富野由悠季監督とその作品をひたすら語るブログ

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井荻麟作詞論 第61回 「本当のエンディングテーマ」

2016/01/30 18:05|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:5
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を紹介・分析する話です。今日の第61回では、「本当のエンディングテーマ」というお題で展開したいと思います。今回は、井荻麟の範疇を超えて、富野作品全般の「エンディングテーマ」についての使い方を語りたいと思います。



 まず、今回の記事タイトルにもなっている「本当のエンディングテーマ」について説明したいと思います。

 TVアニメは通常、OPとEDがあります。OPはオープニングという意味で、冒頭に流されるものです(アパンタイトルの有無を問わずに)。そしてEDはエンディングという意味なので、つまり毎回の終わりに流すものです。

 OPとEDというものは毎回かかれるものなので、作品全体のカラーや雰囲気を作る上、非常に重要な要素なのです。しかし、逆にいうとシリーズ全体を汲んだ上のニュアンスにしなければなりませんので、作品の内容や雰囲気が大きく変わった場合、最終回とのニュアンスに乖離を生じかねません。そのために、映像の差し替え、歌の二番目の歌詞あるいは最終回でED抜きなどの措置で対応したりする作品もあります。

 一方、制作的な都合か、それとも単にそのスタイルを使わないためか、富野作品では最終回でも普通のEDに入ることが大半なのです。そのため、エンディングが単に一つの様式に過ぎないと思ったり、それに物足りないと思う視聴者もきっと少なからずいると思います。そこから生じるのは、「放映フィルムとしてのED」と、「作品にとっての本当のエンディングテーマ」という差が出てくるわけです。

 例を一つ挙げると、たとえば『無敵超人ザンボット3』の最終回のラストシーンでは、多くの家族を失い、ようやく戦い抜けた勝平に向かって、多くの人々が暖かく迎えてくるわけですが、その時かかっているのはエンディングテーマ「宇宙の星よ永遠に」の二番目の歌詞である。

もう 戦いはない 緑の大地よ
走れ 走れ 風よりも 速く

 この歌詞に相まって、もともと感動的だったシーンはさらに盛り上がり、アニメ史上でも屈指の名シーンの一つを作り上げました。しかし、このシーンが終わる途端、また普通のエンディングに入るわけですが、さきほどの情緒との繋がりは一切ありませんので、ドラマの情感の温度差が感じられます。つまり、上のような「最終回のドラマの情感に繋がれるような歌の使い方」こそが「本当のエンディングテーマ」だと定義できるわけです。

 

 以上の定義に則り、富野作品から「本編で歌がかかっている」というパターンをリストアップすると、以下の結果になります。

海のトリトン : GO!GO!トリトン
無敵超人ザンボット3 : 宇宙の星よ永遠に(の2番目)
無敵鋼人ダイターン3 : カムヒア!ダイターン3
伝説巨神イデオン : コスモスに君と
戦闘メカ ザブングル : HEY YOU
機動戦士ガンダムZZ : 銀河一千万年(の2番目)
機動戦士Vガンダム : いくつもの愛をかさねて
ターンエーガンダム : 月の繭(宵越しの祭り)
OVERMANキングゲイナー : キングゲイナーオーバー!
ガンダム Gのレコンギスタ : Gの閃光

 途中降板の『勇者ライディーン』と途中登板の『ラ・セーヌの星』を除けば、15作のうちの10作には、普段のEDと違う「本当のエンディングテーマ」が使われていましたので、かなり多いと言えるだろう。しかし、それぞれの使い方と用途はあくまでケースバイケースなので、以下で順次説明したいと思う。



1、海のトリトン : GO!GO!トリトン

水平線の 終りには
虹の橋が あるのだろう
誰も見ない 未来の国を
少年は さがしもとめる

 最終回で衝撃の事実を判明した後、主人公である少年トリトンは何も言わずに、ただ仲間たちと一緒に再び旅を去っていく。少年が厳しい世界に向かっての旅出は、当然ED「海のトリトン」の雰囲気に合うはずもなく、むしろOPの雄大なる曲調と歌詞と合致している。(というか、制作的に考えると、むしろOPを意識した上の画作りと言える)

2、無敵超人ザンボット3 : 宇宙の星よ永遠に

もう 戦いはない 緑の大地よ
走れ 走れ 風よりも 速く

 多大の犠牲を払いながら、ついに最後の戦いを生還した主人公・勝平に向かって、家族と友人、そして地球の人々が暖かく迎える。孤独を訴える一番目の歌詞と打って変わって、二番目の歌詞は戦いの後の平和を謳うものとなっていて、映像に相まって実に感動をもたらす。

3、無敵鋼人ダイターン3 : カムヒア!ダイターン3

「1 2 3! ダイターン3!」
涙はない 涙はない
明日に ほほえみあるだけ

 最後の戦いは誰も知らないところで終結した後、仲間は一人ひとり別れを告げた。しかし、バスを待っている執事ギャリソンが「ワンツースリー」と口ずさみつつ去っていくと、万丈宅の窓に光が見えた。果たしてそれが灯だろうか。黎明の光だろうか。寂しい光景のなかで流れ始める明るいOPはふたたび希望と期待をもたらし、言い知れぬ余韻を生じる。OPを本編に実在するかのように介入させる使い方は反則的ではあるが、とても素晴らしいものである。

4、伝説巨神イデオン : コスモスに君と

 敵の総司令であるドバが戦闘の命令を出した瞬間、イデが発動した。「そのときであった、イデが発動したのは」という有名な打ち切りである。「コスモスに君と」はそもそも『イデオン』という作品のテーマを内包していたものなので、エピローグシーンを展開しながら流すのに最適だ。もっとも、『発動編』はより完全な映像演出であることを思うと、ここでの「コスモスに君と」は一種の代替案といえるかもしれない。

5、戦闘メカ ザブングル : HEY YOU

 エルチを取り戻したジロンの前に、仲間たちが暖かく走って来ている…。しんみりとしたエンディング「乾いた大地」と違って、希望溢れて、明日へ向かって走り続けているエピローグなので、疾走感があり、意味も合致する「HEY YOU」が使われた。のちの『ザブングル・グラフィティ』のエンディングで「GET IT!」もほぼ同じであることから、ここの使い方はプロトタイプと言えるだろう。

6、機動戦士ガンダムZZ : 銀河一千万年

 ジュドーが仲間たちと別れて木星へ行く。同じくエンディング曲を使っているものの、2番目の歌詞を使われていて、違う感じをもたらしている。

7、機動戦士Vガンダム : いくつもの愛をかさねて

 雪が降り、一人で去っていくカテジナに向かって、シャクティの頬からは思わず涙が落ちた。50話に続いて、エピローグも使われていた。普通のEDは富野監督本人が書いたものではないことを考えると、そもそも「いくつもの愛をかさねて」は最初からテーマにおけるエンディングテーマのつもりで書いたものであろう。

8、ターンエーガンダム : 月の繭(宵越しの祭り)

 前回も説明したが、エンディングテーマとして使われたが、エピローグのように5分も及ぶフルサイズで流したこそは、月の繭の本当の使い方である。もっとも、『ターンエーガンダム』という作品の曲の使い方は実にくせ者で、本当のエンディングテーマである「月の繭」のあとでも、生命力と輪廻を象徴する「宵越しの祭り」が使われ、さらに普通にエンディングテーマがかかってるところに1話限定のED3「限りなき旅路」が使われる。特にED3は映像とまったく合致しなかったが、上手く直前の「月の繭」と「宵越しの祭り」の気分を拾い上げたので、とても爽快な気分になる。そういう意味では、『∀ガンダム』の本当のエンディングテーマは、三曲があるといえるかもしれないね。

9、OVERMANキングゲイナー : キングゲイナーオーバー!

