ・クルツ教団が出てくるのは、まさに富野が語りたいのはニュータイプではなく、あくまで宗教だという証拠。富野の意図はおそらくニュータイプというガンダム世界のなかでも一番強力な《設定としてのフック》を使って、歪んだ宗教を描くだろう。これは前後作である『Vガンダム』と『アベニールをさがして』から読み取れる。
 では、何故長谷川が誤解してると、それはSFからの視点によるものかもしれない。長谷川の処理する手法から見れば、「あえて誤解してるままに進む」という方法論が存在していないためだからです。


作品を始めたとき、長谷川は一度富野に「サイボーグはありですか」と確認したところで、部分的な仕様ならアリという。なので、長谷川は最初カラス先生をサイボーグにしようと思ったが、結局ガンダム作品にサイボーグを大量投入すると、世界観が維持できなくなると思い、あえて曖昧な形にしておいたという。

 これは長谷川がSFファンのためで、設定としての世界観を拘るから。対して富野はあくまで人間ドラマを拘るだけで、設定は後からいくらでも作れるという考え方の違いが、ここでもはっきり出てる。
 また、富野自身もサイボーグものがやりたいと思ってたのに、結局長谷川に部分的な権限しか与えなかったのは、SFファンの気性がよく知ってるからと思われる。




 以上は、この本で書かれている『機動戦士クロスボーン・ガンだう』に関してほぼ全部の話です。今までネットやファン界で流れている定説や見方と違うところもあるでしょう。富野と思われる部分は長谷川だったり、逆に長谷川と思われる部分が富野だったりしてて、かなり意外な箇所もあるはずです。これはある意味合作であるから出来た(読者が起こす)勘違いですが、富野にしても初めて、そして今のところ唯一の漫画原案担当なので、富野(、と長谷川)にとっても、きっと模索のなかで試行錯誤に違いません。


 正直、この『クロスボーン・ガンダム』の完成度はなかなかのものだと思いますが、そのなかのキャラクター作りとストーリー作りに関しては、富野は残念ながらそれほど関与してたとは思いません。
 前作からのキャラクターであったキンケドゥとベラはともかく、主人公であるトビアから、(ずっと純粋なトミノキャラと思われる)ドゥガチまでかなりの割合が、長谷川の手による人物だった。また、脇役の造形から見ても、一部を除くと長谷川が作ったキャラのテンプレがきちんと押さえているのを見えます。
 また、ストーリーにしてもそうだった。舞台を地球まで引っ張ると提案したのは長谷川ですし、いかにも長谷川漫画的のザビーネキチガイ化、3対1対決、宇宙大決戦なども、おそらく富野の漫画版の巻頭コメントの通り、物語を長谷川に譲ったからです。

 しかしながら、コンセプトに関しては、富野は意外というか、最初から最後まできちんと握っていたままです。土地と人間への回帰というテーマは『ガイア・ギア』、『F91』、『Vガン』でもすでに出来つつあるものですし、地球を舞台にするならば、もっと自然をアピールしたいというアプローチも、ストーリーの変化に影響されることなく、最初のテーマからずっとぶれないままで最後まで行った。


 なので、作り手であった富野と長谷川は100%かみ合う作品でないにせよ、この『クロスボーン・ガンダム』は依然に非常によく出来た作品である。長谷川裕一作品としても、富野由悠季作品としても、です。


(11/11追加:)
富野由悠季の『クロスボーン・ガンダム』を語る 追伸

コメント
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#|2009/11/01(日) 23:32 [ 編集 ]
もうオーケーしましたよ。ゆっくりしていればいいですよ。私は他人をねだるまで記事を書こうをするほど高慢じゃないですので、安心してください^^
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/11/02(月) 00:26 [ 編集 ]
ドゥガチを「心のゆがんだだけのただの人間だっ!」と断じたトビアに対して「若造のいうことかああっ」とドゥガチが返すのは、本作中の白眉というべき名場面のような気がします。
ご指摘のとおりドゥガチだけを富野監督の分身と考えては間違いなので、分かりやすい例で言えば『逆襲のシャア』でのシャアとアムロのように、ここでは富野監督の分身同士が葛藤しているという読み方になりますよね。
これもハンナ・アレントの、全体主義を実践してしまうのは実は陳腐な人間だ、という指摘に連なる話で、そこでドゥガチを陳腐と断じて終わるのではなくて、誰もが陳腐に陥る可能性があるぞという危うさに思いを残すことが、富野監督は大事だと思ったのではないでしょうか。
囚人022 #TJwDdEqg|2009/11/02(月) 18:23 [ 編集 ]
「若造のいうことか!おまえも私と同じ目に遭えば、こうもなろう!」という意味なら、確かにそういうメッセージも秘めてますよね。腑に落ちた。

