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『逆襲のシャア』と作品全体を支配する時間問題考(2)

2009/05/18 23:10|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:8
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 『逆襲のシャア』と作品全体を支配する時間問題考(2)
前編
『逆襲のシャア』と作品全体を支配する時間問題考(1)


 前の記事では、「時間」という要素が主人公アムロとシャアの2人に与えてる部分を話しましたが、その時間による支配は、それだけではなかった。


記憶と、ララァという究極的な時間
 時間でいえば、もう一つ必ず外して語ってはいけないものがあります。それは、「記憶」です。

 記憶。
 人に対する記憶、物事に対する記憶。好きな記憶、嫌な記憶。覚えて欲しい記憶、忌まわしい記憶。さまざまな記憶があって、時間が経つに連れて、それらが思いを累積し、そしてときどき変質してゆく。

 ララァ。これはアムロとシャアにとって一番重要な人であった。彼女との出会いもまた、この2人にとってはまさに人生のターニングポイントに違いない。しかし、彼女は2人とも添い遂げることなく、散っていた。ララァの存在はアムロとシャアにとっては、一生忘れられない記憶となった。
 しかし、これは何も「いつでも君の心にいるよ」みたい美しいだけのものではなかった。
 劇中、アムロもシャアもそのララァの記憶に苦しめられている。シャアはいつまでも彼女を失ったことに嘆いてるし、かつて「ララァにはいつでも会いに行けるから」とまで言ってたアムロに至って、明確に夢のなかのララァを拒絶する。
 このように記憶に縛られたままで過ぎていたは、まさにアムロとシャアが時間の流れで老成してゆくなか、だんだん昔の記憶とずれてゆくからです。もっといっちゃえば、過去の自分とずれていたとも言えます。


時間に勝てなかったナナイとチェーン
 ララァという2人過去の相手といえば、彼等今の相手であるチェーンとナナイも挙げなければならない。この2人も、時間によって支配されています。
 アムロの今の相手であるチェーンと、シャアの今の相手であるナナイは、端から見れば、2人とも素晴らしい女性だった。2人とも理的で献身的で有能な女性で、仕事においてもプライベートにおいても、アムロとシャアを支えている。さらにチェーンは愛嬌があって、ナナイは包容力と理解力があって、客観的にいえば、ガンダムシリーズのなかでも非常にいいパートナーです。
 しかし、そんな彼女たちも、アムロとシャアを振り向かせることができなかった。

 かつてレコアやハマーンを許容することができなかったシャアが、このときもまた人を受け入れなかった。何人にもそのような寝言を聞かされたし、クェスを会ったときも、ナナイのそばにいても、ララァを忘れる時など一刻もなかった(しかもナナイもそれを承知してなおシャアに尽くせようとしている)。
 反面、アムロは一見シャアほど過去に拘ってないし、チェーンとの付き合いもシャアほど歪んでないけど、やはり心のなか一番引きずってるのはララァ。チェーンもまた、アムロの心に入り込むことができなかった。
 このように、ナナイとチェーンはどんなにいい女であっても、どんなに彼女らの男に尽くしても、やはり時間に勝てなかった

 このへんの演出は、シャアならナナイと一緒にいる時に一人ララァのことに想い浸るのと、ナナイを一人残して部屋を出るところ。アムロならララァの夢のあと、チェーンを一人で部屋の外で待たしたところ。明確に「時間」というファクターを使ってる。


時間を与えられなかったハサウェイとクェス
 このように、時間というファクターは『逆シャア』のいろんな要素を醸出してゆくが、アムロとシャアの件と同じくらい重要なのは、『逆シャア』におけてアムロとシャア2人の大人以外、もう一つの物語の主線である、ハサウェイとクェスの話。この2人の物語こそ、もし富野のこの作品に「残酷」というものが存在してるならば、残酷に満ちてる話です。

 『逆シャア』を見て、そのへんに不思議と思ってる人も多いかもしれませんけど、前半から中盤かけて、クェスとハサウェイの話はほぼアムロとシャアの話と同じくらいの比重で進んでいます。
 さらにいうと、これらの描写も非常に丁寧で、2人の家庭状況、出会い、2人の馴れ合い、若者らしい純真、未来に対する憧れ、ニュータイプとしての素養など、ほぼ一通り描かれてた。
 そう。まるでハサウェイとクェスの二人こそ主人公のように。まるで今までのガンダムシリーズの主人公に対する若者描写のように(*注1)。

