富野由悠季監督とその作品をひたすら語るブログ

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2008年富野由悠季監督台湾訪問レポート(3)

2008/08/31 03:28|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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関連記事:
■2008年富野由悠季監督台湾訪問レポート(1)
■2008年富野由悠季監督台湾訪問レポート(2)

同じくコメントつき。
前回のインタビューは台湾角川が行ったものだし、
翌日の講演もwatch impressと4gamerがレポートをしてくださったけど、
この回だけは僕自身一字一句書いたものなんです。
つまり世界唯一です。自分を褒めてやりたい気分です。
……当時ではね。今見ると恥ずかしすぎて穴に入りたい気分さえありますが、
若さゆえの過ちの一ページとして、やはりここに載る。

ちなみに、僕は主催単位からもらった写真があります。
もし富野監督の写真がほしい方がいらっしゃれば、手を挙げてくださいー。

前言↓

これは木曜日1/24の16:30から始まった予定1時間の質問会
何故このような遅い時間かというと、この前のスケジュールは全部偉い人やメディアに占めたんです
監督の年のことを考えて、元々この質問会を取り消す予定もあったらしいが、御大の一言でそのまま続行 本当に監督の懐の深さに感謝
この質問会は今回ウチの、まあデジタル制作みたいなコンテストのノミネートされた人たちから50人を選ばれてやってたものなんです
なので、質問と答えも微妙にやや制作側に偏ってるから、翌日の講演の内容と部分的同じところもあるけれども、ニュアンスはちょっと違います
で、監督が着ている服はこの日の朝と違って、白のシャツを着ている。アアコさんも元々来るつもりらしいが、結局監督一人だけ。
あと帽子は朝と同じ「Yoshiyuki Tomino」です 日本でもこの帽子を着たことがあるかな?
あと、お詫びしたいことがあります
この質問会は参加者たちは1週間前に聞きたい質問を先に提出して、監督に選んでもらって、
司会が質問を改めて参加者たちに中国語で伝える後、監督が質問を答えて、また通訳さんが監督が言ってることを通訳するという形を取るため、
ちょっと時間が足りないためか、通訳さんは時々監督と同時に話していたので、録音はしたけれども、完全再現はついに不可能となった
その上に、監督の話は時々飛躍してるので、意味そのものを損なわない程度で自分なりに内容整理してあるので、ご注意ください
もし分からない部分があったら、また書き直しますから、遠慮なく言ってください
(この段の日本語はかなり怪しい気もするが、まあいいか)

あ、ちなみに、この司会はアニメ制作会社の社長さんなんです

この質問会はなんとかコンテストにノミネートされた人のみ参加できるものなので、
質問自体も事前ノミネートに募集するものでした。
で、下には6つの質問がありますが、
実を言うと、そのなかの4つは僕が提出した質問なんです。
当時はかなりいい気になってたんですけど、
今見ると、なんかありがちで幼稚な質問しかなくて、
若さゆえの過ちの一ページはまた更新するものである。


本文↓

質問1
 多くのアニメ業界や映像志望者は表現手法だけに腐心して、物語を軽んじる傾向が見えます 。これについて、監督はどう思いますか?

 これは現実問題として映像現場での昔からの問題
 これは業界の中ではいつも矯正できないために現在まで至ってる
 そして現在まで至っていることといえば、映画界そのものがもう産業として立ち行かなくなってるような状況
 当然日本もそうですし、ハリウッドも1950年代から60年代かけて同じ問題にも直撃
 ハリウッドの場合→映画が作れなくなりそうな危機感
 映画を作る人は実をいうと、つまり動く絵・映像を使いたい人 ですからアニメーションを作る人も同じなんですが、 その傾向は、要するにこの業態が持っている根本的な悪い癖、悪癖だと思いますから、考えるか考えないというのではなくて、 この部分を絶えず改善していくという意識を持たない限り、アニメ業界も衰退のもう一途辿るだけという風になります

今見ると、この段は最悪だ。全然まとめって無いし。
幸いニュアンスはギリギリ伝われるので、御大の話を損なわれずに済んだと思います。

ちなみに、これは僕の質問です。


質問2
 ここ数年、アニメオタク向けあるいは独善的なアニメは一杯増えていて、監督のような正攻法で作る作品は段々少なくなってるような気がします 。この傾向について監督はどう思いますか?

 一番目の質問と同じ内容です、実を言いますと。ですから、このようなスタッフは増えれば増えるほど業界を潰してゆくだけです 。
 業界が潰れるという言い方をしました 。ユーチューブのような媒体があるために、一人一人のクリエイターがアニメのような作品を作り続ける現象は続きます。が、業界は潰れます 。
 ですからそういう人に分かってほしいことがあります。ユーチューブに一部の作品が発表できるからと言って、誰も見ていないだってことは想像してほしい 。

これも僕の質問ですが、
司会が話した内容は僕が最初に提出したものとやや異なるので、何故かこうなったのである。
(元々は業界人バッサリ斬る!ような話を引き出したいが…)


質問3
監督はいつもメジャー向けの重要を述べていますが、最近ハリウッドを含めて一連の大衆にたいする映像作品はとても退屈で、薄っぺらでさえ感じます。ですから、そのマイナーとメジャーとのバランスはいったいどう取れていいでしょうか?

 自分はプロでありたいと思っていますので、メジャーでありたいと思っています。そのためには、作品を作ってるときに志を高く持つべきだという、その努力は自分なりにしてきたつもりです 。
 マイナーな製作態度というのは、テレビプログラムのように作っていくということだという風に思います 。テレビ関係者に申し訳ないと思いますが、そう言わせてください(ここ観客ちょっと笑い) 。

これも…僕の質問らしいです。
何故このような質問を提出したのか、自分でも疑ってます。


質問4
 一つの作品の企画段階で、どうやってキャラクターの個性やデザインを作るんでしょうか?

 (ため息)えー、これはネーティブスピーカーでもネーティブスピーカーに説明しづらい質問です 。そのハウツーあったら教えてください(観客ちょっと笑い)。
 ただ、一つだけ言えることがあります。その時その時に出会ったスタッフとの関係性、つまりリアルの人間関係を良くすること。つまり、意識が通じるような人との出会いはあるべきだ。それはやっぱり願うべきではあるし、そして、そういうパートナーと仕事ができる自分というものを作っていう努力をするべきだと思います。
 キャラクターの特異性をどう作るかということに関して言えば、基本的に異種格闘技だと言う風に思っています。この異種格闘技というと分かりにくになりますが、皆さん方が良くご存知です。美女とメカ、美女と野獣、そういう組み合わせをどう作るかということですが、今日までこの20年間アニメ・コミックみんながやってますから、もうすでにこれは異種格闘技ではありません!ということを覚えてください。
(ここは多分通訳さんの通訳はちょっとニュアンスを伝えきれないため、観客はシーンとしていた。心配性の監督はちょっと通訳さんに耳打ちして、もう一回話す)
 一番重要なことはもう、あの、美女とメカのような組み合わせは異種格闘技になってないということですよ。(お茶目な口調で)だけど、まだやってんじゃねえか、おまえら!(観客大笑い)

これは他人の質問です。
あくまで富野監督個人に絞りたいので、
なるべくスタッフワークに関わる質問はしないつもりですが、
僕の質問より長い回答が得たなんて、ちょっと悔しい…。


追加1
 その異種格闘技というのはスタッフの間の黙契と言えるんでしょうか?
(ここの追加質問はすべて上に言ったアニメ制作会社の社長が質問したもの)

 それほど身体的、観念的なことではありません。はっきり言って、技術の違いです。
 たとえば僕の場合...ガンダムの場合では、僕の頭の中にあったメカニックの線とか、キャラクターの線は、安彦くんのもっているやさしい線ではありませんでした。僕は極めて通俗的な趣味しか持っていませんので、ロボットモノとかメカモノであったら、もうすこし硬い線で書くべきだと思っていました。ですから、安彦くんのキャラクターとか安彦くんが書いたメカの線を見たときに、僕は「違うな」と思っていました。しかし、彼の線の絵が持っている上手さというものには根本的に、尊敬の目をすべきものからできたので、自分の好みを全部捨てました。そういう組み合わせとか、コラボレーションが必要なんだなというふうに思っています。
 つまり、1監督、1演出家の、その自分の好みでもし作品を作ってしまうと、狭くなってしまうというのはそういうのだと思います。これはあくまで技術と趣味の違いを一緒にするという作業です。
 この言い方をすると、この最近20年くらいというのは、皆一面的にというのは、同じ体質の演出家、シナリオライター、アニメーターがあったから、することは全部同じだと言うこともできます。ですから、異種格闘技という意味をもう一度確認しおけばいいというのは、違う趣味の集まりがスタジオのコラボレートを豊かにするものと思っていただきたい。そして、そのような組み合わせから出来上がった作品のほうが、広く広く色々のお客さん・観客を集められることができるのではないかと思っています。異種格闘技の根本的な意味はこの部分にあります。

なるほどなー、制作会社の社長なので、スタッフワークに興味あるってのも無理ないこと。
ここらへんで監督が言及したSFフィーリング、安彦との差異や富野のスタッフワーク観なども
本当に興味深いものだし、とても役に立つと思う。


追加2
 これはスタッフの間によるプラス効果、または互いに火花を散らしてると言えるでしょうか?

 火花を散らしているレベルはかなりレベルが低いです。
 つまり、火花というのは、同じレベルにいるから散り合ってできたものなんです。安彦くんと僕の場合には、趣味の根本的な違いはこのくらいが違ってました(両手でいっぱいの距離を取って)。火花は散りあうようがありません。それを認めるんです。この距離はかなり、かなり苦しいんです。
 もう少し易しい例を思い出しました。シャアがマスクをつけたキャラクターをした時に、本当にあの原稿を破り捨てようと思ったんです。だけど、この作品は子供に見せるマンガなんだからという理由につけて、あのキャラクターを我慢して認めた。
 で、その結果を認めれば30年に立ったら、このように税金を使って頂いて台湾に呼んで貰えるようになったのは、とても幸せだなと感じます(みんな笑い)。

ここで国の税金を使うことを自らばらした監督。
そういや、主催単位は元々講演費50万円を用意してあったが、
監督の「アニメの発展を推進する講演など、金が貰うわけにはいかない」という一言によって、
ビタ一文も払わずに済んだという風の噂も(ちなみに、ソースは口が緩い中枢スタッフ)。


追加3
 作品を作る時に、商業的な妥協というのはあるでしょうか?
(この質問はまさに愚問だと言ってもいい。ましてアニメ制作会社の社長さんの口から出ていればなお更だと思うが、これもウチのアニメ産業の問題ゆえのことでしょう)

 もちろんしています。たとえばガンダムでさえその妥協の産物です。大体僕はあの三原色で塗り分けられているガンダムなんて大嫌いです。物語を作る立場にいたときに、宇宙で使う兵器が、えっと、三原色を使うことは、ありえないです。全身白でなければ、今の技術でいえば、宇宙空間で使うということは実を言うとかなり危険なんです。それを承知しているのは僕の立場です。が、安彦は平気で色をつけます(みんな笑い)
 それで、平気で色を塗っていくんだけど、安彦くんがスタッフにこのことについて聞かされた時に、スポンサーがなんとしても「三原色を使え!」と言ってきた時に関して、だったらこういう塗り分けしかないだろうという戦いは、彼がやってくれたわけです。
 それで、もっと商業的な妥協といえば、30年前ガンダムのキャラクターでさえ、線が多いといって、アニメーターから毎日毎日毎日毎日やられてました。だけど、15年前にすると、(線が)倍くらいのキャラクターを平気で動かすアニメーターが出てくるです。で、実際に、あのー、ガンプラと言われている分野の、形だったり、色だったりを見た通り、時にとても素敵なガンプラも出てくれば、 とても劣悪なガンプラも出てくるということが、本当にぐちゃぐちゃになってしまうっていうのがそれは世の中ですから、そういうものに対していちいちいちいち腹立っていたら、こちらが死にますから、腹を立てないで努力してください。

一会社の社長が商業的な妥協とか…本当に無様です。
アニメ弱国だから仕方ないとしても、悲しいです。
だいたいアニメは芸術事業でもないし、慈善事業でもない。
なのに大手アニメ会社の社長でさえ分からない…手塚治虫先生が泣くわ。


追加4
 アニメのキャラを作る時に、実在のモデルはあるでしょうか?