アーレントに関する話ですが、実は去年の年末くらいだったかな、初めて富野監督が「最近アーレントにはまっています。これまでは知りませんでした」を聞いたとき、自分最初の反応ものすごく意外というか、唖然しました。「え、全体主義を知らないのに、あそこまで描けましたとでもいうのか」という。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/11/02(月) 22:55 [ 編集 ]
あんたの浅い考察だの感想はいらないから本文だけ上げてくれ
匿名 #-|2009/11/10(火) 19:46 [ 編集 ]
残念ながら、私は長谷川裕一先生を批判した覚えはありません。ただ富野と長谷川のお互いの限界を述べたまでですよ。

本の内容を全部上げることは、今でも売っている本の価値を損なうことになりますので、できれば避けたいところです。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/11/10(火) 23:48 [ 編集 ]
長谷川の主張を富野の誤解と断じる根拠が不明だが、
どうも富野を理解しているという思い込みが痛々しいサイト主の
文章である。
ニュータイプ論は少年がロボットを操縦するために
エスパーが名前を変えただけのただの設定だし、そこに意味を見出そうとするのはそれこそカルトだろう。気持ち悪いとしか言いようのないオタク生理だ。
長谷川の吐かせたトビアによるドゥガチに対する洞察も正論だ。
ニュータイプという追加設定の幻想自体が言葉遊びでしかない以上、
敵の本質や戦いの本質とその果て人間のエゴでというのは
どこまで言っても正論である。ニュータイプという言葉で未来を誤魔化すのはオタク生理の逃避でしかない
カルト宗教だな #IKAbWj0g|2010/06/27(日) 03:51 [ 編集 ]
ニュータイプという言葉の機能についてのフォルマリスティックなこの記事を読んで、「ただの設定」と同語反復を経たうえで、言葉遊びという「意味を見出し」た揚句に、その意味に乗っかったうえで可能になる長谷川氏の戦略を、鋭く分析するブログ主の言葉を読めない自分を棚に上げて、カルト宗教呼ばわりするのは、少々頭のネジがゆるんでいるのではないでしょうか?

痛々しいのは95年あたりで脳みそ止まってる佐藤健志のミニミみたいなあなたではないですか?
tsi080 #r0SGDlA6|2010/06/27(日) 08:48 [ 編集 ]
残念ながら、おっしゃる話はあまり理解できません。そもそも貴方は富野監督の気性を分かっておりません。ニュータイプは最初は確かにただの「使えるかもしれない設定=理屈」しかありませんでした。しかし、それを固めるためにアムロとララァのエピソードを編み出した時点、それはもうすでにただの設定ではなく、物語を反映するものとなったのです。そこを理解していただけないと、まず後の話もできません。ましてクロスボーンの前には『Z』『ZZ』『逆シャア』『F91』『V』などの作品がありましたし。

>長谷川の吐かせたトビアによるドゥガチに対する洞察
あそこが問題なのはトビアではなく、むしろドゥガチだと思います。よく見ればわかると思います。富野監督はキャラに本音の吐露をさせるとき、別にそのキャラを「大義」を否定していません。大義はきちんとした大義だからこそ、本音の踏み台になれるのです。なので、それを「ただの個人の恨み」として見なすのが、一種の誤解だと思います。どのキャラやドラマに対しても、本質をそこまで単純な書き方はしていませんのです、富野さんは。

kaito2198 #L2WcHO2o|2010/06/27(日) 11:23 [ 編集 ]
資料としても読み物としても大変興味深い記事でした。ただ、
>何故長谷川がトビアを上位に置けたというと、富野が言ってた「小物」を誤解、あるいはこういう描き方しかできなかったからです
この点を断言する根拠は何ですか?もしくはあなたがそう感じた理由は何なのでしょう。
富野の表現した「小物」にはどんな幅(または含み、または意味)があったのかを述べないと「長谷川は作家の限界故これしかできなかった」と考察するには弱いように感じます。