 アナ姫がキングゲイナーオーバーをいきなり歌いだした。前回でも説明したが、やや世界観のリアリティを超えた気配があるものの、勢いで突破するような「演出」ならば、全体的に違和感がないだろう。とにかく原点に戻って、明るい心を抱えて続いでいるという意味では、『ダイターン3』や『ザブングル』の使い方と似ているかもしれない。

10、ガンダム Gのレコンギスタ : Gの閃光

 「Gの閃光」はもともとエンディングテーマなので、本来数えるべきではない。が、『Gのレコンギスタ』は富野由悠季監督が40年以上の監督歴のなかでも、初めて「正規エンディング抜き」という使い方をした作品なので、ここで取り上げることにする。作詞が外部提供のOP二曲に比べて、「Gの閃光」のほうがテーマを握っているので、ベルリの旅出の映像と一体化するのも、まさに最正解である。



 以上は、本ブログが定義した「本当のエンディングテーマ」と、富野由悠季監督が劇中で使った内容を説明しました。OPやEDにおいては、富野作品は制作の都合で、必ずしも贅沢を尽くしたわけではありません。それでも上のj記事を見れば、やはり富野監督がいかに正確な情緒を拾い上げ、エンディングへ誘導することに腐心していることが分かります。これを念頭に置いて見ておけば、別の楽しみを見つけるかもしれません。

井荻麟作詞論 第60回 劇中歌と芸能としての作詞

2016/01/20 17:08|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を紹介・分析する話です。今日の第60回では、「芸能」というキーワードをめぐり、『ブレンパワード』から『リーンの翼』までの富野由悠季監督およびその作詞について語りたいと思います。時期でいえば、だいたい1998年~2006年頃のことになりますが、特に厳密的に定義しておりません。



 まず、今回のタイトルは「劇中歌と芸能としての作詞」となっていますが、内容的に以下の記事の続きとなりますので、まず読むことがオススメいたします。

井荻麟作詞論 第21回 ザブングル~エルガイム時期の富野由悠季と井荻麟
井荻麟作詞論 第32回 Z~V時期の富野由悠季と井荻麟

 また、前後のビジネス事情にも触れますので、以下の記事も合せてお読みください。

井荻麟作詞論 第27回 富野作品のOP・EDおよび挿入歌におけるビジネス事情その1
井荻麟作詞論 第53回 富野作品のOP・EDおよび挿入歌のビジネス事情その2

 上の話を簡単にまとめると、ガンダムおよびアニメビジネスの拡大で、富野由悠季監督はかつて作品の歌の作詞に関する主導権をレコード会社に明け渡しました。これによって、富野は主題歌の作詞で作品をコントロールする手法を失いましたが、変わりに模索して獲得したのは挿入歌からのアプローチでした。



 『Vガンダム』で一時半引退したものの、のちの『ブレンパワード』で復帰を果した富野は、今までとまた違う手法を手に入れました。自らの精神不調という経験に相まって、復帰後の富野は健やかなアニメを作ることにこだわり続けている。それに合せて浮上したのは「身体性への追求」というものだ。そして作詞において(もちろん作品も)は、富野が見つけた手法は「芸能」を作ることだ。

 具体的にいうと、富野は挿入歌を単に「フィルムを放映する途中に流す曲」ではなく、劇中で実在する歌として扱い、実際の作劇に組み込めたことです。この井荻麟記事ではそれを「肉声」と呼んでいますが、すなわち、劇世界のなかの肉声を再演することによって、世界観の奥行きを浮き彫り、作品を深化させ、「芸能」を果すことなのです。

 そのため、『Vガンダム』の4曲の挿入歌のうちにわずか1曲しか肉声として扱わなかったものの、その『V』を皮切りに、富野は『ブレンパワード』以降を挿入歌を大量に入れた上、『キングゲイナー』の「氷の上のおやすみなさい」を除いて、全ての挿入歌を「劇中に生きる歌=世界を生きている人たちの肉声」として作ったのです。

 それに留まらず、『ターンエー』『キングゲイナー』劇中の挿入歌は大半直接「祭り」を描くことになっています。劇中の演出の仕方を見る限り、全部が有効的だったとはちょっと言いがたい※かもしれませんが、それでも富野がどういう方向性を目指しているのかは明瞭です。

※たとえば『∀ガンダム』の「月の魂」と「宵越しの祭り」は上手く複数回に使えたものの、『キングゲイナー』の「ミイヤの祭り」と「本当かい!」は監督である富野以外は使いこなせなかった節がありました。



 このように、『機動戦士Vガンダム』から兆候を見せ、『ブレンパワード』『ターンエーガンダム』『キングゲイナー』、あるいは『リーンの翼』をも含めた作品群で全面的に打ち出したOP・EDでテーマやメッセージを打ち出し、挿入歌で世界観を深めるという使い分けによって、井荻麟は作品に対するコントロールを再び手に入ることができました。これは富野がビジネスと戦いながら、本当の「作品」を作りたいという20年以上の経験や知恵によって、ようやく編み出した手法でした。

 一見、これはすでに究極的な結論ではあるが、実はそうではなく、やがて『ガンダム Gのレコンギスタ』の「Gの閃光」では、富野はさらなる高峰を作ることになります。これについて、また別の回で説明いたしましょう。

 

井荻麟作詞論 第59回 「はじめてのおっぱい」

2016/01/19 16:48|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を紹介・分析する文章です。今日の第59回では、ネット配信OVA『リーンの翼』の挿入歌である「はじめてのおっぱい」について語りたいと思います。



はじめてのおっぱい
作詞:井荻麟/作・編曲:樋口康雄/歌:永嶌花音

ひとつぶがいっぱい
いっぱいの・・・

 『リーンの翼』の第2話の冒頭と第6話で少しだけ出ていたこの挿入歌は、残念ながらサントラが発売されていないので、現時点、判明できる歌詞は上掲の部分だけ。なので、将来全文が判明された場合、記事は書き直す予定ではあるが、一応今回は上記の歌詞に則って説明を展開したい。



 非常にシンプルな歌詞なのだが、吟味できるところが非常に多い。

ひとつぶがいっぱい

 この歌は何を歌っているかというと、つまり「赤ちゃんがおっぱいを吸っている模様」なのだ。さらにカメラを少しロング気味にすると、「小さな女の子が母の哺乳の模様を眺めている」という描写に気づくはず。