 えっと、質問の本当の意味が分かりません。ただ、アニメという絵を使ってる物語には、基本的にフィクションで、全部がフィクションであろうほうが理想的だというふうに思っています。ある性格的な面が、モデルがあったりするということは当然あります。それは、性格を表現するという、劇を作るための姿勢。ただこのテーマについてこれ以上今ここでお話し続ける気はありません。ちょっと時間がかかると思います。


質問5
 台湾のアニメ産業は監督もご存知の通り、長い間ずっと下請けがメインですから、作品そのものを商品化する、あるいはグッズを売るという日本みたいに成熟の概念を持つようになったのはついここ数年のことです。
 で、監督から見れば、果たして台湾のオリジナルコンテンツを作ることはあり得るでしょうか?

 成熟していた結果というのは、すでに日本であらわれているわけで、それはもう、だらしのない作品のオンパレードになってしまったわけです。ですから、日本に学ぶべきはもうあるとは思いません そして発展中の、新興の環境では実を言うと、学ぶべきものはないわけです。
 ところが、そこで何かを作ろうと思っている人たちは、実を言うと、学ぶべきものはないために、緊張感があります。その緊張感こそ、作品を作る一番重要なことですから、“範”を求める必要はないと思っています。
 具体的な例を一つだけ申し上げますと、概ねの映画監督の作品が処女作がかなりいいけれども、その後の作品が処女作を越えるモノがほとんどないという事例でも分かるとおり、前例に倣うという必要はあまりないと思います。モノを作るというのはそういう意味ではかなり厳しい!ものだというふうに思っています。

ここらへんはちょっと同意し難いな。
なんだかんだアニメ先進国ですし。
技術面ももちろんそうですが、一番学ぶべきのは「心構え」だと思います。
さきほど言ってたアニメは商業か技術かの問題もそうですし、
オリジナルコンテンツにも関わると思います。
越えなければならない問題は山ほどあるのです。


質問6
 監督はご著書「∀の癒し」の中で人間のセックスには、オスとメスが同居していると仰ったんですが、いわゆる男性の女性性というのは、「∀ガンダム」のロランの中で少し覗けるような気がしますが、その女性の男性性について、監督はどう表現するのでしょうか?

 ものすごく簡単な答えしかありません。女は男を支配しているという現実があるわけですから、あの女の子はホント女ですか?支配というスキルを持ってることは、実を言うと、今まで男が持つことで、極めて男なスキルだと思います。
 ですから、そのスキル今持つようになった女というのは、果たして女と言えるでしょうか?

(僕を含めて、観客沈黙)

 えっと、ご質問の意図がこの回答にないことは十分承知しております。あのー、質問の趣旨に近い回答でいえば、∀の中、∀ガンダムの中のロランが描いたこと、まったく同質の部分における女性性の中にまったく同じように同居してると思いますので、実を言うと、あのー、答える必要ないと思っている質問です。そういう意味では、あのー、我々は純粋に、あのー、オスとかメスに完全に分化している人という、 ピュアな!分化をしているキャラクターのほうが少ないのではないかと思っています。というのは、年を取れば取るほど実感しています。

これも僕の質問ですが、最初は男装の麗人について聞きたいらしいが…。
で、御大の回答もよく分かりません。難しいな。


ここで用意してあった質問は全部済ませたので、(観客による)追加戦に入ります


追加5
 どういう経緯でガンダムを作りたくなるのですか?
(この人はガンダムファンでもない富野の名でも知らない一般なノミネートされた人らしい)

 すみません、特にお話するような話はありません。あくまでもおもちゃ屋さんが、テレビのスポンサーになれるように成長して遂げるからです。人型の巨大ロボットの物語を作ってくれという時代が、この30年前にあって、そして僕はたまたま3本目の、ガンダムという企画ができたので、少しSF的に、映画になるような作品を作りたいなというふうに思って、おもちゃ屋さんの要請を多少外れるような物語であってもやってみたいということでガンダムを作りました。
 えー、ですから今の事例で実は分かり頂きたいことがあります。自分自身が作りたい作品ではなかった、その時代の要請を受けて、それの上で自分のやりたいものを重ねてきてという作品を作ること。つまり、どういうことかと言いますと、芸術者というのは、絶えず見えない明日に向かって、何かのリアクションを持てるだけのこと。
 言ってしまえば、アイデアを蓄えて修業を続けて、あとはチャンスを待つしかない。つまり、こういうことです よっぽと才能ある人でない限り、出資者に出会うことができないことです。この3年間日本の文部省の下にある文化庁主催のメディア芸術祭の審査委員をやってる時もそう思ったが、現れる才能というのはかなり若い年から現れる。現れない我々のようなスタッフがオファーが来るまでアイデアを蓄えるという、ようするに、我慢し続けるしかない我々の立場はこういうものだと思っています。

ここの話は本当に貴重だと思いますが、何度も聞きなれた話ので、
特にコメントなし。


追加6
 ユーチューブみたいなものは誰も見てないと仰ったが、日本ではニコニコというユーチューブと似てるサイトがあります。これはさらに字幕の機能が追加してて、とても生き生きしています。僕の観察では、ニコニコではたくさん”クリエイター”がいて、ユーチューブもそうですけど、その中には色んなアイデアが擦り合って、たとえばニコニコではロックマンという作品の中のBGMが改編されて、コミケで売られるようにもなった。僕はその中では商業の価値がある!と見出したけど、果たしてアニメやゲームの製作者がこれらの中で良い未来を築けるでしょうか?
(これはあるゆとり君による質問です。ゆとりを貶して申し訳ないが、こういう形容詞しか思いつきません)

 もちろん新しい媒体が出てるという意味が、その部分に当然います。一人もいないとは思いません。そして、今仰るような現象が現れていることも承知しております。
 大事なことはこういうことです。
 皆さん方いまが作れた作品か発表されているプラットホーム、あれはもう結果論でしかない。映像で何かをやるかというと、つまりエンターテイメントとしてやって見せるのか、学術的に正確な表現というものを貫こうとするのか、それから政治的なプロパガンダを正確的に与えるためのモノを映像戦を見せるのかということです。
 そして、今ニコニコを含めてユーチューブの上で作れた作品で、それなりに認知をされているというものが、20年後でも認知されるのか?
 つまり、自分の作家性とか自分の思いを世間に向かって、普通の人々に向かってどれだけ伝えたいのか伝えたくないのか、志をどれだけ高く持ってるのかということ。おそらく、今崇められる短編な作品もしくは今圧倒的に売れている歌曲、なんでもいいですが、思い出してください。20年間語り継がれるような作品であるものはどれだけあったのか?
 それから、今の皆さん方が次の20年、3...50年に向かって、語れる作品を作りたい!!!と思うのか、とりあえず今の気休めの作品を作りたいのか、これらの違いというのは、作るべき作品の形を変えていきます。そういう意味では、ネット社会の問題は一つだけ皆さん方に覚えといていただきたいことがあります。たかが...グーグルでさえ9年目(10年目?)ですが、ユーチューブは何年ですか? ということでは、お分かりになるとおり、それは全人生を賭ける媒体になっているんだろうか?当然、明日のことは分かりませんから、ユーチューブの中で、ニコニコ動画の中で生きる選択も当然あります ですから、それが悪いこととは言いませんが、先ほど言ったとおりです それは現在まで現れている結果!なんです。皆さん方、ここにいる皆さん方が現在が結果だけ追っていくようなスタッフだ、と、は、思えません。
 できれば、アジア系からグーグルとウィキペディアを潰すようなソフトを植えられていただきたいというのは、アジア人の一員である僕の、これは、あのー、願いです。この産業革命以来300年、もういい加減そろそろ白人たちを黙らせて、私たちのものを作るとは思いませんか?という、これも志だと思います。
 それで、もうお分かり通り、台湾の人は大陸との関係も同じとおりです アイツらを黙らすために、戦争なんかやらないですもん。特に、今ネットが持っている価値そしてスキル、どういう風に使っていたら結果を出すのか、ホントにこれは僕からの願いです。そして、今の日本はちょっと堕落しすぎていますので、東京に任せられないというのが東京人の僕の実感でもありますので皆さん方に願いしたいです。

ゆとりと言ったが、実際17くらいの男の子。
こういう年でノミネートされた若い才能も、
ロックマンとか空気読めなさ過ぎることを富野の前に言い出した胆力も認めるが、
とにかくバカなんです。無闇に自分の信じることを過信してるし。
結局、御禿もなんだかんだこの質問でかなり燃えたらしいから、結果オーライ。
(でも、富野に「ニコニコ動画」とかを言わせるなんて、かなり凄くない?)


追加7
 台湾は海島国家で熱情や生命力溢れている土地で、町中で走ってる車を見ても分かるとおり、実にエネルギーいっぱいの人たちなんです 特にこの場はたくさんの若いクリエイターたちがいて、何か作品に通して伝えたいことを表現したいにもかかわらず、独立製作や弱小スタジオのために、その製作規模はやはり限られています。
 いったいどういう形や方法に通して自分の表現したいモノをより成熟かつ完成的になれるでしょうか?
(これはまた社長さんの番)

 それは答えられません。答えられるんならば、自分がとっくにやっていたと思います。
 映像の仕事が面倒くさいことが、組織を作ってなければ、組織を経営しなければ、作品は作れない。組織が経営されていく上で、作品が出来上がっていく。
 それで、作品というのは実を言うと、組織で絶対に作れないです。
 スタジオワークということを言いました。当然、何人かの才能が一緒になって、作っているというふうを考えるときに、それもいいでしょうが、究極的なところで言えば、やはり一人の優れた才能がコアになければなりません。ところが、この才能と組織はどうしでも、どうしでもいい形で、経営されることが少ない!
 日本で成功例があります。スタジオジブリの仕事で、クリエイターである宮崎駿監督と、それから製作者である鈴木プロデューサー。まさにその両輪の組み合わせで、この十数年をやって来れました。直接お二方からお話を聞いたわけではないんですが、あのー、この1、2年間、これから十年ジブリは持つかどうかということについて、大変厳しいと思ってる風聞も多少お聞きました。
 つまり、宮崎作品程度に固有な作品を作ったにしても、グーグルに勝てないです。そして、できたらアニメ作品というのが、CG作品というのが、映画というのが、ただ一ソフトで世界制覇というのが、たとえばスピルバーグ監督でさえできるとは思えません。
 ですから、今とても無理だよとても無理だよっていう話をしているんですが、一つだけ聞き逃していきたくない視点があります。お隣、皆様方のお隣に、宮崎・鈴木のようなパートナーを組めるような人があったら、ジブリくらいは簡単になれるんだよ、2、3年ちょっとで、少なくとも、映像作品を作って、ビジネスをやってることでいえば、ジブリ程度の成功が、それほどひどいものだと思えない。まして、ジブリのようなプロダクションがもし二つ三つができたら、おそらく、たとえば台湾でできたら、かなり大きいなパワーになることは事実だと思います。
 そういう意味では、今この台湾で、このような皆さんがこういうふうに一つの場所にいられるということはきわめて象徴的なことだと思います。さっきのジブリの話でも、後ろ向きで捉えていただきたくはない。重要なのは、さっきほどの初めての質問で答えるとおりです。このジャンルで一番増えたのは、実を言うと、どうしでも描きに興味が行ってしまう自分の性癖というものを治して、つまり動く絵を使って、イメージを使って、作品を作るというのはどういうことかという本当の意味が分かってくれる人が、そうですね、3人出てくれば、ジブリは3つ作れるわけですから、そういう勉強をして頂きたい。そしてそれは天才でなくてもできるはずなんです

