富野由悠季監督とその作品をひたすら語るブログ

TOMINOSUKI / 富野愛好病
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グーバーウォーク

「FROM FIRST」とガンダムたち

2008/05/31 00:01|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:4
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富野監督が前のガンダム展で作ったものだが、
立体作品としてはさほど凄い作品でもないが、
「ガンダム的」、いや、「トミノ的」としてはなかなか興味深い。
巨大なザクたちに包囲された一体のガンダム。
まるで自分のここ25年の戦いを再現ような情景。
と、富野信者なら思わず色々な妄想を浮かぶ一作です。
ちなみに、記事はこちら(ガンダム展:富野由悠季 ガンダム展に出品!!)。


で、今日何気に富野によるラフスケッチを見たら、ちょっと面白い記述を発見。
中心におくファーストガンダム、Zガンダム、Vガンダム、∀ガンダム
できればできるだけ大きいサイズのもの。塗装はモデルのままで可

なんとも面白い選択だ。
結局サイズの問題のためか、PGガンダム一体しか使ってないけど、
それでも最初はどういう思いであの4体を選んだのは、実に興味深いものなんです。
ファーストについては、多分異論はないだろう。何せ原点ですから。
∀は富野がファースト以外一番気に入る作品であり、ガンダムの終点ともなる作品なので、
トミノ的にデザインに気にいらないものの、”ガンダム”を象徴するのに最適。
Zはどうだろう?まず考えるのは新訳Zのリリース。
そうでなくても、ガンダムシリーズの2作目や自分の苦難の始まりという意味で、
Zガンダムも外さないだろう。
でも、何故Vガンダム?
『Vガン』に失礼な言い方だが、富野に蛇蠍のごとく嫌われる作品は、
何故この富野の志向を示す作品に登場するだろう?
まずは『Vガン』をおいといて、逆方向からほかの可能性も考えよう。
Mk2は前期主役機だが、タイトルは『Zガンダム』なので、
先に外しておこう(V2も同じ理由でリタイア)。
あとZZは論外。
となると、何故大本命なはずのνガンダムを外して、Vガンダムを入れることだろう?
これについて、自分なりに考えるのは、
富野自身の志向を示す立体作品だからこそ入れた、ということです。
思えば、ガンダム作品そのものが富野の苦難の歴史ですし、
そのなかでも富野由悠季というアニメ監督の大きなターニングポイントを代表したのは、
『ガンダム』や『Zガンダム』であり、『Vガンダム』、『∀ガンダム』でもある。
『Vガン』が嫌いといつも公言してならないのも、
理想と現実の狭間で苦しんだからの反応であって、決して単にヤククソな発言ではない。
そう考えると、「このDVDは見られるものではないので、見てはいけません!」というのは、
やはり富野ならではのツンデレ表現だったかもな。




最後は上のリンクにいるラフスケッチのメモ書きを再現したいけど、
富野総監督の草書(笑)をどうしでも読み取れないところがあるので、
できるところまでやったものの、全再現はついできませんでした。
”X”は判らない箇所を示すモノで、”?”は確定しないところで、
間違いや漏れるところをお分かりになる方は、ぜひ教えてください。




設置については現場でやる(しかない)!!


(左)
理想の使用
「大型ザクはオールホワイト塗り(ポスターカラー可)」
武器はプラモのまま
「モノアイは金箔を貼る」

(右)
大型のザクのプラモデルx6~8体
↑完全体4体は欲しい
↑手足がないものも可
↑復元しなくていいはずのボディはホワイト塗りはしっかりした?ものでやること
中心におくファーストガンダム、Zガンダム、Vガンダム、∀ガンダム
できるだけ大きいサイズのもの。塗装はモデルのままで可。

(右下)
直径1M
アクリル板ホワイト
台必要?だろう
高さ30~80cm(XX)

(下)
台座必要だろう
ホワイトのアクリル板、2cm厚は必要
「大型ザクは細部までホワイト塗りをすること」
固定用テグス・ボルト必要
XXXX

(2008年5月31日注:文字起こしする際、囚人022さんから色々指摘を頂いてました。
囚人022さん、ありがとうございます。なお、それらの箇所は赤字で示す)

ママ4のオープニングと富野

2008/05/30 00:20|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - ママ4のオープニングと富野
最近『ママは小学校4年生』をもう一度見返したが、
今見ても面白いなー、まるで小学生時代の作品とは思わせない作りで、
本当に色褪せない名作だな、とつくづく思ったのです。
(やや思い出補正はあったにせよ)
いつも思うのですが、面白い作品はその時々に一杯あるのですが、
こういう時間を経っても風化しない作品こそ、本当の「いい作品」だと思うのです。
放送当時は人気とか視聴率とか売り上げとかに関係ない。
いつでも人に感動を提供させるのこそ、本当の名作だと思う。
やや狭い見方かもしれませんが、これはぼくの価値観です。