 なんという瑞々しい歌詞、なんという瑞々しい情景であろう。

 簡単な歌詞でありながら、女の子の目線を遺憾なく表した。「ひとつぶ」というのは、目を細めて見た母の丸っこい乳首のことであり、そして「いっぱい」というのは、赤ちゃんが小さい口を開けるも、乳首を含んだだけで精一杯になる様子だ。そこには小さな女の子が不思議な目でまじまじと乳首と赤ちゃんを観察している模様が記録されていて、それが大人には決して二度と味わうことのないものの、不思議と懐かしく思う光景だ。

 そしてこれらの歌詞から見出せるのは、つまり母性の芽生えというものだ。



 女の子が母親でしかできない哺乳をじっと観察するというのは、つまり性の意識がまだ確立していない小さな女の子でも、確実に「女性であること」に興味を持つことだ。もっと言っちゃえば、母になることを学んでいることだ。そして、赤ちゃんに興味あるのも、間違いなく母性の発露であるほかならない。

 これを、ほぼ同じ時期で作られた宮崎駿監督の映画『崖の上のポニョ』のテーマソング「崖の上のポニョ」(補作詞が宮崎監督)に対比すると、より一層明瞭になる。メインの作詞は近藤勝也氏ではあるものの、補作詞として宮崎が入っている上、二曲には色んな相似性があるからだ。二曲の歌手は共にリアル幼女(注:永嶌氏が当時10歳、大橋のぞみ氏が当時8歳)であるイメージもくみ上げると、「ポニョ」が「小さな女の子が、小さな女の子が可愛いという唄を歌う」であるのに対して、「はじめてのおっぱい」は「小さな女の子が、赤ん坊が精一杯にお母さんの乳を吸っている所を観察しているという唄を歌う」というものだ。

 つまり、「ポニョ」が小さな女の子の無邪気な一面を切り取って、その一瞬を永遠に愛でたい歌であれば、この「はじめてのおっぱい」は小さな女の子がいつか母になり、生命を産むことを予感させて、その変化していく心性を称える歌なのだ。優劣を比べられないものの、幼女を幼女のままで見ている視点と、幼女がいつか母になることを期待させる視点のどちらは想像(ファンタジー)の幅が広いかというと、答えは明瞭なはずなのだ。

 性の意識どころか、自分さえ確立していないような小さな女の子から見れば、自分より小さい赤ん坊はまるで別のような生き物に見えるだろう。小さな生命に対する好奇心は、即ち赤ん坊~自分~母~赤ん坊という生命の繋がりを想起させるものなので、「はじめてのおっぱい」は女の子の母性を描く唄であり、小さい命の誕生と生きることに対する讃歌でもある

井荻麟作詞論 第58回 「氷の上のおやすみなさい」

2016/01/18 20:32|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。今日の第58回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』の挿入歌である「氷の上のおやすみなさい」を語りたいと思います。



氷の上のおやすみなさい
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:田中公平/歌:国分友里恵

氷の上で 陽射し浴びるのは
ひとりあなたの ものではなくて
今日(このひ)に生まれた 命のためで

 『キングゲイナー』の4曲にも及ぶ挿入歌のなかで唯一、劇中の人物が歌った「肉声」ではなく、かつ1回しか使われなかった曲となっている。また、使っている箇所もラストシーン直前で少しのみだったので、そのため歌詞全体の意味がそれほどはっきりとせず、やや曖昧に見える。



 とはいえ、『キングゲイナー』という作品に則ると、寒冷=絶望・厳しい現実、温暖=希望、未来という構図だと考えると、もう少し分かりやすくなると思う。

氷の上で 陽射し浴びるのは

 このように、寒い天気のなかでも少しの温暖が日差しによってもたらされている。曲調に関しても同じく、ほかに比べて、全体の旋律とテンポが緩やかで少し肌寒い雰囲気を帯びているものの、どこか優しさを持っていて、良いコントラストになっている。

 そして、この小さな希望を持って、次世代を育つのは、この絶望な時代を生きている世代の使命だ。

今日(このひ)に生まれた 命のためで

あなたの母が 託してくれた
命の糸を 織り上げてみれば
未来という刻(とき) 数えられ、さわれ

 命をあえて「糸」と形容したのは、その小さな希望と呼応するためのものではあるし、「命を繋ぐ」という言葉があるとおり、その難しさを伝えるためのものだろう。新世代に期待する要素が入っているのは、『Vガンダム』や『ブレンパワード』『∀ガンダム』にも共通しているものではあるが、ここでは少しだけ違うところもある。

ひとりあなたの ものではなくて

 ここでは明確に「あなた」だけの愛ではなく、あらゆる「生まれた命」だと言い切った。そこには、小さな愛から大きな愛へ歩き出すことが見える。そこにあるのは、すでに「父」か「母」ではなく、もっと包括する目線なのだろう。



 そもそも、この歌は次世代を育ちながら、次世代へ別れを告げる歌である。

あしたに死ぬと わかっていても
今日のあなたの 微笑みがあれば
あたしは眠れて さよならできる

おやすみあたしと おやすみあなた
もひとつおやすみ あしたのつぎ

 歌詞を見ればわかるとおり、「あたし」は明確に死を意識しているが、そこには一切負の感情が存在しておらず、ただ次世代への優しさと死に対する覚悟を持っている。自分が死んだ後でも生きつづける子(後の世代)へ慈しむ目線を送る。このような目線を持つキャラは劇中には存在していないものだけど、これも監督の富野が還暦を過ぎ、父の役割から脱したからこそ獲得した広い視野なのだろう。

 そういう意味では、全体的に母性が強く感じられる曲ではあるが、前世代から遍く次の世代へ送るものだと考えると、あえて目線の性別を規定する必要もないであろう。

井荻麟作詞論 第57回 「デビルズ・アイシング」

2016/01/18 01:03|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。今日の第57回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』の挿入歌である「デビルズ・アイシング」を語りたいと思います。



デビルズ・アイシング
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:田中公平/歌:西野薫(別バージョン:Maria Napolano)

(原詩)
月は凍りつき 太陽はなく
冷気門を開き 存在を撃つ

 この曲はもともと監督である富野による作詞がつけられたが、後にそれが作曲の田中公平氏の意向でボツにされたという経緯を持つ。外国語にも聞こえるその歌詞の内容は判明されていないものの、田中氏によるとアイヌ語やラテン語などをミックスして作った造語のようだ。

 タイトルのとおり、この歌は劇中では世界を脅かすラスボス的存在「オーバーデビル」を題材とした曲だ。原詩がボツになったので、どのくらい現在の歌に反映されたかはわからないものの、とりあえず今回の記事はなんらかの方向性を示したと仮定する。



氷もって築く 息吹の主は
知恵と記憶それに 命そのものを

 歌詞と劇中での使われ方でわかるとおり、オーバーデビルの覚醒といわゆる「オーバーフリーズ」を描く歌詞となっている。単なるオーバーデビルを歌う唄かと思いきや、劇中でも実際に聞こえた歌として言及されているので、そのような悪魔が誕生するときに聞こえた「声」なのだろう。

 もともと「キングゲイナー」という作品自体は「熱力で酷寒に勝つ!」というコンセプトなので、OPもEDもミイヤ関連の二曲の挿入歌も当たり前のように熱さが篭っている。となると、主人公たちの行動原理に対峙する相手を歌う曲は「限りなく寒い」というものも当たり前なのだろう。