(ごめんなさい、この段だけはどうしでも纏まらなかったので、監督が言ってたままで書かざるを得なかった)

 ちょっと前の話に戻して、一番前の映像作品を作る時の価値になるモノのことをもう一度話させてください。文学的な素養と、演劇的な素養と、それに音楽的な素養のことも当然入りますが、皆様方が絵柄を拘ると同じように音楽を意識すぎるからあえて避けています。ですから、文学的のことと、演劇的の素養というものを身につけてくださいという言い方をします。
 一つ間違って困ることがあるというのは、専門家を呼べばいいと思うかもしれませんが、専門家を絶対!!呼んではいけません。どうしでかと言いますと、文学に傾倒しすぎている人が作る映画というのはどういう失敗をしてるのか、映画史はもう繰り返しました。
 それから、演劇人が作る映画というのは、果たしてどれだけ売れるのか?それらは例え名作といわれてもヒットしないこの事例も本当に多いです。それから、この十年で知ったことでありますが、パソコンの業界で辞書を編纂するという仕事を、一番初めに辞書編纂をするとか、漢字の先生を連れてくるようなことで、辞書を編纂したんです。それが、今皆様方が電子辞書を見ているソフトは、専門家が一切入ってないそうです。全部パソコン屋がやっています(ここ通訳さんはハイテク技術者と訳するってのはちょっと笑える)。
 そういう意味で、動く画像の演劇性、文学性を僕も要求はしますけれども、そこで偏ってしまった作り方をした瞬間に、映画にもならなければアニメにもならない、どこでもない芸術作品が出来上がりま。その無駄な参与だけはしないように気をつけてください。
 どういうことかというと、動く映像を使わせているのがこういうことです。文学と演劇と、それから映画を作りたい、映画的なことが好きだという3つの要素の真ん中に!置ける才能というのをディレクターに持ってこなければいけないってこと。
 もしそういうことができるとなると、ユーチューブで公開してるよりも一般公開したくなる。何としでも映画館で放映したくなるような作品が作れるようになります。それは保障します。
 そういう意味では、一般公開できるのはライブみたいなものです。パソコンのモニターで見てるよりも気持ちよくなる。ライブの気持ちがいいですよ。これは本当経験してください。
 そして、おそらく、当たり前の人だったら、ライブ感覚というのはとても好きなはずです。

(ここで通訳さんはちょっと”ライブ感覚”を”映画館で映画を見る快感”と誤解してるようで、御大と耳打ち)

 それもそうですけど、あのー、本当は、えっとー、まあ、映画館で見るのを言っていいんです。

(ちょっと補足しますと、御大が言ってるライブ感覚というのは、おそらく作り手と観客の交流を含めてもっと皮膚感覚的なことだと思う)

 で、そういう時に、つまり初日は必ず舞台に出て、観客に必ず挨拶してください。そのライブ感覚は、よほど、よほど変な人でない限り、みんな好きなんですよ。で、その理由がご存知ですか?
(ここで観客に問いかける)

(社長さん:それは評価されるからですか?)

 いや、そんな難しいことじゃない!
 みんなが僕、私を見てくれるというだけで、私は気持ちがいいもん。
 そういう意味では、この理由があります つまり、人間というのが社会的な動物だからです。そういうことでは、社会的な動物である前に動物であるために、同種類の動物の、つまり、接触がセクハラにならない限り、迫りあってってのは気持ちがいい。
 で、その理由があるんですよ その理由、も、あるんですよ。
 はい、どういう理由だ?
 それは時々皆様方は若いうちは見逃すんです。我々は生まれるまではお母さんのお腹の中にず~といるんです だから同属のお肌の触れ合いが嫌いわけがない。それを嫌うようになったら、警戒するようになったものは、セクハラという言葉を覚えたり、敵か嫌いな奴という言い方も出てくる。
 そして、今お話していることは、ぼくは上手にお話できたと思います。ドラマを作る核というのはここにあります。物語の核にいつもこれを置いとけば、普通の人と、かなり!かなり変なルックスを持ったフィルムでも、人々がきっと見てくれます。

この段は充実すぎるので、コメントしようがありません。
が、これほど真摯で自分を晒し出してくれるクリエイターは、本当に少ないのです。


追加8
 アニメ演出家である同時に小説家、作詞家でもある富野監督が、自分のその小説家と作詞家の一面を意識したことがありますか?
(これは最後の質問になります。ここで手を挙げたのは僕なんですが、当然一番聞きたいのは新作の話なのですが、マイクを取った瞬間、突然御禿と50人のプレッシャーに負けてチキンしちゃって、ついに新作の話を聞けなかった。申し訳ございません。自分もかなりショポンしてる...orz)

 それほど明確な、色を出してるという、あのー、自信がありません。だけど、こういうことを気をつけることがあります。
 作詞ということ、それから小説を書くということ、それからアニメを演出すること、実はこの3つは根本的に媒体が違います。そうすると、媒体の、つまり伝える方法は根本的違うならば、その媒体の違いにあわせた表現をしたいというふうに意識するだけです。
 一見これは当たり前の考え方なんですが、この十...んー、まー、あの、これを一緒にする人がいます。どういう一緒にするかというと、自分の作品の、たとえば、タイトルが先にある、内容が先にあるために、小説にしようが、アニメにしようが、詞を描く上であろうが、同じ形でなければならないと思い込みすぎている作家というのはかなりいるんです。
 で、いま一般論的にこういう言い方をすると、おそらく皆さん方が想像付かないです 媒体が違うんだから、表現が違ってきたというのは当たり前だというふうに思うわけです。だけども、繰り返しますが、自分が作り手になったときに、アニメも小説も詞も同じにしたいという欲望!欲!は間違いなく働いてます。それで、僕自身はガンダムをやり、30年前からそういう現象があることも知っていましたから、それを使い分ける努力をしました。
 どころが、最近そういう意味でいう具体的に悪い例がまた知りまして、本当にガツンとしています。日本の漫画家、日本の漫画雑誌編集者が、ついにアニメのプロデューサーにこういうことを言うようになりました。「この漫画家のコマ割りはアニメになったときのカット割りを想像しているので、カット割りを変更しては困る!」という、この二年くらい顕著になってきたのです。
 今、この中で3分の1くらい(の人)がこの意味を分かっていないようですが、その意味は説明しません。もう媒体が違う!!漫画とアニメの媒体が違うんだから、そんなことはありえないんです!ありえないんです!ついに、東京で漫画雑誌専門の編集者がついにそういうことを言うようになってきたというのは、この2、3年です その2年以来かなり顕著です。こいつらもほとんど僕の立場で言えばキチガイみたいなもんで、あいつらをブチ殺せ!

(質問がすべて終わったあと)

 どうも、本当にありがとうございました!

(最後は拍手の嵐の中、疾風のように去る御大)

な、長かった…。
とにかくこういうものです。
あいつらをブチ殺せ!は印象深かったです。

今日の林ちゃんも最高です

2008/08/31 00:13|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 今日の林ちゃんも最高です
打点こそ取れ損なったが、9回裏でレフトへ一撃!
これで3日連続安打だーシアワセだー
(今日の試合自体は負けたが…)


え?どこの林ちゃんだって?


もう2008年ですが…

2008/08/30 22:40|日常話TRACKBACK:0COMMENT:0
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - もう2008年ですが…
太閤立志伝Ⅵ、まだ出ないのー?

しかし、Ⅳは2001、Ⅴは2004なので、Ⅵはおそらく2007年だろうと、
そんな風に思っていた時期が、僕にもありました。
もう、今のコーエーに期待するほど、僕もバカじゃないですよ。
しかし、太閤シリーズはこうしてⅤで幕を閉じると思ったら、やはり寂しいです。


▽続きを読む▽

富野監督が音楽に関して分からないというデマを打ち破る

2008/08/30 10:31|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 富野監督が音楽に関して分からないというデマを打ち破る
ああいうのは普通に謙遜だし。


証拠(あまり証拠にはならないような気もするが…)↓

「CENTURY COLOR」を発売した時のRAY-GUNSのインタビュー

アニメ雑誌では
「監督は哲学的な人で」

音楽雑誌では
「監督は『僕は音楽の知識はないから』と言ってたんですけど、(曲を聞いたら) 『そこ、ギターの音が邪魔してる』とビシっと言われ(笑)」

富野が「僕は音についてまったく分からない」という話を聞いて、
鬼の首を取ったように喜ぶ輩に対して、
こう言ってやりたいね:
「富野の言う事をいちいち額面どおりに取らないで欲しい!」


それにしても、ほかの音楽関係のインタビューも見たいな…
田中公平さんやすぎやま氏を信じないわけじゃないけど、
なんかちょっと身内な感じがしてて、
やっぱりまったく音楽畑の人の富野感想が聞きたいよ。


도미노 요시유키

2008/08/30 01:10|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 도미노 요시유키
ううう……今回のタイトルがよく分からなくてすみません。
韓国語です。
韓国語の「富野由悠季」なんです。
「도미노」は富野で、
「요시유키」は由悠季なんです。
韓国方面の富野資料を探したい方は、
是非これをコピペして覚えてください。
「도미노요시유키」です。


で、何故か突然韓国語の話を持ち出すというと、
アニメアニメでこんなニュースを見つけたからです。

富野由悠季 韓国の総合コンテンツイベントで講演 ガンダムを語る

またガンダムかよと思わなくも無いが、
御大は講演をくださることはとにかくいいことだ。
予想としてはいつもの文化論と予想しますが、
たぶん台湾での講演に近いと思います。

しかし、羨ましいな~~
羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい
羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい
羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい
羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい
羨ましい~~~~~~~~~~~~~~~~!!




















…………すみません。大人気ないことをしました。反省はしません。
と、台湾に住んでる僕は言いましたが、
台湾と韓国のアニメ産業背景はやはりかなり違うので、
もしかしたらこのへんの差異を突き刺す話も聞けるのではないかと、
勝手に期待する。
なお、台湾のアニメ産業の事情も、
もし機会があれば、いずれ少し紹介したいと思います。


ちなみに、「도미노」でググると、
何故かドミノも出てくるけど、
韓国語の構造です。
気にしないでください。


未見の富野作品

2008/08/29 22:17|未分類TRACKBACK:0COMMENT:3
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自称富野ファンだが、
未だに見たことがない作品があるなんて、
ずっと恥ずかしいと思うのですが、
いつか絶対に見たいと思います。


アニメ
『エルガイム』:
なかなか見つからないし、
「半分永野作品」という強迫概念に囚われて、
見たくような見たくないような…。

『ガーゼィの翼』:
いつもヤフオクとかで買いたいし、
比較的に簡単に見つけるものだが、
イマイチDVDの情報が分からないので、
未だに手を出すことができなかった。
小説は面白いので、アニメも期待するが、
何故か作画貧弱のイメージがあって、
微妙に気が沸かないというか。
噂のファラン・ファは見たいよー。

『正体を見る』:
これもレンタル落ちのビデオしかないため、
時代劇+非ロボットも兼ねて、
ある意味一番見たいものだが、
何故かイマイチ買う気がないな…。

小説
『シーマ・シーマ』:
割とレアで高いものだったので。

『ガイア・ギア』:
ひたすら高価なもので、
なかなか手を出せなかったよ。
ラジオドラマもあるけど、
富野分的でいえば、
やはり小説のほうがいい?
ここらへんもよく分からないので、
しばらく保留。


一外人から見た富野節(3)

2008/08/27 14:34|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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■一外人から見た富野節
■一外人から見た富野節(2)

