富野由悠季監督とその作品をひたすら語るブログ

TOMINOSUKI / 富野愛好病
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2009/02/28 13:25|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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 学校の後輩が立てたブログを追加しました。このブログのいつもの話題とあまり関係なく、ズバリひたすら虎!トラ!タイガーズ!を語る正体中文(台湾が使ってる中国語)ブログですが、一応、ここでお知らせを書きました。
 ちなみに、虎ファンではないのですが、林威助(はやしいすけ…じゃなくて、リン・ウェイツゥです)がいるため、試合は応援してます。今度のWBCに関しては、はっきりいってもう諦めモードなんですけど、3/2の対巨人練習戦も3/3の対西武練習戦も一応見ようと思います。両隊ともに「お手柔らかに願います」と言いたいのですが、どうせ勝手に自爆するのがオチですから、期待しませんよー。

 しかし、それでも、できれば、韓国に負けたくない!


もう一度アベニールをさがして――『アベニールをさがして』の紹介

2009/02/28 01:04|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:6
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 囚人022さんのご忠告を受けて、先日の記事で親切にコメントをくださったこけももさんみたいな未読の方たちのために、もう少しマニアックでないアベニール記事を書きました。はじめてなので、なかなか上手く書けなくて、非常に悩んでいますが、一応最低限の体裁が整っていますので、試しに載って見ます。こういう文章を書くのが始めてなんですから、ぜひとも皆さんのご意見を聞きたいのですので、どうか私にアドバイスをくださいまし。


 『アベニールをさがして』は、『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』などの名作を手掛けたアニメーション監督富野由悠季が、1995年から96年にかけて、今亡き朝日ソノラマ文庫で書いた全3巻のヤングアダルト向けのSF小説である。
 物語の舞台は今から少し時間を経った近未来の世界。この時代の日本は、自衛隊の後身である軍事組織サージェイによって支配されている。そんな日本にはある日、ベストン・クーリガという者が突然国籍不明の機体に乗って東京上空に侵入し、軍国主義化の危険性を「アベニール」からのメッセージとして、電波ジャックで日本国民に訴えてきた。
 そんなベストン・クーリガの動きに対して、サージェイの勇猛なる青年パイロット笛吹慧が東京上空に出現するその謎の機体を撃つべく、そのメッセージに戸惑いつつも、自らもテンダーギアを乗って出撃する。
 同時刻、学校をサボり自宅にいた高校生日向オノレも、その電波ジャックされた放送を見て、そのメッセージを妙に感じた同時、テンダーギアという機体への好奇心に惹かれて、そのままバイクで自宅から飛び出して、戦う現場に駆けてくる。
 笛吹の追撃とオノレの追跡がしばらく続いた間もなく、謎の機体はついに自ら地面に降下した。そんな後から現場に駆けてきた笛吹とオノレが目撃したのは、拳銃を手を握ったままの一人の少女と、一つの銃声とともに、謎のテンダーギアの足下で倒れていたベストン・クーリガの遺体。彼の死に唖然とした笛吹、オノレ、そしてフール・ケアの前に残っていたのは、ただ彼が死に際で言ってた「アベニール」という人物のメッセージと、その満足そうに見えた死に顔と、謎のテンダーギア・アラフマーンだけだった。
 そんな彼等の気持ちを構うこともなく、やがてアラフマーンにめぐる戦火が広がっていて、笛吹、オノレとフール・ケアの3人もだんだん宇宙開発にめぐる陰謀に巻き込まれて…。

 ご周知の通り、富野監督は『機動戦士Vガンダム』が終わる1994年以降、一旦テレビアニメ界からしばらく離れていましたが、98年でまた『ブレンパワード』で帰還を果したことを境に、以前一時期を持っていた特徴のエキセントリックさを捨てて、穏やかな作風に変化した。この大きな転換は、あまりにも劇的すぎるため、一部のファンの間では『Vガンダム』以前を「黒富野」、『ブレンパワード』以後を「白富野」と呼ばれていて、そのあまりにも大きすぎる落差に、最初は戸惑いすら覚えていたファンもかなりいるそうです。
 でも、それはあくまでもアニメの視点で見たもので、富野のクリエイティブなもう一面である小説をも視野に入れば、それは何も劇的な転換じゃなくて、一つの流れとしてきちんと繋がっていることが、はっきりと見えるはずです。
 あまり注目されたことはありませんが、『ガーゼィの翼』『王の心』と共に、時系列で見れば『Vガンダム』と『ブレンパワード』の間に位置しているこの『アベニールをさがして』では、『Vガンダム』以前から継承した要素と、『ブレンパワード』以後へと繋がる要素が見られますので、いわゆる「黒富野」と「白富野」の間にいるミッシングリングとはいえます。
 この時期の富野の小説の特徴を一口でいえば、いままでの富野作品作りの方法論を則ったうえで、大量なアイデアを投入し、アニメーションとテレビアニメでは表現できない物語と描写をいくつも実験的に導入したことに尽きます。
 また、この時期の富野は、アニメにあまりタッチしていない分、小説だけに尽力することもできたため、小説としての仕上げはほかの時期の作品と比べては群を抜いている。
 そして、これらの特徴にあたるのは、お馴染のバイストン・ウェル・サーガの一作品である『ガーゼィの翼』と、ファンタジーを題材とする『王の心』と、この『アベニールをさがして』の三作品である。このへんの各自のアイデアと表現の振り方については、詳しくはまた別の記事で書きますので、ここで割愛します。

 さて、富野作品の系譜から離れて、単純に『アベニールをさがして』という小説をお話しましょう。ガンダムシリーズの一部の設定を借りつつも、独自な物語展開を持っているこの作品は、アニメと同時に展開した小説以外、唯一のSF小説である。富野由悠季の作品を少しだけでも見たことあれば分ると思いますが、富野作品の固有な方法論は、作品ごとに作品独特な世界観を設定した上で、物語を展開させてゆく形をとっていますが、この作品もまた例外ではない。
 未来世界に人口問題を解消した環境改良技術EMO、国際連合宇宙開発計画スターバスター・プロジェクトや、究極粒子インティパなど、この物語世界ならではの設定もきっちりと詰め込んでいます。先ほど書いたガンダムシリーズの設定と混ぜ合わせて、その世界観に実に奇妙な雰囲気を与えてさせてくれました。
 が、設定はあくまで設定として、物語の下敷でしかない。あまりにも詰め込んだ設定に縛られて、フォローしきれないありがちなSFアニメや小説と比べて、アベニールの肝心なストーリーテリングの導入部は、それ以上を凌ぐ怒涛な勢いで展開し、一巻とは感じさせない速いテンポで、一巻とは思えない高い密度を消化し、物語をグイグイと押し進ませる。また、シーンごとの見せ場も状況の展開も魅力的で、まるで実際の映像が目の前に浮かぶように描かれています。

 タイトルで示したとおり、この作品は上に書いてあるストーリーから始まって、主人公一行はアラフマーンやその周囲に起こる出来事に通じて、アベニールにまつわる謎を解明してゆく話なんです。最初の始点は日本にいるが、舞台はやがて宇宙に上がってゆき、主人公たちも新しい環境や人物と出会って、討論をしたりケンカをしたり、協力をしたり足を引っ張ったりして、自分の感性を広げつつ、さらなる状況と出会いを対応してゆく。
 こう書きますと、なんだかどこにでもあるような話にも見えますが、『アベニール』の登場人物は設定の多さと比肩して、実に豪華絢爛である。一巻だけで例えると、主人公一行は最初の段階には笛吹、オノレとフール・ケア三人しかいませんが、話が進むに連れて、捕虜を強制的に同行させたり、収容してくれたスペースシャトルでシャトルのパイロットや乗務員の少女が一行に加えたり、最初に到着したスペースステーションで学者である責任者と守備隊の隊長が一同に参加したり、このように場所と人物の出会いが、話の最初から最後まで続いている。
 また、一行に新しいメンバーが加えるたびに、新しい知識を得ると同時に、またさらなる謎も出てくる。そして、謎を直面するたびに、メンバーたちも自分の解釈や意見を一行に投げ出してくれるので、最初から最後まで、そのアベニールとアラフマーンにまつわる謎を解明してゆく緊張感はしっかりと保っています。ミステリの推理&解明の繰り返しのような快感も行間から溢れてきます。

 もちろん、登場人物がこれだけ多いんだから、しっかりとした軸線がないと散漫になっていくだけですから、作品中はちゃんとしている目線が用意されています。さらに、広がってゆく物語であるため、高校生の日向オノレという等身大の目線以外、笛吹慧という20代の軍人からの目線も用意されています。これによって、話は常に二つの視点が同時に存在していて、セックス観一つをとっても、年齢・経験の差や趣味・タイプの違いが出てきて、人物描写を豊にすることができます。また、物語の展開もこの配置によって独善に陥ることがなく、読者に押し付けるモノが終始存在しなくて、すべては読者の思考に譲るのみ。
 さらに、作品は相対化する人物や話以外、さらなる絶対な存在も用意してあります。それは、この世界の技術レベルではまだ実用化されていないはずなのに、絶対粒子インティパを利用するようになった技術を装備したアラフマーンというテンダーギア。戦場そのものを我が物にするような圧倒的な強さと、そのインティパによって不思議な現象をも起こすアラフマーンこそ、物語の中枢にいるもので、皆がさがしているアベニールを解明するカギでもある。このアラフマーンを通して、登場人物はどう思考しているのか、どう受け入れるのも、アベニールの正体を探す以外、この『アベニールをさがして』の一大重点である。

 それから、ロボット作品ならではの戦い重視ももちろん欠けていません。作者富野がロボットアニメの大家だけあって、劇中の登場しているテンダーギアとよばれるメカは、勢力ごとに違うタイプの機種が出てくるだけではなく、いろんな装備や戦法もスケール感や駆け合いを感じさせる場面展開で丁寧に描かれていてるため、戦闘を期待する読者たちを満足させることもできるわけです。
 そのほか、この作品は富野がアニメと小説に通して、バイストン・ウェル・シリーズ以外、唯一日本を背景にしている作品でもあります。劇中の日本は、過去と未来をごっちゃ混ぜたような描写をされて、さまざまな歴史背景や問題を提起してくれますので、この点も吟味する余地がたっぷりありますゆえ、非常に読み応えがある作品と断言できますので、もしこの本を手にするチャンスがあれば、是非一度読んでください。


 最後は、各巻のあらすじを載って置く。もしこの紹介を読んで、少しでも興味を持てれば、是非一度この『アベニールをさがして』を読んでください。

第一巻:

 人型マシンで東京上空に侵入したベストン・クーリガは、軍国主義化する日本への懸念を表明する”アベニール”からのメッセージを電波ジャックの方法で多くの市民に伝えたのち、一人の少女に狙撃されて死んだ。その死に様とアベニールの名は、特に、その死に立ち会った笛吹慧、日向オノレ、フール・ケアらに大きな衝撃を与えた。だが、アベニールの実体を知るものはまだ誰もいない。


第二巻:

 フロント3に攻撃をかけてきた謎のテンダーギア部隊をアラフマーンで一蹴した後、笛吹やオノレらは、スターバスター・プロジェクトの全貌を知るためにプロト・フロンティアに向かった。だが、ヘイヤーガン大佐の攻撃は執拗だった。迎え撃つたびにアラフマーンは驚異的な戦闘能力を発揮したが、インスパイアー・エンジンの発動は、次第に戦闘空域にいる人間に影響を与えはじめた。


第三巻:

 アラフマーンに搭乗したオノレは、ヘイヤーガン麾下のテンダーギア部隊と交戦し、笛吹との連携プレーで撃退に成功する。浮遊する鉱石を利用して偽装したスペース・クルーザー“ショウカク”は、再度の敵の攻撃をかわしながら、ついにプロト・フロンティアへの潜入をはたした。ネオ・フリーメーソンの巨大な前線基地の実態は。そして、オノレの目に映ったアベニールとは。



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さよならシャア専用ブログ

2009/02/26 02:42|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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 つい昨日の話ですが、かつて富野由悠季監督ファン界とガンダムファン界で一世を風靡した情報系大手サイト・シャア専用ブログは消滅確認済み。2003~2006年でいつもお世話になっていますので、その消滅にとても残念なのですが、2log.netの問題なので仕方がありません。自分は富野監督分のログは保存していますから、必要がある方はコメント欄、またメールで自分に連絡すれば、なんとかなれると思います。


トイズプレスと富野

2009/02/24 21:26|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 何故だか知りませんけど、いま突然トイズプレスのサイトで見つかるできるだけの富野資料をまとめてみました。


TOYS#01
発行日:2004年7月20日/定価:1,500円
ISBN4-88775-101-X C0070 品番:TOYS-001

『家を造りたい!』文●富野由悠季


TOYS#02
発行日:2005年1月28日/定価:1,500円
ISBN4-88775-102-8 C0070 品番:TOYS-002

『パリの街の小さなこと』 文●富野由悠季


TOYS#03
発行日:2005年4月28日/定価:1,500円
ISBN4-88775-103-6 C0070 品番:TOYS-003

『同胞に気をつけよう』 文●富野由悠季


TOYS#04
発行日:2005年7月28日/定価:1,050円
ISBN4-88775-104-4 C0070 品番:TOYS-004

『広すぎる部屋』 文●富野由悠季


TOYS#05
発行日:2005年10月28日/定価:1,050円
ISBN4-88775-105-2 C0070 品番:TOYS-005

『ノルウェーの漁村の?』 文●富野由悠季


TOYS#06
発行日:2006年1月28日/定価:1,050円
ISBN4-88775-106-0 C0070 品番:TOYS-006

『もういちどモロイのこと』 文●富野由悠季


TOYS#07
発行日:2006年4月28日/定価:1,050円
ISBN4-88775-107-9 C0070 品番:TOYS-007

『東京散歩』 文●富野由悠季


TOYS#08
発行日:2006年7月28日/定価:1,050円
ISBN4-88775-108-7 C0070 品番:TOYS-008

『自給自足の薫り』 文●富野由悠季


TOYS#09
発行日:2006年10月28日/定価:1,050円
ISBN4-88775-109-5 C0070 品番:TOYS-009

『網膜剥離』 文●富野由悠季


TOYS#10
発行日:2007年1月28日/定価:1,050円
ISBN978-4-88775-110-1 C0070 品番:TOYS-010

『網膜剥離2』 文●富野由悠季


TOYS#11
発行日:2007年7月28日/定価:1,050円
SBN978-4-88775-111-8 C0070 品番:TOYS-011

『憂鬱北京』 文●富野由悠季


MFLOG01:07/08
発行日:2008年2月24日/定価:2,000円
ISBN978-4-88775-770-7 C0070 品番:MF-001
ISBN978-4-88775-771-4 C0070 品番:MF-0002

242:時空を越えるエンジン[1] 文●富野由悠季
富野節炸裂、人間こそがタイム・マシン
富野監督が託したメッセージ


MFLOG02:08/09
発行日:2008年8月3日/定価:2,000円
ISBN978-4-88775-703-4  品番:MF-004
ISBN978-4-88775-704-2  品番:MF-005
ISBN978-4-88775-705-0  品番:MF-006

190:時空を越えるエンジン[2] 文●富野由悠季
富野節炸裂、人間こそがタイム・マシン
富野監督が託したメッセージ

(注:TOYSは各号共に1ページで、MFLOGは共に2ページ)


 うわあーーーーー、どれも読みたいよーーーーー! こういう隨筆こそ、僕が見たいものですよ。社会論とか時代論とかもいいけど、毎回じゃさすがに内容は重複するし、もっと身近で富野監督を見たいよ~。旅行話…家のこと…散歩…(;´Д`)ハァハァ
 それにしても、やはりクリスと良悦さんの人脈繋がりですな…こんなコラムを作りやがって、悔しいですが、僕も買いたくなるよーー卑怯者ーー。



阿久悠の瀬戸内少年野球団

2009/02/23 18:58|未分類TRACKBACK:0COMMENT:2
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 はっきり言って、阿久悠氏を知ったのは、ついこの10年近くのことです。それも一番知られている作詞家としてではなく、ある本の作者として僕に第一印象を与えたのである。そう、記事のタイトルで示すとおり、あの本は「瀬戸内少年野球団」。
 当然、僕が読んだのは翻訳版。それもあまりよくない翻訳だった。はっきり言って辛うじて読めるレベルの翻訳だと記憶しています。にもかかわらず、あの本のなかに語られている物語を読んで、僕は、確実に強い衝撃を受けた。あの人びとの遠い記憶のなかにいる微かな郷愁を映し出すような話は、まるであの時代の肌合いと空気を読者の前で再現する。そこが、僕にとって非常に魅力的だった。氏のほかの優れる小説も少なからず読んでる今でも、この「瀬戸内少年野球団」は未だに僕のなかでの一番の阿久悠小説である。

 しかし、この作品に対して、阿久悠氏の生前から死後までずっと疑問を抱いていることなんですが、何故この作品は再版しないんだろうか? 瀬戸内少年野球団だけでなく、その続編にあたる『続・瀬戸内少年野球団 紅顔期』、『瀬戸内少年野球団青春編 最後の楽園』も、80年代絶版以来、ずっと再版しないままに今日まで至ったらしい。日本に行くたびに何軒の古本屋を回ってたんですけど、どういったわけか、一度も手にする機縁がなかったのです。何か不都合でもあるのかと一人勝手に予想していますが、ネットで調べてもよく分らないため、いつまでも釈然しない気分です。
 『瀬戸内少年野球団』は僕の阿久悠原風景ともいえる作品ですから、どうしても原文版を読みたいですし、その続編である『紅顔期』と『最後の楽園』もぜひ一度読みたいですから、なんとか読めればいいのですが、絶版となった今、果たしてどうしたら読めるのでしょうか。困っていますな…。


 そういや、富野監督は何故か阿久悠氏と80年代初頭から家族ぐるみの付き合いが続いていますね。阿久悠氏が亡くなった当時、次女さんも小さい頃からよく知ってたおじさんを惜しんでいましたし、富野名義で事務所にお礼を送れた話もあるくらいですから、両家の付き合いは、どうやら長かったようですよな。