 元の歌詞と実際の歌われる方を見ればわかるとおり、この歌はソプラノ(女声の最高音域)にコーラスという形をとっている。断言は避けるが、限りなく厳寒を表現するために、おちゃらけた民族風から打って変って、あえて凛とする雰囲気を持つ、キッチリとした西洋のソプラノと合唱みたいな形をとったんだろう。



 オーバーデビルは名前のとおり、人類にとって悪魔のような存在である。しかしちょっと違うところもある。

氷の結晶に すべて埋め込み
存在そのものを 消すのだという
人の為したこと 汚濁であるから

 これを読めば、むしろ世界を浄化するために作られた存在と見えてくる。『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』の寒冷化作戦とか、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』とかを思い出してもおかしくないような話で、とにかく世界を浄化するために人を粛清するという、見方によってはむしろ正しい存在である。本編では単なる世界を脅かす敵以上として描かれていなかったものの、この部分を吟味すれば、より面白くなると思う。

 また、歌詞のみではこれらも面白い。

ヤェーエェーヤァー(それは事実か)
アァーエーヤァ(それは事実だった)
ヤォーヤォーヤァー(それは事実とする)

ヤォーアアー(悲しいが)
アアーオオー(悲しめよ) 人よ

 ここでの微妙な機敏や心の移り変わりはあえて説明しないが、人が真実を知り、直撃するときの揺れ動く模様を想像すると、そのなかの醍醐味を味わえると思う。



 余談ですが、この「デビルズ・アイシング」はサントラでは二バージョンがありますが、そのうち本編に使われていたのは西野薫氏によるバージョンです。Maria Napolano氏もまたソプラノ歌手ですので、サントラでは同じ曲が違う音質で展開される楽しみ方もあります。

井荻麟作詞論 第56回 「ミイヤの祭り」

2016/01/17 12:31|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。今日の第56回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』の挿入歌である「ミイヤの祭り」を語りたいと思います。



ミイヤの祭り
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:岸村正実/歌:宮城小百合

あたしのところへ 旅をしにおいで
あたしといっしょに 東に行こうよ

 前回で紹介した「本当かい!」と同じく、1話でさっそく劇中の「肉声」として使われた挿入歌だ。歌手や曲調はもちろん、作風から使い方まで「本当かい!」とほぼ同じであるものの、タイトルで示したとおり、本編でほぼ謎である人物「ミイヤ・ラウジン」をめぐる歌でもある。



 『キングゲイナー』の世界においては、勝手にどこか行くエクソダスというものは犯罪行為である。

あなたを連れて ヤーパンへ
ドームを捨てて エクソダス
あたしといっしょ エクソダス

 にもかかわらず、この歌は「本当かい!」以上に、あからさまにエクソダスを称えている。

氷に吹雪に ブリザードなんて
そりゃ アッホ そりゃ アッホ

 それに留まらず、現状(政権)に対する批判もあからさまに入っている意味では、「本当かい!」以上に強く「エクソダスはいいもの」というプロパガンダのメッセージを打ち出している。エクソダスが頻発し、ポリス全体をめぐる祭りでも公然と歌われる劇中世界の現状を見れば、下手な政治活動よりも有効だろうと想像できる。

鑿(のみ)と金床 持ってさえいりゃ
もっと遠くへ エクソダス

愛と勇気を 持ってさえいりゃ
もっと遠くへ エクソダス

 このへんの歌詞から見てもわかるとおり、エクソダスの辛さに関しては想定に入っているからこそ、あえて「エクソダスの旅自体は祭り」という旅の身軽さと衝動を煽っている。オープニングテーマ「キングゲイナー・オーバー!」の「愛と勇気は言葉」と一緒に見ると、なんとも皮肉に満ちる内容であろう。



 そしてこれを伝説となっている者であり、今の五賢人でもある「ミイヤ・ラウジン」の名を使って行うものだから憎い。

ミイヤのフェスティバル それはエクソダス

 本編を見ればわかるとおり、ミイヤに関する描写はあくまで断片的に留まっている。それゆえに、ミイヤが歌う唄と、その唄が受け入れられている使い方は、間接的にミイヤを描き、世界観を示すものとなっている。

 そして、昔のミイヤはともかく、現代のミイヤがただの能天気な流れの歌い姫であることを考えると、ミイヤを通してエクソダスという理念を伝えるというのは、ミイヤの実人格を無視し、ただ御神輿/媒体として扱うこともわかる。極端にいえば、歌を伝えられるようなミイヤさえいれば、本当の賢人としてのミイヤがいなくても構わない構造となっている。

 つまり、ミイヤはあくまでメッセージを運ぶための役割に過ぎないのだ。本編での使われ方を見ると面白い。祭りの初めは、まず現状に疑問を持たせ、約束の地を想像させる「本当かい!」を流すだけに留まる。そして、祭りがクライマックスのところになると、今度ははっきりとした答えを持つ「ミイヤの祭り」を放送する。そういう意味では、「ミイヤの祭り」は「本当かい!」と対になる曲ではあるし、後者に対するアンサーとも捉えられる



 最後になるが、個人的に興味深いと思っているのは以下の言葉だ。

鑿(のみ)と金床 持ってさえいりゃ

 上の説明とおり、ここで鑿(のみ)と金床を取り上げたのは、、おそらくエクソダスの身軽さを強調するためであろうし、これらの道具は基礎的にして神話のモチーフにも使われているような工作道具だからだろうが、それにしてもここでハマると意外性が出てくる。ご存知かもしれないが、監督の富野は非常に工学の大切さを訴えている人だ。それと無関係だと仮定しても、やはりドームを捨てても、全員が第一次産業(農業)だけでは生きられないから、このような注意をあえて入れたのかな?


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井荻麟作詞論 第55回 「本当かい!」

2016/01/16 16:27|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。今日の第55回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』の挿入歌である「本当かい!」を語りたいと思います。



本当かい!
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:岸村正実/歌:宮城小百合

東に海があるって 本当かい
海って広いって 本当かい

 1話の祭りシーンの際に、次回の「ミイヤの祭り」と共に流れた挿入歌である。第48回で『∀ガンダム』の挿入歌 「宵越しの祭り」を語る回でも説明したが、この時期の富野が達した結論のひとつとは、劇中世界の「生」の声を作ることで身体性の体現となる「祭り」を再演するという手法なのだが、『キンゲ』においてのこの曲もまさにそうだ。



 全体を見ると、色んな物事に対してひたすら「本当かい?」と問う歌詞になっている。

林が魚育てるって 本当かい
海が雲作るって 本当かい

 一見どういう描写かがよくわからない内容なのだが、これはまさに世界観の表れである。つまり、歌詞に出てくる疑問は、すべてドームポリスの民がこれらの事実を知らないためのものであり、いわばドームポリスの民という生の声なのだ。

 また、ここまで執拗にわかりきったことを延々と展開するのは、もう一つの目的がある。この曲の言葉を聴くと、大半の視聴者はおそらくクスッと笑うと同時に、思わず「おいおい、こんなことも知らないのか……?」と感じるのだろう。しかしよく見ると、それらの内容が歌として伝えられていることは、現象自体が把握されていることなのだ。つまり、民は知識として知っているが、実体験がない状態にいることがわかる。そして、これらのことの答えを知りたい方法はただ一つ。自分で確かめること、すなわちエクソダスだ。

