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『リーンの翼 解析設定資料集』富野インタビュー

2008/05/10 22:09|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:2
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 『リーンの翼 解析設定資料集』富野インタビュー
曾在網路之海某處投下的東西。

富野由悠季インタビュー
~「リーンの翼」は進化でもなければ後退でもない、人は簡単にニュータイプになれない~

 今回のインタービューにあたり、我々は「リーンの翼」本編に留まらず「富野由悠季総監督がこれから先、向かうもの」は何かを探求すべく、三つのテーマを用意して挑んだ。
 すなわち、
「①王の帰還」
 今まで総監督の作品には「帰るべき場所」というべきモチーフが描かれ続けてきた。今回の「リーンの翼」においても先の大戦での生きる場所、死に場所を失ってしまった武人の「失われた故郷への帰還」がメインモチーフに据えられている。そのことから富野作品における「進路と帰還」へのベクトルが占めるポジションと、その暗喩に関して
「②物語性への帰還」
 近来、富野作品が連続性を持たせつつ各話完結で、しかも普遍性を持った、帰結そのものを目的としないエンタテインメントへの変化しつつあるように見受けられることから、監督の真意が奈辺にあるのか? そして最後に
「③対峙と融和」
 富野作品が近来、成長とそれによる相克へと、位相が変化していくように見受けられ、また物語での状況打破を社会の中に見出し、支える側に回ることで帰結させるように描かれ方が変化してきたと思われる。その中で、[リーンの翼]を俎上に上げ、富野監督の対立構図の軸足がどこに変わってきたのか?

 これらの問い掛けを底流に、富野総監督に敢行した90分にわたるインタビューをここに採録する。



∥種そのものの変革って、あるとは思っていません
――今回「王の帰還」というテーマを用意させていただいたのですが、まずサコミズ王の帰還を総監督はどのように描こうとされていたのでしょうか?
 基本的に『先祖帰り』でしかないと言う事です。
 時代という物は縦軸で流れていて、絶対に戻るものではないわけです。だからその軸は、どんな便利なタイムスリップものを作っても戻すことはできません。だから我々というのは時間軸の中で、一方に流されるしかないわけです。基本的に生物の進化の時間を考えると、二~三万年の時間の中で人という種そのものの変革があるとは思っていませんから、流されていく種の記憶というのは、一個の生体にとっては進化論を採ることができないわけです。
 多分十万年単位での時間を戻らない限り、前のレベルには戻れないし、進化もしないでしょう。すると嫌な言い方をしますけれど、一個のDNAの記憶というのは結局その場に留まっているものだから、基本的に種というものは「先祖返り」という構造の中で安定していくんだろうなと考えます。
 先祖返りという日本語のフィーリングで言えば、しょせん二~三百年のスパンで考えても先祖帰りなわけですが、そんなのは歴史の時間の推移で考える場合はしょせん一瞬のモーメントだから、戻るという感覚ではないでしょう。
 つまり、一個の種が安定的に存在し得ると考えた時に、絶えず先祖返りをしている。だけど世代を変えていくことによって、時間軸によりそって種というのは存続していくんだろうなと考えます。ですから、ここで言う先祖返りが回帰論ではないと僕は考えています。
 十万年とか、一億年という時間の中で言えば二~三百年の瞬間の推移なんて一瞬です。種が安定しようと思ったときには、その種の記憶の元に戻ることでとにかく安定するんじゃないかなと思っています。だからそんなに大きな変革というのが個の中であるとは思えません。だから劇中でご先祖様のお墓の中に戻るということを含めての「帰還」ではあるんだけども後退だと思っていないし、前進しようと思っても一万年後に前進することはできないんで、作中では「次」を描くことはしませんでした。
