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福井晴敏の小説『機動戦士ガンダムUC』の問題点を語り尽くす その2

2009/03/25 22:30|未分類TRACKBACK:0COMMENT:21
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 福井晴敏の小説『機動戦士ガンダムUC』の問題点を語り尽くす その2
 前回に続き、『ガンダムユニコーン』の問題について語ります。

福井晴敏の小説『機動戦士ガンダムUC』の問題点を語り尽くす その1

1 説明と描写の問題
2 一段落の重さの分配とバランスの問題
3 会話を単独にしないで、段落の中に置くという問題
4 現実問題をそのまま話の中に置くという問題
5 ガンダム設定に頼りすぎる問題
6 言葉が不明瞭という問題
7 主人公をニュータイプする条件という問題


 前回はなんとか『ユニコーン』の問題をこの7つに絞ってきましたので、今回は第3と第4の問題について話します。第1と第2の問題はその1に参考してください。


3 会話を単独にしないで、段落の中に置くという問題
 『ユニコーン』が読みづらい原因の一つには、この問題点が挙げられます。つまり、会話文が、普通の地の文と同じ段落にごっちゃまぜしている。これによって、形が乱れて、文章も読みづらくなる。
 会話文と地の文は違うものです。文章のなかに働いてる役割も違うのです。ゆえに、ごく僅かですが、人に違う刺激を与えてるのです。極端でいえば、地の文は「読む」ものに対して、会話文は「聞く」ものなんです。難しいことは専門家さんに譲りますが、とにかく話全体の推移とキャラから発するモノは、違うものだと理解してくれればいいのです。

 試しに、以下の文章を読んでください。

「ジオン共和国だと!?」
 おうむ返しにした途端、ブリッジの直近をビームがかすめ、閃光と震動がオットーの五感を塗り潰した。
「確かです!」
 センサー長が轟音に負けない声で怒鳴る。
「ムサイ改級の《グルトップ》と《ドローミ》。練習艦隊の名目で、遠洋航海の届けが出されています!」
 センサー画面に映るムサイ改級のCGに、攻撃中の《ハイサック》のデータが重ねて表示される。登録された識別信号を信じるなら、どちらも現役のジオン共和国軍の兵器に違いない。連邦とジオンの追撃を警戒していた《ネェル・アーガマ》には、予想外でありすぎた敵の正体――。
「どういうことだ……」
 その呻いた声に応じる余裕のある者はなく、オットーはメイン・スクリーンに目を移した。
 《ユニコーンガンダム》に仕掛けている敵と合わせて、《ハイザック》の数は八機。対してこちらは、即座に上げられる迎撃機は《リゼル》と《スターク・ジェガン》の二機しかない。相手は十年前に生産された旧式機とはいえ、数で押さえてはかならない。この上、後方に控える二隻のムサイ改から艦砲射撃が始まったら。
 追手の気配がないからといって、個艦防御用のモビルスーツを上げておかなかったことが悔やまれた。共和国艦の存在は先からレーダーに捉えていたが、事態に無関係な同盟国が奇襲を仕掛けてくるなど、誰に予想できたというのだ?
「モビルスーツ隊、発進はまだか!?」
 オットーは艦長席の肘掛けを殴りつけて怒鳴った。
「無理です! 敵の攻撃が激しすぎて――」
 返しかけたミヒロの声は、もとを突き上げる爆轟にかき消され、
(第一電気室、火災発生!)
(応急班、立ち上げリが遅いぞ! なにやってる!)
 と、殺気立った艦内無線の声がブリッジ内をはね回った。
 機関の直撃こそ狙っていないものの、敵の攻撃ぶりは無差別と言っていい。対空火線を潰すまでもなく、当たるを幸いにヒット・アンド・アウェイをくり返してくる。これではいつブリッジに直撃が来るかわからない。自分を含め、誰ひとりノーマルスーツを着ていない現状にぞっとしたオットーは、声を張り上げた。
「誰でもいい、ノーマルスーツを持ってこさせろ!」
「やってみます!」
 叫び返したレイアムの顔が、砲火の逆光を浴びて影に塗り込められる。