 つまり、この歌詞は「視聴者にとって当たり前のことも体験できない場所に縛られている人たち」と描くと同時に、実体験の大事さを訴えている内容なのだ。当たり前のことも知ることができないのが不幸である。世界観を描きつつ、視聴者の共感性を喚起させる意味では、身体性と祭りといった要素を取り上げる曲として、『∀ガンダム』の挿入歌以上な成熟を見せてくれた



 もっと踏まえて読むと、この歌が歌われることには別の意味が出てくる。

地の果て 麦の穂波が 全部なんて
海峡 魚の群れが 全部なんて
本当かい 本当かい

 これらは一見民の声を代弁するものと同時に、心のなかの願望を喚起する作用も期待されている。エクソダスの旗手であるミイヤ・ラウジンの歌である以上、この曲はエクソダスの思想を伝える「プロパガンダ」であるほかないのだ。

 よく上の歌詞を見ると、歌い手は暗く豊穣の場所--つまり「約束の地」をほのめかしている。シベリアの酷寒に比べて、温暖な気候も、自然に満ちている糧食も、彼らにとって限りなく魅力的に見えるのだろう。この期待こそが、エクソダスにおける何よりの動力だ。そういう意味では、上の「民を代弁する」という生の声が世界観の表側だとすると、その下に隠されている「プロパガンダ」という意図が世界観の裏側と言えるのだろう。



 ところで、この曲については少し語ってみたい。上ではこの歌詞がシベリアの寒さとの対比を狙っていると説明したが、そのような狙いは民族音楽風な曲調と、歌手の宮城小百合が沖縄出身である事実からも伺える。このような熱い歌が酷寒の地に響いたらどうなるか…と想像したとき、『キングゲイナー』という作品は、OPとEDと挿入歌のような熱力を掴みたい旅そのものと言えるかもしれない。

井荻麟作詞論 第54回 「キングゲイナー・オーバー!」

2016/01/15 16:31|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。全部は110回以上の予定です。今日の第54回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』のオープニングである「キングゲイナー・オーバー!」を語りたいと思います。



キングゲイナー・オーバー!
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:田中公平/歌:福山芳樹

キング キング キングゲイナー メタル・オーバーマン キングゲイナー

真白い地平の向こうから あいつの影が 俺を呼ぶんだ

 WOWOWスクランブルアニメの第2弾富野作品のOPとして作られたものであり、アニメ・ゲーム音楽の大御所である田中公平をして完敗と言わせしめたこの曲は映像に相まって、確かに非凡な熱量と出来を備えている。タイトルの主役ロボットの名前を連呼する形は富野以前からのスタイルなのだが、あえて2002年で昔からのスタイルに則る自体に意味があると言える。

 曲自体には難しい言葉が一切なく、意味自体もひねりが見えず、わかりやすい歌詞として仕上げられている。冒頭の歌詞を見るに、素直に主人公のゲイナー・サンガ少年がもう一人の主人公であるゲイン・ビジョウに触発された曲として捉えていいだろう。



 まず、この歌詞が特筆すべきなのは、いわゆる白富野あるいは復活富野--つまり『ブレンパワード』以降の富野監督が大きく掲げたテーマを内包している。「身体性」と「社会論」というものだ。

こもるだけでは 何ができると

愛と勇気は 言葉 感じられれば 力

 つまり、内(家のことかもしれないし、心の中という意味かもしれない)にこもるだけでは何もできない。そして言葉はあくまで言葉に過ぎないが、自分の身体を通して感じて発揮させることがあれば、例えそれが無形なものでも、本当の力になる。これが「身体性」だ。

ひとりだけでは いやだ お前だけでも 無理だ

 と、誰かと繋ぐことの大事さを語っている。これが「社会性」というものだ。特に、その核心となる価値観が『機動戦士ガンダムⅢ』におけるテーマソング「めぐりあい」の「誰もひとりでは生きられない」と共通しているものの、「お前と俺」というもっとストレートで身近な繋がりに落とし込んでいるところは実に見事である。

 このように「身体性」と「社会論」の全開はいわゆるニュータイプ否定ではないものの、精神論も入っているニュータイプ概念よりも地に着いたものとなっている。のちの『新訳Z』のニュータイプ論にもフィードバックされたことを考えると、この歌詞はまさにこの時期の集大成と言える。



 この歌詞にはもうひとつのポイントがあるが、それはセックスのことだ。歌詞のいたるところに、その要素が伺える。

君と出会って 胸をあわせば 命が

愛と勇気は 言葉 感じられれば 力

抱かせてくれよ お前の心 命を

愛と勇気は 口だけのことと わかれば 求めあい

 と、これでもかってくらい男と女――セックスのことを語っている。つまり、この一見男と男の熱い曲は実はラブソング--もっとわかり易くいうと、「求愛の歌」だ。

 セックスだと聞いて辟易する人もいるかもしれないが、そもそも身体性と社会論の大本となるのは、富野が『ブレンパワード』以降全面的に打ち出した要素である性別論、つまり「セックス」なので、無視してはいけないものなのだ。



 そして上の話を分かるとき、もう一つ面白いところがある。上では、俺がずっとお前のことを言っているように見えるが、冒頭を読み返すと、違うものが見えてくる。

真白い地平の向こうから あいつの影が 俺を呼ぶんだ
こもるだけでは 何ができると いじける俺に 教えてくれた

凍てつく空気を 切り裂いて 奴に遅れず 飛んで見せたい

 というように、少年である俺は一見お前という女性を求めているが、実は奴という大人の男のことをめちゃくちゃ意識している。俺の行動のきっかけとなるものも、実は全部「奴」によって釣られた結果なのだ。そして決め付けは以下の歌詞である。

あしたという日 覗きたいから おじける俺を 忘れるために
抱かせてくれよ お前の心 命を

 それはどういうことかというと、「俺はやつに見返してやりたいから、オレを男にしてくれ!」という斬新な口説き文句だ。「こもるだけでは 何ができると」という歌詞をゲイン・ビジョウという色男(性的な意味で)に当てはまると、この曲は実は壮大な三角関係であり、ゲイナー少年がゲインへのラブコールだと理解することもできる

 「ひとりだけではいやだ」というわがままも、「お前だけでも無理だ」という無根拠な断定も、確かに少年特有の「オーバー」であり、アホなところだ。それを見て呆れる人もいるのでしょう。しかし、少年が大人の男を追いつつ、女の子を求める姿はまさしくそのようなものである。そういう意味では、このタイトルを「偉くなりたいゲイナーくん、やりすぎだよ!」と無理やり読めなくもない「キングゲイナー・オーバー」という曲自体は、還暦過ぎた富野由悠季がそんなアホかわいい青少年へ送るエールなのだろう。



 余談ですが、この「キングゲイナー・オーバー!」は歌詞も曲も熱い、とにかくものすごく熱い曲なのです。上の熱い(?)解説を読めば、そこには富野監督が視聴者へのエールだと理解することもできますが、作劇上でも、シベリアという過酷な舞台を中和するためには、ここまでの熱力がないといけないだろう、という演出家の富野由悠季のバランス感覚が見せる技ではあるのでしょう。