最近の柔道を見て…

2009/02/21 00:12|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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 今日は、一つのニュースを見ました。全日本柔道連盟会長と講道館館長を長年務めてきている嘉納行光氏が、3月末いっぱい、両職から退任することを決めていた。自分にとって、かなり衝撃なニュースでした。いま、かなり複雑な気持ちです。

柔道界から「嘉納家」姿消す、講道館の館長・行光氏勇退へ(読売)

 このブログの性質ですから、柔道といっても、すぐ「どうせまた富野監督と関連する話だろう?」と思っちゃう人もいるかもしれませんけど、確かにそれはあるけど(そうしないと、記事にならないからね)、それだけではありません。確かに、『ガンダムZZ』のジュドー・アーシタは「柔道・山下」から取ってきましたものですし、富野由悠季監督本人も高校の頃、一時期とはいえ柔道部に在籍しました。これに言及したのは、2009年3月号のガンダムエースの天野安喜子氏との対談以前、おそらく子犬さんが紹介してくれた「宝島」99年8月4日号の佐竹雅昭との対談記事が最初だったのではないかと思います。そして、そのときは体を動かす経験にあれこれ話しましたが、ダムエーの話では、今の柔道の現状と未来まで膨らんできた。

日本柔道はもっとがむしゃらにならなきゃ勝てません

富野 北京五輪にご参加なさったそうですね。ということは開会式のあの花火は鍵屋さんだったんだ。
天野 違います(笑)。
富野 違うんですか? じゃあ何でオリンピックに?
天野 柔道の審判として行ったんですよ。
富野 ええっ! そんなこともなさってるんですか!?
天野 はい(笑)。
富野 実は北京五輪の柔道はあんまり期待してなかったから、それほど一生懸命には見なかったんです。ただ、僕、スポーツとしては唯一柔道だけ経験があって…体がつらくて一年もしないでやめちゃったんですけど。柔道の試合は結構気にしてるんです。天野さんのこともチラッと見てたのかもしれないなぁ。
天野 審判は25人いるんですけど、女性は2人だけで、1人はフランスの方なので、アジア系の女性が審判してたら、それは私です。男子の100キロ以下級の決勝戦は主審をさせていただきました。
富野 天野さんにそんなキャリアがあるならお伺いしたいことがあります。谷亮子選手が負けてしまった試合を見ていて、今や柔道というのは完全に国際ルールのJUDOになって、谷選手世代の試合の仕方ではもう勝てなくなったのではないかなと思ったんです。もはや石井慧選手のように勝ちにこだわった突撃柔道をやっていかなければならない、と。投げられることから始めていく、今のヨーロッパ型のJUDOとは違います。つまり、日本人が考えているような潔いきれいな柔道なんて通用しないんですよね。谷選手の試合なんかを見ていても何か違うんですよ。技をかけつのではなくポイントを取りにいかなくちゃいけないのに、あんな試合の入り方をしていたら、絶対に勝てないと思ったんです。国審判というお立場から見て、どうお感じになりました?
天野 あくまでも私の見解ですが、谷選手の場合は作戦ミスだと思っています。名誉のためにとか自分のために柔道をする選手がほとんどのなか、彼女はきちんと仕事として柔道ができる選手なんですね。07年の世界選手権で、彼女が優勝できたのは48キロ以下級が一番最後という日程で、それまでの審判の傾向を分析した上で試合に臨んだからではないでしょうか。ところが五輪では彼女の出番は初日でした。もちろん、彼女なりにどの程度のペナルティがくるかを想定して試合をしていったと思うんですが、審判の判断とギャップがありましたね。もし彼女が後半の日程で試合ができれば、もっと上に行けたと私は思います。その証拠に、銅メダルを獲った試合は全く隙のない素晴らしい試合でした。
富野 たしかに3位決定戦の谷選手はスゴかった。ただ日本選手全体が根本的に柔道の試合に対する観念が変っているのにそれおに対応できていないと思うんです。特に男子選手にそれを感じたんですよね。
天野 なるほど。
富野 もちろん、むざむざ負けに行っているわけはないというのも分るんです。でも、試合のスタイルが明らかに変化しています。襟を徹底的に取らせないとかね。僕なんかにしてみたらあんなに汚い柔道着の着方で試合をやられたらたまらないんだけど、それが主流になっているんだったら、それに乗っかった上で勝てよって思うんです。
天野 そうですね。五輪に出場するほどの選手は国際試合に何度も出ているわけですから、国々との戦いとして選手自身がもっとシビアに勝ちにこだわっても良いと思いますね。それはホント五輪の審判をやって痛感しました。外国の選手は国を背負っているし、自分と家族の生活を全部抱えて畳に上がっています。五輪には、ほかの試合では全く味わえない独特な空気があって、勝った選手に対しては心からおめでとうという気持ちになるし、負けた選手は畳から下がりたら、この人どうなっちゃうんだろうと心配になるくらい呆然としちゃってます。それは選手だけじゃなくてコーチも応援してる観客もそうなんですよ。そういう空気をじかに感じて、日本ももっともっと危機感を持って、必死で無心で、なりふり構わずがむしゃらに勝利をつかみとるんだ、という気迫を見せなければいけないとは思いました。
富野 うん。勝負なんだから気合を見せてほしい。ただ、現状からいうと日本よりフランスのほうが、柔道人口は多いわけですよね。
天野 よくご存知ですね。
富野 日本の3倍いるでしょう。そういう環境も含めて考えれば、なまじ伝統があったおかげで講道館からの日本柔道というものが、もはや爛熟から衰退に陥っているんじゃないのかということを感じるんですよ。今やフランスやドイツあたりの柔道のほうが面白い。
天野 礼を重んじるという精神面においても、フランスなど外国の柔道選手は徹底されているように感じます。また、学校教育においても競技としてではなく心を育てるものとして柔道が採用されているんです。そういう面でも日本は柔道を見直す時期に来ているのかもしれないですね。
富野 何だかんだ言っても日本は豊かな国なんですよ。それゆえ、すごくだらしなくなっちゃった部分があって、柔道がその根本で伝えていたものが伝えきれなくなってるのかも。柔道がJUDOになっちゃって礼節の部分が失われたというのは誤りで、むしろ外国のほうが柔道の持っている精神論はきちんと息づいていると思います。だから、柔道の国際的レベルが高くなっていると理解しないといけない。もう一つ言うと、文化というのは発祥地には残らないという鉄則があります。発祥地の周辺に、ドーナツ現象のようにして残っていくんですね。例えば漢字なんかも、中国が発祥であるにも関わらず、今や中国の漢文学者が奈良や京都に資料集めにやって来るそうです。文化ってそういうものなんです。柔道にもそれが見えはじめていて、まはや日本柔道だ講道館柔道だとこだわっていちゃダメだと思います。それは相撲を見たら一目瞭然ですよね。今や番付けの上位はほろんどが外国人です、発祥の地だとか、中心だからといって安心しちゃいけないんですよ。
天野 柔道の指導者の1人として、そこは気を引き締めていきたいと思います。
富野 女子より男子柔道を何とかしてほしいんですけどね(笑)。

 引用は長くなりました。確かに、富野監督の理想的な考え方と天野氏の実務的な考え方に頷いていますが、どこか釈然しない部分も、自分のなかにあります。


 私は、台湾では柔道をやっています。大学入ってからのスタートで、それまでは、ロクにまともな運動もやっていなかった人でした。当時は単なる体を鍛えるつもりだったのですが、いざ柔道部に入ってみたら、すぐ柔道の奥深さに魅了されて、深く深くハマりました。実際、当時大学にいた頃、授業以外のほとんどの時間を柔道部に費やしました。もちろん、当時にいる大学は完全に勉強校ですので、その部活は柔道部と言っても、辛うじて柔道部といえる部活で、一歩間違ったらサークル活動になっちゃうかもしれないレベルのものでした。それでも、一つほかの多くの大学や道場より非凡なのは、私たちのコーチは、台湾国内では業師と呼ばれるほどの凄腕柔道家です。コーチ(こっちはコーチを「教練」と呼ぶの)の技の正しさと鋭さは、まさに神技としか呼べないくらい神妙で、コーチ本人もウチの大学にはもちろん、スポーツ大学の競技柔道にももったいないくらいの人材なので、こんな人の元で柔道を学ぶ私は、すぐ柔道の魅力に取り付かれ、勉強校でいりながらも、毎日毎日柔道漬けの大学生活をしていました。そのため、実際あとは痛い目にもあってたが、自分は、本当に柔道に対する一片の躊躇もありませんでした。

 でも、実際の私が経験した柔道は、苦痛の連続だった。まず、大学入るまでロクも運動をしていなかった弱虫だった私には、準備運動を付いていくのでさえ厳しかった。筋力などももちろんですが、何より体力が足りなかった。だから、そこに不足と感じて、週2回、1回180分の練習に対して、週5回、1回60分のジョギングでなんとか補おうとすることにしました。でも、二十歳近いの人に基礎体力を養うことなんて非常に難しいことで、どうしても他人に一歩劣る感じは、ずっと感じずにいられません。
 それから、基礎の身ごなしやら受身やらをなんとか覚えていると、ついに一つの技で中心に練習することになりました。それで、カッコいいという理由もあって、背負い投げを選びました。でも、上手くいかなかった。というのも自分は体重が軽いくせに(男子最軽量)、なまじに身長があるため(といっても175くらいだが)、なかなか相手を背負い投げに掛けれませんし、技の練習も上手くいけませんでした。こういう状態が3ヶ月くらい経っても一向に改善していませんため、今度はコーチのアドバイスのもとで、大外刈に転換することになった。しかし、ここでも壁をぶつかりました。ご存知?の通り、大外刈は背負い投げに比べて、身を前に出して外で攻める技なので、重心を保つことはかなり要求されます(もちろんこれはどの技でもいえることだが)。が、自分は体重が軽いくせ(ry以外、何より運動神経もよくなかったため、やはり練習しても練習しても空回り気味でした。そこで、昼休みの時間も使って、毎日昼休み中、練習場に無断潜入(!)、一人道場で200回以上の大外刈の打ち込みをすることにした。これは確かに毎日間断なしで4ヶ月をずっとやっていましたか。それでやっぱり拙いでしたが、時間を経つにつれて、なんとか形だけになりました。

 こういう前の見えないままでとにかくがむしゃらに進む状態が一年に続いて、今度は後輩にできた。これに対して、嬉しくも恐ろしくも、思いました。最初は、練習に付いてこれない、それから技もうまくやれなかった後輩たちを見て、陰に一人嬉しくなりました。自分の成長と実感する共に、ささやかな優越感もした。あと、実際一年の時の一人でコソコソやるがいがあったか、自分の技は2年生以上のなかでもそれなり効くものとなったので(もちろん最初は大外刈り限定ですが)、後輩たちを教えることもありました。他人を教える喜びも覚えました。実際他人を教えるのを嫌う先輩たちもいるのですが、自分はそうではありません。後輩たちの成長を見れるのは、自分の成長とは違う喜びでした。
 でも、本当の恐ろしさはそこからのものだった。前も言ったとおり、自分は運動神経がよくないため、(実際遺伝やら何やらの影響で、体は一般人より弱いのを、軍に入れられるための身体検査の際、医者から教えられました)、柔道上達の伸びは人より遅かったんだ。だから、最初は後輩たちの進歩に喜びましたが、次第に彼等に追いつける恐怖を、身にしみるほど分ってしまった。悔しかった。自分は少なくその時は練習量に限れば、間違いなく柔道部のなかでは一番多くなのに、後輩やらに自分より少ない練習で追いつかれるのを身近から体験してしまって、本当に悔しかった。苦痛だった。こんな状態は一応「先輩」の立場になる以来ずっとあるもので、3年以後は多少吹っ切れた部分もありましたが、今でも悔しいと思っています。もちろん、これはおそらく誰もか感じたことなんですが、それを理由で自分に納得することができません。あの数年は本当にコンプレックスになったくらいでもがいていました。

 自分の柔道部での練習はこうでしたが、あの当時の自分は、バカで世間知らずのためもありましたが、ずっと自分の柔道部で練習し続いていて、だんだん思うようになったのは、たまにはほかの学校の柔道部とも練習したいという考えです。そこで、いろんな大学にいくことになりました。うちみたいの書生学校的な大学や普通の道場も行ってれば、気でも狂ったのか、なんとスポーツ大学にも行ったりして、今思えばある意味他人の道場に土足で踏み込むような本当にバカまがいなことを散々やっていましたが、楽しかった。勝てるのもいれば、もちろんボロ負けのもたくさんありました(ある時、某スポーツ大学の柔道部の「ご好意」で半分無理やりで2メートルの黒帯さんに乱取させられることもありました。こっちは一年の白帯だっちゅのに…)。
 そして、よくほかの学校の柔道部員と練習することになるから、本当に実感するようになったのは、自分の技はそんなに拙くないことと、ウチのコーチの凄さと、競技柔道のJUDOさだった。ウチのコーチは教えがしっかりしていて、武道の合理さを徹底的に求めてきたおかげで、自分の技は運動大学の柔道部コーチに「おまえの技はかなりしっかりしている。ウチの部員にも見習いもらいたいくらいだ」と褒められることもあった。これは、もちろん嬉しいことであった。でも、実際の試合は技だけでは勝てません。というより、2段までの試合は、技より力で力押しする印象しかなかった。

 当然、私は柔道選手をやるつもりまったくありませんでした。でも、一応柔道をやっているから、正式の試合にも出ることにした。いつも苦戦してきた。そして大抵は負けだった。体力も筋力も腕力も膂力も、とにかくあらゆる「力」とついてる力は、私にはまったくありません。なので、試合で勝つことは自分にとって、非常に難しいことだった。もちろんそれが自分の不甲斐なさのせいですが、それ以上実感するのは、もし私はそこまでの基礎体力があれば、もっときれいに勝てることだった。それは、何年も柔道をやっていて、試合で何度も負けて、ようやくなんとか初段を手に入れた僕の実感でした。
 こんな感じは、自分が参加した試合以外、さまざまの大学や道場に行くたびにだんだん分るものなんですが、打ち込みはもちろん、乱取の時も感じました。「そんなに力任せで、重心を相手に委ねていいの?」。スポーツ大学に練習しに行った時も、選手の基礎訓練のしっかりさに感服せざるをえないが、その間にも、どこか何かを欠けている感じは、私のなかにずっとあります。本当の柔道より、今世界が求めているのはJUDOだったんですが、果たして本当にそれでいいのかって。これは、わが師の教え(理論と技法)があったからこその感じと承知していますが、それでもいつも柔道試合を見ていながらも、ずっと考えていることです。

 ウチのコーチは最初から柔道から始める人ではなくて、中国武術から武道に入った人です。ご存知の通り、台湾は中国からさまざまな流派や武術に流れてきてため(分らない人は拳児を見れば分る…ということはないのですが、まあそういう感じに取っていただければいいかな)、かつて民間では武術はかなり盛んでいた。それでいて、各地域には各自の流派や縄張りがあって、違う武術を習う奴がこっちに来れば……という状況でした。そういう時代に生まれた人だから、コーチはいろんな武術を学んだ後から柔道に入っていた。そして、ほかの流派で学んだ基礎と理論を生かして、柔道の技術を独自に改良してきた人ですから、ウチの柔道界のなかでは誰もか一目を置く業師の地位です(実際コーチと一緒にいろんな道場や協会に回してきたから、この目で見たことです)。
 こんなコーチの技は、とにかく精妙だった。柔道の形にこだわらなくて、ほかの武術の形をも融合した、変幻自在の技使いです。それでいて、すべては科学的な理論と合理性に基づいて、一片の無駄もなく、優雅で力強いだった。また、「気」という言い方はずっと胡散臭いと思いましたが、一度だけコーチから本気で挑まれたことがありましたが、終始戦慄が走ったんだ。怖かった。とにかく、台湾人のコーチから、私は(おそらく)日本人以上に柔道の精神を体現するモノを見つかりました。

 だから、いま国際というのJUDOに、どうしても疑問を抱かずにいられません。あれ以上のポイント制と、あれ以上のレスリング化は、私には偲べません。悲しかった。西洋人とは言いたがらないけど、そこらへんのずうずうしさは、ある意味感服しなければいけないかもしれませんけど、少なく柔道では、本当に酷いだと思っています。

「それは島国の人間のひがみだよ。ヨーロッパ人はもっと狡猾というかタフだよ」
「タフ……?」
「そう。人類の生存にかかわるエネルギー供給については、その技術のすべての特許を認めない、そういう法律をつくればすむことです。オリンピックのルール改正なんていうのは、そういうものでしょう。ある種目で東洋人が強くなったら、ルールを改正して、白人に有利にしてしまう。ゲルマン的というかアングロ・サクソンやユダヤが得意な方法です」
 ヨーゼフ大尉が、やさしい微笑を笛吹に見せた。
「なるほど。死なない方法を知っているというやつか……」
 笛吹は感動した。
《……ナショナリズムの狭い了見では対応できない、ヤバいところだな》

 
 これは『アベニールをさがして』の一段ですが、実際何度も起きたことです。こういう見方は当然正しいのですし、柔道に限れば、JUDOこそ今頃本当の主流になってきれいますのですが、私は今でも覚えています。自分に感動を与えてくれたのは柔道であって、JUDOではありません。当然、柔道は何なんのか、JUDOは何なんのかについては、はっきりと定義があるわけじゃないのですが、少なくいまのJUDOの試合は、柔道の精神には見えません。こういう形で柔道を失っていくのは、私にとっては悲しいことです。だからというわけではありませんけど、嘉納行光氏の退職は、もしかしたらかつて嘉納治五郎が創立した講道館柔道が消えている象徴になるかもしれませんと、一人で勝手に憂えています。


 明日は家の都合で更新できなくなるため、今日は少し長文を書きました。


週刊文春 新・家の履歴書 富野由悠季

2009/02/19 18:25|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:4
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 「週刊文春2月26日号 新・家の履歴書 富野由悠季