 これを読み終わったら、こっちのまったく同じ文章をもう一度、読んでください。

「ジオン共和国だと!?」
 おうむ返しにした途端、ブリッジの直近をビームがかすめ、閃光と震動がオットーの五感を塗り潰した。「確かです!」とセンサー長が轟音に負けない声で怒鳴る。
「ムサイ改級の《グルトップ》と《ドローミ》。練習艦隊の名目で、遠洋航海の届けが出されています!」
 センサー画面に映るムサイ改級のCGに、攻撃中の《ハイサック》のデータが重ねて表示される。登録された識別信号を信じるなら、どちらも現役のジオン共和国軍の兵器に違いない。連邦とジオンの追撃を警戒していた《ネェル・アーガマ》には、予想外でありすぎた敵の正体――。「どういうことだ……」と呻いた声に応じる余裕のある者はなく、オットーはメイン・スクリーンに目を移した。《ユニコーンガンダム》に仕掛けている敵と合わせて、《ハイザック》の数は八機。対してこちらは、即座に上げられる迎撃機は《リゼル》と《スターク・ジェガン》の二機しかない。相手は十年前に生産された旧式機とはいえ、数で押さえてはかならない。この上、後方に控える二隻のムサイ改から艦砲射撃が始まったら。
 追手の気配がないからといって、個艦防御用のモビルスーツを上げておかなかったことが悔やまれた。共和国艦の存在は先からレーダーに捉えていたが、事態に無関係な同盟国が奇襲を仕掛けてくるなど、誰に予想できたというのだ? オットーは艦長席の肘掛けを殴りつけ、「モビルスーツ隊、発進はまだか!?」と怒鳴った。「無理です! 敵の攻撃が激しすぎて――」と返しかけたミヒロの声は、もとを突き上げる爆轟にかき消され、(第一電気室、火災発生!)(応急班、立ち上げリが遅いぞ! なにやってる!)と、殺気立った艦内無線の声がブリッジ内をはね回った。
 機関の直撃こそ狙っていないものの、敵の攻撃ぶりは無差別と言っていい。対空火線を潰すまでもなく、当たるを幸いにヒット・アンド・アウェイをくり返してくる。これではいつブリッジに直撃が来るかわからない。自分を含め、誰ひとりノーマルスーツを着ていない現状にぞっとしたオットーは、「誰でもいい、ノーマルスーツを持ってこさせろ!」と声を張り上げた。「やってみます!」と叫び返したレイアムの顔が、砲火の逆光を浴びて影に塗り込められる。

 どれが読みやすいのだろう? たぶん、かなりの人は前者を選ぶと思います。段落分けは書き手の意図があるにせよ、どちらが形としてやさしいってのは一目瞭然なはずです。

 次は、会話を段落の中に置くと、また別の問題が発生します。それが、会話の重さを却って軽くすることです。
 小説は、地の文と会話文の組み合わせによって成立させたものです。ですから、どちらも大切で、両立させなければいけません。特に「キャラクター」というものは、小説のなかに成立させるには、「会話」は非常に重要視されてるものですので、会話は軽いと、人物のキャラクター性も立てなくなって、全体のバランスも崩れる。
 ですから、人物の話を文章のなかに重くすることによって、キャラを立たす。これが非常に大事なことです。この部分について、たぶんこれ以上例えを挙げる必要もなく、前の二つの文章を読めば、その意味をわかっていただけると思います。あくまでほんの少し短文ですが、どちらがよりキャラを鮮明させれる(言い換えると、どちらのキャラの声が大きい)のか、もう自明のことはずです。
 
 もちろん、こういう会話文と地の文を一緒にして書く作家は当然いますし、絶対ダメだっていう掟もどこにもないのですが、こういう書き方は『ユニコーン』の読みを鈍くする、キャラを曖昧するのも事実です。

(そういえば、富野由悠季監督の小説を「洋物SF小説みたいな書き方で読みづらい」と形容してる人もいるのですが、富野小説は文章のカタチではとても読みやすいものですし、文章がまだ不慣れなのはあくまで最初期の『ガンダム』と『イデオン』両作品だけで、『リーンの翼』以降はかなりスラスラ読めるものだと私が思います。)


4 現実問題をそのまま話の中に置くという問題
 これは『ユニコーン』という小説を読む時ではよく目に入ってるものですが、つまり、現実に実存しているものを大量に話の中に置いてること。
 今手持ちしているダムエー2009年3月号のユニコーン連載で例えにしますと、ジャーナリストのカイ・シデンと連邦議員のローナン・マーセナスがこんな会話を交わした。