 そういう意味では、改めて富野由悠季の凄さが分かりますよね。

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井荻麟作詞論 第34回 「銀色ドレス」

2016/01/13 20:33|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:4
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 井荻麟作詞論の記事は100回以上予定です。今日の第34回では、テレビアニメ『機動戦士Zガンダム』の挿入歌「銀色ドレス」を語りたいと思います。



銀色ドレス
作詞:井荻麟/作曲:馬飼野康二/編曲:馬飼野康二/歌:森口博子

僕を見つめてた 蒼い瞳
ある日 突然に 消えてしまう

 この曲は森口博子氏デビューのシングル、かの有名の「水の星へ愛をこめて」のカップリングとして作られ、挿入歌としても20話で使われるものである。本編で使われたのは1回きりのわりに、名エピソード「灼熱の脱出」に森口氏の無垢な歌声に相まって、かなり印象深いものとなっている。

 ファンの界隈を見ると、この曲は時折「意味不明」と言われているが、それはわかる話。構成の難解、言葉の飛躍などもそうだが、一番の原因はおそらく視点の曖昧さにあると思う。女性歌手が歌う曲でありながら、男性一人称の「僕」を使いながらも、女性が使うような語尾もある。それでいて、「君」に対して呼びかけている。ではこの曲はいったい男性か女性か、果たしてどの視点で、誰が誰に対して歌っているものなのだろうか。

 それもあって、井荻麟記事は原則的に本編との関係性を語らないが、特に抽象的で難解なこの曲に対して、今回は本編で使われたモチーフ、すなわちカミーユとフォウの関係性を借りて説明したいと思う。二人にフォーカスすることで、色んなものが見えてくる。



こんど出会えれば 間違わない
良い日であったと 抱き合うだろう

 歌詞を見ると、カミーユがシンデレラのようにいきなり出会い、いきなり消えるフォウに対して、次回も会えたら、今度こそは…という内容になっている。ひどく情熱を感じられるものである。しかし、本当にそういうものなのだろうか。

今日という刻(とき)は 忘れないで

涙はもう 渇ききって 
夢などにはとらわれず

 というのも、二番目の歌詞を見れば、おそらくカミーユ本人もすでに自分のシンデレラに会うのが不可能だと察したからこそ、そのような別れの言葉をフォウに残すのであろう。このように明るい雰囲気のなかで、切ない別れを歌うものとなっている。

 しかし、Bメロを見ると、また別な視点を発見できる。

ドレス着て 明日にむかう心を 
いつまでも 暖めておくわ

小さい僕に こだわらないで

 20話を見れば分かるとおり、「過去」にこだわっているフォウが、「未来」を作ろうというカミーユを宇宙に送り出す。となると、この歌詞はカミーユがフォウに送る別れの歌であると同時に、フォウがカミーユを見送る内容でもある。

 二人とも蒼い瞳(髪色も濃淡の差があるが同じ)を持っているし、「出会ったひと時の奇跡」という意味では、やはり二人にとって同質である。つまり、やや飛躍する解釈になるかもしれないが、カミーユにとってフォウはシンデレラである同時に、フォウにとってはカミーユもまたシンデレラである。こうして、「ドレス着る」などの言葉に囚われずに、ユニセックス的な視点から吟味すると、いろいろなものが見えてくる。



小さい僕に こだわらないで

 この言葉が実に興味深いなのは、フォウがカミーユに諭すものだとすれば、フォウという小さい僕(フォウ自身)のことにこだわらない意味も、カミーユという小さい僕(カミーユ自身)のことにこだわらない意味も同時に存在している。下の歌詞に合せると、「過去を振り切って、未来を作ろ」というメッセージは一目瞭然だ。

新世紀 開き 宇宙(そら)に求めたりするのは
やめよう
銀色のドレスをまとって

 銀色ドレスがどういうものなのか? それは固定な解釈をつけられないし、付く必要もない。宇宙にある無数な星という綺麗な風景のことかもしれないし、シンデレラであるからには、(モビル)スーツに対しては、女性がドレスを着るものという発想もできる。しかし、この綺麗なイメージの後ろにあるのは、厳然なる「死」の匂いなのだ。

 本編にも「カミーユ…空へ!」というセリフがあるように、フォウはカミーユを送り出す役割を背負っている。しかし、前述のとおり、歌詞ではこれが二度と会えなくなるような別れと仄めかしている。その原因ははっきりで、フォウの手はすでに濡れていたからだ。 何によって濡れたかは誰もか知ってるが、あえて明言しない曖昧さはまさに井荻麟の憎いところである。

濡れた手を拭いて 全てすむと 
君が思うのは いけないけど

 このような言葉を明る過ぎるほどの曲のなかで展開されるから、逆に恐ろしい。そしてそのような状態での別れだから、今生の別れ=死別だと予感させる。そういう視点から見ると、次の歌詞は別の意味を帯びることになる。



新世紀 開き 宇宙(そら)に求めたりするのは
やめよう 
銀色ドレス

新世紀 掴み 生命(いのち)生まれて 
時代(とき)の流れに乗る 
銀色のドレスをまとって

 「宇宙に求めることをやめよう」という歌詞は、劇中のフォウがカミーユを宇宙に送る行動と「カミーユ…空へ」というセリフに矛盾している。が、一番目と二番目をつないで見ると、「新世紀は宇宙(そら)に存在してなく、ただ時代(とき)にあるから、新しい場所を求めるのではなく、ただただ時の流れに身を任せよ」と解かすこともできる。そして、未来を目指して共に宇宙に上がと求めるカミーユに対して、過去に縛られたフォウが伝えた話だとすると、このニュータイプ的な直感というより死ぬ間近の悟りみたいな言葉には、言葉以上の意義が付随される。

 すなわち、唯一ありのままの自分を受け入れてくれたフォウが優しくかけたこの言葉と裏腹に、フォウを失ったあとのカミーユは、ひたすら他人(シャアやエマなど)に応えるべく自分を無理にしている――つまり時代の流れに逆らっていて、精神をすり減らしていく。そして最後、悪しき時代の申し子という象徴であるシロッコと対決して、自らの精神をぶつけて崩壊した。これはあらかじめカミーユの運命を示したものだとすると、まさに時代(とき)の涙ほかない。

 「銀色ドレス」という曲は綺麗だ。森口氏の無垢なる歌声とフォウというイノセントなキャラ造型を含め、そのユニセックスな倒錯感と明るさの後ろにある死の予感などの要素が、この曲を透明で綺麗な青いピュア色に与えた。それでいて、この曲はOPやEDと違い、その雰囲気や内容の意味が作品世界全体に及ぼすことがなく、ただひたすらカミーユとフォウの二人の間で完結している。そういう意味では、この曲はまさに二人だけの「密会」である。

井荻麟作詞論 第53回 富野作品のOP・EDおよび挿入歌のビジネス事情その2

2016/01/11 18:50|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第53回では、井荻麟の範疇を越えて、富野由悠季監督の作品に出てくるOP・EDおよび挿入歌のビジネス事情を語りたいと思います。話の内容は『ブレンパワード』から『ガンダム Gのレコンギスタ』に収める範囲内のもので、それ以前の話は第27回の「その1」に収録されています。



