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富野由悠季VS押井守対談「時代がアニメに追いつく時」

2008/05/03 01:35|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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剛在某處投下,
所以就順便當作話題放上來。

本篇原刊於動畫雜誌『月刊アニメージュ1993年6月号』,
現収録於間書店出版アニメージュ叢書『すべての映画はアニメになる』,
到目前為止,都還是富野和押井兩人唯一的對談。

押井守 すべての映画はアニメになる 230~241P
現実がアニメに追いつく時
【対談】富野由悠季(演出家)
1991年、ソ連邦の消滅とともに東西冷戦が終わりを告げた。ソ連への恐怖ゆえに結束していた多民族国家ユーゴスラビアは、抑圧から解放された途端、凄惨な民族・宗教紛争に突入する。『ガンダム』を『パトレイバー』という、ロボットアニメを代表する二大シリーズの監督たちが、この時初めて語り合うことになったのは、まさに時代の要請だった。

「内戦」を描く二つのアニメ
富野 今度の『パトレイバー2」は、「戦争」を題材にしていると、聞いているのですが。

押井 まあ、戦争には違いないのですが、内戦ものなんですね。直接的なきっかけとしては湾岸戦争があったんですが、それで今まで僕が考えていた戦争のイメージが、だんだんはっきりして。内戦なんだなと。理屈で考えても今世紀に入ってからの戦争はすべて「内戦」だったという気がする。国家間の戦争というものは、実はもうなくなっているのでは。

富野 そうですね。

押井 内戦の危機がたまたま国際間の戦争に転化したという考え方。特に最近、その傾向があらわになったという気がしていて、一番の典型が天安門事件や湾岸戦争だと思います。いろんな小説やアニメも含めて、今までの戦争のイメージはどうしても一種古典的な「国」と「国」との戦いという戦争観がやはり強かったと思うのですね。僕は逆になるべく枠を広げないで、一つの街なら街の中だけで戦争というものを表現したほうがその本質が出やすいのではないかと思う。若い観客や読者の従来の戦争観をどこかで変えられるのじゃないかという、期待感を込めて作っているところです。
そういう意味で言えば『機動戦士Vガンダム』の世界も基本的には一種の独立戦争みたいなもので「内戦」を描いているのではないですか?

富野 ええ、そうだと思います。

押井 先日放映された『Vガンダム』の第1話を見てまず、何か変だなという感じがしたんです。で、知人に聞いたところ、あれは当初、第4話として放映される予定のエピソードだったと聞いたので、そういう意味ではまだ何にも言えないんですが......。大変失礼ながら言うと、富野さんの作品というのは放映から、ある程度時間がたたないとわからない。リアルタイムで見ていても、正直言ってまったくわかりませんでした。たぶん再放送で週に5話分いっぺんに見るとわかる(笑)。ただあえて言えば、かなり古典的な体裁でいくのかなという気がしました。

富野 まったくそうです。やはりTV(アニメ)というのはそうであるべきだなと、キャラクター商品や、見せ場である「ガンダム」を一番初めに見せるという、TVの機能に素直に乗っ取ってあげるほうが良いと判断したんです。そうした大きな理由として、簡単にチャンネルを替えられるTVでは、映像は視聴者に完全に伝わって理解されるなんてことはまず期待できないから、むしろそれを逆手に取って初めに王手を見せておいて、あとで実はこうだったとやることもできる。基本的にTV放映とはそういうものだろうと。で、申し訳ないけれども、第4話で予定していた話を1話にしました。ただ作り手としてはその結論を出すにあたっては二晩泣き明かしました。それはウソだけれど(笑)。 一晩考えたことは事実です。

押井 僕は第1話を見た瞬間、世界設定はよくわからなかったけど、今の「ボスニア」に見えた。逆に今の子供とか若い人には、それがすぐにピンとくるのではないかと思ったんですが。