あと、この作品の監督は『エスカフローネ』などの赤根和樹。
最近だと『ノエイン』の印象が強かった。
思えば、赤根作品はほとんど全部見たが、
『ママ4』こそぼくの初赤根体験だったな(あ、演出担当はノーカウントということで)。
今年はA1で『バーディ』ていう微妙極まりない作品を作ってるが(ゆうき先生ごめんなさい)、
1クールということで、今度も赤根監督に期待する。


で、この『ママ4』のオープニングですが、実は初視聴以来忘れません代物でした。
とのときあのオープニングを見て、小学生ながらもその画面にとても奇妙な印象を残した。
というのも無理もありません。何せトンでもない人間が切ったコンテなんだから。
カメラの揺らす方、人物の並び方やみらいちゃんにフォーカスする演出、
とても特殊を思えた同時に、「愛情」をも感じ取れるのです。
そして、その愛情や優しさは『Vガン』にも感じたモノなんです。
いつも思うのですが、何故だか知らないけれど、
富野という人はなんか精神が荒らしてれば荒らしてるほど、優しさを発揮してる者。
話自体はとても暗いなのに、オープニングはウッソを健やかに、シャクティを可憐に描いてく。
そして、『ひなげしの旅のむこうに』、『いつか生まれた時のために』、
『生まれてくるものへ』、『いくつもの愛をかさねて』の4曲の挿入歌は、
どれも素晴らしい同時に、人間の優しさが溢れてる。
これについていつもとても不思議と感じてる。
とまあ、『ママ4』のオープニングにもそれを感じたので、
評判高い富野オープニングやエンディング演出のなかでも特別にいいものだと思う。

で、ここでちょっとこのオープニングを分析に見ると、こうなってるんです:
1.暗闇(宇宙)から出るみらいちゃん
2.躍動するタイトル
3.左右を見て、グルりと下に落ちるみらいちゃん
4.パパとママの姿
5.パンを食べるみらいちゃん
6.食卓で大暴れするみらいちゃん
7.ボビーを追うみんな
8.フラフラしながら歩いてるみらいちゃん
9.自然の風景:昼→夕(パン)
10.夕日に照らす家
11.欠伸をして、なつみの腕のなかに眠りついたみらいちゃん
12.みらいちゃんをベッドに置くなつみ(背景は家の中から夕日に)
13.家の扉が開ける
14.水道と鍋
15.家の風景(パン)
16.パパを迎えるみらいちゃん
17.未来ちゃんを抱き上がるパパ
18.パパに抱き上がれたグルグルみらいちゃん、隣でそれを見守るママ
19.自然と触れ合うみんな
20.なつみの成長
21.コンパクトを開けるなつみとみらいちゃん。中から星が出てる
22.ウサギ帽子を被られて、笑ったり泣いたりみらいちゃん
23.みらいちゃん大行列
24.みらいちゃんとなつみとおばさん3人の食卓風景
25.とても可愛い宇宙に浮く地球のど真ん中から芽が出て、さらに後に続くみらいちゃん
(以上、偏見だらけのシーン解説)

トータル25シーン。ぼくはコンテや演出に関してはまったくの素人ですから、
間違いがあるかもしれませんが、大差はそれほど無いと思う。
さすがにオープニングの1分強の時間で世界観を作る富野。
そういう主張は井荻作詞にも通じたモノと思われる。
でも、一つ違いのは、『ママ4』は他人の作品であること。
テーマは明確見えるものの、監督でもない、まして作品自体にも参加してない富野を、
オープニング・コンテで作品をハンドルするのは聊か無理かと。
となると、そのオープニングは世界観を作る以外にも、
ほかの役割を果たしてると思う。
その役割は何なんのかというと、ズバリ”キャラ付け”です。
上のシーン一番を見ても判る通りと思いますが、
みらいちゃんが出る場面は異常に多かった。
まあ、もちろんある意味最重要キャラですが、主人公のなつみよりずっと多かった。
ちょっと不思議で元気、ちょっと暴れん坊で面倒だが、素直でいい子なみらいちゃん。
オープニングを見るだけでもこれほどの感じが読み取れる。
ちょっと言いにくいけど、『ママ4』の序盤は面白いが、
キャラの描写に関してはちょっと弱かった気がする。
というのも、みらいちゃんは未来人というインパクトあるキャラのわりに、
最初は単に一介の赤ちゃんでトラブルメーカーの役割をしか果たしてない。
ただの赤ちゃんであって、”みらいちゃん”という赤ちゃんではない。
にもかかわらず、みらいちゃんに”キャラが生きてる”と感じるのは、
オープニングによる印象付けは大きかったなんじゃないのかな、と、ぼくは思ってる。
それと、もう一つの効用は、パパとママのキャラの補強。
なつみとみらいちゃんの物語ですから、イマイチ出番がないパパとママですが、
この二人はみらいに命を授ける人たちであり、その繋がりも描かなければなりません。
だから、オープニングでパパとママを描くことによって、
パパとママのキャラの弱さを補強するだけでなく、
物語に通しるその家族の絆を毎週で視聴者に伝える。
そして、なにより、一番大切なのは、さっきの言った通りですが、
これは”家族の愛情”を描く物語だと、みんなに言い続けるのです。


