富野由悠季監督とその作品をひたすら語るブログ

TOMINOSUKI / 富野愛好病
http://kaito2198.blog43.fc2.com/

プロフィール

kaito2198

Author:kaito2198
台湾人。
ただのファンです。

twitterは@kaito2198です。

仕事やブログ関係のご連絡は
kaito2198@hotmail.comまでお願いします。

給華文圈之富野由悠季愛好者的一些話
關於本站文章的轉載聲明

富野監督関連資料一覧

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

グーバーウォーク

富野由悠季作品系譜年代分類 第六回 「1964~1979年の富野由悠季 その2 《68~72年》」

2009/09/19 00:29|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:3
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 富野由悠季作品系譜年代分類 第六回 「1964~1979年の富野由悠季 その2 《68~72年》」
関連記事
富野由悠季作品系譜年代分類 第一回 「これまでの富野系譜分類」
富野由悠季作品系譜年代分類 第二回 「富野小説が富野系譜における地位」
富野由悠季作品系譜年代分類 第三回 「富野作詞が富野系譜における位置付け」
富野由悠季作品系譜年代分類 第四回 「1941~1963年の富野由悠季」
富野由悠季作品系譜年代分類 第五回 「1964~1979年の富野由悠季 その1 《64~68年頃》」


 時間も、残ってる脳容量も足りませんので、記事の質低下は止まらない一歩について、お詫びにしたいと思います。脳容量が足りなくてすみません。
 あと、前記事は散文的すぎるから、今回はビシッと書きたいと思います。どの形がいいか、もしアドバイスしてくれたらありがたいです。




 まずは、慣例の年表。囚人022さんありがとうございます。今度言及した部分は赤字で示す。

だからtominoは・・・│富野年譜

■ 1964年
23歳
○日本大学藝術学部映画科卒業。
○アニメ制作会社「虫プロダクション」入社。
○卒業時に映画産業は斜陽期に入り、大手5社はすべて新規採用を見送っていた。たまたま「試験は面接だけだ」と聞き、虫プロダクションを受験する。
○練馬区富士見台の手塚治虫の自宅兼スタジオに通うため、練馬駅から歩いて5分の「与一荘」に、四畳半のアパートを借りて下宿。
○7月頃には絵コンテを描き始め、寝る間を惜しむ毎日。
○入社2年目、環八沿いの六畳一間「豊玉荘」に引越し。

■ 1967年
26歳
○虫プロダクション退社。
○CM制作会社「シノ・プロダクション」入社。
○「東京デザイナー学院」の講師を勤める。
○この頃、親戚の好意で借り受けた江東区大島の一戸建てに転居。

■ 1968年
27歳
○シノ・プロダクション退社。
○TVアニメ『夕やけ番長』CD
○「CMのプロダクション」という勧めで勤めた会社での仕事の中身は「ほとんど営業」で、一年弱でフリーの演出家として再スタート。「僕には営業ができないことがわかったので一つ一つの仕事を必死でやりました。」

■ 1971年
30歳
○結婚。埼玉県新座市に引越す。
○「一階が六畳と四畳半の台所。二階にふた部屋あるだけの小さな家。資料の本が置けなくて、家と塀のすき間に物置を作ったのを覚えてます。この家に何年か住んで、近所にもう少し広い家が空いたので、そこに移って『ガンダム』を描きました。」

■ 1972年
31歳
○TVアニメ『海のトリトン』(実質的な初)CD


■ 1975年
34歳
○TVアニメ『勇者ライディーン』CD(2クールのみ=第26話でCDを降板)
○TVアニメ『ラ・セーヌの星』監督(3クール目のみ=第27話~第39話)

■ 1977年
36歳
○TVアニメ『無敵超人ザンボット3』総監督

■ 1978年
37歳
○TVアニメ『無敵鋼人ダイターン3』総監督

 厳密的でいえば、富野の「さすらいのコンテマン」時代は68年2月CM制作会社退社後から、79年の『ガンダム』で完全にサンライズに落ちいついたまでの時期を指してるものなはずなんですが、虫プロ時代でも、CM制作会社在籍する時期でも、外注という形で絵コンテの仕事をやっていたんですから、「さすらいのコンテマン」状態は実質的に虫プロ時代から隔たりなく79年の『ガンダム』まで続いたと見なしてもいい。


 ともかく、前の記事で言ってたとおり、富野はついにCM制作会社と専門学校の仕事をやめ、アニメ業界から復帰するのを決めました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。