富野 と、僕は思います。それは先ほど押井さんが言っていた戦争観にかかってくるのだけれども、僕のスタンスとまったく同じです。描写は個人でしかあり得ないし、個人を取り巻いている戦争状況というのは大戦争のわけがない。国家の大義名分を伴った戦争というのは植民地、つまり領土獲得戦争時代までですね。それだってどこまで国家の問題という戦争であったかというと、とても怪しい。
 今回の『Vガンダム』は、実は東欧、チェコのプラハ近郊に舞台を設定して始めたのです。それは放映の1年半くらい前に決めたことで、何故かといえば、やはり我々自身が一番わからない部分から、物語を始めていかざるを得ないと持ったからです。それはつまり異民族同士が集まってくることから起こる問題。自分たちの仕事に引き寄せて考えれば、日本人が世界レベルでエンターテインメントの「監督」をやれるのかどうかという問題にもかかわってくるのではないかと。そういう部分を射程に入れてものを考えていく時代になってきたと思うんです。
 と、いうような話は押井さんが初めて聞いてくれたので、話しましたが(笑)。実際、する必要も無いのです。そのために作品を作るのだから。

押井 夕方の5時に放映される『Vガンダム』の中でボスニアを思わせる世界が出てきて、6時になるとニュースの時間でボスニアの現実の映像が出てくる。多分、間違いなくそう思うのだけれど、子供や若い人って、どうしでも与えられた映像に感情移入するのですね。その中で自分に引き寄せて問題を考える。ニュースで流れているボスニアの風景と、アニメの世界で作り上げられているそういう虚構の世界とは、実は同じプロセスを通って「あるもの」に近づくのではないかと思っている。それにちょっと興味があった。それがどういうふうに見えるのかなと。

富野 興味があったと同時に、僕の年代でいうと、ちょっと怖いと思った。変にグチャグチャに理解してもらっては困るし、そういう実感もちょっとあります。

押井 やはりうっかりすると現実が僕らが作ってきたものに肉薄してきたというか、そういう感じなんです。現実がそういうふうに引っ張られてきたという気がするんですね。

富野 『Vガンダム』に関して言うと、そういう現実とのゴチャゴチャ感をむしろ喚起したり、増長するものではないかということで、言ってしまえば悪い番組になっていくのではという懸念と同時に、むしろ悪い番組、悪い人のレッテルを貼らせなくてもいけないのではないかな、そういう作り方をしてしまったのではないかなという懸念はあります。

押井 そういう考え方も出てくると思います。ただ今までとちょっと違うと考えているのは、かつての「ガンダム」の世界観の中で熱狂してプラモデルを作ったりしているファンと、初めて『Vガンダム』を見る新しいお客さんの中高生とは、多分相当なギャップがあると思う。かつてのファンには『Vガンダム』の向こうにボスニアが見えたりすることは、ないだろうと。
富野さんがよく口にしておられた、最初の『ガンダム』に戻るということは実はそういうことなのではないかと僕は思って聞いていた。そういう意味で、これはおもしろいのではないかなと。

――グチャグチャな現実と、それに肉薄されるアニメーション。しかし、それを見る今の子供たちがニヒリズムに陥らないように、富野さんは『Vガンダム』を作っていかれるのですか。

富野 陥らないように作ることが、僕がアニメ作品を作っていくときの一番大事なことと考えています。これが大人対象の作品であれば、最初にそこに陥ります。一番楽だもの。そういう感性というのは僕自身、極度に持っているという自覚症状がありますから。それをどれだけ自制するかというところが、自分に客観的な節度を持たせることになっていたり、自分自身が大人として暮らしていく時に、実はヘタな演劇屋さんとヘタな映画屋さんに落ちなかったという意味では、ひょっとしたらとても有難いことだったという気がしています。これは僕の生き方です。ほかの方は、冗談じゃない、そういうふうに商業ベースに身入りをするというのが堕落なんだよという人は、当然いるでしょうが(笑)。

押井 結局映画というのは作る側の問題意識とは個別に、どう受け止められるのかという別の次元があると思うんです。映像自体は一種の情報で、それがどう受け止められるかによって性質は全部変わってしまう。実はニュース映像だろうが、僕らが作っているアニメ映像だろうが基本的にあまり差はないんです。どういう場所でどういう人間が受け止めるかで質が決定されてします部分がる。映画館で観るという特殊な形式を除けば映像媒体がトータルに受け止められることは少ないのです。しかし映像は断片を見るだけでも価値を持ってしまうから。