と、長文の割りに何を言ってるのか自分でもちょっとわからんが、
ようするに『生命の神秘』、『誕生』、『赤ん坊』、『食事』、『家族』、『自然』、『日常』、
『成長』、『愛情』、そして『おもちゃの販促(笑)』。
これだけの要素を一つのオープニングで描けたのは、今見て、改めてすごいと思う。

仕事終わらず

2008/05/28 22:35|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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更新する時間は無いよ(´;ω;`)

マリア姉さん、助けてよ...!

マリア姉さん...!

(ゴキャッ)

井荻麟強化週間(3)

2008/05/27 01:03|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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僕はヘタレなので作詞に関する部分だけ。


座談会 音楽で語るイデオン

出席者
総監督 富野喜幸
作編曲 すぎやまこういち
音響監督 浦上靖夫


(前略)

  「コスモスに君と」にのれました

司会 すぎやま先生に富野さんが依頼された時の名セリフか、くどき文句みたいなものはないのでしょうか?
すぎやま 名セリフねえ、きっと名セリフが出ているんだと思うんだけどね。僕はもう記憶力が悪いから忘れちゃうんだよね。僕はねくどき文句よちもね、あの人が書いてきた、「コスモスに君と」という主題歌の言葉ね、あの詞を見てね、のったの。とてもいい言葉。あれ? いいのかな。
司会 今年にんってオープンになっています。井荻麟イコール富野さんというのは。
すぎやま あー、そうかそうか。じゃ、いいんだ。井荻麟さんのね、作ってきた主題歌の言葉を見てね。あれ見れば僕に対してはくどき文句いらなかったね。あれはとてもよかった。
司会 あの詞に作品の主題が表れていますからね。後はどのような打ち合わせで全体の曲ができたんですか?
すぎやま そうねえ。まずあの主題歌二曲が決まって、全体の曲は、ま、具体的なことはあまり言わないでも以心伝心でわかっちゃったような部分がありますね。富野さんの感受性というか、感覚っていうか、そういったものを言葉とか理屈じゃなくて打ち合わせしている間に、僕の膚で感じていった部分が多いと思うんだけどね。だからすごく文章にしにくいの。書くとなると何て言っていいのかね。
司会 浦上さんが富野さんとお仕事をされている時も、同じように打てば響くと言う感じなのですか?
浦上 ええ、そうですね。
司会 仕事をしている時の富野さんの雰囲気はどのような感じですか?
すぎやま 何か楽しそうに音楽聴いてるね。うん。
司会 音楽的に合わないから詞を直してもらうということはありますか?
すぎやま 今までやったのは全然直してもらわないもの。その通り全部つけちゃった。ピッタリと。「コスモスに君と」もそのまんまだし。

  イデオンだから交響曲になった
(略)

  再度、コスモスに君と

富野 現に「スター・ウォーズ」って映画一本見てもそうなんだけれども、ああいうオーケストレーションのBGMを使うという思いつきはしてますね。例えばそういう部分、場の設定としてのプロデューサーなり、監督なりがそれでいいという風にするのはあったとしても、クリエイトしていくという部分は基本的に映像から入って来たちじゃで違いますからね。ストーリーから入ってきた監督ってのはかなり無力なんです。考えてみたら、自分が監督者でいれば、そういう音響のクリエイトの部分にたずさわっているような気分でいながら、実は全く違うんじゃないかなっていうこだわりを持ち始めるんですね。全く門外漢で、俺はいったい何なんだろうかなっていう気分です。
すぎやま ディテールはそういうことがあるだろうけどね、基本的な方向づけっていうのは、やっぱり富野さんがしたんだと思う。さっきも言ったんだけどね、まず僕は一番最初に「伝説巨神イデオン」の方向性をつかんだきっかけは「コスモスに君と」の詞なの。
富野 あの、それは自分でも充分にわかってます。
すぎやま あれはもう百万言を費やすよりも富野さんの思っているこういう気分ていうのをつかんだわけ。それから後は打ち合わせで、そのいろんなことの話をされている富野さんの言葉のしばし、表情、その他から「伝説巨神イデオン」てものに対して富野さんの思っているイメージっていうかね、その気分というか、その方向というものを僕はつかめたと思ったの。もう充分に伝えられてると思った。僕はその富野さんがこっち向けと言った向きに向かって、一所懸命、ひた走ったわけでね。やっぱり御者は富野さんですよ。
富野 うん、確かにそういう風に言われるとありがたいし、本当にそうだ、と思うんですけど、実はその仕事ってのはディレクター業であるよりもプロデュース業でしょう。演出家っていうのはもう少しその辺のディテールをつかんでていいんじゃないかなって、そういうんなら僕なんかの場合、かなり欠落してるし。
すぎやま ディテールはそれぞれの各部門のプロフェッショナルの人の仕事でさ、富野さんは、はっきり方向を示してくれたから僕はそれでいいと思ってるんだけれどもね。
富野 それはもちろんそうよ。だってほら、逆に言えるのはディレクターよりもやっぱりプロデューサーっぽいんだよね。特にこういうTVシリーズの場合、特にそうでしょ?