 今回の話に入る前に、まずは以下の記事を読んでいただくことがオススメ。

井荻麟作詞論 第21回 ザブングル~エルガイム時期の富野由悠季と井荻麟
井荻麟作詞論 第32回 Z~V時期の富野由悠季と井荻麟
井荻麟作詞論 第27回 富野作品のOP・EDおよび挿入歌におけるビジネス事情その1

 簡単に説明すると、ガンダムからのアニメブームを作った一翼として、富野は井荻麟という立場からアニメ音楽の地位上げとビジネスに貢献したと同時に、作詞を作品作りの手法の一つとして多くの作詞を書いた。作詞によっては「「方向性を示す」「意思表明」などの微妙な違いがあるものの、それがすべて作品の一部として作品と緊密に連結できた。

 一方、そこまで子供のものでしかなかったアニメ音楽が大きな商売になれると、レコード会社はより売れるようなプロの作詞家を起用し始めるようになった。富野作品においては、そこには監督である富野本人の意思も入っているものの、映像だけでなく、音楽をも作品作りのために駆使してきた富野にとっては、一大武器を失ったとは言える。



 確かに、OPとEDで作品をコントロールできなくなる意味では、一時の敗北と言えなくもない。しかし、V以降の富野は、また新しい方向性を模索し始め、新しい転換に入った。具体的にいうと、「他人の手によるOPとEDでも出来るだけ指示を出す傍ら、挿入歌で世界観を深化する」という手法を取った。

 詳しい内容は60回の「劇中歌と芸能としての作詞」で語るので、ここではそのビジネス的な部分について語りたい。V以降の井荻麟は、OPとEDを手がけることが少なくなる一方、挿入歌を多く書けるようになった。一番顕著的な違いはどこにあるかというと、つまり「アーティスト」と「収録媒体」にある。メジャー(あるいはメジャーを目指す)歌手が歌い、「シングルCD」として発売されるOPやEDと違い、挿入歌はアーティストがマイナーな上、オリジナルサウンドトラック――つまる「サントラCD」に収録されるようなものだ。これはどういう意味かというと、つまり挿入歌は(比較的に)商売から離れているところにあるという意味を示している。

 作品のことを誰よりも重んじる富野にとって、メジャーなところで発揮できないでいるのはさぞ心苦しいであろう。しかし、そういう苦渋の選択でも、作品のためならば存在価値がある。いわば、商売の最前線から退いた代わりに、後方支援に回ったのだ。そして『V』や『ターンエー』『キングゲイナー』などを見れば分かるとおり、その挿入歌が確実に作品にプラスな効果を与えていて、井荻麟は、再び自由に発揮する場を獲得したのである。



 それだけじゃない。転機もいずれ訪れる。

 ガンダム20周年という節目、および富野由悠季が『ターンエーガンダム』前後で鮮烈的に遂げた復活にあわせて、再評価の機運が燃え上がり、いわゆる「富野ブランド」に近いものが形成した。ガンダムからやや距離を置かれたものの、アニメファンに強い訴求力と高い知名度を有する作品群として注目されていた。その傾向から井荻麟に与える影響も見かける。

 富野ブランドの形成の過程にはいろんな模索が見られるものの、その中に存在している井荻麟の立ち位置を一言でいうと「ビジネスの一番メインストリームとなる部分を譲りながら、(前述の挿入歌で作品を深化する部分を含めて)作品の核となる部分を最大限に自分で把握する」というものだった。具体的にいうと、歌手の売り込みという意味も入っているOPは他人に任す代わりに、ほとんどのEDが井荻麟作詞という特徴が挙げられる。この傾向が形成された1998年の『ブレンパワード』がそうだったし、最新作である『Gのレコンギスタ』も同じではあった。

 さらに、『ターンエーガンダム』というガンダムの節目になる作品に関しても、売れっ子や売りたい歌手が用意されたものの、やはり作品自体が富野由悠季でしか作れないという理由でOPの歌詞を作ることができたし、『キングゲイナー』の富野全開という方向性の元では、やはりOPを自ら手がけることができた。そういう意味では、近年のこの形こそは一番「商売」と「作品」のバランスを保っていた采配と言えるかもしれない。



 最新作の『Gレコ』においても、富野は二つのポップ歌手によるOPを許容しながら、ちゃんと作品の方向性を大きく規定したEDを自分の手で書いた。それが作品においてもビジネスにおいても大きくプラスを働いたし、富野作品といえども、必ずしもビジネスと抵触しないことを証明できた。『ブレンパワード』以来、試行錯誤もあったんでしょうが、将来、新作の富野アニメがまた作られる時、今のような形はまた踏襲されるのであろう。

井荻麟作詞論 第52回「月の繭」

2016/01/08 15:26|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を語るものです。全部は100回以上の予定です。今日の第52回では、テレビアニメ『∀ガンダム』の2ndエンディングであり、最終話の挿入歌でもある「月の繭」について語りたいと思います。



月の繭
作詞:井荻麟/作曲:菅野よう子/編曲:菅野よう子/歌:奥井亜紀

山の端 月は満ち
息づくあなたの森

 この曲は井荻麟が『ターンエーガンダム』において作った5番目にして最後の作詞であり、第41話から第49話まで使われている2ndエンディングなのだが、最終話のラストにも挿入歌としてフルサイズで流されていた。特筆すべきなのは、この曲の旋律の大元となる「MOON」は音楽担当の菅野よう子氏が『∀』において一番最初に作った曲で、1話のラストシーンに使われていたものであるため、この歌詞は数々の井荻麟作詞のなかでも数少ない曲先の仕事となる。

 こんな特異な経緯からも分かったとおり、「月の繭」は今までのどの井荻麟作詞とも異なる特色と雰囲気を持っている。



夏草浴びて眠る
愛(いと)おしい 横顔
おぼろな この星
大地に 銀の涙

 今までの記事で論じたとおり、井荻麟の作詞だいたい「意志表明」か「物語性」のどちらの特徴を持っている。しかし、この曲は「意思」「物語」など動的な要素をもっておらず、むしろ静的な情景の描写に徹している。「あなた」というフレーズに入っているものの、やはり方向性(=物語の明確な変化)が入っていない。カメラワーク的な視点から、その歌詞に表した景色の並び方を見ると、地面に対するアップから空、宇宙に対するロングへと、普通の風景(具体的)からどんどん幻想的な情景(概念的)となっている。

 また、「あなたの森」というのは、ガンダム』のモチーフの一つでもあった「金枝篇」で取り上げられた「ディアナの森」のことだろう。神話においてディアナは月の女神である同時に森を司る女神でもあることを考えれば、おそらく間違い無いなのだが、森がまた安息する場所ということを本編の描写にてり合わせれば、劇中の最重要人物で月の女王であるディアナ・ソレルが静かに眠る(=死)という場所だと分かる。そういう意味では、この曲は「死」へ捧げる歌詞だといえる。