 だからしょせん、種というものは定点で安定していくという指向性を持つしかない、としたのです。
 ですから、今回の『リーンの翼』の2時間ぐらいの中でもひとつやっているのが、一見敵方に見えるアメリカ軍のパイロットでさえも、しょせん元に戻っていくかもしれないという描写も入れていますので(一話にも登場していたF-35のパイロットのゲス・ガンズが、六話でナナジンのオーラ剣に機体ごと両断されたときのこと)。ですから、僕の中で帰還論はなくて、一個の種としての、一個の生体としての安定というところに戻って行かざるを得ない、いや戻っていきたくなる、そうしないと自己分裂をしてしまうだろうという想定をしています。
――帰還という言葉を使ったのは、こちらの解釈の問題でもあったわけですが……。
 こういう言葉を使わなければいけないというのが、我々の知恵の領域の問題でしかないです。
 想像力がない、だから帰還という言葉を使って、今言ったようなタイムスパンを想定すれば、しょせん定点観察でしかないと、お答えすることになるのです。
――つまり、ひとつの個体が如何に進めたとしても、子供や後進がその進んだところからスタートできるではなく、戻ったところから出発せざるを得ない、と言ったようなことでしょうが。
 はい。でも、それは後退でもなんでもないんですよ。先年と言ったら大昔の話、と言う風に思ってしまうのは、我々の認識論がそう捕らえる風に教育されちゃったからというだけのことです。
 だけど、少なくとも種の改造と言うことを考えると、それこそ簡単に「ニュータイプ」になんかなれるわけがないだから(笑)
 それでも、実際に混血という状況を見ればわかるけど、ひょっとしたら混血をするだけでも品種改良がかなり速やかにおこなわれているかもしれないという想像はできます。
 ただ、そういう品種改良が種そのものの能力を拡大することなのかと言うことは、ちょっと怪しい問題で、そう簡単には断定できません。
 けれど、品種改良のよさと言う部分は間違いなくあるわけで、混血が悪い方向に向かっているとは思えないのに、我々は現段階でも混血を排除しようとする意識がはたらきます。だけどそれは、教育の問題なんです。要するに社会の通念で混血を嫌だとか、異邦人を嫌だとか、外人はいやだとか言う観念を教えられているからだけのことであって、正しいか否かという問題は即断はできないんです。
 だから、「帰還」という言葉を使わざるを得ないし、「品種改良」という言葉を使わざるを得ない。言葉は全部我々がモノを伝達する為に手に入れているツールなわけですから、本当はもっと新しい表現にしたいんだけど、よほどこの概念が変わらない限り、新しい言葉というのは、そう簡単に手にすることはできないだろう、と感じています。
 たとえば『ガンダム』でニュータイプと言う言葉を使ってみたときに「うぁー面倒くさくなるな」ということも当然経験しました。だけど、その面倒くささというのは伝えると言うことでの面倒くささであって、ぼく自身が個の問題としてニュータイプというものがあり得ると想定した時は「変種」だとか「混血」だとか嫌な言葉を使わないで、千年後か三千年後のことを想像できるのでとても楽だったという経験はあります。

∥一番困ったことが「混血に見えない」ことでした
――今のお言葉を借りますと、ある意味『リーンの翼』という作品自体混血な作品ですよね。『聖戦士ダンバイン』というオリジナルがあって、小説の『リーンの翼』があって、それに当時とは違った新しいスタッフが入って作られている。そういう意味で言えば、『リーンの翼』という作品のテーマと、製作の進行と言うのが非常に合致していたわけでしょう?