『伝説巨神イデオン記録全集④』より

今見ると、司会の富野ヨイショっぶりは痛かったな、
司会は誰でしょうか?小牧あたりか。
あと、この本の出版日期は1981年12月12日、つまり『ガンダムⅡ』と『ザブングル』の間。
話題に上がった曲は『コスモスに君と』以外には迷曲『復活のイデオン』。
ここ面白いのは、富野は作詞をプロデュース業に例えること。
井荻作詞は単に世界観を作るモノだと思ったが、
どうやらトミノはもっと大きな野望を持ってるようだ。
まあ、富野が言ってたプロデュースも、
すぎやま先生が言ってたディレクターも、実は大差がないしね。

シャアの怒り

2008/05/26 21:49|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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宇宙世紀(ユニバーサルセンチュリー)の初頭、
地球連邦政府と、スペースコロニーの一つ、ジオン公国が、大戦をした。
地球での戦争の歴史を、宇宙(そら)でも繰り返したのだ。
人は知恵を本能に従わせ、自分の足場が無くなるのを気付きながらも、自らの存在を謳歌した。
身の丈以上の道具を弄べば、自らを滅ぼすのは自明のことだろう。
それを制御できると考えるのは、エゴの増長…!傲慢の拡散…!愚鈍なる者の放つ花火!
それでも、ガバナーたち!マッド・サイエンティストたち!ミリタリアンたち!
それら魂のない者たちは、それを弄ぶ…!巨大な道具を、時代の象徴と信じてる…!

これ何故かすごく好きだよ。
シャアは、自嘲を含まず本音を吐くのが、多分ここしかないかも。

『シャア ロンリーソルジャー』もカッコいいな~
迷彩服の似合わない奴~

ガンダムは格別

2008/05/26 21:01|日常話TRACKBACK:0COMMENT:0
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珍しく富野じゃない話題。


ご存知の通り、台湾は漢字の国です。
つい60年前、漢字は一種しかいなかったが、
中国(共産党のほうのね)建国以来、昔の漢字が難しいという理由で、
”簡体字”というのを作った。
で、こっちが使ってるのはどうなるかというと、
昔のままの漢字だから、正統と名乗ってもいいはずなのに、
そっちが”簡単な字体”ということで”繁体字”―つまり複雑な字体―と呼ぶようになった。
でも、今は中国や香港らが使ってる漢字と分別をつくために、
”正体字”という呼称を決定した。
だから中国語Wikiなどでもきちんと”台湾正体”があるのでした。
めでだし、めでだし。


...で、こういう漢字の国ですから、
日本のアニメを呼称するときも、もちろん漢字を使う。
でも、その多くはわざわざ翻訳名を使うまでもない。
なぜならタイトルが漢字をつくアニメはもともと多いからです。
たとえば『装甲騎兵ボトムズ』。
日本なら『ボトムズ』と呼ぶが、台湾では『裝甲騎兵』と呼ぶ。
『銀河漂流バイファム』なら『銀河漂流』。
『勇者王ガオガイガー』なら『勇者王』。
『機動戦艦ナデシコ』なら『機動戦艦』。
『少女革命ウテナ』なら『少女革命』。
どう?簡単だろう?
でも、『宇宙戦艦ヤマト』を『宇宙戦艦』とだけ呼ぶなら、さすがに判別がつかないので、
『宇宙戦艦大和号』と呼ぶにした。何故か”号”を付くかというと、3文字は語呂がいいから。


でも、ガンダムは違う。
『機動戦士』というちゃんとした漢字があるのに『鋼弾』(こっちの『ガンダム』の翻訳)。
『機動戦士』と呼ぶ人は一人もいません。男も女も『鋼弾』。みんな『鋼弾』。
ウチのお袋だって『鋼弾』。
Z鋼弾。ZZガンダム。ν鋼弾。鋼弾F91。V鋼弾。鬚子鋼弾。
それだけ知名度があるアニメだということ。
だから、『ガンダム』はこっちでも格別なんです。