小説F91の冒頭で「子はどういう形であれ親に還る」とあり、
結局ただの私怨で親(地球)を殺そうとしたドゥガチはまだ子(人間)であった・ということが言える、富野作品としても非常にナイスなキャラ造形であると考えているのですが
「長谷川は意図してこうした」ではなく「長谷川はこう描くしかできなかった」とする一文に疑問を感じたものであります。
おさかな #Gunbb4dY|2011/10/09(日) 12:24 [ 編集 ]
コメントありがとうございます。この記事はおっしゃるとおり私自身の感想が多いですが、以下は自分で感じたことを前提にお答えします。

>何故長谷川がトビアを上位に置けたというと、富野が言ってた「小物」を誤解、あるいはこういう描き方しかできなかったからです
まず、トビアを上位にしたのは、簡単にいうと氏のもう一つの代表作である「マップス」の主人公ゲンと同じように、そういう個人の信念に基いて大きな敵を対抗する、いわゆる長谷川氏のもっとも得意なキャラクター配置です。
この配置では、敵はたとえ戦う理由があるにしても、到底読者にとって受け入れるものではないため、結局読者の代弁者である主人公の論理勝利になります。

しかし、シャアに代表したように、シャアは主人公アムロと違う論理をもっていても、一面の真理を握っている行動原理で行動しているため、結局正しさも間違いもなく、どっちも正しいから諍いが起こる、という話になります。
しかし、ドォカチの理由はもしただ私怨で地球を潰したいだけなら、それは真理にはなりえません。つまり、「理念の衝突」はクロスボーンには存在しないのです。
それから、ドォカチの造型は富野監督が提示したものだったけど、結局長谷川氏が作った部分が大半ですから、このへんはやっぱり長谷川氏の主導によるキャラクターだと思います。

富野監督の考えた小物の究極でいえば、シャアでしょう。よくシャアは結局ララァが殺された恨みで地球寒冷化作戦を起こしたのではないか、と言われていますけど、それはたぶん半分くらい間違っています。なぜかいうと、シャアもまた「全人類の覚醒」を本当に理念を持っています。
この場合のラスボスは、「大義」も「本音」も本物でないと成り立てないものです。大義は一見「建前」にしか見えませんけれど、実は極めて理念を秘めている「信念」なのです。そして、この大義はよく本音を引き立てるものとして使われていますけど、逆説的にその大義は本音にも匹敵するからと説明がついてるものです。
つまり、その極めてプライベートに近い、他人にとって価値がない「本音」を立てるからこそ、あえて「大義」を貶して、さも「建前」のように振りかざす、というのは富野監督のラスボスですね。シャア以外でいえば、『イデオン』のドバ・アジバもこういうキャラです。

「作家の限界」に関しては…まあ、長谷川氏の悪口ではないですけど、やはり「マップス」を越えていない、というふうに理解してくれればありがたいです。
もちろん、長谷川氏が100%富野監督みたいなキャラクター造型をする必要はまったくありませんけれど、結局富野監督が作ったキャラの対立ほどの緊張感を持っていない、ということもまた私本当の感想です。

おっしゃった地球と人類、親と子の関係については、これからまだまだ勉強しなければならないと痛感してる上で、ドォカチのキャラクター造型から見る富野監督と長谷川氏のこの合作について説明させていただきます。
kaito2198 #-|2011/10/09(日) 16:50 [ 編集 ]
ご自身が作中でお気に召さない要素を掻い摘んで長谷川裕一の限界と書かれるのは浅ましい行為だと思います
長谷川裕一がオリジナルのガンダム漫画を描き続けるほど原作者の地位は低下していきますね
#-|2016/06/28(火) 20:52 [ 編集 ]
ご意見はそれぞれだと思っております。
その上、コメント欄でのやりとりも読んでいただければ幸いだと思っております。
kaito2198 #L2WcHO2o|2016/06/29(水) 01:06 [ 編集 ]
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