 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
 

 前回の東洋経済、上井草フリーマガジンにつづいて、(メージュとダムエー以外の)雑誌での記事では、これで今年3度目になりました。オラ、わくわくしてきたぞ!
 しかし、よく考えれば、俺は家の履歴書ってどういう連載なのか、よく知りませんでしたな。というわけで、少しネットで調べてみました。最初の光進社の単行本だ。

家の履歴書

これまでに住んできた「家」の履歴を通じて、各界の著名人に聞く泣き笑いの半生記。
『週刊文春』人気連載「家の履歴書」(95年7月20日号)から、テーマごとに39人分を所収。
幼少の思い出、青春時代の懊悩、成功のきっかけなど、
「あの人」の意外な一面を発見できる話題の1冊。
もっとも印象深い「家」については、回想をもとに描き起こした間取り図イラストも楽しめる。

 おおおおお、これは期待大だ!幼少の思い出、青春時代の懊悩、成功のきっかけなどは微妙に語られているため、限られたページ数では新しい一面を見つけるのはおそらく難しいのですが、間取り図イラストになると、アニメージュ文庫の『だから僕は…』の結婚以来の新居以外、もしかしたら昔の家の間取りも見れるかも?これは期待せざるをえない。
 また、39人分の連載で416Pともなれば、一人あたりの分量もそれなりあると期待できるかも。つづいて、鈴木宗男氏のサイトでこんなのも見つけた。

平成18年10月19日 週刊文春 新 家の履歴書
 画像のため、転載はできないけど、タテ組み5段で4ページなんという読み応えある構成で、オラま、たしもわくわくしてきたぞ。ほかには家のイラストもあるし、一秒も早く読みたいな。
 最後はエキサイトの雑誌ヘッドライン検索サービスでの説明。

2月19日発売 週刊文春 新・家の履歴書

新・家の履歴書/「ガンダム」は苦しい時代があってこそ出来た作品

誌名 : 週刊文春 [ 2009年02月26日号]
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/index.htm

ページ : 86
発売日 : 2009年02月19日
カテゴリ : 芸能
キーワード : 富野由悠季(アニメクリエーター) 、 「ガンダム」
キーワード2 : 虫プロ 、 手塚治虫 、 「鉄腕アトム」
記事の扱い : 特集記事など3頁以上
Webページを検索 : 富野由悠季(アニメクリエーター)
「ガンダム」
虫プロ
手塚治虫
「鉄腕アトム」

 3頁以上……(;´Д`)ハァハァ しかし、よく見ると「2月19日発売」と書いてありますから、つまり、今日で発売することになる。というわけで、皆も即書店へGO! え、オレ? オレの家は遠いよ (´・ω・`)

▽続きを読む▽

『ガーゼィの翼』各章タイトル

2009/02/18 19:28|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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関連記事
『ファウ・ファウ物語』各章タイトル
『アベニールをさがして』各章タイトル

ガーゼィの翼第1巻あとがき
ガーゼィの翼第5巻あとがき
(こちらも参照)


 かつてログアウトに連載された、バイストン・ウェル・サーガのシリーズ作であり、今のところバイストン・ウェル・サーガのなか一番新しい小説でもある。アニメ化もされており、複数なメディアにて展開されたこの作品は、現代っ子がどう異世界に立ち向かって、生きる力を身につけるのを真正面から今の若い世代捧げる力作である。また、ゲーム的な要素も多く入れており、ファンタジーゲームマニアたちにもたまらない一作であろう。

 ネタ切れの時はタイトル起しに限る~♪ ではなく、今書いている『アベニールをさがして』についての指摘を終わったら、次は『ガーゼィの翼』でいきたいと思いますので、そのためのタイトル起しです。あ、でもネタバレになるから、未読な方は見ないほうがいいですよ。

バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼
著者/富野由悠季 表紙イラスト/末弥 純 イラスト/末弥 純

1巻
1 二百CCはかったるい 7
2 ディメンション・スリップ 17
3 偉い人に奉られる 24
4 この世の奴隷 36
5 いろいろありのこの世 47
6 もっとヤバクなりそう 63
7 本物の恐竜 73
8 死ぬぞ 殺されるぞ 83
9 ぼくは凄いかもしれない 96
10 相手は恐獣だって 105
11 みんな仲良し 115
12 これからが、始まりらしい 128
13 甘くはない 甘くは 141
14 しぶきが走る 157
15 また出た また出た 175
16 金沢のばあちゃん 185
17 イシュヴァラ効果は利く 192
18 涼しくない河下り 208
19 あらー、絶体絶命 218
あとがき 235

2巻
前節 7
1 またおだてられそう 9
2 夜の刻 22
3 聖戦士になれだってさ 38
4 金沢の夏 50
5 火薬の使い方 教えます 67
6 馬が来るなら早くしろ 77
7 影が見えてきたよー 89
8 待ち伏せするんだって 100
9 上か下か右か左か 110
10 変なもの見ちゃった 122
11 プールサイドは能天気 131
12 むこうとこっちのクリス 137
13 光る翼が出たんだって? 149
14 コチの仕掛けにのっちゃった 164
15 やれやれ やっと会えた 172
16 川をのぼってどこまでも 180
17 でかいから目立つ奴 199
18 蛇に羽根つき 210
19 たかがでっかい蛇じゃ 221
20 偉大な騎士タウラッド 232

3巻
前節 7
1 やれやれやっと一息入れる 9
2 先発隊で出たんだよ 18
3 クリスは気脈を通せるか 28
4 あの子どこの子 霊媒師 43
5 ぐんだんぐんだん恐獣軍団 59
6 生きているならどこででも暮らす 71
7 罠があって当然でしょう 82
8 恐獣軍団に縄をかけろ 93
9 至高の剣技 111
10 ぼくだって空を飛ぶ 123
11 ケッタ・ケラスが襲われた 135
12 恐獣だって死にものぐるい 152
13 気に生かされ、気にのって 172
14 なんで難しいことを言うんだよ 187
15 いろんな敵がいるのよね 196
16 待っている受験地獄 205
17 気遣いも仕事もいろいろ 214
18 こいつらが敵だってのか? 226
19 地を這い林を走り、気を吸う 235
20 戦後処理が地獄よね 249

4巻
1 女同士の思いやいかに 7
2 ふっきれたかも知れない 14
3 借地代は出世払い 26
4 女は要るか要らないか 31
5 御茶ノ水でお茶を飲む 37
6 ハッサーン・サンとじゃれたいな
7 冬晴れは空が高い 62
8 二人で寝ると暖かい 70
9 アクザライの怖い噂 78
10 今度はクズル・ウルマク 85
11 気がつかないから落とし穴 101
12 変幻自在のガロウ・ラン 114
13 女同士の対決はごめんです 133
14 あちらの執念こちらの思い 145
15 祈女の色 162
16 新しい巫女たちよ 186
17 フングン王が出ましたよ 198
18 天と地をつなぐ木 208
19 海藻樹 222
20 ぼくはエイリアン? 237

5巻
前節 8
1 ハッサーン、なんでいないの? 11
2 蝗みたいなガロウド奴! 27
3 あんた、敵だったの? 39
4 世界樹、炎上 49
5 いつの間にかヤバクなる 65
6 交信ができた! 74
7 みんなで進もう! 86
8 負けてみせる芸当 94
9 ガッハウ海道、海の道 111
10 上と下と谷と海 118
11 女は慢心する 129
12 正規軍、崩れる 140
13 花嫁は戦場を走る 152
14 リーリンスは鞭、フングンは熟考 165
15 死んだつもりで仕掛けます 172
16 みんなで、イライラ…… 185
17 遅れた新婚飛行 198
18 隙をつけ、隙はつくるな 211
19 船とドラゴンが空を飛ぶ 221
20 ザギゾアから留美子へ 236
エピローグ 243
あとがき 246

 それにしても、今読み返している最中ですが、初めて読んだ時より色々見えてきて、とても刺激だったし、印象も前回と少々異なる。それにしても、『王の心』はまだ初回しか読んでいないから、こんなことを言うのがちょっと早い過ぎるかもしれませんけど、やはり富野のこの時期の病気三部作はスゴイ! もう少し工夫したら、間違いなく傑作レベルまで行ける作品だと思っていますよ。てか、富野本人は陰々滅々な小説と言ってるけど、一読者としての僕はまったくそう思っていませんけどね。


角川文庫『ファウ・ファウ物語』収録ページ数の不思議

2009/02/17 21:20|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:4
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 先日、富野由悠季のバイストン・ウェル・サーガのなかでも特異なメルヘンファンタジー『ファウ・ファウ物語』の収録について記事を書きました。

『ファウ・ファウ物語(リストリー)』の謎
『ファウ・ファウ物語』各章タイトル起し

 かつてニュータイプで連載してたこの『ファウ・ファウ物語』が文庫化する際、内容の収録はなんと2つのバージョンがあるのです。詳しくは上の二つの記事にて読んで頂けると分ると思いますが、ちょっとした調査、それから初版持ちの囚人022さん、子犬さん、再版持ちの上原マリ男さんとグダちんさんに協力してもらった結果、以下の四版の収録内容が分りました。

初版:昭和62年3月25日発行、223ページ
再版:昭和62年5月10日発行、300ページ
3版:昭和62年11月10日発行、300ページ
(2月18日注:子犬さんのひびのたわごとのコメント欄でshunichiro0083さんの記述に基づいて、3版のページ数を223Pから300Pに改正しました。shunichiro0083さん、子犬さん、ありがとうございます。)
5版:平成元年5月30日発行、300ページ

 また、『ファウ・ファウ物語』下巻については、今のところ6版までの発行を確認しました。それ以上の再版はあるかどうかはよく分りません。また、4版と6版の収録ページ数も不明です。この調査に協力くださった四氏、ありがとうございます。


TORNADO BASEの麻上洋子氏インタビュー

2009/02/17 00:17|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 自分用メモも兼ねて、今日は軽く更新するだけ。

 ネット巡回をしたら、TORNADO BASEでの麻上洋子氏インタビューを発見しました。ちょうど去年初、アニメ夜話『伝説巨神イデオン』前のインタビューなので、話はちょっと夜話で語った富野監督像と被ったりもしたが、それでもかなり興味深い部分があります。

──(ヤマトの)最初の放映が終了したあとで、じわじわっとブームが高まっていきましたよね? そういう人気の上がり方は、どう感じてました?

麻上 嬉しかったですよ。多くの人に観てもらえて。

──声優さんへのインタビューとかも、『ヤマト』が走りだったと思いますけど。

麻上 わたしより20年も先にやってる納谷さんたちには、多分、「こんなこと初めてだ」って驚きはあったと思いますよ。でもわたしは最初だったから、以前との比較はあんまりないんですよ。

──キャラクターの人気なのか、自分の人気なのか、不安になったりはしませんでした? 

麻上 あっ、そりゃキャラクターの人気ですよ。

──でも麻上さん自身のファンも、そこで生まれましたよね?

麻上 それも、『ヤマト』の森雪がなかったらないことだし。たとえば『伝説巨神イデオン』(※22)で、富野由悠季(※23)さんがハルル・アジバ(※24)っていう、すごいコワモテの女性にキャスティングしてくださったけど、それも雪あってこそなんですよ。「森雪の人にハルルをやらせたい」って。振り返れば、原点にはやっぱり雪がいるんです。わたしは演技を広げる意味でも、いつも雪みたいな役ばかりふられるのは嫌だという思いがあったから、ハルル役は嬉しかったですね。でもそれからが七転八倒。自分の中にこういう怖い声を出せる資質があるのかって、すごく戦いました。それを全部見抜いてやらせた富野さんは、偉いなって思います。あの時代は、そういう才能のある人がワッといたのね。

 総監督であるなら、役者の力を見抜くのはある意味当然のことですが、ここで面白いのは、ハルル役に選ばれたのは、「森雪ありき」ということです。声優の選び方は当然十人十色ですが、あえてハルル⇔森雪というギャップを越えて起用するのは、普通なら想像できないし、しない選択はずです。だから、逆にいえば、富野のなかでは、ハルルと森雪はギャップがなく、まったくドッキングしちゃった二人と言えるかもしれません。つまり、ハルルは強情のフリに、実は森雪の心を持っている女性だったのだ!と、いう解釈も、たぶんできるじゃない?

 あと、気になるのはTORNADO BASEの微妙に富野ファンなところ。富野ならば:

※23 富野由悠季
1941年生まれ。日本を代表するアニメ監督のひとり。かつては富野喜幸名義を用いていた。『機動戦士ガンダム』、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』など、代表作多数。西崎義展プロデュースによる『海のトリトン』も、富野監督の演出による。小説家としても多数の作品を発表、その代表作としては、『リーンの翼』、『オーラバトラー戦記』などがある。


 湖川さんならば:

※26 湖川友謙
1950年生まれ。東京ムービー、タツノコプロを経て、77年からは東映系、日本サンライズ双方で活躍。『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』などのキャラクターデザインで知られ、『ヤマト』シリーズでは、湖川滋の旧名で、映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』の作画監督を務めた。


 麻上さんが演じたハルルの紹介は:

※24 ハルル・アジバ
麻上さんが演じたハルルは、『イデオン』のヒロイン・カララ(声は戸田恵子が担当)の姉という役どころである。軍人の家系に生まれ、男勝りな女傑として育ったが、愛する男と結ばれて女としての幸福を手に入れた妹に嫉妬し、みずから妹を殺害する。そんな業の深いキャラを、麻上さんは見事に熱演した。


 そのイデオンについては:

※22 『伝説巨神イデオン』
1980年に放映された、日本サンライズ(現・サンライズ)制作のロボットアニメ。同じ富野由悠季監督による『機動戦士ガンダム』の大ヒットを受けて映画化もされたが、哲学的で難解な内容だったこともあり、『ガンダム』ほどはヒットしなかった。が、本作こそは『ガンダム』以上に、富野監督の代表作と呼ぶにふさわしいと主張するファンも少なくない。


 そして、何よりこれです:

※13 『ゼロテスター』
『ヤマト』本放送の前年、1973年に放映された、東北新社・創映社(現・サンライズ)制作のSFアニメ。富野由悠季、安彦良和、高橋良輔など、のちにサンライズ・ロボットアニメの黄金期を支えた人材が、スタッフとしてこの作品にも参加していた。声の担当は、吹雪シン:神谷明、荒石ゴウ: 中尾隆聖、リサ:麻上洋子、ヤン:八代駿、ヒロシ:小原乃梨子、剣持キャプテン:広川太一郎

 しかし、↑の監督は確か高橋だよね?


富野由悠季監督 in 手塚治虫アカデミー2008 「アトムの時代~SFか科学か」レポート

2009/02/15 10:47|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:4
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 今の時点はシャア専用ニュースさんなどで見かけない情報なので、一応置いておく。


 去年11月3日江戸東京博物館で開かれた「手塚治虫アカデミー2008」のレポートが、正式に東京文化発信プロジェクトの手塚治虫アカデミー2008ページで、公開しました。うち、富野監督もパネリストとしてサブプログラム「アトムの時代~SFか科学か」に参加しておりまして、荒俣宏、大森一樹、石上三登志といった錚々たる面子と熱談を交わしました。


 富野監督を初め、登壇者のプロフィールなどが載ってるパンフレットはこっち:

2008年11月2日(土)3日(日)に東京都墨田区にある江戸東京博物館にて「手塚治虫アカデミー」が開催されました。 二日間にわたり、手塚治虫生誕80周年を記念したトークライブを実施し、延べ約1,000人の方々にご参加いただきました。

※登壇者の詳細なプロフィールをご覧いただけます。
パンフレット(PDF形式:2.70MB)


待ち遠しいレポート内容はこっち:

2、アトムの時代~SFか科学か
手塚治虫作品におけるSFとは何だったのか、また手塚作品が現代社会の科学に及ぼした影響とは何かをディスカッションしました。
“かわいさ”を持つアトムのような自立型のロボットと“機械”の延長線上にあるロボットの違い、男性が生み出す“新たな生命”としてのロボットなど、ロボットに関する討論が行われたほか、いくつかの作品の根底にある「科学を究めた末に人間は神になれるのか」というテーマについても言及しました。

開催レポート-1(PDF形式:680KB)

開催レポート-2(PDF形式:823KB)

開催レポート-3(PDF形式:644KB)

 この話のほか、藤子不二雄A氏んどがご参加なさった「手塚エンターテインメント」と、萩尾望都氏などが参加「女性マンガの世界」のレポートも同ページにありますから、ご興味あれば是非一読を。共にいい話ですから。

 それにしても、富野のプロフィールは、なにやら文化庁メディア芸術祭のアレと同じものに見えます。ということは、やはりこっちも政府の参与が?

▽続きを読む▽

新訳・逆襲のシャア?