「だが、ひとつ気になる点がある。ジオンという存在に対する君の視座だ。戦後の宇宙政策に疑問を呈し、スペースノイド弾圧の実態を告発してきた君が、ことジオン残党軍の活動に対して批判的……というより、いっそ憎悪しているという印象がある。特にネオ・ジオンを率いたシャアに関しては、徹底して批判の立場を取っているね。スペースノイド寄りのジャーナリズムは、シャアについてはえてして同情的なものだが」
「この手の本を批判する知識層っていうのは、反体制をファッションにしているんですよ、基本的に。だから書く側も、ジオン残党にシンパシーがあるような書き方をする。その方が受けがいいからです。わたしがそれに与しないのは、シャアと戦ったこともあるホワイトベース隊のパイロットだったからか? 答は条件付きでイエスとしておきましょう。多少なりと知られた名前があるから、業界の慣例を無視した本作りできる。わたしに視座があるとすれば、マスコミは風見鶏になるべきではないという一点です」
「風見鶏……。大衆という名の風に吹かれて右左、か」
(中略)
「ある政治家が、安全保障に関する極めて重大な内部告発をしようとしたとする。君がその政治家ならどうする?」
「大手マスコミの番記者を呼んで、合同会見をします。間違ってもトップ屋崩れのフリーを呼ぶような真似はしません」
「ところが、その政治家は、マスコミを信用していない。なにを喋ったところで、ニュースで流される時間はせいぜい三十秒。仮に特集が組まれても、CM明けでスポーツニュースが始まれば右から左だ。視聴率、ヒット数、刷部数、広告収入。メディアが肥大すればするほど、大衆という名の風も影響力を増し、多数意見が正論であるかのように垂れ流される。その点、フリーランスの物書きは――」
「字義通りに自由、というわけにはいきません。出版という経済活動に関する限り、通さなければならない筋というものがある」
「売らんかな主義の業界ゴロと、そうでない者を見分ける程度の眼力はあるつもりだ。無力な理想主義者では困るが、筋を通しながら節を曲げない強かなプロも存在する」
「……」
「『ラプラスの箱』という言葉を聞いたことは?」
「噂くらいは……」
「どんな?」
「それに関するルポルタージュを企画した知り合いがいます。版元も決まって、一回目の連載が雑誌に載りましたが、二回目はありませんでした。それからひと月と経たずに、雑誌自体も廃刊になった。結構な部数を刷っていたにもかかわらず」
「広告収入を絶たれれば、いくら売れている雑誌でも太刀打ちできんさ。その同業者は?」
「足を洗いました。いまどうしているかは知りません」
「どこぞの海に沈んでいるか、宇宙ゴミのひとつになったか。あるいは小金をつかまされて、悠々自適という可能性もないではないな。ビスト財団とはいえ、人ひとり消すのは簡単なことではない」

 中に書かれている主張主義は置いといて、これを読んだだけでも眉を顰めるものですが、さらにこの一文があります。:

「昼時に似合いメロドラマだ。ジオン共和国国防大臣、モナハン・バハロ。ああやって敗戦国の悲哀を一身に背負っている男が、裏では旧公国人脈と繋がり、連邦の軍産複合体にも金をばらまいてる。ジオニズム復活を唱える右翼団体にも投資していて、共和国軍の将兵相手に懸賞論文まで主催する始末だ」
「懸賞論文?」
「お題は安全保障問題に関して云々というやつだが、ようは国粋主義者を漉し取る選抜試験だよ。で、目に適った者を要所要所に配置して、いざという時の手駒にする」

 冗談ではありません。これどう見てもアレですよ。
 政治批判とかの問題ではありません。フィクションに現実なもの、まして時事ネタに髣髴するような描写を「そのまま」小説の中に持ち込むのは、ただ中途半端に現実世界と連想させて、読者を白けさせるだけです。
 論文事件はもちろん、言葉もそうです。「ファッション」「マスコミ」「特集」「CM」「スポーツニュース」「視聴率」「ヒット数」「刷部数」「広告収入」「メディア」「広告収入」などなど、こうやって一気に大量に使っちゃうと、果たしてそれがフィクションを書くといえるだろう? それともただ現実を借りての模造だろう? フィクションをリアルに仕上げる方法は、決してこれじゃないのです。無闇に現実のモノを作られた世界に持ち込むだけじゃなく、上手く節度がある現実を匂わせるモノウソ八百を融合するこそ、フィクションというです。こういうマスコミ絡みの政治話フィクションが読みたい方は、『閃光のハサウェイ』と『F91』をオススメです。

 それとは別に、もう一つの問題があります。それはネタはいくらでも入れるんだろうけど、ネタがあまりにも多すぎて、劇中では消化しきれないと、その部分が話の贅肉になります。贅肉は、話には不要です。消化しきれない背景は、雑音になるだけです。ですから、実をいうとネタを使う際に、一番難しいのは入れる入れないの問題ではなく、消化できるかできないかの問題です。ネタをあちこち埋めて、万が一の時に備えるやり方もあるのですが、それは『ユニコーン』みたいな短距離競技ものがやるべきものではありません。

 それから、はっきり言って、ジオン共和国を日本みたいに描写するのは、ジオンを旧ドイツ軍にしたのと同じくらい下劣です。人をげっそりさせるだけです。こういう描写をしても別にいいですが、富野作品は普遍性を追求するために、あえてそれらを排除したことは、皆さんには是非知っていただきたいのです。