海外に住んでる身として、
なかなかリアルタイムにアニメを追うことができません。
今でこそ色んな如何わしいツールで最新の作品を見ることも可能だが、
(いや、断ってるが、僕はそういうのを一切使ってません)
子供の時、アニメといえば、テレビの放送に頼るしかなかった。
でも、当時はやはりいわゆるホットな作品しか放映してくれないから、
残念ながら、中学生までは
富野作品も『トリトン』『ガンダム』しか見たことがありませんでした。
(ちなみに、『ダンバイン』『ブレンパワード』と『∀ガンダム』は高校で、
『ザンボット』『ダイターン』『ザブングル』『キングゲイナー』は大学で、
リアルタイムで見てた作品は『新訳Z』と『リーンの翼』だけでした)

で、当時のテレビ放送はカオスなもので、
マジンガーとレイズナーとVガンダムといった70、80、90年代のアニメを
同時放映してもおかしくないというわけ分からんスケジュールでした。
(まあ、当時のテレビ局にとってどれも同じマンガ映画だから仕方ないが)
なので、僕の小学生時代のファースト、Z、逆シャア、F91の視聴記憶もごっちゃになって、
もうどれが先どれが後が分からない状態でした。
(Vは確か中学生時代はず)
でも、これらを見て感じたのは、いくつの作品の主人公の描き方は上手くいえないけど、
なんか「僕のために描いてくれた主人公」だっていうほど迫真で、
その劇中の心情描写も、とても他人事と思えなくて、僕の心を引き付けた。
つまり、青春の投影になりえるキャラは、僕は富野作品のなかで見つけてた。

で、その青春を感じる作品とキャラは何かというと、
『ガンダム』のアムロと『Zガンダム』のカミーユでした。
アムロのホロ苦い体験はもちろん、カミーユを苦しんでいる閉塞感も、
僕は確かに感じ取れた。
面白いことに、日本ではファースト世代とZ世代があって、
その作品の間に大きな溝があって、
作風や設定や演出などについての異見は
なかなか埋まれないし、分かり合えることも難しいという。
(このへんの断定が偏ってるのは承知して書いてあるからご勘弁)
でも、僕はこの二つの作品を一緒に見たせいか、
どれもごく普通に受け入れたし、
どれも「自分の青春」と感じた。
そのへんの体験はある身として、
時々ガンダム議論について大人気ない本気になりすぎる人たちを見て、
自分が本当に幸運だと思っています。


最後は『ガンダム』と『Z』で感じた「青春」について少々お話を。

最初『ガンダム』のアムロを見た時、僕は思いっきり年下なので、
なんとなく割とお兄さんとして見てた感じがありました。
それでも、さっきの言ってたアムロのほろ苦い青春を見て、
本当に成長の苦渋さを思い知らされた。
今思うと、そういう苦渋さは安彦やっさんの画風に相まって、
実にとても皮膚感がある感じでした。

一歩、『Z』のカミーユは年こそやはり離れているが、
時代像は近いためか、あの閉塞感にとても共同感がありました。
当時は演出も話も大して飲み込めなかったが、
そういう感覚的な苦悶だけは忘れませんでした。

つまり、生理的な青春を感じたのは『ガンダム』で、
感覚的な青春のは『Z』だということだ。


一外人から見た富野節(2)

2008/08/27 14:33|未分類TRACKBACK:0COMMENT:4
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■一外人から見た富野節

昨日は子供の頃の僕は富野節など分からないにもかかわらず、
富野作品にハマッたと言いましたが、
それでも、見ているうちに、
やはりなんとなく「富野節」を感じた。

ほかの作品もどことなく感じたが、
一番印象深いなのは、
やはり映画の『逆襲のシャア』だろう。
この作品を最初見た時、
僕はアニメ誌など一切読んだことがなく(つか、そういう存在すら知らなかった)、
情報も全部フィルムでしか知る由もない状態でした。
つまり、最低限のガンダムの知識しかない、
ある意味一番ピュアな視聴者でした。
ファースト劇場版も見たはずなのに、
当時はかろうじてアムロとシャアとララァをなんとなく覚えるのが精一杯でした。
でも、今思えばこういう状態で見た『逆シャア』だからこそ、
一番映画的な『逆シャア』かもしれません。



話は戻るが、
今でこそ大人を描いてる作品として評価されている作品だが、
当時はただひたすらカッコいいメカ戦と、
よく分からないけど、なんかすごい感情の渦巻きとしか思わなかった。
でも、
子供の頃で見た『逆シャア』に僕を富野節の片鱗を味わったのは、
アムロの一言でした。
アムロがララァを夢見て、呟いたあの言葉です。

「ララァ・スン…!」 

その後二人の会話も凄かったが、当時はこの言葉に唖然した。
どういうことかというと、アムロがここでフルネームでララァを呼ぶ。
フルネームで人を呼ぶのは、ファーストネームで人を呼ぶのに比べると、
もうすでにある距離を置くことになってる。
つまり、あの時の本当のララァか、ただの幻かどうか分からないけれど、
アムロにとって、もうすでにある意味離れたモノを意味する。
かつて(精神的に)愛し合ってしまった二人なのに、
何故そういう会話を交わってしまうようになったのか?
かつて時空の壁さえ超えた二人なのに、
何故時間を経って、こうも遺憾を抱いてしまうようになったのか?
かつて(ファーストの時)心まで交感し合った相手の成り果てに、
子供の僕が大人を分かってしまった(つもり)。

……と、いうのは、子供の頃の僕なりの解読です。
その微妙のニュアンスは、今思えば間違いなく富野節であるし、
何百本のアニメを見ってきた今でも、
そういう作りが出来るほかの監督は
つい見ることがありませんでした。


一外人から見た富野節

2008/08/26 22:16|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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今でこそ富野節を聞いてたまらないのですが、
ある意味、それは富野作品の正確な見方ではありません。
というのも、いわゆる富野節というセリフ廻しがあまりにも魅力過ぎるため、
ときどきそういう言葉回しに夢中するあまり、
話全体を埋没してしまう恐れもある。

が、一度考えてほしい。
僕はなぜ富野作品に熱中しちゃうのか?
それは富野セリフの関係だからなのか?
いや、それは決して富野セリフの関係だけじゃない。
考えてみれば、
幼稚園、小学生の頃の僕、
富野セリフどころが、アイウエオでさえ分からない状態なので、
富野節を気にするヒマなんて全然なかった。
でも、今でもはっきり覚えているのは、
あの時、富野作品を見た僕は、
一外国の子供でありながらも、
やはり確実に「何か」感じとれたということ。

その「何か」はなんたるものか上手く言えないけれど、
とにかく迫真で、僕の心を引き付けた。
スクリーンに映った世界はまるで虚構なものなどでなく、
ありのままの世界だし、
その登場人物一人一人の喜怒哀楽も作りものではなく、
本当の喜怒哀楽だと思っちゃうほど夢中していた。

日本語(と富野節)も多少分かるようになった今、
もう富野作品と富野節を切り分けて考えられないのだが、
そういう子供の時の記憶は大切にしたいですね。


▽続きを読む▽

スキンヘッドとガンヘッド

2008/08/26 00:00|富野由悠季関連TRACKBACK:1COMMENT:2
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『林原めぐみのガンヘッド発表会 大潜入レポート』
1989年頃バンダイが出していた「電影帝国」というビデオマガジンに収録されているということ。
その仲になんと富野由悠季監督も登場してた。

林原:
 ロボットのこといろいろやってきたと思うのですけれども、実際にこのような映画のことに関しては、富野さんはどのように思うのでしょうか?

富野:
 えー今とっても腹が立ってまして、こういう映画を作ることが出来る人たちがとてもうらやましく思ってます。本当は自分が作りたいなと思いながら、やはりあのー、アニメのほうが専門家だってことになっちゃって、やらせてもらえないという、とっても腹が立ってます。
 ただあのー、今日はこうやってガンヘッドの1/1のプラモデルの親分みたいのを見まして、あのー、作りがとても素敵なのと、それからなによりも、あ、こういうものがこういう風に見えるんだなということが皆さんにもとってもよく分かってもらえる。そういう意味ではガンヘッドって映画っていうのが、あのー、皆さん今までプラモデルだけでしか、たとえば想像できなかったものが、そのー、もっとすごく想像できる映画になると思いますので、これは、あのー、僕も期待してますし、皆さんも期待して見て頂ければありがたいと思います。

結局ガンヘッドって映画は富野にとって
実写が羨ましいと、想像力が刺激されただけですね。
まあ、映画自体あれだけXXですしね。


ちなみに、これはニコニコの転載で、
富野パートは2:26~3:33。

あ、この頃はまだ禿げ切れないので、スキンヘッドは言えないか。


ファウファウ物語あとがき

2008/08/25 00:03|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:1
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ちょっと仕事のストレス溜まったので更新をサボりたいけど、
がくとんさんのコメントをいただいたので、頑張って更新します。
今回はファウファウ物語のあとがきです。