2009/02/14 13:44|未分類TRACKBACK:0COMMENT:2
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 アムロとクェスのフランス映画ばりの恋愛劇を夢見た。アムロは超大人だった。クェスは…同じだったが、アムロのダンディさに包まれて、しっかりその儚さの魅力を伝えてくれました。二人は戦火のなかで抱き合って(性的な意味ではない)、お互いにありのままの自分晒し出した(性的な意味ではない)。
 以下は夢のなかに出てきた『逆襲のシャア』の各人物の状況。人によって気持ち悪いものに見えるかもしれませんので、妄想に興味のない方は避難してください。


アムロ
映画や小説と同じく、どことなく影を持ってるロンド・ベルのエースパイロットだが、もっと穏やかな心性を持つようになった。やさしく大人の余裕を持って、少女クェスの初々しさを接した。また、彼もクェスの感性に惹かれて、次第に彼女を気になるようになった。やがて、シャアが侵攻を始め、戦火が広がっている頃、クェスは何か感じるように、戦火に陥ってるコロニー市内に身を投げる。アムロは出撃が迫っている最中、クェスの後を追った。そして、戦火の中で、二人は会話交わった。

「クェス!」
「離せ!ほっといてよ!!」
「クェス…!」

情緒不安定で半狂乱状態に陥っているクェスに対して、アムロは後ろから彼女のすべてを包むように、彼女の小さな体を抱いて、やさしく諭す。

「……!?」
「クェス…こうして自分を傷つけるのを、やめるんだ…!」
「なによ…!偉そうに言って…」
「キミは僕にとって、ようやくめぐり合えた人だ。僕は、ずっとララァを求めていたが、ようやくララァみたいに、僕の心を満たしてくれる人を見つけたんだ…」
「……」
「こうしか言えない僕を許してくれ…でもキミはオレにとって、いま一番大事な人だ」
「アムロ…」

クェスの癇癪はすっかり収まり、クェスも小動物みたいにアムロの胸の中におとなしくになった。

「ほら…こうやって抱き合って、クェスはぼくの心の高鳴りを感じたのか」
(赤面しながら)「そんなの…わからないよ…」
「僕はキミのを感じたよ…あの小鳥のような激しい鼓動を…」
「アムロ…」

そして、アムロは無事にクェスをラー・カイラムのなかに連れて(避難のため)、シャアを撃つべく、決戦に向かって、νガンダムを乗って出撃した。

うわあ我ながらキモイ。でも夢だから仕方ないし。つかこのアムロ大人すぎるだろう。こりゃある意味無敵だよな。


クェス
めでたく本当のヒロイン格になった。映画と同じように大胆不敵、天真爛漫な性格で繊細な感性の持ち主だが、アムロのそばにいられて、気性がだんだん収めて…と思いきや、やはり色々を感じるようになって、情緒不安定になって、戦火が広がっているコロニー内に走り回った。でも、アムロに胸の中に捕まれて、アムロの必死する呼びかけで、二人はつい共感を得た。後半は愛しきのアムロのために出撃して、自分に向かってくる敵を撃退して、なんとかアムロのところにたどり着いたが、危機に陥る。しかし、それは逆にアムロを勇猛にして、ついシャアを破った。しかし、その時、アクシズの降下はもう始まっている…。そして、二人の行く末は、神の味噌汁…じゃなくて、神のみぞ知る。


ハサウェイ
クェスのいい親友になれたが、クェスとの恋愛はアムロがいるため、断念をせざるをなかった…ところが、素直にクェスとアムロを応援しましたナイスボーイ。また無断出撃もなしに。好きな人は他人を好きになってちと残念ではあるが、少なくともテロリストにならずに済む。


ブライド
映画と同じように、やはり苦労人だった。でも、少なく子煩悩が一つ減って、ちょっと報われたかも?


チェーン
そんな人いません。


シャア
未成年者誘拐犯にならずに済んだ彼は、単純アムロのライバルとしてロンド・ベルに挑戦し、『ベルチル』以上の強さを発揮した。戦略も侵攻も映画と比べて3倍…にならなくても少なくとも30%以上アップしていて、迷いを吹っ切れたからこその強さであった。しかし、迷いがないシャアって、ある意味怖いな。


ナナイ
完全なシャアのサポート役を務めた。つか空気。


ギュネイ
さあー? チェーンと違って、一応いると思うが、単純な敵役になったからレズン程度の扱いじゃないの(無責任に)?


 …………て、書きながら気付いたのは、もしやこれこそ『新訳・逆襲のシャア』じゃないの? 何故か半分(いや、3分の1くらいかな)が恋愛劇になったが、登場人物たちのあの健やかさは間違いなく『新訳Z』からのものなんだから、これはこれでアリなんじゃないの?
 そして、この夢を見て、突然思ったのは、もしかしたらチェーンがいなかったらすべては収めるの?そうすればクェスもアムロのところにいられるし、シャアもクェスに手を出すこともなかった。ハサウェイは失恋することになるかもしれませんが、大したことじゃないし。あとはアムロとシャアがもっと健やかな心性を持てれば、事態がすべていい方向に向かっているはずね。うん、いい。これを自分の『新訳・逆シャア』にしよう。前向きですし、耽美な恋愛と戦闘がてんこ盛りメロドラマですし、今の富野監督に最適なストーリーですよ。
 え、チェーンがいばければνガンダムもない? いえいえ、そんなのアムロとオクトバーがいればできるもんさ!

機動戦士ガンダム大全集 機動戦士ガンダムZZ初期企画書

2009/02/13 22:54|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:4
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 この本はこっちで約1500円くらいの値段で買ったものだが、正直言って大した価値なかった本でした(あ、もちろん富野的な意味では)。今回はZZの初期企画書。

★ゼータ・ガンダム パート2★
■ストーリー■                           富野由悠季

 十三歳の少年ジュドー・アーシタが、モビル・スーツ、ゼータ・ガンダムに出会い、
前のティターンズの残党もしくは、ハマーン・カーンの放った外郭部隊マニバリングと接
触しながら、モビル・スーツのパイロットとして成長する物語。
 彼こそ、第一次ニュータイプになって、地球人にメッセージを残して、火星に旅立つ人
になる。



○ 発端
 アーガマとシロッコ、ハマーンの戦闘が終り、シロッコは死んだ。
 ティターンズの中核がなくなったことで、地球連邦軍はエゥーゴのもとにまとまりつ
つあったものの混乱していた。
 ハマーン・カーンの艦隊は、月の外郭軌道上に退避し、アクシズの残りを基地として、
地球を狙っていた。
 シャアは、先の戦闘中に行方不明になった。
 瀕死のアーガマは、サイド1のコロニー『シャングリラ』に漂着した。
 しかし、『シャングリラ』は、戦後の窮乏の中にあって、コロニー公社の連中が、横暴
をふるい、人々の生活は苦しかった。
 ブライトとエマの働きでも、シャングリラでアーガマ修理の必要資材を調達することは
難しかった。
 カミーユは、ファに伴なわれて、シャングリラの病院に運ばれた。
 シャングリラのジュドー・アーシタは、できのよい少年ではない。
 『ギガー』という暴走族のお尻についている少年である。彼らはアーガマの負傷兵を見
て、警備の薄いアーガマの乗っ取りを考える。
                           1

 そして、ジュドーは、ブライト、エマの抵抗を払ってゼータ・ガンダムを盗んでしまう。
 一方、ハマーン・カーンの放った部隊マニバリングの男たちが、コロニーの懐柔に走り、
アーガマ破壊の工作に乗り出していた。
              ハマーンは、自分の部下に地球圏に慣れさせる必要があると判断し
              たのである。若いスタッフばかりである。
 ジュドーは、マニバリングのスタッフの説得に乗って、一時はアーガマ破壊を向うが、
ファ、エマの説得にあって、逆にマニバリングからアーガマを守ろうとする。
 が、ゼータ・ガンダムに乗っても、素人の少年の悲しさ、うまくいかない。
 シンタとクムは、ひどくジュドーになつき、なんとか戦力にしたいとジュドーに協力的
になる。
 何度かのマニバリングのアーガマ破壊工作に、ジュドーは頑張りギガーの仲間を誘い
込み、「軍艦を動かすのも面白いぜ」と誘うのだった。
 しかし、シャングリラで頑張る意味がなくなったと判断をしたブライトは、別のコロニ
ーと接触しようとするが、地球連邦軍の機構はメチャメチャで、どこのコロニーに入り込
んでも修理はおぼつかなかった。
 グラナダに帰りたかったが、その短い距離を一艦で航行する自信もないアーガマである
のだ。

○ 発展
 ハマーン・カーンの組織マニバリングはコロニー公社にも入り込み、アーガマは退
去せざるを得ない状況に陥りつつあった。
 ジュドーはそのような状況の中で、悪戦苦闘しながらも、ゼータ・ガンダムを使いこ
なせるようになっていった。
 が、遂に、コロニー内でモビル・スーツ戦を展開するまでになり、ブライトは、アーガ
マの修理不備のままシャングリラを退去せざるを得なかった。
 そこに、補給艦ラビアン・ローズが現われた。
                           2

 アーガマと行動を共にできるという。しかし、ラビアンローズも敵の攻撃に対して脆弱
である。兵員が極度に少なくなっていたのである。
 そこにいた少女ルー・ルカは、元気だけは良いジュドーを協力しようと好意を寄せた
が、ジュドーはそれを拒否した。
 女性を信じていないのである。エマに振られたということもある。ファに説得されてし
まったという負い目も感じていた。
            母親願望もあって、それが若い女性に対しては拒否反応となって現
            れと考えてもよい。
 さらにやっかいなのは、ゼータ・ガンダムを操ることに自信を持ち始めたという自尊心
の芽生えもあって、ジュドーはマニバリングを倒すために、猪突猛進する。
 エマがたしなめ、ガンダム・マークⅡで援護もするが、手に負えない。
 子供の癖に、威張っているのである。
 が、宇宙でのマニバリングの巧妙な攻撃に、ジュドーは傷を負ってしまう。
 自信喪失に陥る。
 その間は、エマが整備なったガンダム・マークⅡで抵抗をして、アーガマとラビア
ンローズを守るのである。
 アーガマの動きを知ったグラナダにあるアナハイム・エレクトロニクスの技師が、ゼー
タ・ガンダムの後期型を開発してアーガマに運んでくれた。
 「元気のいい子がいるっていうじゃないか?ニュータイプかも知れないって、期待して
いるんだ」
 その技師、エルポー・スマッシュは、エマにニコニコと言うのだった。
 ジュドーは新型のガンダムに乗って(エマとの取り合いドラマがある)敵に対するが
怪我が直りきっていないというハンデは、新型のガンダムを傷つけるだけであった。
 エルポー・スマッシュは、泣き喚いて、ジュドーをコテンパにしたりする。
 そして、アーガマには、もとからのクルーとギガーとの仲間割れを呑み込んで、逃避行
動が続くのである。
                           3

 ラビアン・ローズのルー・ルカも助けてくれない。
 「みんな冷たい!」
 ジュドーは、叫ぶ。
 ラビアン・ローズの全力を上げての整備によって、(と言ってもラビアンローズには、
            ルーのような子供の集団になり切っているので、作業は悲劇的なの
            である。エルポー・スマッシュは、ひたすら真青になる)
 その上でエマが新型のガンダムで出ていっても、多勢に無勢では新型のガンダムで
も、いかんともしがたかった。
 エマは、その悲しい戦闘の中で死んでいくかも知れない。


○ 敵とアーガマ
 アクシズを整備したハマーン・カーンは、ミネバを擁立してザビ家再興を果すること
を強力に押しすすめるしかないと信じていた。
 「バカな戦争をするのは、魂を引力に引かれた人々であるからだ。なぜ、もっと高貴な精
神の代弁者であるザビ家の信条に従わないのか? 従えば、人は幸福になれる」
 そう言うハマーン・カーンにブライトは、
 「自分の主義を人に押しつけて自由を奪う結果になるのは分っている!」
 と厳然として、ハマーンの主義を否定したのである。
 ジュドーは、そう言うブライトを初めて好きになれそうだと思う。
 この間、アーガマとラビアン・ローズは、サイド4の暗礁空域に隠れている。
 その為に、厭戦気分に溢れたアーガマにジュドーは、遂に爆発をして、
 「出ていっちまえっ! お前たちっ!」
 と、アーガマの軟弱兵員を追い出す。もとギガーの仲間だけでアーガマを占領するので
ある。
 シンタ、クムがとりなすが、駄目だった。
 アーガマの兵員は、皆ラビアン・ローズに行ってしまう。
                           4

 そこにラビアン・ローズのルー・ルカが殴り込みにくる。(勿論、ブライトがいない時
                                  の話である)

○ シャングリラ奪還戦
 シャングリラのコロニー公社の人々を駆逐するために、アーガマのブライトはスパイ
を送り込み、粛正を計った。
                  (この作戦の背後にシャアがいて成功をするとしたい。も
                  とアーガマの隊員としての最後の礼である。以後、敵に
                  なるかも知れない)
 そして、ジュドーを乗り込ませて、残党狩りを行なう。
 その結果、アーガマはコロニーの基地を手にいれることができたが、所詮シャングリ
ラは、疲れ切ったコロニーでは工業機能の復興には時間がかかるだろう。
 ただ、コロニーが、アーガマのクルーにとって精神安定剤の役割りを果すのである。
 しかし、地球連邦政府そのものが、戦闘意欲がないために、事態は好転しない。
 アーガマとシャングリラひとりの戦いの様相を呈してきた。
 カミーユは、行方不明になり、ファが、アーガマに復帰した。

○ 地球連邦軍
 ブライトは、地球連邦軍のトップと談判するために、地球に下りる決意をする。
 ジュドーはついて行く。
 ブライトは地球連邦政府で、宇宙の状況を説得してハマーン・カーンの脅威を知ら
せるのであるが、
 「サイドのひとつもくれてやれば、気がすむと言っているのだから」
 と、取り合わないのが地球連邦政府のトップであった。
 そして、その交渉は始まり、すでにサイド3がハマーン・カーンに提供されるとい
うのである。
                           5

 「あそこは、ザビ家発祥のサイドです!」
 「シャアが、ハマーン・カーンを監視する」
 その言葉に、ブライト、ジュドーは、愕然とした。
 「なんですと!」
 ブライトには、シャアが生きのびているならば、それも在り得ると思えた。
 「敵に入り込み、ハマーン・カーンを粛正しその上で頑冥な地球の人々を粛正した覚悟
をしたのであろうと………。
 しかし、大人の事情など分らないジュドーは、地球連邦政府の大人たちを殴りつけてし
まった。
 ジュドーは監禁される。
 アムロ、ハヤト、ベルトーチカ等が、ジュドーを助けてくれる作戦を展開してくれる。
 そこで、カミーユが、ホンコンを彷徨っているという情報を聞く。
 が、関係している暇はなかった。
 ブライト、ジュドーは、アーガマに帰投するが、地球連邦軍からつけねらわれるハメに
陥る。
 ハマーン・カーンは、そんなブライトの動きを笑う。

○ ハマーン軍
 ハマーン・カーン独裁のコロニーは、ブライトの予告した通りに人々に苛酷に当った。
 前から居た人々は全て徴兵されて、地球を乗っとり作戦に従事させられる訓練に入っ
ていた。
 ジュドーとルーは、そのコロニーに潜入して、その実態を目の当りに見てショックを
ける。
 シャアの影などは感じないのである。ハマーン・カーンの独善だけが見えるコロニーの
悲惨さがあった。
                           6

                          メロ・ドラマ的エピソードを羅列して、コロ
                          ニーの生活を伝えたい。
 「明日にも地球を襲うつもりなのだ!」
 ジュドーの判断で、ミネバを拉致する作戦が講じられる。
 しかし、失敗するが、それこそメロ・ドラマである。ジュドーを助けてくれるコロニー
の人々の活躍などが涙ながらに語られよう。
 そして、アクシズを中心としたハマーン軍の前進が始まる。
 あわてた地球連邦軍は、アーガマなど自分たちが反乱軍ときめつけた宇宙艦に救助を申
し込むのである。
 というより、反乱軍といわれている軍の人々の善意でハマーン軍に対しての防衛戦が始
まるのだ。
 それを助けざる を得ないバカバカしさにジュドーは荒れる。
 しかし、戦わざるを得ない。
 ここで、ファが、エマ的な役割りを果してゆくかもしれない。
 その間にシャアは、ハマーン・カーンを討たないのは、人々が目を宇宙に向ている間
に、シャアは地球連邦政府の高官たちを暗殺する部隊の指揮していたからだとしたい。

○ 後章
 そしてシャアは、地球連邦政府が人々の宇宙移民を可決するのを見てから、ハマーン・カーン軍に参画する。
 そして一時期、一パイロットとしてアーガマに戦いを挑み、ジュドーの実践の教師
としての立場になり、ジュドーの成長を知って、シャアは、ハマーン・カーンにとって返
す。
 ミネバは、そのシャアの帰還が嬉しい。
 が、ハマーン・カーン軍の地球攻勢が始まった時、シャアが、ハマーン・カーンを討つ。
 そして、ブライトは暗黙のうちにミネバを救出して、アクシズを撃破して終る。
                           7

 そして、その最後の戦いの瞬間、ジュドーの意思が、全世界に放出される。
 「同化しろ! 自己の主義を通すだけでは、人間は、解放されない。シャアのやり方は、
自分が納得するだけの姑息なものだ」
 シャアは、本当にそう思うのだ。
 「ただ、あるだけの自己を表出し、それを他人に重ね合わせればいい! そして、人の意
思を自分の意思に重ね合わせることができれば、人の和解がある。それができる能力を人
は持っている。それができれば、人は一体となって宇宙を制覇できる。その為に宇宙
は無限に広いということを思い出すべきだ!」
 その呼び掛けを敵も味方も、地球の傍観者たちも聞いた。
 だから、人々は、宇宙に出ようと決意する。
 それは、さすらいの旅をするカミーユにも聞えた。
 「俺は、フォウだけを求めていた。フォウは、いまもここにいると分ればいいんだ……」
 カミーユの覚醒である。
 ミネバは、
 「アステロイド・ベルトで暮している時も暖かさを感じたのは、人は、宇宙と一体になれ
るからだったのか?」
 と、ジュドーに聞くのだった。
 その後、ジユドーは、ルーに言った。
 「確かに、俺は、ニュータイプかも知れないけどさ、生まれた時は神童で、十歳までは天
才で、二十歳なればただの人って言うだろう?」
 ジュドーは、笑って、火星開拓に身を投じた。
 「学習するためさ。開拓じゃないよ」
 と、………。
 ミネバは、地球に降りた。
                           8

 はっきり言って、これを見る限り、どうしょうもないつまらん話にしか見えませんでした。どことなく『ガンダム』初期企画と小説版『ガンダム』の要素と、『逆シャア』展開に『ZZ』のキャラみたいな話をするこの『ZZ』初期案は、面白い部分はあっても、物語的としてもテーマ的としても、明らかに今の『ZZ』より劣る。なので、色々あったとしても、今の『ZZ』が見れて、本当によかったと思う。自分は正直今でもこの話に対して大して興味を持っていないのですが、できればいつか『ZZ』についても語りたいですね。

