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2008年富野由悠季監督台湾訪問レポート(3)

2008/08/31 03:28|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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関連記事:
■2008年富野由悠季監督台湾訪問レポート(1)
■2008年富野由悠季監督台湾訪問レポート(2)

同じくコメントつき。
前回のインタビューは台湾角川が行ったものだし、
翌日の講演もwatch impressと4gamerがレポートをしてくださったけど、
この回だけは僕自身一字一句書いたものなんです。
つまり世界唯一です。自分を褒めてやりたい気分です。
……当時ではね。今見ると恥ずかしすぎて穴に入りたい気分さえありますが、
若さゆえの過ちの一ページとして、やはりここに載る。

ちなみに、僕は主催単位からもらった写真があります。
もし富野監督の写真がほしい方がいらっしゃれば、手を挙げてくださいー。

前言↓

これは木曜日1/24の16:30から始まった予定1時間の質問会
何故このような遅い時間かというと、この前のスケジュールは全部偉い人やメディアに占めたんです
監督の年のことを考えて、元々この質問会を取り消す予定もあったらしいが、御大の一言でそのまま続行 本当に監督の懐の深さに感謝
この質問会は今回ウチの、まあデジタル制作みたいなコンテストのノミネートされた人たちから50人を選ばれてやってたものなんです
なので、質問と答えも微妙にやや制作側に偏ってるから、翌日の講演の内容と部分的同じところもあるけれども、ニュアンスはちょっと違います
で、監督が着ている服はこの日の朝と違って、白のシャツを着ている。アアコさんも元々来るつもりらしいが、結局監督一人だけ。
あと帽子は朝と同じ「Yoshiyuki Tomino」です 日本でもこの帽子を着たことがあるかな?
あと、お詫びしたいことがあります
この質問会は参加者たちは1週間前に聞きたい質問を先に提出して、監督に選んでもらって、
司会が質問を改めて参加者たちに中国語で伝える後、監督が質問を答えて、また通訳さんが監督が言ってることを通訳するという形を取るため、
ちょっと時間が足りないためか、通訳さんは時々監督と同時に話していたので、録音はしたけれども、完全再現はついに不可能となった
その上に、監督の話は時々飛躍してるので、意味そのものを損なわない程度で自分なりに内容整理してあるので、ご注意ください
もし分からない部分があったら、また書き直しますから、遠慮なく言ってください
(この段の日本語はかなり怪しい気もするが、まあいいか)

あ、ちなみに、この司会はアニメ制作会社の社長さんなんです

この質問会はなんとかコンテストにノミネートされた人のみ参加できるものなので、
質問自体も事前ノミネートに募集するものでした。
で、下には6つの質問がありますが、
実を言うと、そのなかの4つは僕が提出した質問なんです。
当時はかなりいい気になってたんですけど、
今見ると、なんかありがちで幼稚な質問しかなくて、
若さゆえの過ちの一ページはまた更新するものである。


本文↓

質問1
 多くのアニメ業界や映像志望者は表現手法だけに腐心して、物語を軽んじる傾向が見えます 。これについて、監督はどう思いますか?

 これは現実問題として映像現場での昔からの問題
 これは業界の中ではいつも矯正できないために現在まで至ってる
 そして現在まで至っていることといえば、映画界そのものがもう産業として立ち行かなくなってるような状況
 当然日本もそうですし、ハリウッドも1950年代から60年代かけて同じ問題にも直撃
 ハリウッドの場合→映画が作れなくなりそうな危機感
 映画を作る人は実をいうと、つまり動く絵・映像を使いたい人 ですからアニメーションを作る人も同じなんですが、 その傾向は、要するにこの業態が持っている根本的な悪い癖、悪癖だと思いますから、考えるか考えないというのではなくて、 この部分を絶えず改善していくという意識を持たない限り、アニメ業界も衰退のもう一途辿るだけという風になります

今見ると、この段は最悪だ。全然まとめって無いし。
幸いニュアンスはギリギリ伝われるので、御大の話を損なわれずに済んだと思います。

ちなみに、これは僕の質問です。


質問2
 ここ数年、アニメオタク向けあるいは独善的なアニメは一杯増えていて、監督のような正攻法で作る作品は段々少なくなってるような気がします 。この傾向について監督はどう思いますか?