あとがき

あるかも知れぬ話なれば、あるかも知れぬと思い、繰り返す物語とした……

                                               富野由悠季

 『とんとある話。あったか無かったかは知られども、昔のことなれば無かったこともあったにして聞かねばならぬ。よいか?』
 大江健三郎氏の『M/Tと森のフシギの物語』で、おばあさんが、『僕』に昔話を聞かせる時に、なんどもなんども口にした言葉です。
 その枕言葉は、『M/T』を支配し、伝承と『僕』が体験した過去と現在の現実まで支配します。
 そのディテールを知りたい方は、その作品を読むことをおすすめしますが……
 ここでは、『M/T』の所感を語るつもりはありません。しかし、ぼくは、ファウファウ物語の執筆を終了した後に、この『M/T』に接して、『昔のことなれば……』の語り口が持つ摩訶不思議さに圧倒されて、涙を流しました。
 なぜなら、ぼくがファウファウ物語を書き始めた本当の理由は、『M/T』に示されているような構造に触れたかったからだと分かったからです。
 しかし、曖昧な意識では、虚構を現実まで引き上げさせる力など持たせられるはずがありません。
 ぼくには背後に森がなく、ぼくは根なし草なのだという痛烈な事実を思い起こさせるだけなのですから……
             (もちろん、読者はそれだけでない別の理由も御承知でしょうが……)
 しかし。ひらき直って『M/T』は『M/T』で、ぼくには、こうしか書けなかったという現実を直視するしかないのです、と言い切りましょう。
 ぼくは、自分の本能のどこかにある指向と、ぼくの能力のギャップを感じながらも、昔から人を支配したであろうなにかに迫りたい、という欲望を捨てきれないのです。
 ぼくにとって、ファウ・ファウ物語は、ロボット・アニメのある代表かもしれないガンダムと無縁のものではないのです。
 ガンダムを書き始めた時に意識したことは、ロボットが活躍しなければならない疑似SFの世界に、人の記憶(別の言い方をすれば、恣意)を投入することはできないだろうか、と夢想したことに始まります。
  そして、その時、ようやく思い至ったことは、人の意思は、孤立して存るものではないということでした。
 当たり前のことなのです。
 が、そうだろうか? と、疑問に思わざるを得ない賢しさを、人は一杯もっているのではないか、とも思いました。
 それは、なにも、自由主義に代表されるような思潮の中に現われる誤解にとどまらない、と気がついたことです。
 企業、国家、官僚、民族、宗教、専門職主義等々の背景にあるものは、独立性に名を借りるか、真実に名を借りた独善的志向があると気づかざるを得なかったのです。勿論、利益追求の真理というものもありますが……
 それは、一般に言われる、例えば、企業が個人を抹殺する、と言った程度の認識ではなく、もっと根深いものなのです。
 危険を恐れずに言うなれば、人は、本来、庇護されたいという修正を持ち、孤立できず、独自の個の存立などはあり得ないという事実なのです。
 こう断定することは危険かも知れないというぼくの感覚が、すでに、個性とか独立性とか創造性という言葉のマヤカシに乗せられているのでしょう。
 当たり前でしょ?
 生物が、個として存在したことがありましたか?
 みんな助け合って、共存したではありませんか? 肩を寄せ合い、群れて暮らしてきたではありませんか?
 大人になって、どれだけ賢くなりましたか?
 賢くなってはいけないのです。共存するためには、その群の意思に従って、妥協する知恵がなければ、村八分になって、暮らしていけなくなるのです。
 だからこそ、人は、夢と希望という名前でもって、個人の独立性、自由を語るのです。
 そうなのです。
 なのに、なんで、夢を先にして、暮らそうとするのでしょう>
 希望を持たないと、堪らないからでしょう。
 ですから、ズーッと昔から、自然への畏敬と感謝がないまぜになった夢物語が、口から耳へ、耳から口へと語り継がれたのです。
 そして、それは、いつか、現実の中に紛れ込んで、現実を支配とする力ともなってしまったのです。
 たとえば、古事記に書かれたことが、現実の国家の源として作動するように……
 それは、いけないことなのでしょうか?
 いえ、それがおくびょうで、脆さを持つ人の夢なのです。それがなければ、たとえば、日本人は寂しいのです。
 その寂しさ故に、神話さえも現実を構築する要素として利用し、現実の苦しさを回避する手段として利用してしまうのです。
 昔から、人が語った物語は、口先だけのものではなく、文字の中だけのものでもなく、まして、意識の中に封じ込められただけのものでもないのです。
 現実を支えるものなのです。
 それが、ぼくにとっては、バイストン・ウェルでした。
 勿論、ぼくは、ロボット・アニメの監督ですから、一度は、バイストン・ウェルの世界をロボットを動かすための世界として利用しました。
 つまりは、ビジネスをする上でのど道具として、描写するところから始めたのです。
 ところが、『あるかも知れぬ事なれば、あるかも知れぬとして聴くのだぞ!』と言うに似た言葉を聞いた時から、それは、個人の創作物以上に、現実のものになったのです。
 『M/T』の森の世界では、人々は暮しの中に、やすやすと、しかも、巧妙に物語を取り込んで暮らし来ました。
 それは、人にとってやんごとないことのように感じられます。
 であればこそ、我々は意思して物語を創出して、昔ならば、森が残しておいてくれた物語を、今、語り継がれなければならないと夢想するのです。
 勿論、ひょっとしたら、海の物語かも知れないのですが、ともかく、それらのものが蓄えてくれた激しさを決して忘れてはならないと思うのです。
 それが、おおげさに言えば、ビビットな心を温存させて、現代的な危機を回避する唯一の方法となりましょう。
 現代、社会の表面に現れていて、一見、社会全体を支えているように見える各種のスペシャリストたちは、それぞれがマニアークな世界に陥って、世界を大観することを忘れてしまっているのではないかという想像は、本当に恐ろしいものです。
 なにもそれは、アニメとかコミックスとかパソコンとか、ホビーの世界だけのことではなく、政治や金融や科学技術の研究開発の世界やセックスやペットの考え方まで含めた、全ての分野に言えることなのです。
 それらのことごとが、それぞれの壁を作って、その中に閉じこもって、しかも、一番怖いことは、それが現代の真実なのです、流行なのです、正義なのです、と語り継ぐ癖を持ってしまう社会の恐ろしさなのです。
 その現実を『あることなれば、あることとして、認めなさい』『ウン!』とは、答えられないボクの直感なのです。
 人は、一人では生きていけません。
 人は、この世に存るもの全て関係の中で、生かされているのです。
 そんな語りかけを、森に変わってしなければならない現代という時代は、本当に危険なのです。
 ですから、ファウ・ファウ物語には、繰り返す物語という意味で、リ・ストリーというルビを振ったりもしました。
 それは、今、現在、ぼくがいかされている現実のひとつでも覗いて見たいという欲望の現れなのです。
 繰り返さなければならない。繰り返さなければ、きっと、ぼくは、死んでも、根なし草で終わるのだろうという恐怖に取り付かれているのです。
 ですから、書くのです。
 今度は、ファウ・ファウと森に行ってみたいものです。
 もし、酸性雨に犯されていない森があるのならばの話のですが……

このあとがきはいわゆる比較的マイナーな作品のものですが、
今改めて見ると、ここで書かれた内容は、ひょっとしたら
富野由悠季思想の集大成ではないのかと思えるほど語り尽くしたものだと思います。
ガンダムシリーズだけでなく、バイストンウェルワールドだけでなく、
人(ひと)、群(むれ)、命(いのち)、時(とき)、現実、世界…など、
これらすべてを言及したこの話は、今の社会像やアニメの恣意を予言しただけでなく、
のちの富野が鬱から復活する予告をも含んでいる。
「人との繋がりを感じる」。
それが富野作品の深意。そして、僕が富野監督から学んだもっとも重要なことでもある。


リボルテック・キングゲイナー第2弾「ブラックキングゲイナー」

2008/08/23 19:52|未分類TRACKBACK:0COMMENT:2
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原型はすでに出来たようです。
ソースは今月業の電撃ホビー。

うむむ…試作品を見る限り、
ちょっとコレジャナイロボな気がしないでもないが、
それでも我が家の第4匹のリボルテックになるそうですな。
(ちなみに、第1、2匹はキングゲイナーで第3匹はよつばという変なチョイス)
でも、
ブラックキンゲなんて訳分からん(いや、好きだけど)
富野監督と係わり合いのないモノより、
先にラッシュロッドやゴレームを出すべきではないでしょうね?海洋堂さん?
ドミはおとなしく自分で粘土で作るから…。

まあ、ここ数年リボのラインナップに絶望した僕にとって、
まさに一線の希望がよみ帰るというわけだが…。


手塚治虫と富野由悠季の相似点

2008/08/22 22:22|未分類TRACKBACK:1COMMENT:0
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1.作家性がある業界の代表の一人
2.大変クセがあって、嫉妬心が強い
3.若手育成に執心する
4.やたら人の生と死を物語のテーマにする
5.アイデアや導入はとても面白いのに、駆け足や収集が付かなくなる場合もある
6.マンガと映画の使い分け
7.作品ごとにまったく新しいものを挑戦する

いくつかの手塚弟子と比べたこともあったが、
なんとなく富野が一番手塚先生に似てるのは気のせい?


メタルギアソリッド

2008/08/21 22:27|未分類TRACKBACK:0COMMENT:4
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従兄弟にゲームを遊びたいと迫られても、
イマイチPS2を遊ぶ気は起こらないので、
数年ぶりにこのゲームを起動した。
案の定、小学生の従兄弟がうまくプレイするはずもなく、
十数分後、何故かコントローラはもう僕の手に置いてあった。
もう何回もクリアしたゲームだけど、
この2、3年すっかりゲームから離れた僕にとって、
今メタルギアといえば「性欲を持てあます」だが、
いざプレイしてみたら、改めてこのゲームの面白さを感じさせた。
「うわあ、こんなにワクワクするゲームなんだ…」、と。

ゲームシステムもそうだけど、
やはり物語構造自体がしっかりしてるおかげで、
話の段取はとても丁寧で緩急が付けていて、
潜入の緊張感やだんだん迫る危機感は実に良い味でした。
潜入→天井の通路→人質救出やメリルとの接触など、
ちゃんとゲームしていて、本当に良い作品でした。
その後のメタルギア2と3もプレイしたが、
やはりそういう感じは消えていて、
ただ受けるから続編という雰囲気が感じないでもないという感想も
なんとなくあるな。

というわけで、今晩はオタコンとの接触まで!


ふう~疲れた

2008/08/20 21:02|日常話TRACKBACK:0COMMENT:0
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従兄弟がまた来たので、
毎日朝から夜まで付き合わされて、
更新する暇もブログ用ネタを考える時間も無かったな。
やれやれ、子供は面白いけど、
何日も一緒にすると、さすがに疲れるよな。
つか、子供を面倒だと思うようになったのは、
オレも大人になったという証しか。

王の心覚え書き(激しくネタバレある!)

2008/08/17 13:35|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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未完成だが、激しくネタバレあるので、
未読の方はどうか見ないでください。


王の心 カドカワノベルズ


死者の書

序章        グラン王の死
第一の物語   アカイアーの復讐
第二の物語   アジャリ・ビィー
第三の物語   ゴレンゴン哀歌


天女生誕の書

欠の章      うたた星々
第四の物語   カロッダの俊英 
第五の物語   処女の見るもの
第六の物語   フラムロードの世
第七の物語   乳首
第八の物語   カロッダのクワウンゾゥ


再臨飛翔の書

受領の章     クワウンゾゥの撤退
第九の物語   メスジアの香り
第十の物語   蠢動
第十一の物語  女たちの血脈
第十二の物語  メスジアという王
第十三の物語  飛ぶには遠く
終章        彼方の三星物語



シェラン・ドゥ・グラン王:
物語の主人公。
一代でカロッダの乱世を収めて、カロッダをフローランドにした王者。
物語冒頭で毒殺されて、霊の存在になる。
子孫たちの行く末とカロッダのフローランド化を見届け続ける。

オクニス:
グラン王の第一夫人。
賢明で慈悲、グラン王の一番の理解者。
グラン王の後で暗殺される。

ラハブ:
グラン王と第一夫人オクニス間の娘、長女。
アドリー・オッカム家に嫁ぐ。
跡継ぎ問題で妹のプリアプスと敵対になる。

フラムロード:
ラハブの子でありながら、敵対のベーブ家のライラと相思相愛。
ゴレンゴン事件の後でライラと結ばれて、カロッダの新王になる。
なお、二人の弟がいる(共にゴレンゴンの呪いで死亡)。

ヨウスナハブ:
グラン王と第一夫人オクニス間の子、長男。
グラン王長年の戦友アドリー・クグス・フースにそそられて、グラン王とオクニスを暗殺する。

プリアプス:
グラン王と第一夫人オクニス間の娘、次女。
アドリー・ベーブ家に嫁ぐ。
跡継ぎ問題で姉のラハブと敵対になる。

ライラ:
プリアプスの娘でありながら、敵対のオッカム家のフラムロードと相思相愛。
ゴレンゴン事件の後でフラムロードと結ばれて、カロッダの王妃になる。
なお、二人の兄がいる(共にゴレンゴンの呪いで死亡)。

第二夫人コントラッポ

次男エイライム

三男ダラーミエル

アジャリ・ビィー:
グッダーザン随一の念力と絶世の美貌の持ち主。

第三夫人ポテー

四男ルベン:
グラン王と第三夫人ポテー間の子、四男。
母の言いなりする凡庸な男。

アカイアー:
グラン王と第三夫人ポテー間の娘、末娘。
清冽で可憐な気性が激しい処女。
グラン王と第一夫人オクニスを暗殺する犯人を捜している。

第四夫人メハピアー

メスジア

第五夫人タルマム

末弟マラーク・ゼヌニム:
「カロッダの俊英」と呼ばれる指揮、剣術、念に長けてる少年。

アルクア

エイシェト:
グラン王とアルクア間の娘。


機動戦士Vガンダム・SCOREⅡブックレット

2008/08/15 10:58|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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音楽で伝えねばならないこと
「Vガンダム」の音楽を担当することになって僕はある決心をした。
それはこのシリーズをもってテレビのアニメーションシリーズの
音楽作曲活動からしばらく離れなければならないということであった。
多分このシリーズを終えた時、僕の心のひきだしは空っぽになっているであろう。
逆にそれだけ全てを出し切りたい作品とめぐりあった訳であるから僕としては幸せなものである。
それ故、誰に何と言われようがこの作品における音楽の方向性は
はじめから決めていたのである。人間の内面をえぐるようなエモーショナル
アプローチで、その為にもクラシカル・オーケストラのスコアを書く必要があった。
外国で日本のアニメーションを目にするときが多々あるが、絵の質に比べて
音楽の質が追いついていないことをよく指摘される。
それはもっともな話で、音楽家の立場があまり理解されていないのではないだろうか
時間的および予算的な問題から多くの職業作曲家達はおのずと全力で取り組ます、
主張のない音楽を氾濫させてしまう現状が確かにある。しかし僕はそもそも
日本のサウンドトラック専門の作曲家になるつもりはないので気楽に全身全霊を傾けてしまう。
逆に「エネルギー配分を考えずに必要以上の音楽を創っている」とか
「ここまでやる必要はない」とかよく指摘されるわけだが、
僕にとってはあまり為になるアドバイスには聞こえないのである。
多くの仕事を定期的に得るよりも、いつか異国で「Vガンダム」を胸を張って見たいわけである。
それ故いささか公私混同となってしまうが、
「Vガンダム」に流れる血は僕自身のものであるという自負が強くなってしまう。
作曲する時、僕は心の8中の幾つもの感動や経験のひきだしを開ける。
普通に生きるのであれば忘れてしまえる事も、感じなくても良い感覚も引っ張り出す。
作品の中で泣いたり笑ったり、様々な感情を自分の事として心からしぼり出した音楽だから、
一人でも多くの人に何かを伝えられたらこれ以上の励みはないのである。