▽続きを読む▽

『ファウ・ファウ物語』各章タイトル

2009/02/13 00:12|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:8
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関連記事
■『ファウ・ファウ物語(リストリー)』の謎

ファウファウ物語あとがき
(こちらも参照)


 かつて『月刊ニュータイプ』にて連載された、富野由悠季が手掛けたメルヘンファンタジーであり、バイストン・ウェル・サーガの第3作でもある。一人で我々の世界に迷い込んだ妖精、フェラリオのファウ・ファウに、人々はとにかく驚き、喜び、そして大騒ぎだった。剣と血の『ダンバイン』や『リーンの翼』の同作者が捧げる異色ファンタジーが、キミに勇気とやさしさを与えてくれる。

ファウ・ファウ物語(リストリー)
著者/富野由悠季 カバー・口絵・カット/大森英敏 (連載挿絵/藤井勉・大森英敏)

上巻
第一章 誕生日に 5
第二章 洋服を着る 25
第三章 おじいさん、おばあさん 49
第四章 ゴハンですよ 73
第五章 絵が動く 93
第六章 シャボン玉 101
第七章 パンを食べる 125
第八章 友達 137
第九章 学校 151
第十章 ミエダ先生 161
第十一章 先生、すっごい! 175
第十二章 校長先生 187
第十三章 カメラが迫る 199
第十四章 涙、いっぱい 211
第十五章 夜の階段 225
第十六章 開かずの間 235

下巻
第十七章 魚の話 5
第十八章 テレビ局 21
第十九章 突撃 31
第二十章 タレント 41
第二十一章 光の中で 57
第二十二章 本番 69
第二十三章 テレビの中の現実 83
第二十四章 日本政府 97
第二十五章 迷い 107
第二十六章 世界宣言 119
第二十七章 午後の日射しの中 133
第二十八章 裏口 143
第二十九章 お稲荷さん 157
第三十章 海と島 167
第三十一章 船の人々 181
第三十二章 警察署 193
第三十三章 お父さん 207
第三十四章 山のバイストン・ウェル 213
第三十五章 小さな観光地 227
第三十六章 ヘリコプターの音 235
第三十七章 ジャンプ 249
第三十八章 空港から 263
第三十九章 もう一度山の木と 269
第四十章 おかえりなさい 287
あとがき 294


2009年2月14日追記:
初版~3版(4版?)(2月18日:正しくは初版のみの様子)は第十七章「魚の話」、第十八章「テレビ局」、第十九章「突撃」、第二十章「タレント」、第二十一章「光の中で」、第二十二章「本番」を欠けたことを判明しました。欠けたページ数は77であり、第十七章は「テレビの中の現実」となり、全章数も34章まで短縮されていました。この調査にご協力くださった囚人022さん、ありがとうございます。


『ファウ・ファウ物語(リストリー)』の謎

2009/02/12 22:14|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:6
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 囚人022さんのブログは、『ファウ・ファウ物語』について、こんな一文を載っています。

● 『ファウ・ファウ物語(リ・ストリー)』 これは富野由悠季の重要な小説です!

エミコの家の「開かずの間」がバイストン・ウェルに繋がっているところで終わる上巻。
下巻はいきなりファウ・ファウとエミコがテレビ出演するところから始まります。

 ずっと気になる言葉ですので、ここで記事をします。

 去年10月くらい、富野由悠季監督データベース「だからtominoは・・・」を編集する際、主宰の囚人022さんとこんなやりとりを交したんです。

富野著書

ところで私には分からないのですが、『ファウ・ファウ物語』には“リストリー”と、そうでないのと二種類あるのですか?上下それぞれISBNが二種類あるような・・・。でも、どちらも角川文庫で発売日も同じ?どなたかご存知の方教えてください!


ファウ・ファウ物語(リストリー)〈上〉 (角川文庫)ファウ・ファウ物語(リストリー)〈上〉 (角川文庫)
(1986/08)
富野 由悠季

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ファウ・ファウ物語 上 (1) (角川文庫 1-10)ファウ・ファウ物語 上 (1) (角川文庫 1-10)
(1986/08)
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ファウ・ファウ物語(リストリー)〈下〉 (角川文庫)ファウ・ファウ物語(リストリー)〈下〉 (角川文庫)
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ファウ・ファウ物語 下    角川文庫 1-11ファウ・ファウ物語 下  角川文庫 1-11
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 囚人022さんのこの疑問に対して、僕の返答は以下です。

これは普通の角川文庫と「青帯」バージョンの差なんですね。ご存知かもしれませんが、「青帯」というのは角川が青少年向け作品を区別するために文庫本の上に青い帯のような印をつけたもので、いわばスニーカー文庫の前身だったもの。ファウファウの文庫本出版する時は、ちょうど転換期に当たったので、このような現象が起きたのです。

で、実際ファウファウの本を手にして見ると、二つのISBN番号が一つの本に同時に存在しているという奇妙な現象が見えます。僕の手持ちの青帯ファウファウで例えにしますと、「4-04-410110-8」(これは青帯およびスニーカー用番号)と「4-04-166301-6」が同時に記載されています。これは何もファウファウだけじゃなく、リーンの翼の文庫本でも見られる現象で、すべて当時の転換期におけるひと時の混乱なので、おそらく富野作品以外の小説でも似たような出来事が見られるはずです。


 実際、この二つの番号持ち現象が起きたのは、ちょうど転換期にいる『リーンの翼』と『ファウファウ物語』二作です。

ファウファウ物語(上):4-04-166301-6、4-04-410110-8
ファウファウ物語(下):4-04-166302-4、4-04-410111-6
リ ー ン の 翼 1:4-04-166303-2、4-04-410112-4
リ ー ン の 翼 2:4-04-166304-0、4-04-410113-2
リ ー ン の 翼 3:4-04-166305-9、4-04-410114-0
リ ー ン の 翼 4:4-04-166306-7、4-04-410115-9
リ ー ン の 翼 5:4-04-166307-5、4-04-410116-7
リ ー ン の 翼 6:4-04-166308-3、4-04-410117-5
【注1:前者は角川文庫緑帯、つまり現代日本文学のISBN。後者は角川青帯、つまり現代日本文学(少年少女向け)のISBN】
【注2:一般文庫用ISBNはS62年9月10日~S63年5月10日の間に廃除されました】
【注3:紫字は調査により判明するもの。ほかは手持ちの本によるもの】
【注4:S61年9月10日出版の『リーンの翼』一巻の初版は青帯でないため、青帯用ISBNがありません。最初に青帯になったのは、S61年9月25日出版の二巻の初版】
【注5:しかし、逆にS61年8月25日出版の『ファウファウ物語』上の初版は、すでに青帯ですから、どうやら時間で区別するのではないらしい】

 ですから、「ファウ・ファウ物語(リストリー)〈上〉 (角川文庫)」と「ファウ・ファウ物語(リストリー)〈下〉 (角川文庫)」は角川文庫一般向け(緑帯)で、「ファウ・ファウ物語 上 (1) (角川文庫 1-10)」と「ファウ・ファウ物語 下  角川文庫 1-11」は青帯ですね。
 (余談ですが、角川小説ISBNのつけ方でいえば、富野は実は3種もある!一つは「角川ノベルズ」レベル。一つは角川無印、つまり一般文庫。そしてもう一つは「青帯」レベル、つまり今のスニーカー文庫)


 青帯と角川スニーカー文庫の関係について、以前二つの記事を書いたことがあります。

■富野由悠季連載一覧
■角川スニーカー文庫における富野小説のISBN番号

 この二つの記事を上の内容と併せて読めば、その仕組みが分かるはずです。

 しかし、ここでは逆に一つの問題があります。

富野著書

ところで私には分からないのですが、『ファウ・ファウ物語』には“リストリー”と、そうでないのと二種類あるのですか?上下それぞれISBNが二種類あるような・・・。でも、どちらも角川文庫で発売日も同じ?どなたかご存知の方教えてください!

 このご質問に対して、僕は上の返事の補足として、こんな話も残っていました。

むしろ、注意すべきなのは一般文庫と「青帯」の下巻のページ数だと思います。二つを比べてみると、なんと77ページの差もあります!これについて自分でも未だ研究してるので、現時点は不明としか。

 実際、上のアマゾンリンクから見れば、「ファウ・ファウ物語(リストリー)〈上〉 (角川文庫)」と「ファウ・ファウ物語 上 (1) (角川文庫 1-10)」は共に250ページに対して、一般文庫の「ファウ・ファウ物語(リストリー)〈下〉 (角川文庫)」は223ページで、青帯の「ファウ・ファウ物語 下  角川文庫 1-11」はなんと300ページもあります。この77ページにも及ぶ差が、一体何が起ったのでしょう? その答えは、おそらく下にいます。

富野由悠季連載一覧

ファウファウ物語(リストリー)
ニュータイプ 角川書店
1985年4月号~1986年12月号(全21回)
*1:原題「ファウファウ物語 From BYSTON WELL STORIES」。
*2:連載第11~13回は文庫版未収録。
*3:連載挿絵第1~10回藤井勉、第11~21回大森英敏

 当然、僕はあのときのニュータイプを持っていません。なので、情報はここから見つけたものです。

作品DB―ファウ・ファウ物語(リストリー)(小説)

注(3)…連載第11~13回は文庫本に未収録となっている。

さらには文庫本化にあたっては、3回分にも及ぶエピソード(バイストンウェルの描写からマスコミとの接触に至るシークェンス)が抜け落ちてしまっているというワケワカラナサが、この作品を著しくマイナーな位置づけにしている要因なのかもしれない。

 しかし、果たしてそうだろうか? もしかしたら、この未収録の3回分こそ、あの失われた…じゃなくて、元々収録してなかた77ページじゃないでしょうか? となると、連載を追ったでもない限り、300Pバージョンを読んだ人もいれば、223Pバージョンを読んだ人もいるということになるのではないでしょうか。


 ここまで話せば、もうすでに皆さんが分かっているはずです。囚人022さんの

エミコの家の「開かずの間」がバイストン・ウェルに繋がっているところで終わる上巻。
下巻はいきなりファウ・ファウとエミコがテレビ出演するところから始まります。

は、もしかしたら223ページ版を読んだから唐突な感じがあるのでは…、と大変失礼ながら邪推します。
 というのも、僕が手持ちしたH1年5月30日出版の五版は300Pバージョンですから、少なく自分が読む限り、違和感らしい違和感を抱いたことがありません。なので、「いきなり」とか「抜け落ち」などは、到底感じていません。


 こういうことですから、もう二つのところから引用します。共にヤフーオークション出品した『ファウファウ物語』のデータです。
 一つはここ(もう終了したオークションですので、ご注意を)。

◆上巻:昭和61年8月25日発刊初版、全256P。
◆下巻:昭和62年11月10日発刊3版、全232P。


 そしてもう一つはここ(2009年2月12日21時37分現在、まだ進行しているオークションです)。

富野由悠季『ファウファウ物語』全2巻
上巻:昭和61年発行 初版
下巻:平成2年発行 6版

「聖戦士ダンバイン」「リーンの翼」「オーラバトラー戦記」「ガーゼィの翼」等、一連のバイストン・ウェルサーガの一篇です。
巻頭カラー口絵(各8P)と各章扉絵を大森英敏が担当。
上巻のカラー口絵は2版以降下巻と同じ物に差し替えられているようです。
本出品の上巻は初版ですので、下巻の口絵とは異なる物が収録されています。
富野由悠季の小説はガンダム関連以外、殆ど復刻されていないので、現在では入手はかなり困難かと思われます。

 上巻は今手元の初版を確認しますと、250ページ+カラー口絵8Pですので、256ページというのはおそらくミスだと思いますが、下巻のH62年11月10日の3版はしっかりと223ページと書いてありますので、おそらくあと77ページは4版か5版から追加したものだと思います。なので、一度、この『ファウファウ物語』をお持ちしてる方に確認したいのです。一体皆さんがどのバージョンの『ファウファウ』を持っているのでしょうか。個人の一クリックの交友圏でいえば、ついこの前に読み終わったばかりの囚人022さん全富野小説をコンプリートした子犬さん超絶語りのグダちんさんくらいですかな…。いや、ほかの方のことも是非お聞きしたいですので、どうかお願いします。
 また、上巻のカラー口絵は2版以降下巻と同じ物に差し替えられているってのも妙に気になりますが、本編とまったく関係ないものなので、そんなに重要じゃないと思います。ただし、全部本文から引用する下巻の口絵文章に対して、上巻はまったく独自な文章ですので、もし気になる方がいらっしゃったら、文字起しをしてもかまいません。このへんも含めて、また皆さんにお願いにしたいのです。

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富野由悠季作品の系譜における『アベニールをさがして』の地位(その3 『アベニールをさがして』をさがして)

2009/02/12 18:39|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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■富野由悠季作品の系譜における『アベニールをさがして』の地位(その1 『∀ガンダム』との関係)
■富野由悠季作品の系譜における『アベニールをさがして』の地位(その2 アイデア集合体としての『アベニール』)

 さっきうっかり谷山浩子の怪しい歌を何曲も連続に聞いたら、頭が痛くなりまして、今気分はとても悪いです。が、こんなのどうでもいい。今度は『アベニールをさがして』のほかの部分について語ります。(←これ4日前のことなので、打ち消しをしました)


 前回はすでにその2でアイデア(設定ではあらず)の『アベニール』を話しましたけど、もう一度それらを見直すと、①のEMOが、後の『ブレンパワード』に渡って、オーガニック的な何かになったけれども、②のスターバスター・プロジェクトは逆にそれまでのガンダムシリーズを整理したような形になっていた。でも、本の内容を読んでみると、この二つのアイデアは劇中の世界観を成立する際には非常に重要な設定なんだけれども、実際話の展開と絡むことはほとんどありません。あくまでも舞台を立ち築き上げたためのギミックとして使われているモノ。もっとも重要なのは、もちろん言うまでもなく、③のインスパイアー・エンジンです。以上は前回の話でした。

 で、アイデア面から見れば、この3つ以外にも、いくつか面白いアイデアがあります。まずはいうまでもなく④「コスモ・クルス教団」という宇宙で立ち上げた新興宗教。ちょうど同じ時期で富野本人が原案を勤めた『クロスボーンガンダム』でもまったく同じ名前のものが出てきます。『Vガンダム』に引き続き、作品のなかで新興宗教を取り上げたんですが、実際、劇中ではやはりそんなに作用していません。というのも、この教団もやはりもっと大きなプロジェクトのなかにいる一駒に過ぎません。
 続いて目に入るのは、第一巻の冒頭、主人公のオノレが東京に襲撃する謎のテンダーギアを追跡する前家で遊んだ、⑤『セント・リラティブ』というゲーム。このゲームは、アメリカのチャンネルに立ているもので、内容は神々の世界のいくつもの星を生成し、その力のありようについて参加者たちが互いに考えながらディスカッションをする形式で進むもの。そのゲームの会話はシェークスピア時代の英話を使われているため、オノレもよく遊んでいるという。でも、本当のところ、劇中では一切語ることがないけど、このゲームの背後は、実はスターバスター・プロジェクト(と黒幕さん)が後ろにいるらしく、このゲーム自体もある意味テストというか一種の選抜みたいなものという節があります。これはどことなく何と似ているかというと、ズバリ『キングゲイナー』のゲーナーが遊んでる「オーバーマンバトル」に似ているのではないか。とはいえ、このゲームが登場するのはわずか半ページくらいですから、これ以上語ることも難しい。
 その他、何があるというと、実はそれほど多くもありません。⑥スターバスター・プロジェクトの背後に立っているスター・ウォッチャーたちが立ち上がった人類の革新を目指す謎の組織ネオ・フリーメーソンなのか? これも、じつをいうとそれほどすごいアイデアではないですし(作品中この組織の存在自体を「安物の小説の内容」と呼ばされている)、①~③ほど重要じゃありません。というか、③のインスパイアー・エンジンが呼び起こす現象が登場人物に見せた宇宙なる大意識みたいな超越的なものだって、SFのなかではかなり古典なモノだというのは、もちろん言うまでもないことだろう。だから、アイデアは別に必ずしも特別とか独特でなければいけないことがない。ちゃんと物語を支えればいい。

 では、この作品が何が良いというと、一番最初の記事で言ってた「積極的かつ自発的にコミュニケーションを取ろうとしている交流」以外、やっぱり登場人物の立ち位置の配置以外ほかないと思います。
 最初は、笛吹慧日向オノレ2人の配置。『アベニール』が今までの作品と違うのは、この作品はアラフマーン乗り換えの中盤まで、ダブル主人公の形を取っています。オノレ視点もいれば、笛吹視点もいる。つまり、劇世界の中なら、2人が互いに見つめあっている。劇世界外の視点でいえば、2人が主人公の座を争っている。これによって、より近づくのは、富野が『Z』以後、ずっと描きたかった「少年が大人の導きによって男になる」の完成。
 実際、劇中を見れば、最初に主人公機アラフマーンを乗ったのは少年のオノレじゃなく、青年の笛吹だった。そして、乗り換えまでは、笛吹はずっと成人として、同じ日本人として、年上の男として、戦闘のプロとして、オノレに「立派な大人」示してくれた。そして、こんな笛吹を、オノレもずっと笛吹のそばからちゃんと見てくれた。オノレが笛吹を頼りにしているし、尊敬もする。と同時に、自分があこがれているフール・ケアがどことなく笛吹に気があるのを見て、多少に嫉妬もする。逆にいうと、笛吹もそんな自分と同じ体験をし、さらに一人の力でムッシャンを宇宙まで引き上げたオノレを好きだし、彼の面倒も見る。こんな笛吹が、フール・ケアと親近してるオノレを見ても、別に嫉妬なんかしてないが、自分よりインスパイアー・エンジン搭載のアラフマーンに相性がいいらしいオノレに、多少気を張ってる部分も見られる。こういう2人が互いに引っ張り合う構図は、アニメでいえば後2002年の『キングゲイナー』や2005年の『新訳Z』でも見られるが、一番最初成り立ったのは、まさにこの『アベニールをさがして』といえる。また、『V』も最初ではクロノクルという大人の男で少年のウッソを引っ張る予定ですが、御覧の通り失敗した。また、2人が1人の女に巡る部分は、『V』はもちろんあるし、『キンゲ』のボツ案にもあった。そういう意味では、『V』は『アベニール』を通じて、実はちゃんと白富野作品群と繋がっているとは言えます。
 また、すんなりとアラフマーン、アベニールとその周囲にまつわる現象を受け入れてくるオノレに比べて、最初は機械の力しか信じない、インスパイアー・エンジン搭載のアラフマーンをただ強いのテンダーギア程度しか思わない笛吹が、だんだん自分の心境を解明し、その現象を現実として受け入れ、ありのままの事態を感じるようになっていくのも、読者にとっての入り口としても、オノレへのバトンタッチの先導としても、その役割が働いている。これもダブル主人公があるからこそ発揮できる部分。