でも、それじゃ『新世紀エヴァンゲリオン』はどうなるの?
実をいうと、こっちは『エヴァ』を『EVA』と呼ぶ。
そうです。日本と同じです。
じゃあ、『エヴァ』も格別だということ?
それは違います。
何故ならば、
『新世紀エヴァンゲリオン』の台湾における正式翻訳名は『新世紀福音戦士』。
...............ふ、福......音?戦士?
そうです。『新世紀福音戦士』です。
最初にこの翻訳を使った人は誰だか今となってもう知る人いませんが、
10数年経って、『福音戦士』という呼称はもうすっかり定着しました。
でも、ダサすぎて誰も使いたくないため、誰もか『EVA』と呼ぶことにした。
ですから、『ガンダム』の場合とは違います。

富野由悠季原作・監督作品の歌手一覧

2008/05/26 19:29|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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詩と歌の話題にも関係あるからメモにも兼ねて。
ただしメンドウくさいから曲名省略ー


無敵超人ザンボット3 : 堀光一路(ザ・ブレッスン・フォー、ザ・チャープスは省略)
無敵鋼人ダイターン3 : 藤原誠、こおろぎ'73
機動戦士ガンダム : 池田鴻、堀光一路、戸田恵子
伝説巨神イデオン : たいらいさお、戸田恵子
機動戦士ガンダムⅠ : やしきたかじん
機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 : 井上大輔
戦闘メカ ザブングル : 串田アキラ、MIO
機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 : 井上大輔
The IDEON 接触篇/発動篇 : 水原明子
聖戦士ダンバイン : MIO、小出広美
ザブングル グラフィティ : MIO
重戦機エルガイム : MIO、鮎川麻弥
機動戦士Ζガンダム : 鮎川麻弥、森口博子
機動戦士ガンダムΖΖ : 新井正人、ひろえ純
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア : TM NETWORK
機動戦士ガンダムF91 : 森口博子
機動戦士Vガンダム : 川添智久、infix、RD 、KIX・S 、小峰公子、(黒田由美)、karak 、ACEILUX 、岩崎元是
バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼 : MAJESTY
ブレンパワード : 真行寺恵里、KOKIA、岩下清香、勝沼恭子 、坂本真綾
∀ガンダム : 西城秀樹、谷村新司、RAY-GUNS、奥井亜紀、Gabriela Robin、大塚宗一郎、Carla Vallet、Maryanne Murray(ホワイトドールの祭りの会一同、レット隊は省略)
OVERMANキングゲイナー : 福山芳樹、秘密楽団マボロシ、宮城小百合、西野薫、国分友里恵、Maria Napolano
∀ガンダム I 地球光/II 月光蝶 : Donna Burke
機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者 : Gackt
機動戦士ΖガンダムII 恋人たち : Gackt
リーンの翼 : 土屋アンナ、永蔦花音
機動戦士ΖガンダムIII 星の鼓動は愛 : Gackt


そ...想像より多かった...。

井荻麟強化週間(2)

2008/05/26 00:19|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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同じく記録全集よりの文字起こし。

Spot light/メインスタッフ①
”祈りに近い心境で音楽を書き上げました。”

●作曲家/渡辺岳夫

◎ガンダムとの出逢い…
◎掛算で展開する音楽を…
◎富野さんの印象…

 主題歌をつくる詩の段階で、富野さんは自分の意図していることを普通の作詞家のパターンで書かれるのが厭だったのでしょう。 といって、そこまで書いても伝わらないものは伝わらないよ……という闘いがありました。
 井荻 麟氏の書いてきた詩に、僕がそれこそ七転八倒して何とか曲をつけてみる……ところがどうしでも無理があるので何とか伝わりやすくするために詩を削ってゆく――そしてもう一度聞いて貰うのです。
 ”―わかりました。でも、この言葉は入らないでしょうか……?
 この言葉は……大切な……”
 富野さんという方は、真面目にコツコツ考える方ですから、音楽でも本当に真面目に考えてくれるんです。
 本来、音楽というのは”飛躍”なのです……その意味で詩にも”飛躍”があっていいわけです。
 詩の段階でお互いやり合いましたが却って人間味を感じて楽しかったのです。

◎松浦さんの印象…
◎ニュータイプの音楽…
◎若者を把えたもの……
◎スコアは設計図…
◎ガンダム以後…

(機動戦士ガンダム記録全集3 より)

ここの見所は、渡辺さんの健気以外、やはり富野の”言葉”に対する拘りでしょう。

あと、注目すべきのは、ここで言及した”詩”は、ほかなく『ガンダム』のあの5曲のこと。
つまりオープニングの『翔べ!ガンダム』、エンディングの『永遠にアムロ』、
挿入歌の『シャアが来る』、『きらめきのララァ』、『いまはおやすみ』。
で、これらの曲は一体どういう「言葉」に拘るのか、あえて言わないが、
その曲に含まれた詩にならなかった表現をなんとか詩として作り上げた
渡辺、松山両氏に対しては、やはり頭を下げずにいられませんですね。