 虫プロでは、一応『アトム』の時でもアルバイトとして他社の作品の絵コンテを描いたことあったし、アトム制作のために作画を外注に出したことあったため、外でもそれなりパイプを持っているものの、やはり古巣の虫プロは一番仕事を確保できるところ。
 しかし現実、退社1年後突然戻って、制作現場に「仕事ください」と言っても、すぐ仕事をもらえるわけがありません。現場にはすでに自戦力があるし、たとえ先輩だろうと、一度アニメを裏切った人間に快く思わないのも人情だった。
 だから、仕事をもらうにあたって、富野は必死な思いをした。これについて、富野は「土下座した」と形容したが、たとえ表現的な言い方であったとしても、そのとき富野が取った姿勢は間違いなく卑屈に近い下手で、本人にとっては屈辱に違いません。でも、たとえ条件は演出助手からのスタートだとしても、なんとしても仕事を請けなければいけないのが当時の富野だった。
 かつて縁のある会社でさえこれだったから、外で仕事を見つかる難易度は想像するに難しくない。


 それから、仕事の上の能力もそう。
 ツギハギとか汚し屋と散々自嘲したが、曲がりにも『アトム』で一番演出したという実績を残っていた。それについて、富野自身でも多少自信を持ってた。しかし、それが外では通用しなかった。当時の新鋭のタツノコプロでは、「映画とは何たるものかをまったく知らない」という指摘を受けた。これは、富野にとって昔の実績が全否定されることになる。
 会社の制作スタイルにもよるが、しかし、虫プロの二軍のトップだったとはいえ、ある意味、所詮山の大将に過ぎなかった。富野はこう認めざるを得なかった。

 しかし、それでもやらなければいけない。なぜなら、仕事がないと生活できないし、もうアニメしかない自分が、例えどんなに罵られようと、あきらめるわけにはいかない、と富野が決意した。
 加えて、富野だってアニメ演出家としてのプライドがある。もっと演出したい。監督になりたい。もっと認められたい。他人に勝ちたい。これがアニメの仕事のうえで、富野を支えているハングリー精神。

 こうして、自立してゆくなかで、生活難と自分のスキルへの懐疑を抱きつつも、富野は選んだ他人に勝る方法は、絵を上手くすることではなく、「誰よりも早く絵コンテを仕上げたこと」だった。
 何故なら、四六時中スケジュール緊迫なアニメ業界では、いかに早く仕上げて次の作業に入る、つまり時間自体が非常に重要視なので、もし早いところ絵コンテを仕上げれば、全体の作業もスムーズになる。
 そしてなにより、誰よりも早く仕上げることは、すなわち「誰よりも早く絵コンテの修正に入れる」、「誰よりも早く今回の仕事を終わらせる」、「誰よりも早く次の仕事に触れる」、「誰よりも多くの仕事を触れる」、「誰よりも多くジャンルに触れる」、「誰よりも多く演出をできる」に繋がる。
 一見簡単すぎて呆れた結論だが、富野がやった。そしてできた。富野は挑戦し、そして業界一演出した人となって、このような異名を手に入れた。「絵コンテ千本切りの富野」、と。「富野に頼めば3日でコンテが上がる」まで言われているこのコンテ千本切りという異名は、当初おそらく半端悪口だが、あの時の富野の凄さをもっとも物語った呼び方でもある。


 そして、富野が多くの仕事に受けるなか、たくさんの演出家にめぐり合えてた。
 虫プロの元上司、『どろろ』の杉井ギサブロー。年下で『明日のジョー』で鮮烈なデビューを果たした出崎統。富野と何作も組んでた『巨人の星』などの長浜忠夫。そのほか、大隈正秋、杉山卓、波多正美、笹川ひろし、鳥海永行などアニメの巨匠たちも皆このとき富野が出会って、一緒に仕事をしてた演出家たちです。
 そのなかでも、長浜忠夫が富野に与える影響がもっとも特筆すべきである。出会い作『巨人の星』から、のちの日本サンライズ時代の長浜ロマン三部作最終作である『闘将ダイモス』まで、富野が彼のもとで実に10年以上も仕事をしてた。これについて、次の記事で語りたい。

 また、富野が参与した作品も非常に豊かだった。
 68年から72年まで、富野が主に参加した作品は『巨人の星』『夕やけ番長』『海底少年マリン』『どろろ』『男一匹ガキ大将』『ムーミン』『シートン動物記』『アタックNo.1』『あしたのジョー』『みなしごハッチ』『さすらいの太陽』『天才バカボン』『ふしぎなメルモ』『新・オバケのQ太郎』『国松様のお通りだい』『いなかっぺ大将』などがあり、出入りしてたスタジオは虫プロ、日本テレビ動画、東京ムービー、タツノコプロなどがある。
 成功もあれば、失敗もある。しかし作品数から見ても本数から見ても、疑問なく業界一だった。そして富野はこういう膨大な仕事へ経って、どこにも寄らない独自なセンスを磨き、自分しか持ってない演出スタイルを確立した。