AKIRA SENJU
Composer 千住 明

作家である。チャレンジャーでもある。
そして、それ以上の無いこだわりが、この発言のなかから伺える。
確かに作曲家に恵まれた富野作品のなかでも、雄壮な三枝と華麗な菅野らと比べても、
まったく遜色しないところが、一番深さが含蓄してる音楽だと思う。
謙遜と自負が同時に存在してるこの姿に、
僕はなんとなく同じ作品の総監督の富野由悠季に見えた。

なお、『Vガンダム』に関して、
千住氏はエッセイ集『音楽の扉』でも同じ趣旨の発言をしましたから、
その半端のない愛着がうかがえます。
(同書でも監督に関する発言があったが、
「だいたい富野監督に教えられました」みたいなことを言っていると記憶する)




もう一つは浦上音響監督の発言。

音響監督の仕事は、主に音響の演出を指しています。
従って、フィルムになったところから我々の出番になる訳です。
声優さんのキャスティングをしたり、どう音楽を使えば作品の効果が上がるかを演出したり、
または、効果音の事なども…。要するに音に関する全般を引き受けます。
ですから、そのフィルムに音が付いていかに血が通うものにするかを努力しているわけです。
今回作曲家候補の中から千住さんのサンプルCDを聞かされた時は、
そのまま『Vガンダム』に使えるのではないかと思えるほどマッチされた音楽でした。
作品作りに血を通わせてくれる最大の武器は音楽です。物を言わずして語ってくれるのも音楽。
それは、我々の作品作りになくてはならないものです。
音楽が鳴り出した瞬間からその作品の色あいが出てしまいます。
ですから、作品の中でどう音楽で表現できるか、どう見ている方々に伝えるのか…
ということを常に思考しながら作っています。
そして、千住さんの曲はBGMとしてとても完成度が高いので、
より多く番組の中で流して皆さんに聞いていただこうと思っています。
それは千住音楽が効果音楽としてより作品を膨らませてくれているからです。

YASUO URAKAMI
音響監督 浦上靖夫

裏方の裏方のこの方(クドイな)は、一見温厚に見えても、
やはり音響の演出家と自負してるほど、大変こだわりを持ってる人なんです。
藤野音響の強い使い方や鶴岡音響の賑やかな使い方と比べて、
一見はっきりとした個性が現れないけど、
音響全般の使いところは決してフィルムを超えないし、曲も最大限に生かすのは特徴。
言い換えればこの人の個性は「節度」。つまり節度がある使い方。
そういう人があるからこそ、『Vガンダム』が今のような形になったのかもしれません。


あ~最悪

2008/08/15 00:15|日常話TRACKBACK:0COMMENT:0
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明日から、普通(?)の富野サイトに回復します。

そして一言を言わせてもらいます。
最悪です。
マジ最悪です。


それは、9局の出来事でした

2008/08/13 23:14|日常話TRACKBACK:0COMMENT:4
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星野「今の振ってねーだろ」
審判「アウトだ」
星野「わかった。じゃあ代打村田」
審判「退場!」



   ◢░::         ▂           ▂ ..:◣
  ▐ ░:.         ▐▂▍         ▐▂▍ ..:▌
  ▐ ░░:.              ▄▄▄        ..:▊
 ▐ ▓░░::..            ▐░:: ▌      .::░ ▉
  ▐▓▓░░:::...          ▐░:: ▋      .::░ ▊
  ▐▓▓▓░░::::....         ▋▄▄▄▋    :::░░ ▋
   ▀█▓▓▓░░:::...      ▀    ▀  :::░░▓▀



なんじゃこりゃ


いくつの富野関連情報

2008/08/12 19:23|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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全部昔の情報だが、一応メモに兼ねて書く。


朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。
川口名人こと川口克己氏の『好友移城』の記事。

関連記事:
■予告
■ガッカリ番組の紹介
■7/13『好友移城』での富野写真
(あ、富野と関係ねえや!)



第62回(07年)毎日映画コンクール 受賞者及び受賞作品 決定!
毎日映画コンクールのヤツ。

■ 【第62回選考委員一覧】(各部門2次選考委員)
アニメーション部門
かわなかのぶひろ(映像作家)
切通理作(評論家)
富野由悠季(アニメ監督)
真賀里文子(アニメ作家)
三留まゆみ(映画評論家)

これは完全にチェック漏れ(というかチェックしてねえ…)。
で、受賞作は何なんのかというと、これです。

アニメーション映画賞 「河童のクゥと夏休み」「河童のクゥと夏休み」製作委員会

なるほど、原恵一さんの河童か。納得。
今数少ないアニメ以上のものを持ってるアニメ演出家の一人である原氏ですが、
富野との交点は今のところ二つがあります。
一つは原氏が『クレしん』か何かのインタビューで、『∀』を見て小林愛嬢をスカウトした話で、
もう一つはアニメージュ2003年6月号の富野x原対談。
これで三つ目となりますが、これについて御大は何も言及してないから、よく分からないな。

ちなみに、大藤信郎賞は『頭山』などの山村浩二。
こっちも富野が絶賛してやまない方。
確かにメディア芸術100選の時の審査員10選(超うろ覚え)の一つだったはず。


金メダルの北島康介

2008/08/11 12:11|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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                                 ,.へ
  ___                             ム  i
 「 ヒ_i〉                            ゝ 〈
 ト ノ                           iニ(()
 i  {              ____           |  ヽ
 i  i           /__,  , ‐-\           i   }
 |   i         /(●)   ( ● )\       {、  λ
 ト-┤.      /    (__人__)    \    ,ノ  ̄ ,!
 i   ゝ、_     |     ´ ̄`       | ,. '´ハ   ,!
. ヽ、    `` 、,__\              /" \  ヽ/
   \ノ ノ   ハ ̄r/:::r―--―/::7   ノ    /
       ヽ.      ヽ::〈; . '::. :' |::/   /   ,. "
        `ー 、    \ヽ::. ;:::|/     r'"
     / ̄二二二二二二二二二二二二二二二二ヽ
     | 金 |      北 島 康 介        │|
     \_二二二二二二二二二二二二二二二二ノ




♪ ∧,_∧
   (´・ω・`) ))      君が代は
 (( ( つ ヽ、   ♪  千代に八千代に
   〉 とノ )))
  (__ノ^(_)       さざれ石の

    ∧,_∧ ♪
  (( (    )      いわおとなりて
♪   /    ) )) ♪
 (( (  (  〈       こけのむすまで
    (_)^ヽ__)


凄すぎる。


富野由悠季と挿入歌(2)

2008/08/11 01:03|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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関連記事
■富野由悠季と挿入歌(1)


前回に続いて、今度は『Zガンダム』。
銀色ドレス』。
「灼熱の脱出」でフォウを歌う歌なので、特に文句は無し。
フォウはこういう軽い死に方にとても似合う(?)素敵な女なので、適切だと思う。
導入はちょっと強引だが、使い方はオーケー。
でも、フォウはどう見ても死んでると思うけど、
なぜまた生き返るの?と当時は思ったもの。


次は『逆襲のシャア』の『ネオジオン国歌』。
これは劇中歌として完璧に作品世界の空気を表現して、
のち富野が目指す「祭り」と通じたものがあると思う。


次は『F91』の『Enternal Wind』。
一回はセシリーの里帰り(雪が降る同時に)の時、一回は最後のセシリーの花。
どっちF91の冷たい美しさを表して、非常に素敵だと思う。


次は劇中歌がとても多い『Vガンダム』ですが、
一番最初登場するのはシャクティの歌『ひなげしの旅のむこうに』。
この優しい歌は劇中の子守唄だったり、エンジェルハイロゥで歌った歌だったり、
とても大活躍している。
ほかの劇中歌と違うのは、あくまで『Vガン』の世界に実在する歌なので、
あくまでイメージを伝わるほかの曲と違って、話と連動だけでなく、
世界観の一つとしてもっと深読みをしてもいい曲だと思う(そうしたことは無かったが)。


いつかまた生まれた時のために』。
ズバリ言うとオリファー隊長追悼曲。それだけ。
いや、とても美しいと思うし、美しいと思うからこそもっと使わせたいと思うけど、
結局一回きりで、ちょっと惜しかった。
命の巡る繰るを描く『Vガン』だから、もっと曲を生かすべきけどと思うけど、
『生まれてくるものへ』も結局使っていないな…


いくつもの愛をかさねて』。
リーンホースJr.特攻と『Vガン』の最後で使ったこの曲は、
どれも画面にうまく嵌ったから、文句のしょうもない。
しかし、これまでの富野作品を見て、
一つの曲を作品に使うのに、どうも2回しか持たない気がするけど、どうだろう?


あ、この曲忘れた。『ザンボット3』の『宇宙の星よ永遠に』。
神曲に卑怯くらいの使い方。
その話を見て、この曲を聴いて涙を流さない人は、人間にはあらず。


次は白富野の集大成、いい曲揃いの『∀ガンダム』。
MOON』といえば、すぐ「地球はとてもいいところだ。早く戻って来ーい!」
と「ぼくはムーンレイスなんですよーー!」を浮かぶっての何よりの証明です。
これ以上説明は要りません。


宵越しの祭り』と『月の魂』。
共に劇中の世界の歌だが、使い方はやや異なる。
『宵越しの祭り』は一話と二話の成人式しか使われないが、
まさに土着的な歌で『∀』の世界観に提示してくれて、とてもすばらしい。
でも実際の画面はちょっと持たない気がしないでもない。
一歩、『月の魂』はレット隊の歌とされるが、
レット隊登場、フラット踊り、ムロンとキャンサー宇宙漂流以外、
意外と印象深かったのは「夜中の夜明け」。
核が爆発するときは何故この曲を掛かったのか、未だに思考中であるけど、
やはり生と死、命の輪廻にかかわってる曲だからか?


お嬢さん、内緒話です』。
これも一回きりですからあまりいえることも無いが、使い方としては間違いなくイェスだ。


次は個人的に『コスモスに君と』と共に、井荻麟の最高傑作『月の繭』。
最終回コンテは完全にこの曲に沿って作ったので、もうそれ以上のものができないと断言する。
そういえば『カンタータ・オルビス』時の展開もそうだが、道理で画面と完璧に合ってるね。


次は『キングゲイナー』の『本当かい!』と『ミイヤの祭り』。
歌と立体映像のなかで展開する状況はたまらん。使い方としては文句なし。
ただ、この2曲で劇空間を掴んだ!と思ったら、2話しか使わなくてガッカリ。
脚本家は切腹しろ!
まあ、エクソダスを始まったら、祭りなんかをやる暇もないと思うけど…。
え?最初の2話でもあやうく画面が持たないところだったから?気のせいだよ!