 合致しますし、それは意識していました。それは同時に『リーンの翼』と言う作品がそういう問題を内包していたからではないんです。あくまでも僕自身がアニメ屋ですから、絵と言う記号=シンボルを使って物語を伝えていくときに、何を伝えていくべきかと言うことはいつも考えていました。そうすると、その一般通念というモノを物語の上でシンボライズして語ることができるだろうということは、僕にとっては『海のトリトン』の総監督を始めさせてもらったときから、命題として設定できたことです。
 ですから、それこそ「混血」のことを「混血をしているナントカちゃん」でいう言い方ではない、何かもうひとつ別の言い方というものが手に入れられるのではないかと思ってきました。実際にアニメで物語を見ると言うことに受け手側が「慣れて」くると、より明確に人種の問題ではない、つまり人の問題、有り体に言えば人だって改造できるんだぞって話ができるんだと思いました。
 ですから、今回『リーンの翼』で改めて意識して混血の問題を取り上げてみたとき、アニメというシンボル、絵というシンボルに大問題があったことが改めてわかりました。
 その問題と言うのは、アニメやマンガというのは生まれたときから混血という問題を取り上げることができない記号だったと言う事が分かったんです。それも記号論としての機能ではあるんだけども、ジャパニメーションが始めてきたキャラクター論では、基本的に人種を描き分けていないのです。そのため、今回『リーンの翼』で一番困ったことが「混血に見えない」ことでした。リュクスも外人とは見えない。本当は混血が東京上空を飛び回ってくれる方が、もっと体感としてふっくらとしたモノになったんでしょうが、そういった部分が完璧にそぎ落とされた構造になってしまいました。
 今までも薄々は感じていたんですけど、『リーンの翼』で第二次大戦の記憶を引きずったサコミズと言う存在へのカウンターとして、エイサップとリュクスを出していたはずだったのが、カウンターになってなかった為に、物語の対立構造とか、融和をしていくかもしれない人々という構造が全く臭わなかったという問題が露呈しました。作品的にはその部分で大失敗をしたと言う認識なんです。
 これは今回、キャラクターライズをしたスタッフの人選を間違ったという言い方ができます。それから回りにいる日本人は、明確に日本人と言うカリカチュアライズをしておけば良かったのかもしれない、とか。そういう意味ではひとつだけ手がかりがあるんです。サコミズを隈取りをしたようなキャラクターにしていたというのが、そういう部分ではかなり見やすくしているんです。しかし、エイサップとリュクスに関して細工をしなかったという迂闊さは、僕のディレクションの能力不足、想像力不足でした。それとキャラクターライズする、最初の段階のokamaさんのキャラがあまりにも中性的なキャラという方向に行きすぎていました。これはセックスの中性と言うのもそうだし、西洋人東洋人としても中性的すぎました。さらに、それをアニメライズする時に、もっと硬質な、今時のアニメにしてしまったことでもっと分かりにくくなってしまったといえます。
 逆に僕にしてみれば、okamaさんが手伝ってくれるといった瞬間に安心をしてしまって、okamaさんのオリジナルに方向付けをしなかった事が失敗の原因ですね。アニメライズしていく段階で、okamaさんのキャラクターがベースになっていれば、何とか絵になるだろうと思ってしまっていたという、うかつさです。本当は絵とかアニメとかの記号性をいじるわけだから、それは気を付けなければいけないんです。やはり作り手が今言ったような皮膚感を感じられなければならなかった。そういうスタッフ・ワークができなければいけなかったという事です。
 要はディレクション、方向付けなんです。つまり、大きな指し示す方向をokamaさんと工藤くんに対して正確にしなかった富野の問題があったのです。どうしてそういう問題が出てしまったかと言うと、今時の作品にしないと見てもらえないだろうと言う年寄りの老婆心がありすぎたことなんです。それは勘が鈍いという言い方になります。そして、そういう感度を要求される作品を自分が企画しているのに、それを気がつかないと言う意味での方向付け屋としての能力がかなり低いなということを自覚しました。

∥作り手の顔が見えちゃいけない