 2番目の歌詞を見ると、1番目に比べて少し動き出す感じがある。

あの月 あなたなら
悲しみを写さずに
世の揺らぎ見つめて
嘆かず飛んでみる

 ここで指す「あなた」は一番目とは違う感触で、むしろディアナが自分を見取るロランに語りかけてるように聞こえる。明言されていないものの、「世の揺らぎ」「悲しみ」は長い歴史の暗部のことを示すように読み取れる。それが劇中の黒歴史ではあるし、今までガンダムシリーズで描いてたあらゆるもののことなのでしょう。また、1番目の歌詞との対比性から見ると、「生」を称える歌詞と解かすこともできる。

繭(まゆ)たる蛹(さなぎ)たちは
七(なな)たび身をかえる

世の揺らぎ見つめて
嘆かず飛んでみる

 そして、Aメロの終わりの部分より少しの動き出す予感を思わせて、曲調と共にBメロ――つまりメインテーマの部分へ昇華していく。



青にLaLaLu LaLaLu染まる 恋し繭玉(まゆだま)
揚羽(あげは)の蝶になる

 ここらの歌詞は非常に曖昧である上、やはりストーリー性を帯びていないため、その解釈を完全に視聴者に委ねている。しかし、エンディング映像で見られるように、メタモルフォーゼという意象(心意と物象)を借りて、人類と時と空間のことを描いている。ひどく静的な流れのなかに、繭が蝶へ幻化する歌が展開され、それは人の心のなかで揺らぐ陽炎のようなものである。

 また、その色彩感覚も見逃せない。エンディング映像を見ると、歌詞のなかにもあった色の幻化模様は、よりはっきりとしたイメージによって描かれている。「七たび」=「七生」という言葉がある通り、揺れ動く七色の羽は宇宙の色に照り合わせて、まさに無限なる永遠を象徴している。

やがて宇宙(そら)をつつむ 無限の翅模様(はねもよう)
いのち輝かせよ

 蝶というメタファーは本編では月光蝶、あるいはディアナ・ソレルを想起させるが、そもそも蝶という存在は命短し儚い存在であり、まさに広大な宇宙(時間と空間)に身を置かれる人間のようだ。しかし、そんなちっぽけな存在でも、一生懸命に生きて、世代を重ねているからこそ、永久という時間を存在していける。その終わることの無い生と死のなかから、我々は命の尊さを感じることができる

 このように、歌詞とエンディング映像で壮大な象徴性を用意させながら、最終話のエピローグで淡々と人の営みを描く場面に投入したからこそ、逆に平凡のなかの非凡という、美しいまでに偉大なコントラストを表現することができた。そこから見ると、「月の繭」という一見難解なタイトルの意味も自ずとわかってくるはずだ。

 すなわち、繭というものが羽化する前の蛹(未成熟な生命)を守る存在だとすると、繭が地球のメタファーという意味になる。いつか羽化(成熟)して銀河へ飛び出す日が来るまで、何度も何度も地球という繭のなかで生と死を繰り返しながら生きていく。つまり、「月の繭」はディアナを歌うものであると同時に、地球そのものを称える歌でもある。このように、井荻麟は天才作曲家・菅野よう子が第1話で提示したメロディと、監督である富野由悠季が作った『ターンエー』という長大な物語を通して得た感触を融和させたことによって、ガンダムと生と死と時間と空間とを遺憾なく最高なハーモニーとして作り上げた。



 上の説明にもあったが、この曲は2ndエンディングという触れ込みであったが、そのスケール感を出すには1分くらいの尺ではとても足りなかった。なので、真価を発揮するのはやはり最終話の「黄金の秋」だろう。この曲から醸し出した命の尊さ、それから時と生命が永遠に続くだろうというテーマは、2015年時点での最新作『ガンダム Gのレコンギスタ』まで包括できるものなので、ガンダムシリーズにおいて究極なエンディングテーマであることと言っていいだろう。

 「月の繭」はガンダムシリーズの終着点とも言われる『∀ガンダム』のエンディングであることと、1話に流された曲が最終話に換骨奪胎した形で物語を締めくくった効果的な使い方などから、ガンダムシリーズ史上最高の名曲とよく称えられるが、それはただ立ち位置があるからの評価ではなく、むしろその位置に恥じない傑出な出来があったからこその評価なのであろう。


▽続きを読む▽

2016年、あけましておめでとうございます

2016/01/01 00:00|未分類TRACKBACK:0COMMENT:2
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 2016年、あけましておめでとうございます
 みなさん、あけましておめでとうございます。2016年になりました。今年は富野由悠季監督の新作『ガンダム Gのレコンギスタ』の劇場版が上映される年です。



とーしーをー越せ よーるーをー越せ♪ とーしーをー越せ よーるーをー越せ♪

とーしーをー越せ よーるーをー越せ♪ とーしーをー越せ よーるーをー越せ♪

トミノドールのご加護のもとに トミノドールのご加護のもとに♪

トミノドールのご加護のもとに トミノドールのご加護のもとに♪



★       ∵∴∴☆※☆∴∵∴        ☆
  \  ※∵☆☆★☆★☆★☆☆∵※   ./
     *∵☆★☆☆*☆*☆☆★☆∴*
   ※∴★☆☆*°°|°°*☆☆★∴※
  *.∴☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∴ *
 *∴☆★☆°\°☆☆★☆☆°/°☆★☆∴
.. ※☆☆*°°★°°癒し   ★°°*☆☆※  *
∴☆★☆°°☆  ;≡==、 ,≡、☆°°☆★☆∴
∴☆☆*°°☆llil.-=・=-ナ=|=・=| ☆°°*☆☆∴
※☆★☆― ★   `ー ,(__づ、。‐| ★ ―☆★☆※
∵☆☆*°°☆ .  ´ : : : : 、ノ ☆°°*☆☆∵ *
∵☆★☆°°☆ 、  _;==、; | ☆°°☆★☆∵
※☆☆☆*°°★ヽ、  ̄ ̄` ノ★°°*☆☆☆※ *
*∵☆★☆°/°☆☆★☆☆°\°☆★☆∵
   ∵☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∵
   ※∵★☆☆*°°|°°*☆☆★∵※
   *...☆∵☆★☆☆*☆*☆☆★☆∵☆
      ※∴∵☆★☆★☆★☆∵∴※
  /      ∴∵∴☆※☆∴∴∵      \
☆                            ★

 おひさしぶりの、富野さんの星です。あらゆる人々に元気を注ぐ星です。



 ついでに、富野神宮の初詣も貼ります。

 ┳━┳
 ╋━╋
 ┃  ┃
  ∧_∧
 ( ´∀`) 劇レコが円満に完走するように。そして次が上手く行くように。
 (___つ ミ_
  |\\[一野口] \
  |  \\\\\\\
  |   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
      |  富野御大 |

 一昨年は念願の『映像の原則』台湾版が発売されましたが、今年は何かをやります。

 何かが起きるかは、ぜひご自分の目で確かめるか、以下の記事を読めば分かります!



2016年富野由悠季情報まとめ

機動戦士ガンダム サンダーボルト 第1話(セル版)機動戦士ガンダム サンダーボルト 第1話(セル版)
中村悠一,木村良平,行成とあ,大原さやか,平川大輔,松尾衡

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