 そして、もう一つ語るべきなのは、主人公機アラフマーンの劇中での立ち位置。単にメカとしての強さでいえば、このアラフマーンは劇中では最強の力を持っていて(スペックとしては2番目)、数少ない激戦を除けば、ほとんど全部の戦闘は圧倒的に上といってもいい。一つの作品のなか、これほど力の差が開いてるのは、ほかの富野作品を見ても、そうだな、おそらく宇宙の意識の集合体であるイデオンや何千何万年も前の超文明が作った∀ガンダム(とターンX)くらいかな。
 でも、それ以上重要なのは、その強さを含めての、劇中での立ち位置。どういうことかというと、まず、このアラフマーンは万能粒子インティパの実用を可能化するインスパイアー・エンジンを初めて搭載したテンダーギアである。これはどうスゴイかというと、次世代の新エネルギーで、地球のすべての問題を解決できると期待されるインスパイアー・エンジンは、各国がその開発を争いながらも、日本がサージェイ体制のため、大量の予算を投入できるシステムを構築することができるから、インスパイアー・エンジンの開発に関しては、おそらく世界最先端にいると予想されている。でも、あちこちで噂される日本の技術でさえ、一応稼動できる実験型のインスパイアー・エンジンを作るとしたら、長さだけでも少なくとも1、2キロを下らない空間が必要とされてるから、ましてテンダーギアという10メートルくらいのモノに搭載しようなんて、普通ならばどこの国もできないはずです。でも、アラフマーンはわずか一般のテンダーギア+2~3メートルのサイズで出来てしまった機体なので、テンダーギアのなか、ではなく、世界レベルの技術から見ても、極めてすごいものだといえます。
 その次は、アラフマーンの外観は、ほかのテンダーギアみたいメカメカしい外観と違って、いかにも人の風貌とする顔がついてる。これもアラフマーンの異質さを語っている。また、アラフマーン自体が「慈悲深いもの」を意味する名前をもって、アベニール(未来)からの声を主人公たちに伝える構図も、アラフマーンの特別さを示している。

 これが一番最初アラフマーンに乗った者、ベストン・クーリガが東京降下中、日本国民たちに伝えたメッセージ。

 日本国民は、軍事国家を否定しないといけない。
 軍事施設だから攻撃を受ける。それは、軍事国家の宿命なのだ。日本政府を牛耳っている軍国主義者たちは、ただちに政界から離れるべきである。アベニールがそう言っている。
 軍事国家の思想は、単一思考、単一支配をめざすものである。それでは、独善におちいることを回避しようとしても、独裁を生むのだ。それは歴史が教えるところである。アベニールは、もっと広く世界と宇宙を大観して、人の統合をめざす力を日本という島にいる人びとに求めている。
 トーキョーにたいする警告行動は、わたし、ベストン・クーリガが、一人でおこなっている。日本国民は、いますぐ、サージェイの政権を倒して、国民主権の国家に改造しなければならない。そうしなければ、現在以上にテロルの渦巻く国になるだろう。
 われわれ人類は、ようやく、市民政治をおこなえるまで成熟した。その成長に自身をもつべきだ。日本が、このまま国際社会から取り残されてしまえば、国家として死を選ぶことになる。それは、この島に住む人びとの自尊心を失わせ、人類が今日までつくりあげてきた歴史を無駄にすることになる。アベニールはそう語り、予言されたことを伝えるために、わたし、ベストン・クーリガをこの地に遣わされた。
 このテンダーギア、アラフマーンは、アベニールがベストン・クーリガを遣わすために、与えてくれたものである。所属はない。アラフマーンとベストン・クーリガの二人だけである。

 物語の冒頭で突然送れたメッセージなので、最初は誰もがその話した内容に戸惑っているが、ここで注目してほしいのは、最後の一文。

アラフマーンとベストン・クーリガの二人だけである。

 と、はっきりと書いてあるのは、まさに一番本質的にこのアラフマーンの特異性を語ったくだりである。さらに、このアラフマーンの立ち位置から富野作品を俯瞰してみれば、また別の視点が見えます。

 富野作品の一大特色は、「同じものに対する認識の違い」。これによって、さまざまなすれ違いが起るのです。たった一つのものに対しても、たとえ一瞬の共感でさえも得ることが非常に難しいってのが富野作品ですから、常に何か希望や温もりみたいなものを求めてるのも道理。ですから我々誰もがアムロとララァのめぐりあいに感動を覚えるし、イデによっての解放にカタルシスを得ることができます。
 しかし、逆にいうと、「同じものに対する認識の違い」という大前提があるからこそ、「皆が同じ認識を持っているもの」も出てくるわけです。「同じ物事に対して共感する瞬間を得る」と言い換えることもできます。これを満たしたのは、富野作品のなかでも数えるほどしかありません。さっき言ってた『ガンダム』のアムロとララァのめぐりあいと『イデオン』のイデ以外、おそらく『リーンの翼』『ガーゼィの翼』の聖戦士と『逆シャア』のアクシズで起った奇跡(この共通する意識こそ逆シャアがZ、ZZと違うところだが、ごっちゃしてる人も多い)、そしてこの『アベニールをさがして』のアラフマーンが起こしたインティパによる効果くらい。
 ですから、このアラフマーンの立ち位置は、劇中から見ても、富野作品全篇に通して見ても、かなり特異な位置にいるのは、もうこれ以上言う必要もなかろう。アラフマーンに通じて、ある者は妖精を見て、ある者は観音サマを見た。そして、二番目の乗り手の笛吹が戦闘中に、力の象徴なる不動明王と慈悲の象徴なる阿弥陀仏をその胎内たるコックピットのなかに座ってるとき、同時に感じたんだ。そして、これら皆がアラフマーンに通じてみたものは、すなわち皆が本当にさがしている真のアベニールである。


 最後はもう一つだけを挙げます。日本政府を牛耳っている軍事組織サージェイである。サージェイは一体何なんのか、劇中ではこういいました。

 サージェイは、災害救助を主要任務とする組織に自衛隊を改めた時に、セーブ・ジャパンの頭文字をとって、そう呼ばれるようになった。
 だから軍隊ではないのだが、自衛隊以来の伝統を継承しながらも、一曹だ二尉だという数字のある呼称では呼びにくいという理由から、階級については旧軍方式に直されていた。
 それは、国民の顰蹙を買う部分なのだが、政府は、サージェイは災害救助隊であると押し切ってきて、サージェイ内部も、二十一世紀の世界秩序に対応する緊急災害救難出動隊としての体裁づくりに努めてきた。

 まあ、自衛隊の後身というわけですね。そしてこのサージェイが何で世界中に睨まれてるのかというと、つまりこういうことです。

 サージェイ政権下の日本の国際的評価は、きわめて悪い。
 そのために、どこかの国が日本を試しにきた意図的な攻撃と考えられないでもないのである。
 そんなものに乗ってしまって、ダイサンカのテンダーギアが過剰な反応をすれば、なにごとにも武力で解決をはかろうとする日本の軍国主義体質がさらけ出されたと、苛酷なジャパン・バッシングをする作戦かもしれないのだ。
 本来、災害救助を主要任務にするために自衛隊をサージェイに改組するという主張が国民に支持されたのは、政治状況が衆愚政治のサンプルみたいになり、選挙制度が愚昧な政治家たちが生き延びるためだけのものに改悪させたりしたという背景があるからだ。
 そのような政治にあきあきしていた国民は、サージェイの規律と清廉さのイメージに打たれ国政まで任せようということになったのである。
 サージェイは軍ではなく、限りなくシビリアンに近いという幻想が、これを助けていた。
 災害援助に名を借りた武装や、治安維持活動のための武装が手厚くなり、昔の軍備に相当する出費が国家予算の十分一を占めるまでになっても、その国家基盤の変質を心に留め、異を唱えようとするものがいなくなっていたのである。
 天災はあっても、戦争はない。
 しかも、サージェイの予算の中には、インスパイアー・エンジンの開発費も含まれているはずなのだが、それは、具体的な実績として説明がつくものではないために、不透明なままにされた。
 しかし、現実に、国政のある特定部分に予算が潤沢に流れるのが許容されるようになると、特権的な階級が生まれ、サージェイ貴族とそれに追従する官僚が輩出する。
 そして、彼らが権力を掌握するようになれば、統制的な色彩をおびた社会になることは、避けようがなかった。
 その社会的なかたよりが発生したところで、日本は、サージェイの予算のなかに、インスパイアー・エンジンの莫大な開発費を投入しているのではないか、という疑問が国際的なものになっていったのである。
 インスパイア・エンジンは未来の恒久的なエネルギー供給システムになるだろうという予測がありながらも、他国は、国家を総動員してまで新エンジンを開発する組織は作れないのである。
 EMO(エモ)という有用微生物の活用によって、土壌も海洋のクオリティも改善され、食料危機が回避される徴候が顕著になった各国は、繁栄の道を歩むようにみえたが、過去に不問に付かされていた社会基盤の整備や福祉の改善という問題を突きつけられて、その予算組みに縛られていたのである。
 そのために、日本ほど単一の目標に投資するシステムを構築することができず、インスパイア・エンジンの開発はあくまでも官民一体の一部組織で行うしかないのが、他国の事情なのである。
 そうなれば、国家的規模の体制が組める日本の単一的国家論は、顰蹙をかいながらも、将来、日本はインスパイアー・エンジンのパテント料で稼ぐ経済大国になって奢りたかぶるだろう、という疑惑が、嫉妬深くあびせられているのである。

 政治とか宗教とか人種から入るのではなく、経済論から世界背景に入るのは、とても正しいことだと思います。
 しかし、ここで浮かび上がってる一つの疑問というのは、何故サージェイみたいなものを作ったのか?いや、もっと正確にいえば、何故日本を舞台にするのか?富野は一体どういう問題提起をしたかったのか?物語ですから、フィクションですから、嘘800ですから、必ずしも何かの主張を入れる必要もないのですが、富野の場合はそれができますし、やらないとすまない性格ですから、きっと何かの意図があるはずです。でも、それが何なんのかというと、自分でもよく分かりません。政治批判といえば、そうじゃありません。軍国主義への反省?ちょっと似てる節もありますが、昔の大日本帝国に比べて、サージェイはあまりにも健やかなので、たぶんこれも違うのです。では、結局サージェイはやはり大した意味のない、あくまでも主人公を日本から発進するための方便に過ぎないのかといわれたら、やはり違うと思います。

 この『アベニール』を語るシリーズの最初では、すでにこの作品を「バイストン・ウェル的なものとガンダム的なものがドッキングしちゃったようなもの」と形容していますが、実はこの規定こそこの『アベニール』を読み解くカギだと私が思います。バイストン・ウェル的なものは一体何なんのかについては、それは非常に難しいですけれども、大雑把いうと宗教でもない、信仰ともちょっと違う、何かもっと根源的な意識とか…みたいなものだと思います。まあ、実際『ダンバイン』以外のバイストン・ウェルシリーズを読んだことある方ならなんとなく分かると思いますが、そういう起った事態と環境によって意識の集合を見つめるとか心性を鍛えるみたいなものですね。これを『アベニール』に使って分析してれば、実に嵌れるところまで嵌ってるというのが見えます。
 
■富野由悠季が描きたいファンタジーはどういうものなのか。何故バイストン・ウェルという形で表してるのか

 これはちょっと前書いた記事なんですが、その時挙げたバイストン・ウェルの3つの要点というのは、
1:(BW世界と人に通じて)「変化」の「変革」と「変質」の両面性を描く
2:(主人公に通じて)汚染された現代人の心性を洗いなおして、単純に生きるための気力と心構えを描く
3:(物語全体の流れに通じて)神話の構造を描く

 としていますが、『アベニールをさがして』も、以上の3点に全部嵌っています。
 1はもちろん言うまでもなく、人類が宇宙進出しはじまる頃の話ですから、日本生まれ地球に住んでいるオノレに宇宙でさまざまな人類が暮らしているところをたくさん見せられましたし、逆にネオ・フリーメーソンやコンラッド大佐みたいな人たちもそれを対応して出てきたわけです。
 あと、3もさっき言ってたアラフマーンが起こしてくれたインティパ効果によって、たくさんの人の意識によって超越的な存在に近づいてるですから、それもあります。
 では、2はあるかというと、あります。が、バイストン・ウェルシリーズと違って、舞台となる世界背景は、近未来においている。これはかなり珍しいことである。『リーンの翼』(小説)と『ガーゼィの翼』はモロに中古時代で、『オーラバトラー戦記』と『ダンバイン』もマシーンがある以外、大体毛が生えた程度の文明しか持っていません。一方、『ファウファウ物語』は不思議で、現代、それもバイストン・ウェルに行くじゃなくて、そのまま舞台を現代日本において来たのでした。でも、舞台を近未来に置く『アベニール』自体が、ちょっとSFが入っていながらも、過去の人の有り様から現代人の歪さを反省するバイストン・ウェルの構造と似ているのは、実に妙なことです。
 だから、こうして『アベニールをさがして』をガンダムシリーズとバイストン・ウェルシリーズからいくつかの要素を借りて成立したものといえます。

 で、この記事の結論は? という疑問に対しては、さっき言ったとおり、サージェイについて自分では未だに困惑していますから、迂闊に結論を下せませんけど、少なくともこっちがいえるのは、この95~96年の小説『アベニールをさがして』は一般的には忘れられがちですが、実はかなり重要な一作ですし、『Vガンダム』以前、通称黒富野と『ブレンパワード』以後、通称白富野の間にいるミッシング・リンクなんです。そういう意味では、まだまだ一杯研究の余地がいますので、この記事をきっかけにこの作品をもっとたくさんの人たちに紹介できれば、とてもありがたいことだと思いますね。


 それから、何度も遅れてすみません。最近仕事はクソ多いので、今朝までは、もう徹夜の連続だった。で、しばらく終わった今、ようやくこの「『アベニールをさがして』をさがして」シリーズを終わらせることが出来たので、今とても満足しています。
 次回は『アベニールをさがして』の問題点について話したいと思いますので、もしご意見ありましたら、どうか教えてください。


『アベニールをさがして』各章タイトル起し

2009/02/09 23:29|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:4
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 将来感想を書くための前置準備。


アベニールをさがして
著者/富野由悠季 イラスト/幡池裕行 メカデザイン協力/石垣純哉

アベニールをさがして① 1995年5月31日
 1 アンノウン
 2 電波ジャック
 3 テンダーギア
 4 コーリング
 5 インスパイアー・エンジン?
 6 アラフマーン、ムッシャン、飛ぶ
 7 アラフマーンの笛吹
 8 アクセルレイション
 9 チェイス
10 シャトル・キャロル
11 キャビン・ワーク
12 スターバスター・プロジェクトとEMO
13 ゴドーを待ちながら
14 フロント3
15 ダーク・スペース
16 スペース・スーツ

アベニールをさがして② 1995年8月31日
 序
 1 不動明王か阿弥陀か
 2 インプティ・フィール
 3 ディシプリン
 4 スター・ウォッチャー
 5 あどけない推理
 6 アンチテーゼの射精
 7 スペースクルーザー・ショウカク
 8 アラフマーンが見せるもの
 9 殺意
10 プロト・アラフマーン
11 ピアスの色
12 オノレはビジター
13 コスモ・クルスの響き
14 巫女アベニール
15 アミューズメント・スペース
16 聖と俗と巫女たるもの
17 オノレの第一ステップ

アベニールをさがして③ 1996年2月29日
 序
 1 オノレの背後で
 2 まちがった乗り手
 3 25番のリック・メッケード
 4 三つ巴の空域
 5 オノレとカレッカ
 6 敵空域にあるもの
 7 オノレの発進
 8 偉大なるプロト・フロンティア
 9 カレッカとアベニールの声
10 潜入
11 キャバレーのアベニール
12 第一のジェントルマン
13 キャバレーを出る
14 集合させられた者
15 収斂するもの
16 強権奪取
17 人間の自殺兵器
18 再びアラフマーンのオノレ
19 インスパイアー・エンジンの中で
20 オノレの臨界
21 肉の鎧にもたされるもの

 この本に対する感想が一杯一杯なので、まとめた次第、ブログに載せるつもりですが、その前にできれば、ここ数日この作品をお読みを始めた囚人022さんが見たいですな~。また、ちょい贅沢かもしれませんけど、富野小説搾り出しを旨にする方のご意見も是非聞きたいですね~(お二人方、どうもすみません。これをプレッシャーじゃなくてラブコールとして捉えていただけるとありがたいです^^)。

タグとプラグインに大苦戦中

2009/02/09 00:09|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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 このブログには、「富野由悠季関連」と「未分類」という二つのカテゴリしか持ってません。別にこれだけでもかまいませんけど、気付いたら、記事数も300件以上に累積してた今、そろそろもう少し細かく記事を分類しなければヤバイと思って、今日は小一時間をかけて、カテゴリとタグの使い方についていろいろ試しました。その結果、やはり全然分からなかった。
 まず一番困ってるのは、分類の仕方。たとえば『アベニールをさがして』。これは今仮に『アベニールをさがして』と『富野小説』という二つのタグをつけているのですが、できれば、『アベニールをさがして』を『富野小説』の下に置きたい。つまりこういう形で表示するのが一番理想な形:

富野アニメ
└ガンダム
└イデオン
└キングゲイナー
富野小説
└アベニールをさがして
└王の心
└ガーゼィの翼
その他

 このブログでは雑談と討論と研究をごっちゃしているため(というより、全部同じレベル)、どういうタグを付くのも困ってますが、何よりいいプラグインが見つかりません。このFC2はいろんな共有プラグインがあるわけに、いざ本当に自分の必要に合うものを探し出すと、なかなか見つからないってのも事実だと思います。なので、早くいいタグのプラグインを見つかって、それをマスターしないと、また更新のスピードに影響を与えるかもしれません。困ったな。
 とはいえものの、とりあえず右に「タグ無限ツリー」とかいうものを導入しました。使い勝手はこれから色々試さなければ分かりませんが、とりあえずここん数日はいろいろ試行錯誤するつもりでやりたいと思います。よろしければ、どなたがアドバイスをしていただけると幸いです。


 追記:とりあえずこの記事から遡って、記事300までのタグ、328までの分類をしました。想像したより難しいです。
 たとえば■富野由悠季作品の系譜における『アベニールをさがして』の地位(その1 『∀ガンダム』との関係) だと、「富野小説_アベニールをさがして」(親分類_子分類という仕分けです)だけを付ければ済むことですが、正直『∀』のタグも付けたい。でもこれだとまた「富野アニメ_∀ガンダム」をも付けなければいけないので、正直うるさい。
 また、■『アベニールをさがして』登場一覧だと今のところ「富野小説_アベニールをさがして」「富野データベース_富野作品」を付けていますが、なんとなくピンと来ない感じが正直ありますので、本当に難しいです。
 よし、明日も試しよう。もし手ごたえがないなら、さっさとこんな猿マネをやめて、おとなしくカテゴリ「富野由悠季関連」と「未分類」を使えよう。うん、決めた。



『王の心』主要人物ネーミング由来

2009/02/08 02:05|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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関連記事
■富野病気三部作
■王の心覚え書き(激しくネタバレある!)