井荻麟強化週間(1)

2008/05/25 15:53|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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ちょうど富野教スレで故・井上氏の井荻評を投下してくれた人がいるので、
ここでしばらく所持の井荻関連資料の文字起しをします。

ガンダムにおける音楽観
原作・総監督/富野喜幸

◎なぜ、渡辺岳夫が?…
◎コンセプトを伝える…
◎結局、50%の画に…
◎クリエイターということ…
◎棄て石論…
◎しかし、ニュータイプへ…
◎映像の音楽
◎画、効果、声優の三味一体
◎チームワーク
◎めぐりあわせ
◎詩にこめる主張―

 とにかくプロの作詞家に作詞をしてもらったわけではありませんので、詩になってない部分が極度にあるわけです。
 井荻自身の立場でいっても、音楽につける詩っていうのはどういうものかということも何も知らないわけで、知らないにも拘らず今回ああいうようなかたちのものを、渡辺先生、松山先生にぶつけたということがどういうことかというと、完全にガンダムのニュータイプ、ガンダムの近未来のもっている実体に迫ってゆくための詩でなければならないということに、井荻が大変こだわったからなんです。
 これは、画面づくりの上での総監督の立場としても、ぼくが一ばんこだわったことで、既存の作詞家を使うことは大変簡単ですし、それを考えないでもなかったのですが、結局、ニュータイプの実体に迫っていくための詩、という部分での主観を伝えてゆくためには、お座なりの定形詞では基本的な何かを見出せないんではないか、と感じたのです。
 作詞に馴れている方にお願いした場合、やはりロボットものというのが基本的にあるでしょう、そこから出てくる詞に対しての危機感を、ものすごく感じたわけです。
 まして作品が出来上がる前なんかでいえば、ニュータイプの話をした上で作詞をお願いしたとしても、やはり判らないままに書くしかないというのが厳然としてあるわけで、それやこれやの理由で、結局、井荻麟に詩を頼むことになったわけです。理由としてはまさにそれしかないわけで、詩としての体裁が整っていないということについては大変気にしまして、これはもう、渡辺先生に実際にこんあものでいいのだろうかということで、先生の顔色を窺い窺い出した詩でした。最終責任は全て僕にわるわけですから…。そうは言いながらも詩に書かれているテーマに関しては、こちらとしても絶対、一歩もひくまいという気持ちでした。
 あとはその創り方です。つまり例えば、五・七・七、五・七・七でなければいけないとか、サビの部分はこうでなければならないというテクニックの問題に関しては、作曲家の立場から言っていただければ、それはいくらでも手直しさせようと、ただもう詩全体のもっているイメージとか言葉遣いを変えるなどということは、一切聞かなかったんです。
 というのは、いくら説明し得たとしても最終的にそのコンセプトを打出すのは詩であるわけで、逆に言うと詩にしかこちらの主張を投入できないわけで、そうしたときにやはり詩の持っているフィーリングというものについて、始めから一歩もひかないぞ! ということで、本当に渡辺先生はやりにくかったと思います。
 現に、吹き込みの時でも最後の最後まで、一行のところにひっかかって、かなりもめるということもありました。
 結果はいいか悪いかは、今でも判りません。判らないけど、ガンダムに於ける挿入歌えあったり、オープニングエンディングのあり方は、基本的に間違っていなかったと自負しています。
 その意味で音楽(メロディー)まで含めて、良かったと基本的には理解しています。そこまで画をつくる側、ストーリーをつくる側のコンセプトというものを認めて、作業を進めていただけたということでは、渡辺先生と松山先生には申し訳ないと思いますし同時にあそこまでフォローいただけたということについては、感謝して、しすぎることはないと思っています。
 普通のこういう番組の詩のもっているコンセプトとは、根本的に構造が違っていると思います。
 方法論でいった時には、やっぱり未熟であると同時に、まだまだボキャブラリーが正直いって足りない。もっと、もう半歩踏み込むような創り方ができたら…やはりそこまでいけなかった辺りに井荻麟の限界があるし、まだまだ素人芸ですね、という感じはまぬがれません。
 けれど、この種の番組は、得てして画の方でどうせいろんな条件づけがされて、妥協し、後退せざるを得ないものです。だからせめて、音だけは妥協したくなかったということが、ああいう詩をつくらせた部分ではなかったかと、自分では思うわけです。

(機動戦士ガンダム記録全集3 より)