 一番目の質問と同じ内容です、実を言いますと。ですから、このようなスタッフは増えれば増えるほど業界を潰してゆくだけです 。
 業界が潰れるという言い方をしました 。ユーチューブのような媒体があるために、一人一人のクリエイターがアニメのような作品を作り続ける現象は続きます。が、業界は潰れます 。
 ですからそういう人に分かってほしいことがあります。ユーチューブに一部の作品が発表できるからと言って、誰も見ていないだってことは想像してほしい 。

これも僕の質問ですが、
司会が話した内容は僕が最初に提出したものとやや異なるので、何故かこうなったのである。
(元々は業界人バッサリ斬る!ような話を引き出したいが…)


質問3
監督はいつもメジャー向けの重要を述べていますが、最近ハリウッドを含めて一連の大衆にたいする映像作品はとても退屈で、薄っぺらでさえ感じます。ですから、そのマイナーとメジャーとのバランスはいったいどう取れていいでしょうか?

 自分はプロでありたいと思っていますので、メジャーでありたいと思っています。そのためには、作品を作ってるときに志を高く持つべきだという、その努力は自分なりにしてきたつもりです 。
 マイナーな製作態度というのは、テレビプログラムのように作っていくということだという風に思います 。テレビ関係者に申し訳ないと思いますが、そう言わせてください(ここ観客ちょっと笑い) 。

これも…僕の質問らしいです。
何故このような質問を提出したのか、自分でも疑ってます。


質問4
 一つの作品の企画段階で、どうやってキャラクターの個性やデザインを作るんでしょうか?

 (ため息)えー、これはネーティブスピーカーでもネーティブスピーカーに説明しづらい質問です 。そのハウツーあったら教えてください(観客ちょっと笑い)。
 ただ、一つだけ言えることがあります。その時その時に出会ったスタッフとの関係性、つまりリアルの人間関係を良くすること。つまり、意識が通じるような人との出会いはあるべきだ。それはやっぱり願うべきではあるし、そして、そういうパートナーと仕事ができる自分というものを作っていう努力をするべきだと思います。
 キャラクターの特異性をどう作るかということに関して言えば、基本的に異種格闘技だと言う風に思っています。この異種格闘技というと分かりにくになりますが、皆さん方が良くご存知です。美女とメカ、美女と野獣、そういう組み合わせをどう作るかということですが、今日までこの20年間アニメ・コミックみんながやってますから、もうすでにこれは異種格闘技ではありません!ということを覚えてください。
(ここは多分通訳さんの通訳はちょっとニュアンスを伝えきれないため、観客はシーンとしていた。心配性の監督はちょっと通訳さんに耳打ちして、もう一回話す)
 一番重要なことはもう、あの、美女とメカのような組み合わせは異種格闘技になってないということですよ。(お茶目な口調で)だけど、まだやってんじゃねえか、おまえら!(観客大笑い)

これは他人の質問です。
あくまで富野監督個人に絞りたいので、
なるべくスタッフワークに関わる質問はしないつもりですが、
僕の質問より長い回答が得たなんて、ちょっと悔しい…。


追加1
 その異種格闘技というのはスタッフの間の黙契と言えるんでしょうか?
(ここの追加質問はすべて上に言ったアニメ制作会社の社長が質問したもの)