富野 特にこの20年くらいTVがこうなってきてからは、まさにそうですね。

押井 TVという媒体だけで話を限定しても、トレンディドラマみたいな曲がりくねった映像での「東京」も、バグダッドの映像も基本的に差はないですよ。そういうところにもう現実は来てしまって、そのことから、ある意味逆算してものを考えるようになった。というのはどんなに映像に主観的に思いを込めても、どこかで分解されてしまう部分があるわけです。アニメというのは特にその傾向が当初からあった。

富野 あったからこそ実はそれを支えるために、僕の場合には映像論を全否定せざるを得なかったです。どうしてかというと、TVシリーズの制作状況では、自分が期待するようなきれいな絵なんてワンカットだって手に入らないと覚悟しなければいけなかったからです(笑)。だからもうコンセプトワークしかないということで、始めからドラマのロジック勝負に入っている。だから僕っは「映像」を作ろうとは思わなかった。

押井 そういう限界というのがあらかじめあることはわかりますね。だからむしろ「映像」を絞り込んでしまう。それは情緒とかそういう方向でなくて、要するにニュース映像と同じレベルで作ってしまっていいのではないかと。

富野 その意味はよくわかるのだけれども、それを観客にわからせるために、その映像をどういうふうにします?

押井 具体的にいうと、今回の『パトレイバー』では全860カットの半分くらいはいわゆる劇として必要としている絵じゃないんです。要するにニュース映像に近い、状況としての映像なんです。だから、繋ぎようによってはどうにでもなってしまう。そのへんでは結構苦労したのだけれども。やはり絵を描く側からどうしでもその「映像」に一種の気持ちが入るのです。アニメーターは描きだから、いかにそれをそぎ落としていくかという苦労がある。今度の原画はしんどいと言われている。まあ、作業が楽しくないということで(苦笑)。
 しかも、ニュースのような2次的な映像を意識させるのはそれだけでは足りないからフレームワークが必要なわけです。それは劇中のモニターであったり、日常的なシーンであれ何であれ必ず額縁(フレーム)をいかに施すかとうことをやってみた。それが一つのアニメーションの表現の幅ということにも応え得ると思っているんです。

富野 方法論としてはそうでしょうね。一つの凡例が手に入れられるから。

押井 同時にそれが、その方法論が今回のテーマに必須だった。「戦争」というテーマそのものが、要するに「モニターの中の映像」というふうに言ったらいいのかな。戦争が自分の外側にもなければ内側にもないという、こちらにも向こうにもないというか、要するに今の僕らが現実を見るとしたら、フィルターの間(物と物、時と時の間)にかかっている、境界線、幕に見ているんですよ。
 モニターの蛍光面だとか、絶えず、一種の幕を通してしか現実に触れざるを得ないところまできている。その幕を突き破ることは、もう誰にもできなくなっているのではないかと思う。『湾岸戦争』の例でも、あの時、実際にバクダッドに降り立っても多分その状況は変わらないという気がする。それは2次映像であれ、肉眼で見た光景であれ、その中にどれだけ差があるだろうかということを最近考えてしまうんです。

富野 と、すると今度は気になるのは、そのように『パトレイバー』を演出しようとしている押井監督にとって、じゃ、「劇」とか「芝居」というのはどういうふうに位置付けされるものなんですか。

押井 それはやはりケースバイケースという気がしまいます。この作品だったら劇的なドラマの要素をここまでは入れておこう。この作品の場合には基本的にいらないとか、逆にそれだけでいいとか言うことがあり得ると思う。実際僕はそういうふうにやってきたつもりなんです。
 実は今度の映画には、先ほど言ったような要素とまったく反対の要素、メロドラマが入っている。おじさんとおばさんの三角関係をベースにしているんです(笑)。僕はもともと男と女のどうこうというのは、基本的にまったくダメで、なのに何故入れたかというと、結局、作品としての根拠なんですね。成立させるための根拠であると同時に、お客さんがその世界に入るための根拠でもある。
 それで今回の作品では、そのドラマ的な部分を「要素」そのものに実は分解してしまった。ドラマを目指していませんと、ハッキリ言ってもいいくらい。でもそれがそう見えるかどうかはわからない。僕がやれることというのは、自分の中で基準を設けるだけのことで、その作品をお客さんがどういうふうに見るかということは結局立ち入れない。前作をやってつくづくそう思ったのだけれど。まったく違った種類の映像を企んでいても、お客さん、特に若い観客というのは受け取りたいように受け取る。よほど露骨にそれをやらない限りは。