 そして、ようやくチャンスが訪れた。
 ある作品が、もともと虫プロダクションが制作したはずだったが、結局虫プロの経営が悪化して混乱するなか、のちの『宇宙戦艦ヤマト』の西崎義展によってアニメ権を取られたため、西崎のアニメーション・スタッフルームで製作することになった。
 それが、富野の出世作である『海のトリトン』。

 当初、富野がこの仕事を請けたのは、自分がようやく監督になれるということだけでなく、経済的な安定を求める意味も含まれていた。少なくともオンエアの時期内では生活が保障される。何故なら彼がこの時期ではもう結婚していて、子ども一人まで生んでたからだ。アニメ演出どうこう以前、一家の主が食い扶持を稼がないといけません。
 でも、逆に言えば、最初何故富野が選ばれたのいうと、半分は昔虫プロにいたためで、半分は黒川慶二郎氏の推薦でもあったが、とにかく富野は虫プロとアニメーション・スタッフルームの両方から信頼されていた。富野にしても、初監督作品で、手塚治虫先生の原作を頂いた作品だから、張り切らないわけがありませんでした。

 しかし、いざ実作業に入ってみたら、富野は思わず状況の厳しさに閉口した。原作が使えない、人員がまったく足りない、加えて時間も金も足りない。さらに今回は自分の初監督なので、テーマ作りも世界観も作りも模索状態で進むしかないうえ、周りのベテランライターとの連携も上手くいけなかった。しかし、こんな苦闘のなか、富野はなお自分の理念を作品にぶつ込んでいようとした。
 その結果、視聴率が不振で、作品も打ち切りになったが、富野が自分のベストを尽くした。それを一番反映してるのは、あの衝撃的なラストだった。
海のトリトン コンプリートBOX [DVD]海のトリトン コンプリートBOX [DVD]
(2009/09/11)
塩谷翼(トリトン)北浜晴子(ルカー)

商品詳細を見る

 じつを言うと、この『海のトリトン』は富野にとって、虫プロ時代以来のチーフ・ディレクターをやるという悲願を達成した以外、もっと大事なのは、富野がこの作品を作るにあたって、自分自身に挙げた命題。

自分の話を聞いてくれる子供が目の前にいる時は、とにかく一生懸命話さないといけない、ということ。
一生懸命話せば、たとえそのお話が理解できなくても、この人は自分にとって大事なことを喋っているらしいという印象は絶対に残る。
そして、子供は、いつかその話を思い出してくれる。

 処女作『海のトリトン』で確立したこのスタンスは、あれから40年近くの今でも、富野の揺るぎも無い信念で、今でも我々に影響を与え続けている。

 話は72年の富野に戻ります。とにかく、『海のトリトン』の初監督で虫プロ以来ずっとの願いを一応達成した富野は、また新たな目標を見つけた。それが、名を成した演出家になること。そして、この目標を設定した富野は、またここから、別の段階を登り始めようとした。


 正直、この2、3回の記事はあまり意味がないと思えるようになっている。第四回「1941~1963年の富野由悠季」みたいな箇条書きにすればいいのに、せっかく書いた話だからってもったいないと思うだけで、延々とした記事をする自分にちょっと嫌悪感が……。嗚呼、誰か私を蹴ってください。


 以下、NGとなった文章。

 上で言ってた経済的な圧迫とまっすぐ子どもに見つめあう姿勢は、確信はありませんけど、ひょっとしたら身近で子どもが誕生した一人の父親であるゆえの態度なんじゃないでしょうか。

 うーん、オレいつか『小説 富野由悠季』というノンフィクション小説を書こうかな? 別に上手いという意味ではなく、ただなんとなく書きたくなるだけ。日本語のはたぶん無理なんだけど、台湾語でならなんとかなるかな(実はすでに書いたりして……というようなことは断じて、無い……たぶん)。



コメント
富野監督の経歴をまとめるのは意味のある事だと思います。
ただ残念ながら、「だから僕は」などを読んだ事のあるファンにとっては、当たり前の事かもしれないですね。
ですが、それらを全く知らない人にとっては大変価値のある文章だと思います。

近い将来に

富野由悠季がアカデミー賞受賞→富野への関心が高まる
→富野本が売れる売れる→印税ガッポガッポ!