デビルズ・アイシング』。
豚ちゃんことオーバーデビルの歌。まあ使い方としては正当だな。
氷の上のおやすみなさい』。
特に印象が残らなかったな…。


最後は『リーンの翼』の『はじめてのおっぱい』。
クスタンガの丘に入って奇妙な歌だなー、と思ってます。
なお、『新訳Z』の記憶はいろいろ混乱してるので、ここで飛ばさせていただきます。



…………元々この記事を書いてる意図は
「あれ?富野って実は劇中歌を使うのが下手なんじゃないのか?」と思ったものの、
いざ書いてみたらそうでもないらしい。
というか、下手な使い方をしたのはあくまで少数だし、それも比較的に前期にいる曲ばっかり。
まあ、結局オレの基準が低かっただけかもしれないけど、
「悪い」「微妙」「普通」「良い」「完璧」と5段評価から見ると、
悪いのは『シャアが来る』『HEY YOU』『わすれ草』『水色の輝き』『青のスピーチ・バルーン』で、
微妙のは『哀戦士』だけ。ほかはみんな正面評価。緩すぎか?


あと、アニメじゃないけど、『リーンの翼』の最後の『りんごの歌』と
『ファウファウ物語』の最後の『ホテル・カリフォルニア』も印象深かったな。
バイストンウェルシリーズは歌で「生」感を増やす?


富野由悠季監督がおじいちゃんになったようです

2008/08/10 01:44|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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2008・8・8、富野家の初孫が誕生した。
詳しくは富野監督の次女のヤヤ子のブログで。

おめでとうございます。富野監督。


富野由悠季と挿入歌(1)

2008/08/08 23:03|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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今人気のアニメといえばタイアップですが、昔はそうではなかった。
アニメは完全に子供商売と見なされ、大した注目にも集められませんでした。
藤原誠みたい二足のわらじを履く人もいるけど、
やはりアニメで宣伝のような売り方はいなかった。
が、一つのアニメがすべてを変わった。
それが『機動戦士ガンダムⅠ』です。
(注:かなり乱暴なまとめ方です。文句をしないでください)

詳しい状況は省略するが、
とにかくサンライズと名古屋テレビと松竹とキングレコードがいい連携プレイをして、
レコードをバカ売れさせた。
それ以来、レコード会社もアニメ視聴層潜在の消費力を気づいて、
だんだんアニメのオープニング、エンディングや挿入歌に手を伸ばすようになってた。
つまり、そのビジネスモデルを作った『ガンダム』の監督、
富野由悠季もまたそういう状況に作った一人なんです。
おかげさまで、糞タイアップ作品に合わない気がしないでもないタイアップも増えていて、
正直時々ちょっと嫌な気分をします。
が、今日の話題はタイアップとかじゃなくて、富野と劇中歌の関係に絞りたいと思います。


ご存知の通り、富野アニメにはいろんな劇中歌が出てきます。
ファーストの『いまはおやすみ』やZの『銀色ドレス』はもちろん、
Vにも『ひなげしの向こうに』や『いくつもの愛を重ねて』などもあり、
最近だと∀の『宵越しの祭り』やキンゲの『ミイヤの歌』などが印象深いです。
大変音楽に恵まれてる富野作品ですが、劇中歌にもまた例外がありません。
コスモスに君と』、『カンタータ・オルビス』、『MOON』、『月の繭』など、
優れる作曲家の歌に劇中な神懸かりな使い方を加えて、
それらによって心動かされる人もかなり多いはずです。
が、富野は果たしてこんなに劇中歌をうまく使いこなしたのか、
ここでもう一度検証しよう。


まずは名曲で迷曲の『シャアが来る!』。
これの使い方はまさに滑稽としかいいようがない。
何せシャアが散々アムロにやられてるのに、「シャア!シャア!シャア!」って、
シャアをバカにしてもいいかげんな使い方でした。最悪です。
少なく伝えたいものが完全に伝えなかったような気がする。


次は『いまはおやすみ』。これはもう完璧としか言えません。
36話終盤はもちろん、アムロとララァの交感などは演出と相まって、
まさにアニメ史上もっとも美しいシーンだといえます。
ここの使い方はいい。


次は『イデオン』の『コスモスに君と』。これも完璧。
べスと両親の別れ、キッチンの死といったシーンに完璧ハマって、
もう美しくて美しくて、言葉などもいりません。


次は『カンタータ・オルビス』。
これもアニメ史上もっともすごいシーンの一つです。
説明など要らないのです。


微妙に順番ズレですが、気にしない。
風にひとりで』。
これは砂漠の風景と一緒に視聴者のなかに入って、
アムロの辛さを伝えてきたのです。
これもいい。


哀戦士』。
ほとんど褒めるところしか聞いたことがないこの曲ですが、実は使い方に大いに不満です。
なるほどジャブロー降下に不可欠な曲ですが、途中で何度も途切って、
正直いって、そんなにいいとは思いませんでした。
ここの使い方を聞いて、ひょっとしたら富野は歌曲を単に
BGMとしか見えないじゃないの?とも思ったりします。


次は『Believe』と『めぐりあい』。
これもまたいい使い方をした。
どの曲も2回ずつ、しかもクライマックスで使う。完璧。


次は『ザブングル』の『HEY YOU』と『わすれ草』ですが、
どっちも無理やり尺を切って、かなり悪い使い方をしました。
この人はひょっとしたら挿入歌を使うのが下手かな?とさえ思う。
でも、最終話の『HEY YOU』はよかったと記憶するが…難しいな。
GET IT!』。これもいい。『わすれ草』とのコンボはかなり効くです。


次は『ダンバイン』の『水色の輝き』。
この曲は確か2回か3回しか使わなかったが、どれもシュールで、
無理やり入れさせた感じが感じられます。
一回はシーラ様との出会い。一回はバーンの男泣き(笑)。
どうでもいいけど、あのバーンの姿に惚れたな。


青のスピーチ・バルーン』。この曲は4クール以降の冒頭で使われたのですが、
やはり尻切れで、曲を堪能することができませんでした。



思ったより長くなったので、二回分けをします。
なお、エルガイムはまた見終わってないので、ここで飛ばします。


総監督が必要する才能と総監督としての富野

2008/08/07 23:42|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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今日は某動画で平成極楽オタク談義リスタート第一話「富野由悠季」を
もう一度見直したが、池田憲章さんのいうことに惹かれた。

富野さんはある時期もう構えを作ることが仕事みたいなことになって、
ディテールというのはね、意外と緩く作ってた。
それはあの人はな、オレが総監督として才能がある人だと思ってる。

(大体こういう感じの発言)

ここで池田さんが挙げた例ってのは今川泰宏監督の出世作『ハイパージェリル』だが、
それを聞いて僕が思ったのは、もう一つの発言なんです。
裏トミノブログの河口佳高プロデューサーの「Vガンダムの頃」の話なんです。

この番組からシナリオ打合せに参加させてもらい、得がたい経験をしました。
毎回、打合せの最初に素人同然の私が、カントクから意見を求められるのです。私が「ここの台詞が…」とか、「ここでこの武器ではなく…」とかの瑣末な部分に関する意見をいうと、「そんな各論はいいんだ。総論として面白いのかどうかの意見をくれ」と言われました。面白いところはあるのか?面白くないところはどこなのか?ならば、どうすれば面白くなるのか?シナリオ打合せはそれを討論する場なのです。私はお話の構造を論理的に捉えることができていませんでした。

この二つの発言を合わせて得たのは、ほかでもない、
総監督としての富野由悠季の方法論だったのです。

つまり、こういうことです。各話のディテールに関してはコンテマンと演出に任せて、
総監督はシナリオから全体の流れを作ればいい、ということです。
そう考えると、『ガンダム』ときの関田回とか『イデオン』ときの滝沢回とかも、
総監督が自ら手を下さずに、シナリオ(の提示)もしくはコンテだけをやって、
コンテやら画面処理などは各話の担当に任せる形でやることによって、
若手のアイデアや才能をどんどん作品の中に取り込んで、
結果的に作品を作ること。 そういうのこそ総監督として必要な才能。

実際、これらの作品は誰見ても富野作品だし、若手育成にもつながるし、
アニメ作りには正解など無いのですが、こういう作り方がスタッフワークとして
一番適当な作り方だったかもしれません。
もちろん色々な状況や条件も入れて考えなければならないのですが、
作品を人に許せるかどうかという点に考えると、
M監督も犬監督もそういう類じゃないですね。
逆にいうと、手放したくないからこそ、劇場版特化になるわけともいえますね。

長年の間、富野はずーーと一から最後自分でやりたがってる人と
誤解されがちが(高橋良輔監督でさえそういう旨の発言をしたことある)、
そろそろ正面きって「作家性」以外の富野を語ってもいいじゃないのかな、
とつぐづぐ思ってます。


別のところにも「富野は画面処理に関しては寛容的」という発言もあると記憶してますが、
今はちょっと思いつかないので、今日はこの二つだけ。


終戦記念日も近づいてるが

2008/08/06 00:30|日常話TRACKBACK:0COMMENT:0
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こんなときこそ、何故か『リーンの翼』を見直したくなる不思議。

8月入って、よくNHKの戦争記念番組を見てるが、
万感の思いが胸にいっぱいで、何を言えばいいのかわからない。
しかし、そのような悲惨なことでさえ乗り越えられ、
己の心を豊かにする糧にするのが日本人の強みである。


少々野球話を

2008/08/04 23:33|日常話TRACKBACK:0COMMENT:4
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ここ数年、台湾一番人気あるスポーツは、
間違いなく野球です。

しかもこれはほとんど一人がもたらしてる人気で、
彼の試合であれば、
朝だろうと深夜だろうと休みだとうと仕事の時間だろうと、
みんな見るわけ。
ここでいうみんなはまさに全国民で、
爺さんや婆さんも幼稚園生も学生さんもサラリーマンも女の子も男も、
みんなテレビの前に3時間以上も見守るわけ。
そう。彼の名は王建民。
ヤンキースの投手。
彼の人気に驚く外国の方もいらっしゃるようですが、
日本でいうと野茂+イチロー+松井+ほかの大勢みたいな状況で、
そりゃ人気が出ないほうがおかしいという凄い注目度。
当然の話で、
台湾のメジャーリーグ観客はたぶん半分以上が彼が所属するヤンキースを応援する。
台湾人としては当然理解できるが(僕も見てるから)、
やはり野球の視点から見れば、
ものすごく凄い現象だなー、とつい思っちゃう。

最近彼も松井も怪我でしばらく出なくなるが、
それでもヤンキースのプレイオフ進出を期待する。


ヤンサン休刊

2008/08/04 21:02|日常話TRACKBACK:0COMMENT:0
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そういえば、もうとっくに決定しましたが、
ヤングサンデー今月つい終わりを迎えるらしいですね。

ヤンサンそのものを購読する習慣はないのですが、
いくつの注目作品があります。
そのなか、特に気になるマンガというのは、『おやすみプンプン』。

『プンプン』そのものも面白いですが、
昔(と言っても、今年のこと)仕事関係で、
ちょっと作者の浅野いにおさんを付き合わせていただいてたことがありますが、
その時、一見繊細な青年なのに、優しくて気さくな浅野さんらと共にお話して、
すっかり彼の人そのものに傾倒しました。
マンガ(つまり、仕事)のことだけでなく、
アニメやゲームなど趣味や業界話も気にせず話してくださって、
とても感謝しています。
ヤンサン休刊後、ビッグコミックスピリッツに移籍するらしいですが、
これからの活躍も期待します。


富野小説のオススメ(4)

2008/08/01 21:23|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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関連記事:
■富野由悠季連載一覧
■角川スニーカー文庫における富野小説のISBN番号
■富野小説のオススメ(1)
■富野小説のオススメ(2)
■富野小説のオススメ(3)