 正直、ほかの方がもうすでにいろんな指摘を下さいましたので、僕の出る幕なんてまったくありませんので、その批評や意見多くは「ガンダムありき」なものですので、できるだけ「ガンダムシリーズならユニコーンはこうあるべきだ。こうしないべきだ。」抜きで、なんとか自分の視点なりに語れればと思って、今回の記事を書いたのです。そりゃ、ガンダムありきで語れというのなら、俺だっていくら文句でもありますけど、それだけじゃ普通のと同じですからね。

■福井晴敏の小説『機動戦士ガンダムUC』の問題点を語り尽くす その3(執筆中)


コメント
はじめまして、クロノクルと申します
自分のブログでも批判的な感想を書いたんですが、福井晴敏という作家自体はそれほどひどいとは思わないんですよ
現代日本を舞台にしたシリーズは言われた通りの文章ですが(笑)、なかなかしっかりした作品になっています
ただ、ガンダムUCのように近未来やファンタジーの要素が入るとダメなようですね。ガノタ作家だからこそ、好きに書きすぎてしまったのかもしれません

文体に関しては好きずきですかね。悪文だからこそかえって癖になるところもあります。それが個性となってファンがついたりしますから
僕自身は好きな箇所と違和感を覚える箇所が極端に分かれる作家ですね
会話文と段落に関して言うと、日本の昔の小説では会話文で段落分けしていないものが結構あるんですよ(むしろ主流かも)
それが特別読みにくいこともないですから、やはりこれは文体の問題ですね(笑)
クロノクル #-|2009/03/28(土) 17:42 [ 編集 ]
コメントありがとうございます。クロノクルさんの文章を拝見させていただきました。一冊一冊ずつのレビューは楽しくて読んでいます。福井氏の小説はほかにも何冊を読んだことありますが、それほど違和感を感じません。ただガンダムというジャンルを扱うには、今までの方法論あまり通用しないだけかもしれません。それに、富野監督ご自身も文章をお書きにいらっしゃていますから、どうしても書き手に対する基準が高くなりますね。

文体は確かに仰るとおり、好き嫌いがありますし、こういった段落分けは決して珍しくないことも承知しています。ただ、それらをこの厄介ともいえるべきガンダムというジャンルを扱う小説をより一層読みづらくすると私は感じます。

福井氏の小説に関する話題は、元々得意ではありませんので、このようにご意見を頂けることは、非常にありがたいです。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/03/28(土) 19:47 [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#|2009/04/14(火) 01:12 [ 編集 ]
おっしゃるとおり、まったく個人の意見です。ですから、自分はあくまで「あの小説読んで違和感を感じる1人」として、そのような感じ方をしている人間が見てた問題点について語るまでです。あれが好きな人間にとって、違和感を感じないからこそ好き(逆もまた然り)という立場も承知していますつもりですから、

ZやCCAは基本的にそれをそのままに語るだけではなく、「ガンダム」以来固有なものと、その作品その作品特有なものも上乗せてるから、上手く作品のなかに溶け込んだのです。現実のものから根源な要素を取り出すのは、普遍性を追求するためからです。

文体は文章のなかで言ったとおり、好みというのはありますから、どういうものがメリハリってのも確かに難しいことです。ですが、漫画的な小説を今までの方法論で書くのは、逆に通用しない部分もあるという気がします。ちなみに、自分にとって一番手近い読みやすい文章を挙げるとすれば、吉川英治氏の作品です。

バスケの例えと、ちょっと違うと思います。目線の転換は一種の然るべき演出である同時に、一種の処理でもあります。処理が疎かにすると読者の混乱を起こすだけです。小説家ならばもっと上手く処理できるはずと思います。

富野監督のくだりはごもっともだと思います。しかしこれはユニコーンの問題とどう同じなのか、ちょっと分かりかねます。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/04/14(火) 18:13 [ 編集 ]
 『押井守監督曰く、作劇は「ストーリーが進行している間はドラマが止まり、ドラマが進行している間はストーリーが停滞する」ものだが、拙著は登場人物の葛藤(ドラマ)が状況(ストーリー)と有機的に絡み合い、ドラマの進展がストーリーを動かす構造になっている。状況によってドラマが生まれるのではなく、ドラマと状況との化学反応がストーリーを紡ぎ出すのだ。必然、一見ストーリーには関わりのない登場人物の過去、人生観が大きな意味を持ち、映画化の際にも欠くことのできないパーツとして描写を要求してくる。』(福井晴敏、テアトル東向島アカデミー賞 『ローレライ』P240)