というコンボが作動するハズですので、小説「富野由悠季」はぜひ書くべきです!
ザコソルジャー #mQop/nM.|2009/09/19(土) 04:15 [ 編集 ]
実は「だから僕は…」以上に細かい解説、他の書籍で言及した事跡の追加、あと今まであまり注目されていないポイントも入れたかったんですけど、最近はどうしても集中力がなくて、上手くまとめれませんでした。今回は参考書籍を列記してなかったのもそのためです。

でも、褒めてくださってありがとうございます。これからも頑張ります。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/09/19(土) 10:04 [ 編集 ]
素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。
出会いを忍ぶ #UzsS.eyA|2010/01/18(月) 16:21 [ 編集 ]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURLはこちら
http://kaito2198.blog43.fc2.com/tb.php/564-7e3157ec

ブログ内検索

なんとなく富野商品

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー

まともに機能しなくてすみません。これからゆっくりペースで直します。

RSSフィード

FC2カウンター

富野監督作品一覧

  • 海のトリトン
  • しあわせの王子
  • 勇者ライディーン
  • ラ・セーヌの星
  • 無敵超人ザンボット3
  • 無敵鋼人ダイターン3
  • 機動戦士ガンダム
  • 伝説巨神イデオン
  • 機動戦士ガンダム(劇場版)
  • 機動戦士ガンダムⅡ 哀戦士編
  • 戦闘メカ ザブングル
  • 機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編
  • 伝説巨神イデオン・接触篇 -A CONTACT-
  • 伝説巨神イデオン・発動篇 -Be Invoked-
  • 聖戦士ダンバイン
  • ザブングル グラフィティ
  • 重戦機エルガイム
  • 機動戦士Zガンダム
  • 機動戦士ガンダムZZ
  • 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
  • 機動戦士ガンダムF91
  • 機動戦士Vガンダム
  • 闇夜の時代劇 正体を見る
  • バイストンウェル物語 ガーゼィの翼
  • ブレンパワード
  • ∀ガンダム
  • 劇場版∀ガンダムⅠ 地球光
  • 劇場版∀ガンダムⅡ 月光蝶
  • OVERMAN キングゲイナー
  • 機動戦士Ζガンダム A New Translation -星を継ぐ者-
  • 機動戦士ΖガンダムⅡ A New Translation -恋人たち-
  • リーンの翼
  • 機動戦士ΖガンダムⅢ A New Translation -星の鼓動は愛-
  • RING OF GUNDAM
  • ガンダム Gのレコンギスタ
  • 富野参加作品一覧

  • 鉄腕アトム
  • 戦え!オスパー
  • リボンの騎士
  • 巨人の星
  • アニマル1
  • 夕やけ番長
  • 海底少年マリン
  • どろろ
  • 紅三四郎
  • 巨人の星対鉄腕アトム
  • おらぁグズラだど
  • 男一匹ガキ大将
  • ムーミン
  • シートン動物記
  • 赤き血のイレブン
  • アタックNo.1
  • あしたのジョー
  • 男ドアホウ!甲子園
  • 昆虫物語 みなしごハッチ
  • さすらいの太陽
  • 天才バカボン
  • ふしぎなメルモ
  • 新・オバケのQ太郎
  • 国松様のお通りだい
  • いなかっぺ大将
  • 正義を愛する者 月光仮面
  • アニメ・ドキュメント ミュンヘンのへの道
  • モンシェリCoCo
  • ハゼドン
  • ど根性ガエル
  • けろっこデメタン
  • ワンサくん
  • 山ねずみロッキーチャック
  • 侍ジャイアンツ
  • 新造人間キャシャーン
  • アルプスの少女ハイジ
  • ゼロテスター
  • 昆虫物語 新みなしごハッチ
  • 小さなバイキングビッケ
  • 宇宙戦艦ヤマト
  • 破裏拳ポリマー
  • フランダースの犬
  • 母をたずねて三千里
  • アンデス少年ペペロの冒険
  • 超電磁ロボ コン・バトラーV
  • ゴワッパー5 ゴーダム
  • ろぼっ子ビートン
  • あらいぐまラスカル
  • 合身戦隊メカンダーロボ
  • 超電磁マシーン ボルテスV
  • シートン動物記 くまの子ジャッキー
  • ヤッターマン
  • ペリーヌ物語
  • 闘将ダイモス
  • 未来少年コナン
  • とびだせ!マシーン飛竜
  • まんが日本昔ばなし
  • 宇宙魔神ダイケンゴー
  • 赤毛のアン
  • 科学忍者隊ガッチャマンⅡ
  • ザ・ウルトラマン
  • 宇宙大帝ゴッドシグマ
  • ルパン三世(TV第2シリーズ)
  • 新世紀GPXサイバーフォーミュラ
  • 銀河漂流バイファム
  • ママは小学4年生
  • GUNDAM EVOLVE 5
  •  |  富野作品感想 | 富野由悠季関連 | 井荻麟関連 | 富野情報 | 富野雑談 | レビュー | ブログ運営 | 日常話 | 未分類 | 給華文讀者 | Gのレコンギスタ | 
    Copyright(C) 2007All Rights Reserved. TOMINOSUKI / 富野愛好病
    Powered by FC2ブログ.
    template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.