 それほど身体的、観念的なことではありません。はっきり言って、技術の違いです。
 たとえば僕の場合...ガンダムの場合では、僕の頭の中にあったメカニックの線とか、キャラクターの線は、安彦くんのもっているやさしい線ではありませんでした。僕は極めて通俗的な趣味しか持っていませんので、ロボットモノとかメカモノであったら、もうすこし硬い線で書くべきだと思っていました。ですから、安彦くんのキャラクターとか安彦くんが書いたメカの線を見たときに、僕は「違うな」と思っていました。しかし、彼の線の絵が持っている上手さというものには根本的に、尊敬の目をすべきものからできたので、自分の好みを全部捨てました。そういう組み合わせとか、コラボレーションが必要なんだなというふうに思っています。
 つまり、1監督、1演出家の、その自分の好みでもし作品を作ってしまうと、狭くなってしまうというのはそういうのだと思います。これはあくまで技術と趣味の違いを一緒にするという作業です。
 この言い方をすると、この最近20年くらいというのは、皆一面的にというのは、同じ体質の演出家、シナリオライター、アニメーターがあったから、することは全部同じだと言うこともできます。ですから、異種格闘技という意味をもう一度確認しおけばいいというのは、違う趣味の集まりがスタジオのコラボレートを豊かにするものと思っていただきたい。そして、そのような組み合わせから出来上がった作品のほうが、広く広く色々のお客さん・観客を集められることができるのではないかと思っています。異種格闘技の根本的な意味はこの部分にあります。

なるほどなー、制作会社の社長なので、スタッフワークに興味あるってのも無理ないこと。
ここらへんで監督が言及したSFフィーリング、安彦との差異や富野のスタッフワーク観なども
本当に興味深いものだし、とても役に立つと思う。


追加2
 これはスタッフの間によるプラス効果、または互いに火花を散らしてると言えるでしょうか?

 火花を散らしているレベルはかなりレベルが低いです。
 つまり、火花というのは、同じレベルにいるから散り合ってできたものなんです。安彦くんと僕の場合には、趣味の根本的な違いはこのくらいが違ってました(両手でいっぱいの距離を取って)。火花は散りあうようがありません。それを認めるんです。この距離はかなり、かなり苦しいんです。
 もう少し易しい例を思い出しました。シャアがマスクをつけたキャラクターをした時に、本当にあの原稿を破り捨てようと思ったんです。だけど、この作品は子供に見せるマンガなんだからという理由につけて、あのキャラクターを我慢して認めた。
 で、その結果を認めれば30年に立ったら、このように税金を使って頂いて台湾に呼んで貰えるようになったのは、とても幸せだなと感じます(みんな笑い)。

ここで国の税金を使うことを自らばらした監督。
そういや、主催単位は元々講演費50万円を用意してあったが、
監督の「アニメの発展を推進する講演など、金が貰うわけにはいかない」という一言によって、
ビタ一文も払わずに済んだという風の噂も(ちなみに、ソースは口が緩い中枢スタッフ)。


追加3
 作品を作る時に、商業的な妥協というのはあるでしょうか?
(この質問はまさに愚問だと言ってもいい。ましてアニメ制作会社の社長さんの口から出ていればなお更だと思うが、これもウチのアニメ産業の問題ゆえのことでしょう)

 もちろんしています。たとえばガンダムでさえその妥協の産物です。大体僕はあの三原色で塗り分けられているガンダムなんて大嫌いです。物語を作る立場にいたときに、宇宙で使う兵器が、えっと、三原色を使うことは、ありえないです。全身白でなければ、今の技術でいえば、宇宙空間で使うということは実を言うとかなり危険なんです。それを承知しているのは僕の立場です。が、安彦は平気で色をつけます(みんな笑い)
 それで、平気で色を塗っていくんだけど、安彦くんがスタッフにこのことについて聞かされた時に、スポンサーがなんとしても「三原色を使え!」と言ってきた時に関して、だったらこういう塗り分けしかないだろうという戦いは、彼がやってくれたわけです。
 それで、もっと商業的な妥協といえば、30年前ガンダムのキャラクターでさえ、線が多いといって、アニメーターから毎日毎日毎日毎日やられてました。だけど、15年前にすると、(線が)倍くらいのキャラクターを平気で動かすアニメーターが出てくるです。で、実際に、あのー、ガンプラと言われている分野の、形だったり、色だったりを見た通り、時にとても素敵なガンプラも出てくれば、 とても劣悪なガンプラも出てくるということが、本当にぐちゃぐちゃになってしまうっていうのがそれは世の中ですから、そういうものに対していちいちいちいち腹立っていたら、こちらが死にますから、腹を立てないで努力してください。