 『ドラマを削ってもストーリーが繋がるということは、ドラマとストーリーの連動が不十分ということだ。言い換えれば、描こうとしたドラマが描けていないということなのだが、これは監督のせいでも脚本家のせいでもない。撮影時にはまだ原作小説が存在せず、プロットと脚本のみで映画を構築しなければならなかった、製作体制そのものに問題の根はある。』(福井晴敏、テアトル東向島アカデミー賞 『戦国自衛隊1549』P242)←ハリウッド編集版の30分短くなった「戦国自衛隊1549」を見ての福井さんの文章です。



最近「攻殻SSS」を観て、つくづく福井さんと神山さんは同じような場所に立って同等の権利と義務を有しているなと感じました。そして福井さんは分が悪い(し、おもろくない)。神山さんが、語る内容と語り方のズレを「コスプレ」で調整しながら見い出し(もちろんアニメでそれをやる疑問もあるし、同じコスプレ時代劇なら僕は「精霊」より「太王四神記」や「朱蒙」の方が面白かったです。彼の師匠はこれを「人形」で見い出そうとしたのはご存知の通り)、「爆撃」を模索する一方、福井さんは「爆発」でしたよね?ここらへんが僕が福井さんに感じる違和感です。それは上記の引用にも明らかで、葛藤=ドラマ、状況=ストーリ、としながらいつの間にか自分の作品を『ドラマと状況との化学反応がストーリーを紡ぎ出すのだ』と結論する辺りにあります。ドラマ×状況(ストーリ)=ストーリ、なんておかしいですよ。意味取れないですよ。(←細かい?)

押井監督の至言を引用しながら歪めてます。そもそも福井さんが自称する『有機的な連動』を否定して、無機的でしかありえないと押井さんは言っているわけで、『爆発』と同様に『逃げ』です。

  (なんてこった(ノ_・。)富野フォロワーならすでに最高の爆撃アニメ「Vガンダム」があるじゃないか!「爆発」なんて射精にもならねーよ(ノ_・。)つまらないよ?戦ってくださいよ(ノ_・。)

有機的な連動を「語り」として引き受けることができずに免罪としてしか機能させていない。『有機的に絡み合』ってさえいれば『登場人物の葛藤(ドラマ)』も『状況(ストーリー)』も問われることなしに、自己言及なしに、存在できると思ってる。

で、UCですが、笑えないです。「勝利投手」アニメ化よりも笑えない。さすがにガンダムを見たことないオッサンを騙くらかすのはもう限界なんじゃ?と思っていたら「福井オリジナルガンダム」ですよ。もちろん僕もオタクなので楽しめなくはないのですが(←てか楽しもうと思えば何でも楽しめるよね)、そもそもガンダムなんて鵺アニメは、パロディとパロディが衝突した瞬間の嘘の残滓をオリジナルだと強弁するしかなかったし、その歴史を福井さんは亡国、忘却してしまったんでしょうか?

軍事的な乃南アサこと福井小説(嘘です)を僕が読んでてきついのは【4 現実問題をそのまま話の中に置くという問題】ですね。【そのまま】がキツイ。ギミックの部分も【そのまま】いただいているところが多い。要するに、漫画「南回帰線」がなぜかヒットしている小説を書いていない小説家、の逆パターンを一人で演じているというか。、、すいません。喩えが悪すぎですね。あとでもっと上手く説明したいです。

クライブカッスラーを目指すか(DAISなんてNUMAみたいなもんだろ?)「軍事ポリティカル爆発アクションヌーベルバーグ小説」(←言ってて意味わかってないです、自分)を目ざしてほしいし、富野監督のファンなら考えるべきは後者でしょ?

映像にとって発明は語りに直結する重要事項ですが、映像を念頭に置かれた小説にとってそれは単なる道具の変更に過ぎない。ゆえにギミックはギミックのまま読者も作者も「知っていることの確認」を強いられる。


まぁ「オタク第2世代だから」とか「社会派だから」とかレッテル張りで批判してるわけじゃないんでオレもkaitoさんも福井さんに嫌われていない(はず)。ろくに読んでない絶賛より読み込んで批判されるほうが作者はうれしい(はず)です。

最近考え方が大幅に変わりました。近いうちにお知らせします。
上原マリ男 #BejLOGbQ|2009/05/02(土) 06:55 [ 編集 ]
うーん、難しくて吟味する時間がまたいりますが、おっしゃることは大体わかっています。神山さんと押井さんの差は面白いですね。今やってるアレなんかも神山さんの悪い癖が丸出ししてて、ある意味非常に笑えるものです。ズレることを確信犯的に使うのは、やはり押井監督が一番上手いなぁ、と。