――ファンとしては富野監督のディレクションを「読み解く」という鑑賞の仕方もしていると思いますが。
 そういう風に思えるのは、富野っていう幅の狭い指向性を持ったディレクターがディレクションしてるから、ある色合いがある様に見えてるんです。これは適性が見えすぎているという能力の低さなんです。
 作品というのは適性や、作り手の顔が見えちゃいけなくて、作品として自己完結していなければいけないんです。それが作れていない。富野カラーが見えているじゃダメなんです。
 それともうひとつ、なぜそれがダメと言えるかと言うと、作品を発表するという事は不特定多数の人に見てもらって、不特定多数の人に支持されないといけないわけです。
 愛されたいわけです。
 好かれたいわけです。
 富野カラーだけで作られたものが百万人の人に好かれますか?百万人に愛されると言うのは、個から発したここにあるモノが全方位的に人に好かれたり愛されたり、「うん」と思えるだけの魅力を持っているということなんです。
 その人が、ではないんです。
 そして、受け手がはっと気づいたときに「これを作ったヤツは誰なんだ?」って初めて、そこにカラーなり作家なり作り手が浮かび上がってくるモノなんです。
 それを個性だとか、今のアニメが商売になっているからだけで作品を買っている人は、世の中における作品の位置付けというのをまるで分かっていない種類の人たちだと思っています。
今大量に出ているアニメというのは、言ってしまえば、経済の一分野で消費されていく物品でしかないんです。だって「文化」としてのモノは、殆ど無いんじゃないのかな? と思っています。
 僕なんかはまさに一見、メーカーの手先になって消費材を作っているというポジションにいるんだけど、観客、視聴者の全てがそれほどバカだと思ってません。だけど、やっぱり文化論として「自分達が参与したもの、出資したモノが残っていく方がよいでしょう」というメッセージは、制作の周辺の人達には伝えていきたいのです。ということで、社会人としての任務と言うモノがあるので、やはり自分の個性の話をしている暇はないんです。
 言ってしまえば、僕はそれほど優れた作り手ではありません。だから最近きちんと言うようになったのは、僕はアーチストじゃないということ。ジャンルを問わない請負仕事屋、アニメ屋なんです。

∥三十年前、バカが必死になっていた
――続いて「物語性への回帰」という提起をさせていただいておりますが、たとえば『キングゲイナー』では各話完結に近い連作で、主人公の物語は終結してますが、世界の物語は終わりを見ていない。これからもそういった志向をして行こうというのはあるんでしょうか?
 「して行こう」ではなく、旧来のこの方式もあるのかなということでやってみたけど、こういう作品ではやってはいけないよ、ということを明確にしたつもりです。
 つまり作品を発表するスタイルなりサイズの問題です。
 そういうことも含めて、作品の選び方というのはあるような気はします。
 ところが、たとえば十月のアニメ誌をパラパラめくってグラビアを見てると、「あれ? みんな同じようになって来ちゃった?」というのは鮮明に感じましたね。みんな似たような作品で、そこにはもう作家性もクソも無い。要するにリスク採算性がこれだったらいいだろうっていうものしかなくて、そこにはプロフェッショナルという意味での作り手ではなくて、量産体制が確立したって言うカタログしか見えていないんです。
 つまり、今の現実が経済学とかビジネスとしての成立しか考えていないわけだから、文化的には何のリスクも背負わない所で、やっているだけの仕事なんです。それはいけない理由がひとつだけ明確にあるんですよ。
 1クールや2クールの作品を量産していたら、会社なりスタジオなりの体力が持たないんです。
 ですから二十五年前の『ガンダム』でもいいんですけど、週ペースで一話完結風で一年続く物語を作っている方が、三ヶ月ごとに新作を作っているより楽なんですよ。
 これではみんな疲れて自滅していくだけで、二~三年後に見えてくる状況はというと「あ、これは韓国と中国にやられるな」ということだけです。
 出資している側も年度決算では見えてこないんだけど、二~三年決算でいった時にひどい目に遭うという近未来があると恐れています。
――『ガンダム』だと二十~三十年続いたのに、みんな何やっているの、ってことですね?