一会社の社長が商業的な妥協とか…本当に無様です。
アニメ弱国だから仕方ないとしても、悲しいです。
だいたいアニメは芸術事業でもないし、慈善事業でもない。
なのに大手アニメ会社の社長でさえ分からない…手塚治虫先生が泣くわ。


追加4
 アニメのキャラを作る時に、実在のモデルはあるでしょうか?

 えっと、質問の本当の意味が分かりません。ただ、アニメという絵を使ってる物語には、基本的にフィクションで、全部がフィクションであろうほうが理想的だというふうに思っています。ある性格的な面が、モデルがあったりするということは当然あります。それは、性格を表現するという、劇を作るための姿勢。ただこのテーマについてこれ以上今ここでお話し続ける気はありません。ちょっと時間がかかると思います。


質問5
 台湾のアニメ産業は監督もご存知の通り、長い間ずっと下請けがメインですから、作品そのものを商品化する、あるいはグッズを売るという日本みたいに成熟の概念を持つようになったのはついここ数年のことです。
 で、監督から見れば、果たして台湾のオリジナルコンテンツを作ることはあり得るでしょうか?

 成熟していた結果というのは、すでに日本であらわれているわけで、それはもう、だらしのない作品のオンパレードになってしまったわけです。ですから、日本に学ぶべきはもうあるとは思いません そして発展中の、新興の環境では実を言うと、学ぶべきものはないわけです。
 ところが、そこで何かを作ろうと思っている人たちは、実を言うと、学ぶべきものはないために、緊張感があります。その緊張感こそ、作品を作る一番重要なことですから、“範”を求める必要はないと思っています。
 具体的な例を一つだけ申し上げますと、概ねの映画監督の作品が処女作がかなりいいけれども、その後の作品が処女作を越えるモノがほとんどないという事例でも分かるとおり、前例に倣うという必要はあまりないと思います。モノを作るというのはそういう意味ではかなり厳しい!ものだというふうに思っています。

ここらへんはちょっと同意し難いな。
なんだかんだアニメ先進国ですし。
技術面ももちろんそうですが、一番学ぶべきのは「心構え」だと思います。
さきほど言ってたアニメは商業か技術かの問題もそうですし、
オリジナルコンテンツにも関わると思います。
越えなければならない問題は山ほどあるのです。


質問6
 監督はご著書「∀の癒し」の中で人間のセックスには、オスとメスが同居していると仰ったんですが、いわゆる男性の女性性というのは、「∀ガンダム」のロランの中で少し覗けるような気がしますが、その女性の男性性について、監督はどう表現するのでしょうか?

 ものすごく簡単な答えしかありません。女は男を支配しているという現実があるわけですから、あの女の子はホント女ですか?支配というスキルを持ってることは、実を言うと、今まで男が持つことで、極めて男なスキルだと思います。
 ですから、そのスキル今持つようになった女というのは、果たして女と言えるでしょうか?