【4】に関しては、確かにそうですね。【福井晴敏をそのままガンダムに置くという問題】は、あまりにも芸がないと思います。

と、いっても結局普通の物書き以上彼を期待してしまったという自覚があります。「富野ファン」+「小説書き」という二つのステータスによって。でも、同じ小説家でも、いつまでも同じものしか書けない人と、いつも新しいものを目指して書いて、結局安打もあれば空振りもある人なら、間違いなく後者のほうが好きです。まあ、もちろん小説家に対する愛着は「趣味」であって、真っ当な評価ではないけれども…ただし小説に関しても、結局後者が書いたもののほうが面白いのも、ある意味道理かもしれません。

富野由悠季が書いてるものは一般言われるように下手じゃありません。もちろん欠点も非常によく表れてますけど、語れる面白さと手法ってのは、まだまだたくさんがあると思います。

>最近考え方が大幅に変わりました。近いうちにお知らせします。
それは是非期待させてもらいます。何のことを指してるのかよくわかりませんけど^^;。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/05/02(土) 18:42 [ 編集 ]
はじめまして

私の感想では、ガンダム云々を抜きにすると、むしろ福井は文章力が高いなと感心した方です
地の文章がどれだけ長かろうが、何を描写したいのか何を説明したいのかがハッキリしているので、苦もなく読み切れました
個人の差感性の差と言えばそれまでですが、数ある小説の中では名作の評価を戴きながら福井作品より遥かに地の文章が長い作品はいくらでもあります
文章が作風が受け付けないのは仕方ないにしても、それ自体が「問題」だとするのは不適切だと思います

台詞に関していえば、ガンダムの名台詞が何故名台詞たりえるのかを考えると、やはり独特であるから印象に残りやすいという理由の他に、「生きた」台詞だからだと思います
つましキャラクターの台詞の下に様々な思惑や葛藤、理屈、表現したいことや伝えたいこと、衝動、衝撃、そういった物が滲み溢れ出ているのに、実際にその台詞を口にするキャラはそれらを一つの筋道だっ理屈、論理的でまとまった言葉として発しない、(あるいは戦闘時であったり急なことで言語処理が追いつかず)発することができないために、それが妙に現実的であると感じてしまうのと同時に、台詞の下にある混沌とした感情をわずかにでも読み
#JalddpaA|2012/12/14(金) 09:42 [ 編集 ]
すいません、途切れました

台詞の下にある混沌とした感情をわずかにでも読み取れてしまうから、その深さに触れて感心してしまうのではないかと考えています。
これに関しては他の多くの方々が散々議論されてるので、正しい見解だとは言いませんが、とにかく富野が「生きた」台詞回しが上手いことは事実でしょう。
そこに行くと、福井は真逆のタイプの作家です。
福井は台詞の根源にある混沌とした感情や理屈はおろか、風景描写や情景描写を全て筋道立った地の文や会話文をで説明しようとします(視点に関しては割愛しますが)
言わば富野が視聴者に「1言って10知らせる」タイプの作家なら、福井は「10言って1知らせる」タイプといえます。
これはどちらが良いとか悪いとか、優れているか劣っているかといった話ではなく、作家として、ひとりの表現者としてのスタイルの違いです
どうにも福井の負の側面ばかりにスポットを当てているような印象を受けました批評とは言葉ばかりに「批判するための批評」に感じる部分があったので、少々物申させて頂きました。

長文失礼致しました。


PS
シャアの「当たらなければどうということはない」が名台詞になったのは、シャアのライバルキャラとしての技能の高さが表現された以上に、当時のロボット・パイロットアニメの常識に「主人公の攻撃は当たる」が定着していたからというのは有名ですね。そういう部分でも富野は本当に上手いと思います。
#JalddpaA|2012/12/14(金) 10:20 [ 編集 ]
はじめまして、コメントありがとうございます。いろいろな意見、ご参考になります。

>「10言って1知らせる」
という見解は、ものすごく頷けました。氏の文章の本質はおそらくこれでしょう。
おっしゃるとおり好き嫌いの部分もあるんでしょうが、この部分に関しては今でも「くどい」だと思っています。
彼なりのテンポがあるんでしょうが、別に富野の小説に限らず、
作者がいかに「文章のテンポ」を「読ませるテンポ」にし、最終的に「小説世界中のテンポ」を伝えるのも、
作り手の技量の一つだと思います。
文章で表現したいものを隅から隅まで表現するのは別にいけないことですが、
少なくともそれを痛快な小説と形容するのは、いささか違和感を感じずにいられません。

上の部分以外に関してはご指摘のとおり、
批評のための批評というようなものが存在するかもしれませんし、否定もしません。
ただしこれは小説終了間近、アニメ制作発表したばかりの当時、
ネット上のガンダムサイト界隈が福井賛美一色でいることについては、違和感を覚えていたため、
いや、ちゃんとそんなに良くない部分も存在してるよぉ的な記事であったことも、どうかご理解いただきたい。