 じつを言うと、三十年前は今の人たちよりもっとバカな人たちの集団だったんだけど、そのバカが必死になっていたんですよ。
 今は普通の人とか、少し出来のいい人がバカの所に降りてきてバカをやっているから、無惨なんです。一生懸命さが見えないんですよ。
 だから、今の若い人とか関係者に言いたいことがあるんです。これは今まさに現状維持と文化論も含めて、ビジネス論と並行して走っているこの媒体を、どうコントロールして、どう走らせて、両方ともに振幅を持たせていくかというところに行かなくっちゃいけないんです。こういう言葉が分かってくれる出資者とか、周辺のスタッフワークをしてくれる人に立ち上がってもらいたいのです。
 だからなんですよ。僕も『ガンダム』がこうなるとは思わなかあったからなんだけど、たかがロボットアニメなんだけど、ある時自分の全思想を投げ込んでおいて良かった、と三十年たって本当に思いました。
 ぼくの中には本当の意味で言う物語論もない人間なんですね。ただ始めて総監督を勤めた『海のトリトン』以降、映像ビジネス・テレビビジネスっていう部分での「ビジネス」と言う部分での完結を目指さなかったんです。愚民は愚民ナリ死ぬまで頑張っていく手がかりがほしい、と言うところで「その手がかりをオレはこう考えるんだけど、オマエらはどうなのよ」と言う物語を作ってきたつもりなんです。
 それで、さっき言った通り、時間と言うものの見方が判ってきた。それから、人間というのはそう簡単に改造できる、利口になる動物でもないと言うことも判ってきた。
 むしろアニメというシンボルを使わざらない物語では、僕みたいに概念的に考えたところから人間関係を作っていくとか、物語の芯を作っていくことできっといいんだろうと判ってきた。
 ところがアニメ慣れ、コミック慣れをしてしまった世代にはそういうことも考えないで、「オレこれ好きだから」で食いついてくるスタッフがたくさんいるんです。だから、そういう人たちに対しては、お前たちの好きな作品にはするな、公共に発表するものと言うことを基本コンセプトにしているのか、という制作テーマを堅持しているのです。
 要するにこれだけなんです。
 僕はアニメという新興の産業で、食うしかなかった人間だから、本気でやったんです。今は好きだけで本気でやってないのが居るんです。だから好きだけで、公共に向けての仕事をやっちゃいけないのです。
 それらに対して、こっちのほうが生き残るかもしれないと言うカウンターは出していく必要はあるわけです。
 ただ誤解されると困るから言っておきますが、これは「若いヤツに負けるものか」じゃないんですよね。時代性的なことで言えば若い人に負けて当然ですし、負けてもいい。ただ、こういう違う異質なモノがある。そんな異質なモノを取り込んでいく社会でもなければ、絶対に自滅していく。少なくともアメリカには負けるぞ、と。そういう意味では日本人ってなんだかんだ言って、単一民族的な思考があります。けど、エンターテインメントであろうとなんであろうと単一的なだけでは、やはりこれからの時代は突破できないんですよ。
 さっきの人種混交の問題とも関連してくるんだけど、やはり混血の方が美しいかもしれない。雑種の方がタフかもしれない。
 そしておそらく、経済そのものもその異種組み合わせみたいなモノを絶えず自覚ぜざるを得ない状態にあるわけだから、アニメでも異種格闘技を目指さなければならないんです。
 たどえば今、日本と言えば何でもかんでも輸入なんだけど、僕はそれがもう十年以降続かないと思っています。
 そうしたら、絶対に先細りになって、絶対に自給自足論になっていく。自給自足論と、輸入してくる物のバランスを調整して、それこそ千年も万年も生きるという世の中を作っていかなければいけないところに突入しているわけだから、経済や政治の世界でも、千年先に対して本能的な感度なり思考回路を待たざるを得ない時代に来ていると思っています。
 それを考えれば、今回の北朝鮮の核実験なんでいうのは、百年前のガキの行為なんだから国を挙げて大騒ぎをするような問題ではないんですね。それを何か政治問題化している人々に魂胆があって、みんな自分の好きなことをやりたいだけの話なんです。
 中国にしてみれば、北朝鮮の難民が入ってこられたら困るから、強硬な制裁はしたくない。一方、あいつらが核を持ったんだから、こっちも核を持っていいんじゃないのかというのは、自分が見たいからなんですよね。
 これね、じつを言うと昭和十二年、十三年ごろの世論と同じだと思う。
 僕はそのころのことは知らないけど、日本人が軍国主義になったんじゃなくて、国全部が「日本軍は偉い、凄い、素敵」ってみんなで思った時期があって、それは時代意識なんです。現代のアニメの流行もそれと同じで、アニメを見ているみんなが是認した瞬間に、中身はガラガラガラっと崩れ落ちてたりする。だから、そういうものに絶えず杭を打ち込んでいくという意識は持っていなければならないんです。
 だから、今の日本でアニメの企画に対して投資をする人たちが困るのは、アニメではこういうモノをやれば売れるらしい、ということを絶対に本人が判定していないことです。
 そういう鈍さに杭を打っておくようなスタッフワークを組んでいくしかないし、そういううかつなことは自分の作品の中ではしないようにしていきたいんです。

∥「リーンの翼」って実写でやった方がよかったかもしれない
――『リーンの翼』ではキャラごとにさまざまな思惑をが錯綜していますが、これも富野監督的な現代の写し絵というようなものなのでしょうか?