(僕を含めて、観客沈黙)

 えっと、ご質問の意図がこの回答にないことは十分承知しております。あのー、質問の趣旨に近い回答でいえば、∀の中、∀ガンダムの中のロランが描いたこと、まったく同質の部分における女性性の中にまったく同じように同居してると思いますので、実を言うと、あのー、答える必要ないと思っている質問です。そういう意味では、あのー、我々は純粋に、あのー、オスとかメスに完全に分化している人という、 ピュアな!分化をしているキャラクターのほうが少ないのではないかと思っています。というのは、年を取れば取るほど実感しています。

これも僕の質問ですが、最初は男装の麗人について聞きたいらしいが…。
で、御大の回答もよく分かりません。難しいな。


ここで用意してあった質問は全部済ませたので、(観客による)追加戦に入ります


追加5
 どういう経緯でガンダムを作りたくなるのですか?
(この人はガンダムファンでもない富野の名でも知らない一般なノミネートされた人らしい)

 すみません、特にお話するような話はありません。あくまでもおもちゃ屋さんが、テレビのスポンサーになれるように成長して遂げるからです。人型の巨大ロボットの物語を作ってくれという時代が、この30年前にあって、そして僕はたまたま3本目の、ガンダムという企画ができたので、少しSF的に、映画になるような作品を作りたいなというふうに思って、おもちゃ屋さんの要請を多少外れるような物語であってもやってみたいということでガンダムを作りました。
 えー、ですから今の事例で実は分かり頂きたいことがあります。自分自身が作りたい作品ではなかった、その時代の要請を受けて、それの上で自分のやりたいものを重ねてきてという作品を作ること。つまり、どういうことかと言いますと、芸術者というのは、絶えず見えない明日に向かって、何かのリアクションを持てるだけのこと。
 言ってしまえば、アイデアを蓄えて修業を続けて、あとはチャンスを待つしかない。つまり、こういうことです よっぽと才能ある人でない限り、出資者に出会うことができないことです。この3年間日本の文部省の下にある文化庁主催のメディア芸術祭の審査委員をやってる時もそう思ったが、現れる才能というのはかなり若い年から現れる。現れない我々のようなスタッフがオファーが来るまでアイデアを蓄えるという、ようするに、我慢し続けるしかない我々の立場はこういうものだと思っています。

ここの話は本当に貴重だと思いますが、何度も聞きなれた話ので、
特にコメントなし。


追加6
 ユーチューブみたいなものは誰も見てないと仰ったが、日本ではニコニコというユーチューブと似てるサイトがあります。これはさらに字幕の機能が追加してて、とても生き生きしています。僕の観察では、ニコニコではたくさん”クリエイター”がいて、ユーチューブもそうですけど、その中には色んなアイデアが擦り合って、たとえばニコニコではロックマンという作品の中のBGMが改編されて、コミケで売られるようにもなった。僕はその中では商業の価値がある!と見出したけど、果たしてアニメやゲームの製作者がこれらの中で良い未来を築けるでしょうか?
(これはあるゆとり君による質問です。ゆとりを貶して申し訳ないが、こういう形容詞しか思いつきません)

 もちろん新しい媒体が出てるという意味が、その部分に当然います。一人もいないとは思いません。そして、今仰るような現象が現れていることも承知しております。
 大事なことはこういうことです。
 皆さん方いまが作れた作品か発表されているプラットホーム、あれはもう結果論でしかない。映像で何かをやるかというと、つまりエンターテイメントとしてやって見せるのか、学術的に正確な表現というものを貫こうとするのか、それから政治的なプロパガンダを正確的に与えるためのモノを映像戦を見せるのかということです。
 そして、今ニコニコを含めてユーチューブの上で作れた作品で、それなりに認知をされているというものが、20年後でも認知されるのか?
 つまり、自分の作家性とか自分の思いを世間に向かって、普通の人々に向かってどれだけ伝えたいのか伝えたくないのか、志をどれだけ高く持ってるのかということ。おそらく、今崇められる短編な作品もしくは今圧倒的に売れている歌曲、なんでもいいですが、思い出してください。20年間語り継がれるような作品であるものはどれだけあったのか?
 それから、今の皆さん方が次の20年、3...50年に向かって、語れる作品を作りたい!!!と思うのか、とりあえず今の気休めの作品を作りたいのか、これらの違いというのは、作るべき作品の形を変えていきます。そういう意味では、ネット社会の問題は一つだけ皆さん方に覚えといていただきたいことがあります。たかが...グーグルでさえ9年目(10年目?)ですが、ユーチューブは何年ですか? ということでは、お分かりになるとおり、それは全人生を賭ける媒体になっているんだろうか?当然、明日のことは分かりませんから、ユーチューブの中で、ニコニコ動画の中で生きる選択も当然あります ですから、それが悪いこととは言いませんが、先ほど言ったとおりです それは現在まで現れている結果!なんです。皆さん方、ここにいる皆さん方が現在が結果だけ追っていくようなスタッフだ、と、は、思えません。
 できれば、アジア系からグーグルとウィキペディアを潰すようなソフトを植えられていただきたいというのは、アジア人の一員である僕の、これは、あのー、願いです。この産業革命以来300年、もういい加減そろそろ白人たちを黙らせて、私たちのものを作るとは思いませんか?という、これも志だと思います。
 それで、もうお分かり通り、台湾の人は大陸との関係も同じとおりです アイツらを黙らすために、戦争なんかやらないですもん。特に、今ネットが持っている価値そしてスキル、どういう風に使っていたら結果を出すのか、ホントにこれは僕からの願いです。そして、今の日本はちょっと堕落しすぎていますので、東京に任せられないというのが東京人の僕の実感でもありますので皆さん方に願いしたいです。