いまとなって、ユニコーンの小説、そしてアニメはどの程度のものかを分かってきている人が、
多少増えてるんじゃないかなぁと思っていますので、こういった記事の必要性はもう無いかもしれません。
kaito2198 #L2WcHO2o|2012/12/14(金) 19:27 [ 編集 ]
福井UCの結末というか結論って、笠井潔『バイバイ、エンジェル』のそれだよなあ……と私は思うんですけどねえ。
「焼き直し」、とまでは言いませんが、明らかに影響下にあります。

僕は福井と同世代なので、彼の読書遍歴(大げさに言えば思想的遍歴)が想像できてしまいましたよ(笑
starship #-|2012/12/16(日) 19:43 [ 編集 ]
starshipさん、コメントありがとうございます。いつもいつも貴重な視点をありがとうございます。

そうですね、同じ世代じゃないですが、同じ世代に対して似たような「教養」を覗ける経験はありますね。
『バイバイ、エンジェル』は、数少ない私が読んだことある笠井小説なので、おっしゃる意味はすごく分かります。
まあ、福井さんのあの視野は富野さんの小説からも得られるので、なるほど作り手の底の深さを分かるかもしれませんね。
kaito2198 #-|2012/12/17(月) 00:22 [ 編集 ]
結末については色々と思うところはあります
逆襲のシャアで宇宙世紀ガンダムは幕を閉じましたが、それは我々が鑑賞する物語としてはという意味で、物語世界の中ではずっと時間は流れていくし人は生活を続けていきます
(UCガンダムの叩きの大半は、作品として完結したはずの宇宙世紀ガンダムを富野以外の人間がメインライターとして制作したことによる「余計なことすんな」「同人ガンダム」「まさに蛇足」という罵りと、その憎悪から来るこれ見よがしの粗探しですし)
一年戦争やらアクシズ落としやらの大きな事件が終わっても、世界が平和になったわけでも人間が分かり合えたわけでもないし、きっと人間同士の戦争は人間が人間である限り終わらないでしょう
それでも我々が戦争を描いた作品に心を打たれるのは、それがアニメであれ映画であれ小説であれ、歴史の節目節目の出来事の中で、善とか悪とか、物語としての敵味方とかは関係なく、その時代をその都度その都度本気で考え本気で行動する人間達の姿が描かれているからなのかもしれませんね

福井は軍事系の作品を手掛けている作家ということもあるし、むしろ完結したはずの宇宙世紀シリーズの続編だからこそ福井の作風が顕著に現れたのかも

そう考えるとそもそもの性質として福井らしさという長所と蛇足という短所を同時に含んでいる作品ですね
実際蛇足か神作かは真っ二つに割れましたし
#-|2012/12/17(月) 21:03 [ 編集 ]
#JalddpaAさんが仰っていますが、あなたの言う「問題」とやらは結局個人の好き嫌いでしかありませんね。

会話と地の分をごっちゃにするとは小説家として邪道!

の批判一辺倒ですが、あなたは自分が言うほど小説を読んでいないのでは?
作中において台詞を地の分で書いているときは大抵わざわざ「」つきで括るほど長文でもないし、
むしろ作劇のテンポでいえばいちいち会話文として書くよりかは読みやすい部類に入るほうかと

そもそも、「冨野なら○○だから神!」と言うスタンスを貫いていますが「冨野は絵の力を信じない人間」だからなんでもかんでも台詞で言わせていたのであって、それは個人の作劇の特徴でしかありません。(ただ、昨今のラノベのようにそれが悪い方向にいかないのは彼の卓越した技量によるものだと思えます)

福井は個人の作風もありますが、「ガンダム」という作品が一世を風靡したのは当時なかったリアルな設定を全面に押し出したロボットアニメだからだけではなく、キャラクターのちょっとした仕草(爪を噛む、身をよじる)をロボットアニメに取り入れたためヒットしたのだと解釈している人間で、だからこそキャラクターの細かい仕草や心情の描写を作中に取り入れてきた人ですよ。
彼は彼なりに「冨野ガンダムを愛し、リスペクト」はしています
自分と違う作品の愛し方をしているファンを受け入れられないのは解りますが、否定するのはオタクとしてどうかと思われます




最後に、プロフィールや※欄含めて見させていただきましたが「俺の対して好きでもない蛇足ガンダムがヒットしたから叩いておくか」と隠しもしない書き方をされていますが、あなたは自分が「こじらせた冨野儲でしかない」という自覚に足らなさすぎます
記事の内容は所詮「俺の好きな作品が汚されたから貶してやれ」の発狂でしかないのに通ぶった文章を書いて満足しているのはそれこそあなたが好きな冨野が大嫌いな「いつまでもいい年をこいてアニメを見ている大人」の図でしかありませんよ
#-|2014/06/10(火) 23:47 [ 編集 ]
人の名前すら正確に書けない方のいう言葉など、残念ながら初めてから信憑性が半分しか残っていないと思います。