 もちろんそうだし、全部が全部僕の発案ではないです。たとえば僕より二回り若い人たちが「軍の中にある反軍」とか「軍の中に居る右翼」とか、そういう問題を、もう少し物語として出せないかということは言ってきてくれました。それで「だったら在日米軍が悪みたいなシンプルな構造をしない方がいいだろう」と僕は感じましたし、その「在日米軍の中の右翼」って設定の方がフィクションとして面白いと思いました。今、現実のアメリカ軍の右翼には空母一隻盗んじゃうような面倒くさいことをやるやつは居ないと思えるから、フィクションとして容認できるんです。
 つまり原子力空母が日本を母港にしちゃうようなことが起こっている中で、原子力空母の位置づけというモノを考えたときに、つまり「あ、こういう可能性も視野に入れるべきだ」という提言ができる。同時に、ここまでバカはいないわけだからっていうフィクションとして消化することもできる。
 一方で東京中でドンパチやるとき、ただ単にそれを東京都民だけが逃げまどっているのではゴジラと同じなんです。それをもう少し違うルックスにするためにはどうすればいいかということを考えると言うことでもあります。
 物語というものは勝手に作れるから「こそ」、勝手に作っちゃいけないんです。勝手に作れるからこそ組み合わせられるモノは、なるべくいっぱい組み合わせて、多重層的に世界観は厚くしておくのです。厚くすると絶対その間にドラマが発生するからでもある。だから今回の『リーンの翼』でやらせてもらって、僕は面白かった。面白かったけど、作品としては失敗している。実写でやった方が、「混血」のエイサップなり、「混血」のリュクスなりっていうのがシンボルでなくなるから、今回の『リーンの翼』だったら実写の方が良かったかなあ、と思っています。それを本気で考えようか、これから一年、とか言う話になる。そういう風に回路ができてくるわけだから、多重層に組み上げておくと、次何が起きるか、どちらに行けるかと広がっていくわけです。
 だから連続性を持たせるつもりはないんだけど、順々に次に行くんですよ。
 それが、ちゃんと取り込まれているから『ガンダム』の場合は二十年経っても、サラリーマンになっても話ができる。『リーンの翼』の場合は、「あれ?実写まで行かないとそこまで行かないのかなあ?」という判りにくさとか、体感みたいなモノが、アニメ以上に大事な要素として働いている物語かもしれないとわかったんです。
 そこまでのことが想像できるから、今回の『リーンの翼』はかなり作劇的にも失敗していると言い切れるところまで来たんです。
――実写と言う話ですと、今だとオーラバトラーをCGで描けるから?