ゆとりと言ったが、実際17くらいの男の子。
こういう年でノミネートされた若い才能も、
ロックマンとか空気読めなさ過ぎることを富野の前に言い出した胆力も認めるが、
とにかくバカなんです。無闇に自分の信じることを過信してるし。
結局、御禿もなんだかんだこの質問でかなり燃えたらしいから、結果オーライ。
(でも、富野に「ニコニコ動画」とかを言わせるなんて、かなり凄くない?)


追加7
 台湾は海島国家で熱情や生命力溢れている土地で、町中で走ってる車を見ても分かるとおり、実にエネルギーいっぱいの人たちなんです 特にこの場はたくさんの若いクリエイターたちがいて、何か作品に通して伝えたいことを表現したいにもかかわらず、独立製作や弱小スタジオのために、その製作規模はやはり限られています。
 いったいどういう形や方法に通して自分の表現したいモノをより成熟かつ完成的になれるでしょうか?
(これはまた社長さんの番)

 それは答えられません。答えられるんならば、自分がとっくにやっていたと思います。
 映像の仕事が面倒くさいことが、組織を作ってなければ、組織を経営しなければ、作品は作れない。組織が経営されていく上で、作品が出来上がっていく。
 それで、作品というのは実を言うと、組織で絶対に作れないです。
 スタジオワークということを言いました。当然、何人かの才能が一緒になって、作っているというふうを考えるときに、それもいいでしょうが、究極的なところで言えば、やはり一人の優れた才能がコアになければなりません。ところが、この才能と組織はどうしでも、どうしでもいい形で、経営されることが少ない!
 日本で成功例があります。スタジオジブリの仕事で、クリエイターである宮崎駿監督と、それから製作者である鈴木プロデューサー。まさにその両輪の組み合わせで、この十数年をやって来れました。直接お二方からお話を聞いたわけではないんですが、あのー、この1、2年間、これから十年ジブリは持つかどうかということについて、大変厳しいと思ってる風聞も多少お聞きました。
 つまり、宮崎作品程度に固有な作品を作ったにしても、グーグルに勝てないです。そして、できたらアニメ作品というのが、CG作品というのが、映画というのが、ただ一ソフトで世界制覇というのが、たとえばスピルバーグ監督でさえできるとは思えません。
 ですから、今とても無理だよとても無理だよっていう話をしているんですが、一つだけ聞き逃していきたくない視点があります。お隣、皆様方のお隣に、宮崎・鈴木のようなパートナーを組めるような人があったら、ジブリくらいは簡単になれるんだよ、2、3年ちょっとで、少なくとも、映像作品を作って、ビジネスをやってることでいえば、ジブリ程度の成功が、それほどひどいものだと思えない。まして、ジブリのようなプロダクションがもし二つ三つができたら、おそらく、たとえば台湾でできたら、かなり大きいなパワーになることは事実だと思います。
 そういう意味では、今この台湾で、このような皆さんがこういうふうに一つの場所にいられるということはきわめて象徴的なことだと思います。さっきのジブリの話でも、後ろ向きで捉えていただきたくはない。重要なのは、さっきほどの初めての質問で答えるとおりです。このジャンルで一番増えたのは、実を言うと、どうしでも描きに興味が行ってしまう自分の性癖というものを治して、つまり動く絵を使って、イメージを使って、作品を作るというのはどういうことかという本当の意味が分かってくれる人が、そうですね、3人出てくれば、ジブリは3つ作れるわけですから、そういう勉強をして頂きたい。そしてそれは天才でなくてもできるはずなんです