 記事番号の通り、非~常に古い記事ですが、いつまでも書きかけってのも嫌なので、内容を調べ直しまして、公開する。
 以下のカロッタ王族たちのネーミングは、ほとんど出典があります。ただし、由来があるといっても、おそらくガチガチな出典よりも、音の響きが優先されると思います。しかし、『王の心』を読んだことある方なら分かると思いますが、その出典の意味とキャラとの関係はどうやらまったく無関係でもありません。以下の名前の意味を作中の人物を連想しますと、全部っていうわけじゃないけど、大半はなんとなく繋がれるはずです。


シェラン・ドゥ・グラン王:シェランはデンマークの島で、ドゥはもちろんフランス語の「DE」で、グランは「GRAND」? こじつけくさいが、この程度しか分からなかったからご勘弁。

第一夫人オクニス:不明

長女ラハブ:「驕り」と意味する天使から取った。

フラムロード:ロンドンでは「Fulham Road」という街道があるが、たぶん違うのね。

長男ヨウスナハブ:不明。ナハブは「Nahab」というわりと見かける苗字ですが、「ヨウス」+「ナハブ」というネーミングかどうかは分からないし、中東系の名前だから、もしかして出典あるかも。

次女プリアプス:「欲情」と意味する天使から取った。

ライラ:「受胎」と意味する天使から取った。

第二夫人コントラッポ:不明。

次男エフライム:聖書のヤコブの子ヨセフの次男の名前。

三男ダラーミエル:不明。インド系の名前に聞こえるが…。

アジャリ・ビィ:アジャリはズバリ「阿闍梨」ですね。

第三夫人ポテー:「忘却」と意味する天使から取った。

四男ルベン:聖書のヤコブ(イスラエル)の長男の名前。

末娘アカイアー:「忍耐」と意味する天使から取った。

第四夫人メハピアー:「道徳」と意味する天使から取った。

メスジア:その男性名のネスジアは中世神学における7つの地の第5層の名前。

第五夫人タルマム:不明。

末弟マラーク・ゼヌニム:「使者」+「娼婦」と意味する天使エイシェト・ゼヌニムから後半を取った。

アルクア:中世神学における7つの地の第6層の名前。

エイシェト:「娼婦」と意味する天使エイシェト・ゼヌニムから前半を取った。

レリエル:「夜」と意味する天使から取った。


 こうしてみると、その大半がキリスト教、もしくは聖書から取ったもので、これを同じ時期の作品と対照すると、非常に面白い現象が伺えます。つまり、出版順でみると、『ガーゼィの翼』で幽体離脱?と霊媒を言及し、『王の心』で聖書を引用し、さらに『アベニールをさがして』では生と死の狭間を見て、悟りにも近い境界を描く。これらは、作者の富野の実生活と無関係とは思えません。これについて、また別の記事にしましょう。


アベニールの後は?

2009/02/06 22:03|未分類TRACKBACK:0COMMENT:4
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - アベニールの後は?
 最近はどうも慢性話題不足に陥ってるようですから、去年10月で書いたネタ一覧を見直しました。ついでに自分メモ用として、少し今思いついた意見を書きます。

○富野由悠季=高畑勲+長浜忠夫+出崎統+タツノコ
○もう一度∀劇場版を考える(または富野の真骨頂)
○富野と長浜の関係
○MSの性格
○井荻麟とスポンサーの戦い
○富野講演のまとめ
○マンガと映画の使い分け
○サイマルロードショーの意味 ← これは廃棄したい
○富野の性癖
○富野に関するいくつかの数字
○王の心のキャラのネーミング
○トミノコ族の富野からの卒業

■ネタ書留め

 う~ん、大半はまだ解決しないな。

○富野由悠季=高畑勲+長浜忠夫+出崎統+タツノコ
 意外というか、そうでもないらしいが、じつをいうと、この断定に異議を持ってる人はわりと少ないじゃないでしょうか?富野の仕事歴や個人の懐述から見ても、実際演出の仕方や雰囲気を見ても、おそらく出崎監督以外は自明のことだろうと思います。そのなか、演出などはこれから長く語るつもりですが、仕事歴にかんしては、すでに下の一連の記事で一応語り終わったつもりですから、個人的は解決済みの話題です。

■富野由悠季全コンテ本数(上)
■富野由悠季全コンテ本数(中)
■富野由悠季全コンテ本数(下-1)
■富野由悠季全コンテ本数(下-2)


○もう一度∀劇場版を考える(または富野の真骨頂)
 一般的は評価が悪い『∀ガンダム』劇場版ですが、実際映画作品としてそれほど悪いものではないですし、一般よく耳に入った劇場版∀に対する批判もじつは多くは当て外れが多いですから、ちょっとこれについて弁護してみたい。さらに、劇場版『∀』の演出処理とエピソードの選択から見る∀の本線と、富野の映画感と、劇場版とテレビ版の文法の違いをも一緒に語りたいと思いますが、御覧の通り完全にぼくの能力を超えていますので、生産はかなり遅れる。


○富野と長浜の関係
 あれ?これ上のとダブらなくない?まあいい、これも解決済みということにしよう。富野と長浜監督について語る人はわりといますし。これに関しては、おそらく両氏をよく知っている氷川竜介氏が一番書いてくれましたから、以下の文章はオススメです。ちょっと前富野オープニング・エンディングコンテの記事を書いてた時も、一部氷川氏のこの文章を参考しました。

長浜忠夫がもたらしたもの――氷川竜介評論集


○MSの性格
 これはロボットアニメにおける絶対不可欠な部分だと思います。ロボットのキャラクター性を演出する、これは量産型が確立した以来、どのロボットアニメも直面する問題であろう。これについては、機種の多さなどの理由で、一番最初は『ガンダム』と『Zガンダム』からロボ性格論に入る予定です。『逆シャア』なら強さとか順序とかはかなり分かりやすいですし、『∀ガンダム』にいたって一機種=一用途ですから、よくも悪くも『ガンダム』の古いロボットアニメ観や『Z』の機体乱舞がない。
 また、『Zガンダム』の部分に関しては『グレートメカニックDX6』を引用したいですが、肝心な本は持ってないよ (;´Д`)


○井荻麟とスポンサーの戦い
 →富野由悠季とレコード会社と作詞と芸能と作品と商売と理想と現実


○富野講演のまとめ
 一言でいえば、多すぎて纏め切れませんよ!欲が深いすぎるよ…。あ、でも2008年の部分はテレビ出演や関連番組を含めて、すでに完成したから、必要があれば載せるよ。


○マンガと映画の使い分け
 これはいくつかの富野とスタッフの発言を取り上げつつ、実際のフィルムからその演出を話したいのですが、今のところ実例を取り上げる時間が割れないので、しばらくは書かないだろう。
 また、マンガと映画の使い分けでいえば、どうしても手塚治虫を言及しなければいけないので、難しいことである。


○サイマルロードショーの意味 ← これは廃棄したい
 これは劇場版『∀ガンダム』の記事と統合したい。一応内容は書いていますが、困ったのは、このサイマルロードショーを思いついたのが富野じゃなくて他人ですから、これ以上その意味を書いていいのか、ちょっと困ってます。


○富野の性癖
 すみません。自分書いてても意味がよく分かりません。おそらく小説のセックス描写を紹介しようとする記事だと思いますが、こんなの書いても意味あるのか?と思う次第。まあ、でも小説はSもあれば、Mもあるし、ホモ(注:同性愛者を貶す意味は一切ない)はいないけれど、レズはある。さらにムチだの蛇だのドライバーだのが乱舞していて(この3つは同じ作品のなかで出てくるものですが)、ある意味豪華絢爛ですから、リクエストあれば紹介するよ(たぶん)。


○富野に関するいくつかの数字
 これは完全のネタ。コンテ数とか、関わった作品数とか、とにかく人をビックリさせる数字を取り上げたいのですが、あまりにも意味がないため、やめた。


○王の心のキャラのネーミング
 将来いずれ書きたいと思います。まあ、ぶっちゃけ大半はキリスト教の天使や聖書の登場人物から取ったものですが、宗教色が強い西洋のキリスト教、しかも聖書から取るのは、富野にしては珍しいことですから、正直この本は僕にとって難しすぎると思いますが、将来『アベニールをさがして』と『ガーゼィの翼』の後で書くつもりです。


○トミノコ族の富野からの卒業
 →トミノコ族の愛憎(または卒業)。これは一年前近くの記事ですが、今思うと別にトミノコじゃなくてもいい、とにかく富野から自発的に離れたい人たちのことです。そういう意味では、今の安彦もそれに当たる。氷川氏とやっさん以外、ほかにはブチとかアンノとかをも語りたいのですが、僕の心はチキンハートで、あの人たちのファンを激怒することは恐れてます、おそらくしばらく書かないだろう。


 そうだ。『アベニールをさがして』の後に、『ガーゼィの翼』の人物紹介一覧を作ろう。ちょうど富野小説のメインキャラ以外のキャラの立たせ方の欠点について書きたいですし、それを例えにしよう。うん、決めた。


機動戦士ガンダム大全集スペシャルインタビュー富野由悠季

2009/02/05 22:38|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 『アベニール』記事の続編が出ない上、その後のネタは一切ないから、そろそろヤバイであります。というわけで90年末、つまり『F91』前のインタビューを文字起します。珍しくないものだが、まあそれなり読めるものだから、一応載っておきます。

ガンダム誕生の時代
富野由悠季 ニュータイプ論――自分自身の能力を超えた問題提起

――まず、一作目の「ガンダム」の企画の話からお願いします。

 企画のいちばんの発端は、巨大ロボット物を使ってスポンサーにうそをついてやろうと思ったことです。百メートルの「ダイターン3」の後で、十八メートルの「ガンダム」が巨大ロボットであるわけはないんですが、巨大ロボ物のフィーリングは絶対に画面に出してあげるから、これで認めてくれって……。それとこの際、戦争という背景を巨大ロボ物の中に持ち込んで、多少シリアスっぽい作品にしてやろう、ということが「ガンダム」の最初の考え方でした。話を宇宙へ持っていったのも、地球上でやっていると舞台が狭くなるからで、別に大きなテーマがあって今の「ガンダム」のシチュエーションができたわけではありません。

――ニュータイプの発想は、どこから得られたのですか?

 巨大ロボットの宿命というのは、主人公がとにかく第一話からロボットを操縦しなくちゃいけない。日本のテレビアニメでは軍隊がタブーですから、主人公を軍人にはできない。普通の一市民である少年が「ガンダム」を操縦するには、特殊な能力を持たない限り不可能だ、ということは第一話の段階からわかっていました。しかし、単純にその少年を超能力者にしてしまうのは嫌だった。超能力物というのが既にSFの一つのジャンルとして手垢に塗れていましたし、放映前後の状況からすれば「エスパー」(東宝作品)のような映画もありましたから、それはやめておきたかった。だから最初の一クールをやっている間中、超能力以外でロボットを操縦できるような優れた能力とはなんだろう、と考えていました。第九話でマチルダがにアムロのことを””エスパーみたいね”と言わせていたけれど、その時点では、まだニュータイプという言葉を作ることができなかったんです。でも、エスパーと断定しなかったことで、これでいいんだ、という確信ができました。人間は、もっと能力を開花させていけるだけのポテンシャルを持っているのではないか……。そして、そういう力を持ったときに、もうひとるアベレージの高い人間になってくれるのではないか……。そのように考えて、最終的にニュータイプという事場を作ったんです。たしか、ニクール目の途中だったと記憶しています。

――「ガンダム」に関して、作り手としての自信のようなものはありましたか?

 作品の質にはそれなりの自信がありました。しかし、けっして戦闘ロボット物にはなっていませんから、外圧しか感じませんでした。特に視聴者の反応ですね。なにしろ今まで見たことのなかった作品を見せられるわけですから……。確固たる自信を持って作品を提供はできません。
 テレビ局、広告代理店の関係者からも、作品の出来に関しての認知はありましたが、巨大ロボ物としての商品の宣伝としては良しとされていなかったようですね。ぼくもそうだったと思います。事実、視聴率があがらず、作品が打ち切りになったわけですから……。むしろ、そうの判断は正しかったわけです。

――「Zガンダム」の企画は、いつ頃から開始されたのですか?

 打診が来たのは、オンエアの一年ぐらい前でした。ただ、時流として「ガンダム」をまた作らなくちゃいけないというのは、三年ぐらい前からわかっていました。「ガンダム」を玩具メーカーが肉付けし、あそこまで市場開拓していたわけですから、これをやらない手はない。

――それでは、「Zガンダム」をあのような形で作られたのは、なぜですか? ビジネスを考えれば、玩具メーカーが肉ふけしていった「MSV」等の設定に乗って製作する方が容易だったのでは?

 そのようなフィールドに乗ったら、そこでビジネスが終わってしまうからです。ビジネスを拡大させるためには、別の方向性を見せなければならない。玩具メーカーがやったことは、要するに「ガンダム」に対するディテールづけです。もし本来の情報の発信源であるべきテレビで、そのディテールづけでかないものを製作していけば、二作目の「Zガンダム」は自動的に尻すぼみになる、という感じはありました。だからぼくが好きなことをやりたいから――ではけっしてないんです。既にそういうフィールドがあって、かなり拡大した市場がある。それにプラスアルファできる要素は何かというと、ぼく個人をだすしかない!
 「ガンダム」の拡大、延長ではなく、接点を持ちつつも独立した物語を作っていけば、今度はその新部分からプラスアルファが生まれてくるのではないか。それで、「Zガンダム」はあのようになったのです。

――「Zガンダム」では、テーマ性が突出していたように感じられるのですが…。

 むしろ後退なんです。ニュータイプ論がどんどん突出していけば、能力的にエスパーになってSFの世界に入ってしまう。それはいやだったんで、逆にテーマを後退させた。だから「Zガンダム」の主人公カミーユが病人なんです。基本的にカミーユが、ぼくの中では超マイナーな病人なんです。瞬間的に突出する部分はあっても、全人格的に見た場合、かなりの性格破綻者――。なぜ、そうしたのか? もし主人公に自分たちよりレベルが上の、わけがわからないエスパーをおいても、それが死のうが生きようが観客は共感できないでしょう。一歩下がったフィールドから、普通の人を見上げていく話にした方が、一般にはわかりやすい。
 また、「ガンダム」の映画三部作が終了した後、何年間か子供達の行動を見ていたら”ああ、病人が多くなった”という印象をもったんです。そこで”おまえらも、がんばれよ”という思いもあって、現代の子供に相通じるカミーユを主人公にしました。

――「ガンダムZZ」は、最初「Zガンダム」と随分雰囲気が違いましたね。

 やはり「Zガンダム」の重さで二年は引っぱれませんし、路線変更は当然予定していました。本来、巨大ロボ物が持っている玩具性は、ビジネスとして作品につけくわえる必要もある。だったら合体ロボ物にして、その上でしばらく離れていたユーモア作品を作りを若いスタッフに教えるために「ガンダム」を利用させてもらおうと考えたわけです。

――途中から、作品がシリアスになったのは、なぜですか?

 結局、カミーユの病気が作品を引っぱったんですね。カミーユには、物語上だけのキャラクターでない”重さ”があったんでしょう。これは、ジュドーを持ってきても突破できなかった。

――「逆襲のシャア」でアムロとシャアが主役というのは、最初から?

 ぼくの中では決めていました。安彦くんの参加がないのだから、お客を呼ぶには、シャアたちしかいない。

――ニュータイプ論は、「ガンダム」の世界観を確立した反面、それを縛ってしまった感じもあると思いますが?