富野 勝手なものだしね。

押井 やはり僕が思うような見方をしてくれる人は少ないですよね。逆にそれはわかる人はわかるという部分をどこの粋で用意するかということ。実はそれをやるほうのエネルギーのほうが膨大に必要だったりする。

富野 もっと素直にお話作ればいいじゃないですか。年長者から言うと。

押井 えぇ、それは必ずそうは言われる。一言に劇映画でいいじゃないかと、要するにドラマなんだよと。僕に言わせると、それだけをやるにしては映画というのはちょっともったいないなと。それだけをやるためにこれだけのエネルギーを使うのはちょっとイヤだよというのと、二つあるのです。

富野 だからそれはもう一つ、これは本当に年長者という言い方になってしまうけれど、やはり若者を、ドラマをバカにしているよ、もう少し大事にしてやって、もっとおもしろいものだよと(笑)。

押井 ドラマはドラマで好きなんですよ。好きなんだけれども、ドラマということを目指すのであれば、僕は映画という形式よりはテレビシリーズのほうがいいような気がする。

富野 いいカンしてますね!僕は今回の『Vガンダム』で初めてそれがわかったのだもの。本当の意味のドラマをやろうとすると映画の2時間なんていう時間では短編しか、かすめるくらいにしかできないのに比べ、テレビの週1回ペースというのは腹がたつ実状だけれども、実はあの時間がいるんですよね。

押井 今の僕はテレビシリーズをやれるとは思えないから、『Vガンダム』は大変なことだなと思いました。TVシリーズの1話を作るのも劇場の作品1本作るのも過程としては同じ過程を全部踏む。それを毎週やらなくてはいけない。僕がTVシリーズをやれないのは、まず、体力的にそれに耐えられるかという問題。それに毎週それを1年間やってトータルでどういう成果があるのかということと、1年間一つの現場で、一つの映画を目指してやるのとどちらがコントロールしやすいかということがある。僕にとってはドラマというのは、必ずしも本筋ではないから。もしドラマを、キャラクターを目指すのであれば、多分『パトレイバー』のTVシリーズをやってました。

富野 僕は逆に7年くらいTVシリーズをやってなくて、ものすごく気分が晴れたという部分と、逆にすごくもの寂しいということを感じた。そして今TVというのは、とんでもなく過酷な仕事だと痛感しています。こんな仕事をやっていたら、お金持ちになっている暇などはないですねというくらいにひどい仕事。でも7年くらい、なんとなくもの寂しかった気分が、ここで今、とてもうれしがっているわけです。それはいま押井さんが言ってくれたとおりなんです。
 どういうドラマができるか、このキャラクターがどういうふうになるのかというのを見るというのが、僕はとっても好きだったんだなと。僕にはキャラクターへの不安がないのです。これこれこうであるべきだというのを全部作らなかった。それで行く先々でどうなるだろうかと。これはやってみてのお楽しみというところでやっていくことが、かなり好きな人間なんです。ドラマを作っていくというほどたいしたことではないのです。ドラマがあるとするならば、 やはりそういう部分を週ペースで1回くらい見るならばやはりそれは見ていきたい。そのことにひどく興味があるから、だからなんです。「映像」を作っている暇がない(笑)。そんなもので頭を使っていたら、死んでしまうというくらいに、ドラマに寄ってしまっている。

押井 そういう楽しみはテレビでないとないですね。映画というのはキャラクターの結論まで決めてから入りますから。

富野 根本的に志向性が違いますよ。だからいいの悪いのでは、まったくないわけです。ひょっとしたら僕と押井さんは対極にいるのだけれど。だから逆にびっくりするのは押井さんが、よく『Vガンダム』の第1話を見てくれたなと。付き合い上とは言え、ひどく恐縮し、うれしくもあるんです。

(「アニメージュ」1993年6月号)

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