 しかし現実に、クェスとハサウェイは主人公ではなかった。それが、後半の二人にまつわる悲劇を生んだ原因です。なぜなら、時間が彼らに成長の時間を与えてくれなかった。

 今までの『1st』のアムロ、『Z』のカミーユ、そして『ZZ』のジュドーなどは、そうした丁寧な描写によって作り上げたキャラだった。彼等は時間をかけて成長してゆき、そして自分の物語の終わりを迎えた。ある者は希望を捨てないで人と人の繋がりで暖かさを見つけ、ある者は挫折して自己崩壊を向かえ、ある者は未来に旅立つ。彼等はすべて時間をかけて自分の結論を見つけた。

 しかし、ハサウェイとクェスにはそんな時間がありません。自分の物語もなければ、自分の結論もありません。それが、彼等を大人の都合に振りまわられた。これが、一番の悲劇である。


 前の記事も言ったが、自分の目先のことだけで精一杯というような大人が一杯なのは、この『逆襲のシャア』である。まさにその通りである。

 シャアを止めることしか頭の中に無いアムロ。任務が最優先なブライド。(ハサウェイに対して)ひたすら「正論」を振りかざすチェーン。アムロとの対決(&etc.)しか頭の中に無いシャア。シャアに尽くすことだけに集中するナナイなどなど、この映画は大人の意気と信念を見せられた反面、大人のズルい一面も無情なほど暴れられた。
 結局、歴戦の英雄も、勤務に忠実なお父さんも、優しいお姉さんも、伝説の人も、凄腕キャリアウーアンも、結局この程度の人でしかなかった、と。このへんの差異は最初から最後まで、ハサウェイとクェスには理解できなかった。
 それもそうだ。だってある方は子どもで、ある方は大人だから。劇中を見る限り、互いに理解しあえることもできるはずだった。もし、時間さえあれば、と…。


可能性の象徴であるハサウェイと希望の断絶
 クェスのα・アジールとハサウェイのジェガンが戦場でお肌のふれ合い回線をしてる場面は、よく挙げられている。曰く、このシーンこそクェスの苦しみを理解できずに、まだまだ子どもだったハサウェイが精一杯青い叫びをして、かえってクェスを苦しむシーンとかなんとか(ここらへんはちょっと記憶頼りで)
 しかし、ハサウェイこそ一番クェスを理解してる人ではないでしょうか。彼こそ、一番クェスを救えるかもしれなかった人ではないでしょうか。

 劇中を見れば、クェスは最後までハサウェイを嫌いではなかった。また、ハサウェイもほぼ劇中唯一クェスが会って攻撃性を示さなかった人でもある。これを見れば、クェスが一番必要なのは、アムロでもシャアでもなく、一番身近だったハサウェイだった。
 もし、チェーンがいばければ、それができたかもしれなかった(*注2)。

 確かクェスのすべてを理解し包容する力に、ハサウェイにはまだなかった。しかし、この「他人に構うほどの余裕がない」映画のなかでは、彼はほぼ唯一他人に救いの手を伸ばしたキャラである。
 しかし、クェスの死によって、前半から中盤をかけて重ねたガンダムシリーズが描いた希望の萌芽が、成長する時間を与えなれなかったままに、一気に世界の理不尽によって断絶された(*注3)。


時間を演出する意味での『逆シャア』
 ご存知してる人も多いかもしれませんけど、富野監督は基本的にこの『逆襲のシャア』をそんなに評価していない。曰く新しい話を思いつかなかったから、とりあえずアムロとシャアの決着を描いちゃった話とかなんとか。

 ですが、自分はこの作品は作者と監督の意見に反して、「時間」を描いた/演出した傑作だと思います。

 極端論でいえば、「時間」を扱う作品だったら、別にアムロとシャアを使わなくても大丈夫です。別にあの2人を使わなくても、富野監督なら描けます。
 ですが、その場合、重みもまたまったく違ってきます。
 なぜなら、時間が人を与える重さというのは、基本的に積み重ねによって初めて見えるものです。フィルムの時間も、物語の時間も要求されます。テレビ版なら、あるいは少年編と大人編を分けることによってなんとかできるかもしれませんけど、映画なら2時間をかけて「変わる人」を描けても、基本的「変わった人」(*注4)を描けないので、普段時間を描くとするならば、映画を選ばないはずです。