5年前、小説についての話を、アニメとごっちゃにしてるのはいかがなものかと思います。
私は思い上がるようなスタンスを取っていませんし、富野だからどうという話もした覚えはありません。
ですから、私個人へのレッテル貼りも不要ですよ。
kaito2198 #-|2014/06/10(火) 23:54 [ 編集 ]
この記事の具合に、オリジンの安彦原作についても詳しくを書いてもらえませんか。
既にその名雪 #uOPtQN5g|2014/06/14(土) 00:51 [ 編集 ]
せっかくのリクエストで申し訳ございませんが、正直いまいちやる気はありません。
ただ、書こうと思えばできないこともないと思いますので、
Gレコが終わったらなんとかやれるかもしれません。
kaito2198 #-|2014/06/14(土) 04:34 [ 編集 ]
大変興味深く拝見させていただきました。
まだ「その3」が執筆中とのことですが、是非続きを!

私は富野信者を自ら名乗る人種ため、どうしても様々なバイアスがかかってしまうのですが、やはり福井の作風、スタンスについては疑問が生じます。
特に結論部、サイコフレームと一体化すれば真なるニュータイプになれるのだという事、そして真なるニュータイプは地球上からすべての軍隊をなくすことすら可能と、インタビューで回答していたことには、"下品”であるとすら感じました。
表現者であるならば、「軍隊を無くす」という事に対して明確なビジョンを示すべきだったと思います。これまでのガンダムにおいて、富野監督はもちろんのこと、様々な監督が「いかにして戦争をなくすのか」、という命題に対してドラマを描いてきました(Gレコを含め、これからもでしょう)。
なのに福井は、超越存在を出しておいて、彼なら世界を統一できたとあまりにもシンプルすぎる回答を口にしています。しかも、“どのように”の部分を全く出さずに!
超越者が反対勢力を全滅させるのか、自らが無限のエネルギー源となって不平等を無くすのか、全ての人類を超越者と同等レベルに引き上げるのか、それで本当に人類が軍隊を手放せるのか?
そういった事を語らずに、あのような表現を使えるのは、単純に「自分が考えたロボットが史上最強なんだ」と子供そのものの主張をしたかっただけなのではないだろうかと、疑ってしまいます。
#-|2015/01/25(日) 17:16 [ 編集 ]
福井を含め、近年は誌面インタビューで、「あの映像の演出意図は~~というものだった」、「あの人物は~~という目的、能力だった」と語る演出家が多数居ます。
しかし本来ならば演出意図は映像作品内で示すべきものであって、わざわざ作品外でそれを語る/語らなければならないのは、映像内で表現仕切れなかったという事=演出家として二流ではないかと思います。

宇宙の歴史をイメージとして垣間見た、ソフトチェストタッチ、真なるニュータイプの力。。。どれも映像を見て多くの人間が疑問に思い、理解仕切れなかったという事は、それを成すパワーが製作者サイドに無かったという証明だと考えています。
#-|2015/01/25(日) 17:24 [ 編集 ]
コメントありがとうございます。
この記事はそもそも当時の好評一色に対し意見申し立てという意味で書いたものです。
その3は正直いまとなっては書く意味が薄くなっていましたが、ご要望でしたらいつか書きたいものです。

示すというか、詩的なもの=言語化してないけどちゃんと存在しているものなんかは、狙ってて描けるものではないという気もしますね。そこに作家の素質素養が問われますけど、少なくガンダムにおいては富野監督にはあって、ほかの人にはなかなか無いことでしょうね。
kaito2198 #L2WcHO2o|2015/01/26(月) 02:28 [ 編集 ]
 文章の問題は、確かもともとが連載小説で一回一回の頁数がきちっと決まっていたから無理な行数稼ぎや行数減らしが必要だったとか聞いた話がある。ネットのうわさ話なんで信ぴょう性はお察しだけど。
 何巻かだったかにコロニーについての描写が無駄に長くつぎ込まれていたのも連載分の頁数稼ぎだったとか。
#-|2015/09/04(金) 21:53 [ 編集 ]
ご指摘とおりの現象は確かにあります。
ただ、自分の経験で申し上げますと、それは連載の都合もありますし、本当の書き手ならばページ換えとかすら計算してますので、そういうものを含めて小説を書かないといけないです。

そういう意味では、5年前に書いたスタンスをいまさら否定しませんが、単行本や連載を読み比べてませんので、福井氏のこういった部分を取り上げることができないのはいささか残念だと思っています。
kaito2198 #L2WcHO2o|2015/09/04(金) 22:39 [ 編集 ]
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