 それは、単純にぼくの能力を超えたテーマだからだと思います。むしろ、自分を超えたテーマや問題を設定できただけでも、大変なことですね。結局十年間、自分の中で引きずってきた。それは、悪いことではなかったと言えますが、同時に能力の限界も感じています。

(一九九〇年十一月二一日 東京杉並にて)


 大半はガンダムの起因とニュータイプの発想など散々聞かれました話ですが、個人的は『Z』のビジネス論とテーマ論が好きです。特に、ビジネス論の部分では、今のガンダムビジネスにも突き詰めるところがあります。ビジネスを消費するビジネスをやってるのではなく、ビジネスを創造するビジネスをやる。これが富野由悠季監督が持っているほかのエセガンダムの監督と違う部分。あ、エセというのはS○○Dとか○○(名誉保護のために伏字をしました)のことです、お間違いなく。

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富野由悠季作品の系譜における『アベニールをさがして』の地位(その2 アイデア集合体としての『アベニール』)

2009/02/03 23:01|富野由悠季関連TRACKBACK:1COMMENT:4
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■富野由悠季作品の系譜における『アベニールをさがして』の地位(その1 『∀ガンダム』との関係)

 ガンダムエース2009年3月号ようやく買った。トミノの出来方のショボさは詐欺レベル。安彦のオリジンのキモさとつまらなさは異常。と、そんなのどうでもいいとして、今日は『アベニールをさがして』について語る2回目です。



 前回は『アベニール』における一番重要な「交流」という点を話していましたから、今日は別の側面から話したいと思います。
 ある日突然思いついた表現ですが、富野小説が富野由悠季監督の作品作りにおいては、実はかなり富野作品におけるバイストン・ウェル世界に似ています。どういうことかというと、バイストン・ウェルシリーズはガンダムシリーズと違って、ある意味現実と夢の間に浮遊しているものです。作者の富野がバイストン・ウェルを魂の修業場と見なし、人びとはその狭間で己の心境を鍛えると語っています。一方、逆に近年富野がバイストン・ウェルシリーズの失敗原因として、「恣意的に書きすぎた」と挙げています。そこで、バイストン・ウェルを富野小説と言い換えると、実はとんでもなく嵌ってることが見えます。
 つまり、富野小説は富野作品における魂=アイデアの修業場という発想です。この作品に限らず、富野のオリジナルタイトル小説は、全部一つ大きなアイデアを作り上げてから、その世界観と物語を展開するという作り方を取っています。アイデアは、物語の核となるもの。ほかの部分は身体にすると、アイデアが物語の魂となる。ですから、そのアイデアを出す場所、アイデアを練る場所=小説というメディアが、富野作品全体においては、その魂=アイデアを集める役割として座っている。実際、富野小説を一冊でも読めば分かると思いますが、富野小説のアイデアの詰め込む具合は、実はアニメ以上といえます。そして、『アベニール』でも見られる傾向ですが、一度小説で出るアイデアや方法論は、たいてい後の作品作りに反応することが、富野作品のなかには、明確あります。そういう意味では、富野由悠季の作品作りにおける富野小説は、実は無駄が一つもありませんといえます。
 しかし、逆に入れたものが多すぎて、消化しきれなかったを原因に、作品を押しつぶした感じも、富野アニメに比べて、富野小説にはかなりあります。おそらくひびのたわごとの子犬さんが言ってたことですが、富野小説は竜頭蛇尾になることが多い。別の角度から検討すればそうではないという言い方もできますが、事実、富野アニメと比べて、富野小説のほうの完成度が低いといわざるを得ません。それが何故かというと、やはりその「恣意的に書きすぎた」という反省が出てきます。だから、かなりわけ分からん表現ではありますが、自分のなかでは、富野小説は富野作品のバイストン・ウェルに似ています。


 この考え方を踏まえて、導き出してるのは、この『アベニール』の2番目の特徴:アイデアとしての『アベニール』である。この作品を一番支配している3つの設定とは、
 ①嫌気性微生物を利用した環境全般(海洋も大気も)を改良した技術である有用微生物群、すなわちエフェクティブ・ミクロ・オーガニズム、略称EMOというものと、EMOが確立したことによって世界の経済を維持できるようになったことを背景して、
 ②太陽系が北天に移動しているために、地球に接近しているアルタミラ流星群から流れ出る小惑星を撃破するため、国連主導によって可決、承認される国際的な巨大プロジェクト、流星雨撃破作戦、すなわちスターバスター・プロジェクトの存在。さらに、このプロジェクトによっての技術面と経済面の波及効果も次第に認められ、スペースコロニーの建設もついに始まってるという。そして最後は
 ③万物に重さを与えているヒッグス粒子より微小な素粒子インティパの発見である。そのインティパの振動する性格は、場そのものが粒子の集積体であることの証明になり、万物を生み育てた究極物質で、この発見によって現実社会にも影響を与え始めていて、そのもっともたる例はインティパを利用できるようになるかもしれないインスパイアー・エンジンというものである
 (ここで注目してほしいのは、劇中それらの成立する順は①→②→③ですが、思考順は②→①→③ということです。これらはかなり重要なこと。)
 ここでの③、つまりインティパとインスパイアー・エンジンは実際『アベニールをさがして』という作品が展開してゆくアイデアですが、①のEMOは全名「エフェクティブ・ミクロ・オーガニズム」の通り、後の『ブレンパワード』のアイデアの一部となった部分が伺えます。『アベニール』は物語の展開の上で、長く地球を舞台にすることはなかったため、EMOを大前提として作品のなかに置いている以外、つい語ることはなかったが、このオーガニック的な何かを全面的前に打ち出してる『ブレンパワード』は、そのアイデアと連動してるから、ごく自然に舞台を地球と設定したといえます。また、インティパ効果によってメカに通して他人を感じてくれるようになる部分(NT式という純然たる意識ではあらず、暖かさとか温もりというあらかじめ他人のある意味偏見ともいうべきものを混じる意識)も、『ブレンパワード』では発揮しています。


 で、②のスターバスター・プロジェクトですが、これがまた奇妙なものである。何故かというと、『アベニールをさがして』この作品自体、舞台といい設定といい、どことなくあのユニバーサル・センチュリーの黎明を匂わせる部分が、ちらちらと見えます。電波を遮断するミノフスキー粒子はもちろん、スペースコロニーの建造、フォン・ブラウン・ビリッジとか、実際既有なガンダム世界とかけ離れてるとしても、その固有名詞の使い方にどうしても気になれずにいられません。ですから、実際の世界観は共通しなくても、作者の富野の中には、なんらかの関連性があると見るべきであろう。で、その関連性を読み解くのに、ガンダムシリーズの入り口を探す必要があります。
 前はガンダムシリーズの序について書いたこともありますが、それらは以下となります。

■宇宙世紀語り――『ガンダム』と『Zガンダム』の場合
■宇宙世紀語り――『逆襲のシャア』と『閃光のハサウェイ』の場合
■宇宙世紀語り――『F91』の場合
■宇宙世紀語り――『Vガンダム』の場合
■宇宙世紀語り――すべての『ガンダム』に捧げる

 実際読んで頂けると分かると思いますが、各自はそれぞれブレがあるにしても、基本的は人の闘争とか本能とかについての話です。が、すべての起因はどこからかというと、それは、最初の『ガンダム』の第一話のナレーションから探さなければなりません。

人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々はみずからの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた。

 そう。この宇宙世紀の闘争史は、すべて「人口」から起こしたものなんです(全て、とはちょっと武断ですが、基本的は一番重要な原因だと間違ってないだろう)。この人口問題を宇宙まで引きずってる部分こそ宇宙世紀を背景とした作品(あるいはガンダムをジャンルとした作品)の一番の縛りであり、SFでありながら、現実と繋がる成功した鍵だといえます(逆にいうと、これをテーマしないものは、基本的、ガンダムとはい、え、ま、せ、ん)。人口の延長線にいた、さまざまな問題が、『ガンダム』となり、『Z』となり、『逆シャア』『F91』『V』ともなった(また『ZZ』をシカトかよ!という人はご勘弁ください)。
 ところが、『アベニール』は違います。『アベニール』の世界では、人口の過多による問題が起ってません。劇中の実際人口数とかは語られていませんけど、基本的はそれを動機にせずスペースコロニーを作り、むしろ余裕をもってる状況から宇宙開発事業を始めたのである。これが、舞台となる宇宙に新しい開放感を与えます。「宇宙には可能性がある」という、徹底的にUC世界とは違う方向性を持ち込んだのだ。宇宙世紀は『Z』以後が「終わりのないディフェンス」状態であれば、『アベニール』はその可能性について皆が手探す状態にいる物語。ということは、この『アベニール』が、UCからさらに一歩に進化する位置にいるとはいえるかもしれません。


 また、前項の話したUCとの関連を別の発想から見れば、この『アベニールをさがして』をUCからのリセットというか整理と見なすことも可能です。この視点のヒントになったのは、富野小説搾り出し(仮題)の上原マリ男さんがガイア・ギアについての指摘です。
 この優れた記事に対して、自分が■富野小説搾り出し(仮題)を読む その6では、『アベニール』についてこういう話を残した。

 ガイアギアの権力構造は逆シャアまでの総決算:上原さんはさらにこの作品の成因を「おそらく制作的に、商業的に、作家的に思い通りというわけにはいかなかったガンダムワールドを整理したかったんだと思います。」としています。
 総決算については、まったく同感です(読んだことありませんが)。そういう意味では、ひょっとしたら『アベニールをさがして』もそう言えるかもしれません。設定の使い方も、やり直しの方法論も、じつをいうとかなり近いなんじゃないのと、未読ながら勝手に推測します。さらに、「ガンダムワールドを整理したかった」という点についても、『アベニール』もそんな部分が感じられます。
 じゃあ、『アベニール』と『ガイアギア』はどこに違うのかというと、『ガイア・ギア』はガンダムシリーズの総決算ですが、『アベニール』は総決算をしたうえ、さらにその上に行くという。つまり、否定と肯定が同時に行うこと。方法論としては『∀ガンダム』と極めて近いから、『V』以前と『∀』群のミッシングリングを解く鍵だと言えます。

 今読み返したら、『ガイア・ギア』は収束する物語に対して、『アベニール』は基本的開放な物語といえます(設定としてはやはり収束している)。実際、この世界観はおそらくこの一作限りですが、ガンダム以外のSFを一から作ったのではなく、いくつかのアイデアをもらいつつ、見事に新しいSF話を作り上げたことが、『アベニール』が優れるところでもあります。


 まだまだ『アベニールをさがして』について語りきれませんけど、また長く書いちゃったので、明日も書きます。それと、元々この記事を終わる後に『アベニール』の問題点について書くつもりですが、どうやら囚人022の避難所の囚人022さんはまだお読みになりませんので、先延ばしをすることを決定しました。まあ、そんなの待ってる人はどこにもいないと思うし。

▽続きを読む▽

富野由悠季作品の系譜における『アベニールをさがして』の地位(その1 『∀ガンダム』との関係)

2009/02/02 12:22|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:1
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 小学生の従兄弟がウチに遊びに来てるため、なかなか更新する暇はなかったのですが、予告通り、『アベニールをさがして』について書きます。しかし、一度自分のノート書きを読み返してみたら、なかなかまとめきれない部分がありますので、そのため書きかけ程度でしかない部分もあるのですが、一応書いて、皆さんの意見を伺いたいです。もしご意見ありましたら是非コメントしてください。


 さて、この『アベニールをさがして』は、一言でいえば、バイストン・ウェル的なものガンダム的なものがドッキングしちゃったようなものだと思います。バイストン・ウェル的なものと、ガンダム的なものは一体どういうものなのかに聞かれても困ってますが、ここでは便宜的にガンダム的なものとバイストン・ウェル的なものをそれぞれ「現実と対応するもの」と「あるのですから、仕方がありませんみたいなもの」と規定して、詳細は後述します。

 まず、この作品一番特徴なのは、なんといってもその「交流」の部分にいます。交流は、もちろん工学・電力のあの交流ではなく、人と人がコミュニケーションを取る交流です。辞書を引くと、交流の定義は「異なる地域・組織・系統に属する人や文物が互いに行き来すること。」と書いてありますが、この作品はまさに様々な立場にいる人が、様々な言語を持って、様々なところに行って、様々な接触を果たす物語といえます。
 書名『アベニールをさがして』の通り、このはアベニールを探す話である。ミステリ風ってわけじゃありませんけど、話の進行はまさに一行がアベニールにまつわる様々な謎や今まで知らされていない事や現象を探しながら、自分を主張する形を取っています。
 最初日本にいる普通の日本高校生日向オノレ、サージェイのビジター笛吹慧、流れ者のアウトサイダーであるフール・ケア。三人が宇宙に上がった際捕まったコンラッド部隊の捕虜カレッカ・ゲイズ。宇宙で初めて接触したシャトル「キャロル」のクルー、スターバスター・プロジェクト成員のビックス・アケモや船長、副操縦士スェッソン・バスーンなど。フロント3の責任者ブッシェル・カッハ博士、ネフポ・フロント3駐留部隊のヨーゼフ・ペランダ大尉。極秘に宇宙に上がって笛吹らと交流するサージェイのスペース・クルーザー「ショウカク」の艦長槌田中佐、副官前嶋大尉、伊上軍医、可信技術大佐と笛吹の部下であるソン・ケージ、冷泉キョーコ両准尉。ほかには「フロント・フロンティア」にいるコスモ・クルツの教祖、後半分拉致の形で同行を強制された祈女(いのりめ)のアベニール。コロニー「スペースカルカッタ」のバー「カバスカバス」でストリッパーをやってるダンサーのアベニール(ここでわざと出身と身分を書いてる部分を注目してほしい)。
 ざっと数えてもこれだかあるメンバーが、みんな一つの船(キャロル→ショウカク)に乗って、時として反発し合う、時として協力し合う。しかも、皆互い自分と違う人に多少偏見や敵意を持ちながらも、その違いを容認し、あるいはそれを埋め合わせようとしている、あるいはソレを物事を円融的に進ませるために利用する。これほど積極的かつ自発的にコミュニケーションを取ろうとしているのは、今までのどの富野作品(小説にせよアニメにせよ)とも見かけない描写である。そして、この部分でこそ『∀ガンダム』ときちんと繋がっている部分です。

 『∀ガンダム』に関する監督である富野の発言のなか、一番気になるのは、なんといっても「平気でうそをつく人たち」に触発された部分にあります。この本と『∀』の関係について、富野はこういいました。

富野 そして「平気でうそをつく人たち」(編注)という本を読んで、人間というのはすべてを、個だけではなく組織自体が忘却するという心理的な側面をもっているというのがわかった。これまでのガンダムを全部事実だというふうに肯定してもいい。肯定したことも含めてすでにウソかもしれない。肯定するということ自体、それをする人にとって過去は、本当にあったのか、なかったのかということも全部疑問符をつけていいもんなんだってわかった瞬間、「∀」のというより、ロランやディアナ、キエルの物語をつくり出せたんです。
 そこで、こっちのファンは好きになるけれども、別のファンは嫌いになるだろう、というのも見えました。だから映画に戻った。正面切って僕の思っている映画的なものに落とすしかないなと。アニメだ、メカものだ、ガンダムものだというではなく。うっすらと“ガンダム記憶”をもっている人たちが、「うん、これでいいんだよね」と思える作品っていうのは、映画的な総論で見せるしかないと覚悟を決めていました。

 しかし、個人的は、そんな作品外部のガンダム記憶より劇中の黒歴史、黒歴史よりロランたちの振る舞いが気になります。というか、『∀ガンダム』はまさにウソツキたちの物語であります。
 考えてみてください。劇中のキャラたちは皆嘘を言ってます。ディアナとキエルはもちろん、ロランもローラ以外、身分を隠すわ話半分しか言ってないわなどの善意を持ってる悪事(?)を散々やっちゃってるし、ほかにはグエンやリリー、あるいはミランやアグリッパら上にいる人間なども、自分の立場で物事を多面から利用している。軍事勢力でいえば、イングレッサ・ミリシャもディアナ・カウンターも互いに自分の都合で行動を取っていながらも、その内部は決して一枚岩ではありません。あの人格者のハリーでさえキエルなどを利用している節があります。このように、こいつらは殆ど全員が自分の立場を熟知した上の行動を取っている。唯一の例外はソシエ嬢ちゃんだけ。こりゃ幸せになれないよね(ん?メシェー?メシェーはキスでボクウチュウフクキテナイくんを釣ったし)。その黒さは、決してほかの富野作品に劣れないと断言できます。
 でも、実際劇中で見た通り、このように嘘を言い合ったり、互いに利用しあったりする状況でも、人が決して黒くなりません。なぜならこのような交流は、大半は互いに承知して進む部分が、多く占めています。騙されてもかまいません、とか、利用されても平気、ではなくて、その騙され利用される現状を承知した上で、互いの関係を築くため、物事を進ませるために、意図的に乗る。また、人を騙すのも、人を利用しようのも、そのためである。その心はズルくても、決してダーティじゃありません。騙す、騙される、利用する、利用される。これら全部を含めて、「交流」といいます。『∀』でいえば、特に宇宙に上がってからは特に顕著になっている。ロラン、ソシエ、キエル、フラン、メシェー、グエン、リリ、ミハエル、ヤニー、シド、ラダラム、ヤコップ、ブルーノ、ジョン、エイムズなど、それぞれ自分固有の何かを持って宇宙と月で見たものを反応する。その反応は、時は皆にプラスの方向に働いてるが、時は逆に他人を邪魔する。でも、それも他人ができる範囲内で埋め合わせば済むこと。これこそ協力であり、交流でもある。
 あくまで予測ですが、もしかしたらこれこそ富野が『ターンエー』で本当に書きたかったものかもしれませんし、これがあるからこそ、白富野といえます。人が死ぬとか死なないとかと、関係ありません。そして、それを示した最初の作品は、『ターンエーガンダム』ではなく、この『アベニールをさがして』であります。


 いろんな人から違う部分を求める。これが、人のあり方であり、『アベニール』と『∀』が挙げてくれたテーマでもあります。『アベニール』と『∀』に似ている部分はほかにもありますが、その多くはアイデアと設定に関わるもので、長く書いちゃった今日ではとても書ききれないから、残りは明日で書きます。

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