 しかし、富野監督は選んで、描いた。そしてできた。

 なぜ普段できないものが、『逆襲のシャア』ではできただろう。当然、監督の腕もあるのですが、もっと重要なのは、これがガンダムシリーズの作品だからである。だって、ガンダムは歴史もあれば、経験や体験もある。
 つまり、(作品)内部も(観客という)外部もすでに時間が埋めている。それが、ガンダム作品である強みです。

 で、ガンダムの物語であるため、それができたわけです。


最後に
 と、こうして色々な視点から見れば、なぜかあまり提起されていないが、こうして時間という要素こそ、『逆襲のシャア』という作品を貫く最重要なファクターと言えます。そういう意味から見ては、この『逆襲のシャア』は、ガンダムシリーズのみならず、日本アニメのなかでも極めて貴重な作品なので、もっと大事にしてほしい、そしてもっと学んで欲しい希有な一作です。


*注1:当然、ハサウェイとクェス話のは①既存の若者描写以外にも②物語のメリハリを作る、③アムロ、シャアたちへのカウンター(アンチテーゼ)などの功能がある。しかし、若者の物語でないにも関わらず入れたという意味も無視できない。
*注2:これがズバリ2003年富野がプロットを手掛けた『EVOLVE5』の話である。当然、人を諌めるほどのアムロも必要だが。
*注3:このように同時に二つの主線を作っておいて、後そのうちの一つを崩すことによって、物語をもう一方に雪崩るような手法は、この『逆シャア』のすさまじく独特な手法。この演出を採用したのは、富野作品のなかでもこの『逆シャア』のみである。機会があれば、また別の記事で語るつもり。
*注4:ここの「飛ばす演技」は、『映像の原則』でも語られているので、興味ある人は本を買いください。


コメント
時間についての考察、本当に凄く参考になります。
逆シャアは死んだ事で時間から開放されたララァが、時間(生きている事)に苦しむアムロやシャア、
もしくは彼らに関係する生きている人間を死に誘う話だったのかもしれません。
その巻き添えの最大の被害者が、ハサウェイとクェスだったのでしょう。

1st→Z→逆シャアで時間もしくは歴史を描こうとしている試みはより検証・評価されるべきですね。
アニメでキャラに年を取らせるのはデザインの面から相当に難しく、表現しづらいみたいですが
富野監督はキャラをキャラではなく実際に作品世界で生きている人間として扱うスタンスが
この試みを上手く成功させてると思います。
ohagi #-|2009/05/20(水) 21:15 [ 編集 ]
ララァについて、そういう一面がありますね。アムロがラー・カイラムに潜入したハサウェイに対する諌言(?)なんか、もっぱら死の匂いが漂ってる話ですよね。

あと歴史について、やはり映像の原則など富野監督が言ってた「情念で繋がる」という手法を使ってるからできたでしょうね。年表をとりあえず作ったら、時間/歴史を描いたという思い込みはとにかく多すぎます。

情念で「飛び演技」を描くのは、前の記事では少しだけ書いてありますから、もしご興味あれば一度読んでください。↓

『映像の原則』から見る富野の演出と、『ポニョ』語りから見る富野の手法
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-280.html
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/05/20(水) 23:26 [ 編集 ]
最近ちょうどリバイバルを観てきたところなので参考になります。

直接まだ読んでいないのですが、ここから閃光のハサウェイの悲劇につながっていくわけですか…
#-|2009/10/18(日) 11:13 [ 編集 ]
コメントありがとうございます。お参考になれてとても光栄です。

そうですね、『閃光のハサウェイ』で描かれた時間という要素も、間違いなくこの作品からの延長(ある意味こぼれた時間と言える)ですし、ハサウェイもその時間のなかでずっと苦しんでいると思いますので、もし『逆シャア』が御気に入りでしたら、是非『閃光のハサウェイ』も読んでください。とてもオススメです。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/10/18(日) 13:57 [ 編集 ]
時間という観点からの考察、大変興味深く読ませていただきました。
確かに時間によって変わった部分が見どころと思います。