(ごめんなさい、この段だけはどうしでも纏まらなかったので、監督が言ってたままで書かざるを得なかった)

 ちょっと前の話に戻して、一番前の映像作品を作る時の価値になるモノのことをもう一度話させてください。文学的な素養と、演劇的な素養と、それに音楽的な素養のことも当然入りますが、皆様方が絵柄を拘ると同じように音楽を意識すぎるからあえて避けています。ですから、文学的のことと、演劇的の素養というものを身につけてくださいという言い方をします。
 一つ間違って困ることがあるというのは、専門家を呼べばいいと思うかもしれませんが、専門家を絶対!!呼んではいけません。どうしでかと言いますと、文学に傾倒しすぎている人が作る映画というのはどういう失敗をしてるのか、映画史はもう繰り返しました。
 それから、演劇人が作る映画というのは、果たしてどれだけ売れるのか?それらは例え名作といわれてもヒットしないこの事例も本当に多いです。それから、この十年で知ったことでありますが、パソコンの業界で辞書を編纂するという仕事を、一番初めに辞書編纂をするとか、漢字の先生を連れてくるようなことで、辞書を編纂したんです。それが、今皆様方が電子辞書を見ているソフトは、専門家が一切入ってないそうです。全部パソコン屋がやっています(ここ通訳さんはハイテク技術者と訳するってのはちょっと笑える)。
 そういう意味で、動く画像の演劇性、文学性を僕も要求はしますけれども、そこで偏ってしまった作り方をした瞬間に、映画にもならなければアニメにもならない、どこでもない芸術作品が出来上がりま。その無駄な参与だけはしないように気をつけてください。
 どういうことかというと、動く映像を使わせているのがこういうことです。文学と演劇と、それから映画を作りたい、映画的なことが好きだという3つの要素の真ん中に!置ける才能というのをディレクターに持ってこなければいけないってこと。
 もしそういうことができるとなると、ユーチューブで公開してるよりも一般公開したくなる。何としでも映画館で放映したくなるような作品が作れるようになります。それは保障します。
 そういう意味では、一般公開できるのはライブみたいなものです。パソコンのモニターで見てるよりも気持ちよくなる。ライブの気持ちがいいですよ。これは本当経験してください。
 そして、おそらく、当たり前の人だったら、ライブ感覚というのはとても好きなはずです。

(ここで通訳さんはちょっと”ライブ感覚”を”映画館で映画を見る快感”と誤解してるようで、御大と耳打ち)

 それもそうですけど、あのー、本当は、えっとー、まあ、映画館で見るのを言っていいんです。

(ちょっと補足しますと、御大が言ってるライブ感覚というのは、おそらく作り手と観客の交流を含めてもっと皮膚感覚的なことだと思う)

 で、そういう時に、つまり初日は必ず舞台に出て、観客に必ず挨拶してください。そのライブ感覚は、よほど、よほど変な人でない限り、みんな好きなんですよ。で、その理由がご存知ですか?
(ここで観客に問いかける)

(社長さん:それは評価されるからですか?)