 むしろそういうこと言うと『ガンダム』は完璧にSFになるんですけど『リーンの翼』は、もうちょっとリアルな話に落とせるかなっていう要素もあるからです。
 だから、CGでオーラバトラーが動き始めたときに「これはまんまで実写で使える」とみんな言っています。で、そのための練習も、まあスタッフがしてくれたんで、だったらこれで、面倒くさいけどやろうね、と今回やってみたんです。
 でも『ダンバイン』の時のオーラバトラーとも比べてわかったのは、今回のを見せられると『ダンバイン』はロボットで、『ガンダム』からの亜流でしかなかったということです。若い人には迷惑かけたんだけど、それも含めて僕にしてもやるべき仕事だったと思います。これで動かしてみて、ようやく僕にとってもCGで映像作品を作るやり方が判ってきました。
――『リーンの翼』ってアニメファンよりも普通の人、それも年を経られた方が見られた方がサコミズの気持ちなどもよく判るのではと思ったんですが。
 そうなんです。サコミズの世代の人も判る、でもそれを通して自分たちも判る、そして若い人たちが判ってくれる。それで今度は、年寄りも含めて若い人たちが問題にしていることが判る。それくらいの作品を作っていかないと経世の書にならないと思っているんです。だから自分勝手にハードルを高くしているんだけど、やっぱり一番はじめに言ったとおりです。作品って、最低そういう礼節は持っていなければいけないんじゃないかな? 例えパンチラであったとしても(笑)。
 だからここにもひとつ、作り手の中に怠慢があるんですよ。
 セックスをするってことは、セックスをするまでは快楽ですませられるかもしれませんけれど、セックスをした後、子供が生まれる。子供が生まれることをちゃんと想像していないでしょう?
 その部分を私たちはエヘヘと笑いながら通過しているんです。簡単に手に入れているんです。
 だから、経世の書のような作品でありながら、パンチラから始まって、そこにスポーンといけるもの、という作品を作りたいですね。

∥何千回も地球は崩壊しているわけで、もう今更いいよね
――最後に「③対峙と融和」というテーマの話に戻って、主人公が敵を倒すというより融和を図るという展開に変わってきているのは、やはり富野監督の訴えたいものが変化してきているからですか?
 それはあります。僕にとっての今の社会の見え方と言うのは、完璧に袋小路に見えるんです。このまま百年くらいで自己崩壊するんじゃないかなとまで思っています。だったらもう、フィクションの中でも社会を崩壊する物語を作っている暇はなくて、再生の物語という構図にならなければならない。それをもうちょっとだけ穏当な言い方をすると、SFとかSFまがいの実写にしてもアニメにしてもなんですけど、何百回も何千回も地球は崩壊しているわけです。もう今更いいよね、と言うのもあります。というのは『∀ガンダム』という決定的な地球崩壊後の話をやってしまったので……まあ歳を取ったからと言うことにさせておいてください(笑)。
 壊すところに行きたくはない。
 おそらく地球上の現在の経済政治体制が崩壊していくのは、我々が思っているよりずっと早いはずなんです。そういうことが、なかなか理論的に説明できないから申し訳ないですけれど、僕はそれがかなり切実な問題だと、感覚的にわかってきたんです。
 切実だからこそ、そういう風になっていく社会の悪なんていうところまで行ってしまって、それを何とかそこまで行かないところで踏みとどまらせた物語を作りたいと思っています。
 そういう物語を作ることで、少しでも現実的な社会の警鐘となればと思っています。僕のような年齢になると、少なくともそういう視点でモノを見る物語でありたいと思うから、この半年くらいでそれがかなり鮮明になってきましたんで、いろいろと考えています。
 そして、なるべく大勢の人に見てもらう仕掛けをしなければいけないので、まだどういう形になるかわかりませんが、それこそ女児物に姿を変えてでも、というくらいに思っています。
 ただ、今言った事を見据えた楽しいモノが作れたらいいと思っていますが、ちょっとハードルが高すぎるんで本当に困っています。
――本日は長時間、ありがとうございました。
(2006年10月13日 上井草にて)

現在看來其實和來台灣演講時的概念差不多嘛,
但是世人到現在還沒覺醒,真的是...


コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#|2009/07/07(火) 23:21 [ 編集 ]
よく誤変換をしますので、とても助かりました。
kaito2198 #L2WcHO2o|2009/07/08(水) 00:31 [ 編集 ]
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