アベニールをさがして』。
これは90年代に入って、珍しくガンダムじゃないSFロボット小説ですが、
富野小説のメカ戦描写における一つの完成型だと思います。
僕は前の記事で富野を「詩中に画あり、画中に詩あり」と形容していますが、
この作品もまさにそうです。
登場人物の思いと戦場の状況とメカの動きを一遍に読者を伝わるのが富野作品の特徴だが、
場面の転換が激しい本作ではもうそれを遺憾なく発揮していて、
読むリズムも時に激しく、時に緩やか、まさに富野小説の真髄です。
ただし、この本を読んで思ったのは、
やはり富野はアイデアの人で、纏まるのを苦手な人だなー、という再確認です。
導入部とギミックはとても面白かったし、その途中までの発展も人の興味を引いてるのに、
全体の3分の2を過ぎても全然纏めれる気を感じさせないのも、さすが富野としか言いようが無い。

アニメというスタッフワークに身をおける時でさえ、
時々危うく話を纏まらないボーダーラインにいるのに、
やはり富野のワンマンワークにそれを求めるのはちょっと無理のような気がしないでもないが、
この話を書いて突然思い出したのは、首藤剛志氏の言葉です。

ただ、ふと思うのは、富野氏は、脚本家運が悪いんじゃないかなあ、という気もしたのである。
 違っていたらごめんなさい。
 ひどい脚本に頭にきて、自分流に絵コンテで変えちゃうんじゃないですか。
 誰が書いた脚本も、数分台詞を聞くと、富野流を感じてしまうんですね。
 僕はたいした脚本家じゃないけれど、若い頃は、自分の書いた台詞と、同じ台詞を書いた絵コンテの台詞の、秒数の違いまで気になって、アフレコスタジオに行って台詞直しをしたり、声優と話して、その声優が無理をしない自然な語り口を台詞に取り入れたり、場合によっては、絵コンテチェックまでしたりしていた脚本家なので、こんな僕が富野氏と仕事をするような事が起きるとすると、大げんかになるかも知れませんが、それでもなんとなく富野氏の脚本家運が気になります。
 確かに、信じられないほどひどい脚本を書く人も多い。
 そんな人は、顔を洗い直して、富野氏の「映像の原則」を読んでほしい。

もちろん、富野を知る人たちにとって、富野の脚本からの改訂はたいした珍しいことではない。
脚本を叩き台にし、コンテ階段で尺をフィックスし、
一々セリフや一ヶ所を気にしないんで全体の流れを重視する人ですが、
そういう作風は脚本家の立場から見れば”脚本家運がない”という。
もちろん富野作品のなかにも星山氏か桶谷氏みたいな優れる人もいますが、
僕個人としては首藤氏の指摘が鋭いとも言わざるを得ません。
つまり、富野を修正する人はあまり少なかったゆえ、
全体としてはガタガタする作も少なくない、ということです。
それは何も富野アニメだけでなく、小説のなかでも感じたことですが、
一体編集者は何をやっている!と、信じられないほど酷い出来の作品もありました。
(僕が言った「酷い出来」というのは、ズバリ構成のことです)
そういう点から見れば、やはり富野はパートナーに恵まれないとつくづく思います。
(もちろん一口パートナーと言っても様々なのがありますが、ただなんとなくそう思います)

……と、話題は『アベニール』に戻ります。
全体としてはスラスラ読めるタイプですが、
ビョーキ三部作のなかにたぶん一番完成度が低い作品かもしれません。

オススメ度:★★★



ガーゼィの翼』。
正直言って、この作品は面白かった。
主人公が身を置ける立場もその周りにいる人たちも戦闘も逃亡の旅も、
恐獣と火薬の大バトルもクリスのセックス感もチャラチャラしてる雰囲気も、
すべてがすべて面白かった。
ちょうど『リーンの翼』と『オーラバトラー戦記』を足して2を割る軽い雰囲気がとても好きで、
バイストン・ウェルの集大成と言ってもいい作品だと思います。

が、ここに来て一つ大きな問題があるのです。
そしてそれはほぼ全バイストン・ウェル・シリーズにおける問題で、つまり終点が見えない。
簡単にいうとオチるところが見当たらないと言ってもいいですが、
それこそバイストン・ウェル・シリーズの「閉鎖感」をもたらす大きな一因だと思います。
それは何も富野小説の問題ではなく、
「現実ともう一つの世界の出会い」系の小説の共通した悩みなのですが、
キャラが萌えるわ、何時でも会いに行けるわ、永遠に幸せな日々を過ごすふたりでしたわ、
みたく終わらないのが富野小説ですから、主人公アボーンする以外には、
なかなかカタルシスを得る終わりが見つからないのです。

と、また離題しましたが、この本は僕にとって、かなり好きな一本です。
4巻までは地に付いた描写で展開し、内容もとても平穏で、
5巻の超~駆け足(人によって超展開を言うのもあるかも)が無ければ評価はもっと高くなる。
ただ、かつて子犬さんの『ガーゼィの翼』関連記事のなかでもこういう会話を残したように、
もしかしたら『ガーゼィの翼』の好みに関して、僕は少数派なのかな…?

オススメ度:★★★★



やや不謹慎な言い方かもしれないのですが、
富野由悠季という作家はかつて色んな時期で色んな遺言を残っているが、
この『王の心』もその一つです。
そして、この遺言の一つの『王の心』こそ、
富野由悠季がようやく小説という媒体を獲得した作品だと僕は思います。

まず遺言から説明しましょう。
他田引水で申し訳ないですが、富野がかつてザ・スニーカー95年春号でこの作品に対してこういう発言を:

―富野さんが生み出した様々な作品を見て、少なからず影響を受けたという人はたくさんいると思いますが……。

 僕は昔からいろいろなアニメ作品にかかわりましたが、過去の作品の責任をとっているヒマがない。次のものを見つけたいと必死なのです。だけど、一つひとつの作品で残したものがあって、それを次世代の人が受け止めてくれているその人たちが、それをスプリングボードにするのか、全否定をするのか、どっちでもいいんです。ただそういう部分でつながっていく人の関係というのは、まさに『王の心』の中で、死んでしまった王が、今度は自分の血縁たちを見ていくという構造と、基本的に同じではないかと思っています。

と、自らこの作品の位置付けをしましたし、
富野ビョーキ三部作の名付け親であり、権威(笑)でもある子犬さんも

この小説、何が凄いかというと、
主人公のグラン王がいきなり毒殺されるシーンで始まる。
そしてそのグラン王が成仏しきれずに霊体となって、
妻や子達が血みどろの権力争いを続けるのを見守るというところ。
霊体だからこそ様々な場所にあわられ、
状況を複合的に判断できるからこそ、
現実世界の人々に対していらつきを募らせる。

で、思ったのたがこのグラン王って、
当時の富野自身のメタファーではなかろうか?
95年といえば鬱病まっさかり。
「ガーゼィの翼」「闇夜の時代劇」など
アニメ制作に携わっているものの思うようには行かず、
ガンダムは自らの手を離れて一人歩きしている。
あまつさえ世間では「エヴァンゲリオン」が大ヒット。
グラン王のように思うように行かないサンライズや世間の状況に、
「なぜ、なぜ」とフラストレーションを募らせていたのだろう。

と、かつてアニメにおける『イデオン』やら『逆シャア』やら『∀ガンダム』やら『リーンの翼』に対して、
この『王の心』こそ富野が初めて小説という媒体を借りて、遺言を手に入れた作品です。

次は内容と文体に対して、
この『王の心』もまた格別に違うのです。
煽り文句「血とセックスの物語」と謳われるように、
この作品はかつて『リーンの翼』のセックスと残虐シーンを軽く超えるような描写が溢れていて、
まさに病んでるとしか思えません。
生霊、復讐、斬首、性愛、SM、赤子殺し、吸血、ミイラ化など…、
一巻だけでもこれほどの描写を入れたが、二巻以降はさらにすごいことも待ってる。

それだけでなく、いままで文体に対して疎かしていた富野は、
この『王の心』ではちょっと違う「語り」を試したのである。
その結果、初めてこの作品を読んだ時は、
思わず「これはホントあの富野が書いたものなのか!?」と呟いたほど違いました。
(具体的にどう違うのか僕にも説明できないが、とにかく「小説らしい」としか言えません)
残念ながら、二巻以降はまたいつもの富野節に戻ったから、
一巻と二、三巻の雰囲気はかなり異なるといわざるを得ません。

さらに、いままで人と人でなしの境界を厳しく規定していた富野は、
この作品において、いくつかの新しい試しをしました、
大地の変動、生きる霊体、妖怪との交感、密術にも近い術法、肉体そのものの変質…など、
かつての富野なら絶対踏まない曖昧なギミックをも組み込まれて、
そのため、宇宙世紀やバイストン・ウェルとも異なる新しい劇空間を構築することができました。
(『シーマ・シーマ』の世界に似てるという指摘もありましたが、未読だから確認ができません)

…と、僕の千言万語より、富野の発言を見るほうがいいかもしれません。

―『王の心』という物語の、著者としての手応えというものはいかがでしょうか。

 やっとで自分の書きたかった劇空間を手に入れることができたという実感があります。そして劇中に出てくる人物に、やっぱりその実在、実態みたいなものを手に入れられた事の充実感みたいなものもあります。
 こんな事を言うと怒られてしまうかもしれませんが、僕は自分の事を小説家だと言ってはいけないと思っているのですが、今回は初めて小説家冥利につきる部分に触れたと思っています。「こんなレベルで」って読んだ人は思うかもしれないけれど、僕にはそう思えたし、それで気持ちよかった。
 この“気持ちよさ”というのが、今回僕の書きたかった人の行為というもの。その人の行為というものを表すキーワードの一つとして今回表していきたかったものだった。それを自分が感じられた事は、目論見がうまくいったのかもしれないと自負しています。
 (中略)そういった意味で、僕自身の、つまりクリエイターとしての可能性を考えた時に、もしかしたら自分の中にあるものを全て出し切ったんじゃないのかなという恐れはあります。だから、ちょっと困ってはいるけれども、物書き冥利に尽きるという意味で、とてもうれしいと感じる部分があるのです。それは、もしかしたら、僕はもう書けないかもしれない。そう思えるほどに、『王の心』を書き終えた今、恐怖感と同時に、充実感でいっぱいです。

と、はっきりと自分の小説家としての実感を手に入れたと言いましたから、
富野ファンだけでなく、ファンタジーに興味ある人も是非一読。
はっきり言って、富野小説の一番の傑作で、
富野由悠季という作家の表現の極みの一つと言えるぐらいな作品で、
絶対絶対に読むべし。

オススメ度:★★★★☆
(なお、僕のオススメは「アカイアーの復讐」「アジャリ・ビィー」と「乳首」)



密会』。
これはいいものだ。
……と、もう力尽き寸前ですが、もう少し書く。
アムロとララァ(と、シャア)にフォーカスする形で進むこの小説は、
ダイジェストながらも、はっきりとストーリーラインが見えていて、
あの2人(念のため、アムロとララァ)の心境がより鮮明になっていく。
さらに、20年近く経っているせいか、話は基本的に劇場版を沿いながらも、
やはり当時と多少違うテイストが入っていて、
その結果、この小説は劇場版よりほろ苦くに、より甘美に、より生臭く的に、より病的に、
でもとても美しくて、現実と妄想の境界さえ曖昧になってゆく独自な作品になっております。
ガンダム小説のなかでは、おそらく一番読めやすい書き方を取っている。

オススメ度:★★★★


と…ここまで書いて、
ネタバレをしないつもりで書きましたが、結局何も書いていなかったような気もするが、
もしこれらの記事を読んだ方のとりあえずの読む意欲を誘えるなら、
とてもありがたいと思います。


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