 いや、そんな難しいことじゃない!
 みんなが僕、私を見てくれるというだけで、私は気持ちがいいもん。
 そういう意味では、この理由があります つまり、人間というのが社会的な動物だからです。そういうことでは、社会的な動物である前に動物であるために、同種類の動物の、つまり、接触がセクハラにならない限り、迫りあってってのは気持ちがいい。
 で、その理由があるんですよ その理由、も、あるんですよ。
 はい、どういう理由だ?
 それは時々皆様方は若いうちは見逃すんです。我々は生まれるまではお母さんのお腹の中にず~といるんです だから同属のお肌の触れ合いが嫌いわけがない。それを嫌うようになったら、警戒するようになったものは、セクハラという言葉を覚えたり、敵か嫌いな奴という言い方も出てくる。
 そして、今お話していることは、ぼくは上手にお話できたと思います。ドラマを作る核というのはここにあります。物語の核にいつもこれを置いとけば、普通の人と、かなり!かなり変なルックスを持ったフィルムでも、人々がきっと見てくれます。

この段は充実すぎるので、コメントしようがありません。
が、これほど真摯で自分を晒し出してくれるクリエイターは、本当に少ないのです。


追加8
 アニメ演出家である同時に小説家、作詞家でもある富野監督が、自分のその小説家と作詞家の一面を意識したことがありますか?
(これは最後の質問になります。ここで手を挙げたのは僕なんですが、当然一番聞きたいのは新作の話なのですが、マイクを取った瞬間、突然御禿と50人のプレッシャーに負けてチキンしちゃって、ついに新作の話を聞けなかった。申し訳ございません。自分もかなりショポンしてる...orz)

 それほど明確な、色を出してるという、あのー、自信がありません。だけど、こういうことを気をつけることがあります。
 作詞ということ、それから小説を書くということ、それからアニメを演出すること、実はこの3つは根本的に媒体が違います。そうすると、媒体の、つまり伝える方法は根本的違うならば、その媒体の違いにあわせた表現をしたいというふうに意識するだけです。
 一見これは当たり前の考え方なんですが、この十...んー、まー、あの、これを一緒にする人がいます。どういう一緒にするかというと、自分の作品の、たとえば、タイトルが先にある、内容が先にあるために、小説にしようが、アニメにしようが、詞を描く上であろうが、同じ形でなければならないと思い込みすぎている作家というのはかなりいるんです。
 で、いま一般論的にこういう言い方をすると、おそらく皆さん方が想像付かないです 媒体が違うんだから、表現が違ってきたというのは当たり前だというふうに思うわけです。だけども、繰り返しますが、自分が作り手になったときに、アニメも小説も詞も同じにしたいという欲望!欲!は間違いなく働いてます。それで、僕自身はガンダムをやり、30年前からそういう現象があることも知っていましたから、それを使い分ける努力をしました。
 どころが、最近そういう意味でいう具体的に悪い例がまた知りまして、本当にガツンとしています。日本の漫画家、日本の漫画雑誌編集者が、ついにアニメのプロデューサーにこういうことを言うようになりました。「この漫画家のコマ割りはアニメになったときのカット割りを想像しているので、カット割りを変更しては困る!」という、この二年くらい顕著になってきたのです。
 今、この中で3分の1くらい(の人)がこの意味を分かっていないようですが、その意味は説明しません。もう媒体が違う!!漫画とアニメの媒体が違うんだから、そんなことはありえないんです!ありえないんです!ついに、東京で漫画雑誌専門の編集者がついにそういうことを言うようになってきたというのは、この2、3年です その2年以来かなり顕著です。こいつらもほとんど僕の立場で言えばキチガイみたいなもんで、あいつらをブチ殺せ!

(質問がすべて終わったあと)

 どうも、本当にありがとうございました!

(最後は拍手の嵐の中、疾風のように去る御大)

な、長かった…。
とにかくこういうものです。
あいつらをブチ殺せ!は印象深かったです。

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