ただ、よく言われるアクシズ落としに至るまでの動機の変化が一番解せなかった点ではないでしょうか?
Zをよく見ていたからこそ思うことですが、Zのシャアは非人道的な行いを断固として否定しています。
こういうアイデンティティを根本から変えてしまうことを観客に納得させるにはただ時間の流れという観点からだけでは弱い気がします。
それがストーリーの一つの根幹を占めているだけに、その「何か」をも描写しなくてはならなかったのではないでしょうか。
連邦が変わらず腐敗しているという理由はティターンズや旧アクシズ勢力無き時代として見たらいまいち説得力にかけますし、説得力に欠ける分、アムロなどとの全てに決着をつける気になったという話にも納得しかねます。
アムロと決着をつけるための舞台という短絡的な考えからだとしても、じゃあZでの倫理観ある思考やアムロやララァに捉われていない素振りも疑わなくてはなりません。
それらの不透明さがシャアの一番の魅力だよと言われたらそれまでですが、あんだけ心情をぶっちゃけたシャアで決着をも意図した作品ならそこは鮮明にして欲しかったってのが一意見です。
この点について、富野監督が言う新しいネタが思いつかなかったという話に帰結するなら納得するにやぶさかではないです。

#-|2009/10/20(火) 12:14 [ 編集 ]
コメントありがとうございます。おっしゃったシャアの変化に関する疑問を、おそらく多くの人が抱いているんでしょうね。

それを解くには、『Z』の時の二つのヒントを忘れてはいけません。
一つは、セイラさんの「シャアを殺したい」という発言。『Z』の小説だったかな、ちょっと覚えていませんけれど、アニメでは、セイラさんがシャアの演説を聴いて眉をしかめるというマイルドな表現になってしまったんですが、あの発言を、一番親しい身内であるセイラが拒絶してるのが、非常に重要なヒントとなっています。
二つは、最終話『宇宙を駆ける』、シロッコがシャアに対して言ってた話:「貴様はその手に世界を欲しがっている」。これも、シャアの後の変貌を暗示している。

しかし、それだけじゃ本当にシャアの変貌に説得力を持たせるのか? そこで、『ガンダムZZ』の出番ですよ。
『ZZ』が書いている構図は、あからさま同じような戦い、同じような争いが繰り返して、それによって、多くの人が命を失うことになったということ。それが、ガンダム世界に存在している繰り返された構図。いくら主人公たちがどう生命をかけたんだろうと、いくら戦争を起こした元凶たちであるジャミドフ・シロッコ・バスクが死んだんだろうと、状況は依然変わらない。連邦は腐敗してるままだし、新たな敵も出て、新しい戦争を起こす。すべてにおいては絶望したまま。これが、絶望的である。
さらにいうと、この絶望さは作品内部にいるのではなく、外部にも効用している。『Zガンダム』を見終わったばかりなのに、もう一度終わらない戦いを続けるガンダムを見る羽目になって、しかもそれが『Zガンダム』と同じ長さで展開していた。つまり、『ZZ』は実に巧妙に内部への感覚と外部への思いをリンクさせた。
なので、『逆シャア』は内容的では実をいうと『Zガンダム』の直接的な続編なんですが、『逆シャア』はあくまでも『ガンダムZZ』という作品を前提として存在している作品でなければいけません。

最後、ガンダムはよく富野監督自分のメタファーといわれますが、確かにその部分はどうしても含まれていると思います。もちろん、それじゃある意味反則的なやり方ですので、まさにおっしゃるとおり、新しいネタがないってのもある意味事実ですよね。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/10/22(木) 00:30 [ 編集 ]
時間というと、最後のアクシズへの離れ業も時間切れによるものだと思いました。
もう間に合わない。しかし、落ちるわけにはいかない。とにかく落としては駄目だ! OK、回避してやるよ。その代わり、責任とってシャアと一緒に死になさい。ということで、アムロもあぼーん。
コロニー内でシャアと取っ組み合いしながら言い合うのに、アムロが反論できなくて銃で封じようとしたのと同じです。
ただ、あのときはまだ時間が残されていたし、対処法も無理が少ないやり方だったので、ペナルティも少なく、クェスに見放されるだけで済んだ。
既にその名雪は使われています #uOPtQN5g|2014/02/24(月) 03:17 [ 編集 ]
返事遅くなってすみません。
そうですね、作劇上の都合とはいえ、あのへんの芝居一つ一つは必要なものでしたからね。
kaito2198 #L2WcHO2o|2014/02/27(木) 02:05 [ 編集 ]
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