注目すべき点はいくつもあります:
1、この本の出版は1980年7月1日、つまり『イデオン』制作中、『ガンダムⅠ』の前。
2、井荻麟の正体はこの時点でまだ知らせれていない(たぶん)。
3、『ザンボット』と『ダイターン』の作詞と比べて、大変意気込みが感じられる。
 言い換えると、「作家性」を主張し始める。
4、文章は長文のわりに、具体的な内容はやや少ない感じがする。
 井荻の起用については、ちょっと恥ずかしながらも一生懸命弁護する。
 あと、必死に井荻の正体を隠す言い回しが感じないでもない

結局、いつもの言葉で理論武装する富野でした。
『ガンダム』のあとは『コスモスに君と』という名曲を擁する『イデオン』ですが、
これらはあくまでアニメという枠に留まって、
本格的に”音楽”の世界に入るのは、『劇場版ガンダム』まで待たねばなりません。

富野コンテについての小メモ(随時更新)

2008/05/25 00:36|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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富野由悠季全仕事でも記載してないヤツ。

1965年『戦えオスバー』:本数不明
 こっちはなんと虫プロ在籍中!ほかにも別の作品があるらしいが、真相不明。
1968年『おらあグズラだど』:1本?
 面白いことに、こっちのデータは富野自身が「覚えてない」といいながら、
 自らスニーカー版に追加した記述。

1972年『天才バカボン』:5本
 うち、南阿佐2本で阿佐みなみ3本。
1978年『まんが日本昔ばなし 』:1本
 2000近い本数のなか、たったの一本...なんとも寂しいことだな。
『トム・ソーヤ』?
 富野の自伝によれば、77年の仕事らしいが...これは80年の作品なのでは?
『科学忍者隊ガッチャマン』?
 これは調査中。「木村節夫」というコンテマンは容疑者。
『ルパン3世』?
 どうも確定っぽいらしいが、真相不明。「石倉八木」というコンテマンは容疑者。
『Gガンダム』?
 まったくのデマの可能性もあるが、一応調査する。「井上草二」などが容疑者。


おまけ、富野が断った、あるいは関わるはずだった作品一覧:

1975年
 『小さなバイキング・ビッケ』C・D
  (これはまさに運命としか言い様がないな)
1977年
 和光プロ一本
  (時期から見ても、本田毅プロデューサー繋がりから考えても、
  『激走!ルーベンカイザー』のほうが適当かもしれん)
 タツノコプロ一本
  (「C・D」を断った話がもし正しいならば、
  おそらく『とびだせ!マシーン飛竜』か『風船少女テンプルちゃん』だろう)
1995年
 『沈黙の艦隊』監督
  (コレを断ったのは本当に惜しいとしか言えないな...結局良さんに拾われたし)
2004年
 『鋼の錬金術師』監督
  (これは冗談らしい...つか打診すらないだろう?)


2008年6月15日追記:『おらあグズラだど』追加

富野由悠季全仕事

2008/05/24 11:05|富野由悠季関連TRACKBACK:2COMMENT:6
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アニメーション史研究家の津堅信之氏は、なんと『富野由悠季全仕事』を取り上げてた
なるほど、つい日本に気づいてくれた人が出てきたのか、と思わないこともないが、
津堅氏ならこっちも頷く。
何せこの方は日本アニメ研究における第1人者で、僕も氏の著作を1冊だけ持ってます。
それは『アニメ作家としての手塚治虫』。
ほかの本も一応読んだが、値段は高すぎるので、しかたなく断念。トホホ。

で、『アニメ作家としての手塚治虫』を見ると分かる通りと思うのですが、
これほどキチンと検証を重ねたアニメ関連の研究家、ほとんどいないと思う。
そして、この本最大の功績は、日本アニメ界初期のビジネスモデルを解明した以外は、
やはり「日本アニメ界をダメにしたのは手塚治虫」というデマを打ち破ったこと。
かくいう僕も長年にM監督を始め、こういう言論をさも真実のように散らかした状況に多い不満。
(M監督が嫌いの一因でもある。もちろん僕の心が狭いのは大きいが)
この本のお陰で、当時の真実が還元され、より多くの人に正確なことに伝えたら、
時間とともに、ああいうデマもいずれ自然風化するだろうと密かに信じている。
ほかにも事実に基づく検証のもとで、手塚のディズニーアニメ崇拝説を一掃したのも大きい。
(こっちの風説はO塚氏...東映の人も困ったもんだな)
手塚先生が好き、アニメラマ3部作が好きな僕にとって、こういう日が来るのが遅いくらいだ。

津堅氏個人の功績や研究はいまだにあまり注目されていないが、
これだけの成果を提供し続ければ、きっといつか脚光を浴びる日も来るだろう。


で、話題は『富野由悠季全仕事』に戻る。
この本は富野本人各時期についてのインタビュー、富野と他人の対談、
各関係者のインタビューやコメント、作品別の検証文章などの内容で構成したものだが、
一番価値あるのは、間違いなく巻末の絵コンテのフィルモグラフィーだろう。
64年から99年までの全作品をチェックして、そのなかで富野が関わった作品を搾り出す。
数百本の数字から見ても分かる通り、作成した原口正宏氏の苦労はただならぬことであろう。
残念なのは、資料の散失によりどうしでも復元できないところもあることし、
何百の作品をも一々目に通す苦労は尊敬するが、やはり漏れた作品もあるようだ。
(なかにもメジャーな作品があるのはなんとも...65年の『戦え!オスバー』はともかく、
『日本まんが昔ばなし』も漏れたのはちょっといけないと思います)
これ作成したのは8年も前のことだから、ネットがさらに普及したいま、
是非どこかの誰かさんにまた新しいヤツを作ってもらいたいですな。
(あと、作詞の資料も貴重だと思います。井荻麟にフォーカスするのも、
たいらいさお氏のアルバムに関する事項やを示すのも、この本しかいない)


最後は、津堅氏が書いたことを引用したい。

私が知る限り、大学等のアニメーション研究の世界で、富野由悠季の系譜、業績、そして評価を、アニメ史全般から論じた成果は、まだほとんど出ていないと思う。(出ていたら教えてください。読みたいです)

 にも関わらず、研究者が「日本のアニメ研究はもっぱら『鉄腕アトム』以降に集中している」などと書いているのを眼にすることがあるので、その認識不足にガッカリするのだが、日本のアニメの系譜から考えると、宮崎駿や押井守らよりも、はるかに重要な監督であり、今後の研究の展開に期待したい。

僕自身の立場のこともあるから、あえて何も言わないが、
アニメーション史の研究家もそう言ってるのが嬉しい。いや、あたりまえのことだが...。

富野病気三部作

2008/05/24 00:04|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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富野の欝期の正確な時間は分からないものの、
目安としては『Vガン』~『ブレン』だから、
この間の作品は富野病気期の作品と言われている。

で、どういう作品があると言ったら、以下のものがあるらしい。

1994年
小説『機動戦士Vガンダム』第5巻

1995年
小説『ガーゼィの翼』第1~2巻
小説『王の心』第1巻
小説『アベニールをさがして』第1~2巻
テレビ『闇夜の時代劇 正体を見る』脚本・演出

1996年
小説『アベニールをさがして』第3巻
小説『ガーゼィの翼』第3~4巻
小説『王の心』第2~3巻
OVA『ガーゼィの翼』第1~2巻

1997年
小説『ガーゼィの翼』第5巻
OVA『ガーゼィの翼』第3巻
小説『密会~アムロとララァ~』第1~2巻
『スーパーロボット大戦プロモーションビデオ』コンテ

トータル小説14巻、OVA3巻(+α)。
ほかにもいろんなコラムや雑誌に露出あり。
......なんか他の人より一倍働いたような気がするが、
ここで話題を95~97年の小説に絞りたいと思います。


『アベニールをさがして』。これはSF小説。
『ガーゼィの翼』。これはバイストンウェルシリーズの第5作。
そして『王の心』。これは珍しくBW以外の純(でもないか)ファンタジー作。
正直言って、やはり富野は映像作家であって、小説家ではないと改めて確認した3作です。
いや、誤解しては困る。
一般的は悪名高い富野小説ですが、この3作は違う。
まず、富野小説にしては読みやすいに属する部類だと思います。
そして、どれも大変面白いアイデアと世界観をてんこ盛り。
僕も時々創作モドキようなことをするから、それらのインスピレーションにいつも感心。
あと、一つ一つのシーンの描写もすごかった。
文字を読んでるのに、まるで映像を目の前に流すような描写は、やはり脱帽するもの。
なんか王維の「詩の中に画があり、画の中に詩がある」を想起した。
それほどいいものでした。
では、どこに問題があるというなら、
やはりどれも(途中まで)面白かった。
そして、やっぱりどれも病んでいる。
なにより最後の投げっぷりは...(いつもの富野の悪い癖だが)
それでも、読む価値は十分ある作品だと思います。
少なくとも今流行(でもなさそう?)のラノベより遥かにしっかりしてる作り。


で、ここでちょっと個人の読む経験に戻る。
僕がこの三作を買ったのは今年のこと。
読前の知識によれば、なんか『王の心』が一番凄かった作品らしい。
それと、この三作は富野病気3部作であることも知ってますので、
始めは出版順で読むつもりでしたが、
最後はソレを無視して、自分の好きな順でこの11冊を読みました。
実際は『ガーゼィ』―『王の心』―『アベニール』ですが、
完成度といえば、やはり『王の心』が一番、次は『ガーゼィ』。
『アベニール』は残念ながらあまり纏められなかったような気がする。
たぶんそういう完成度からのイメージなのか、僕のなかの書く順はずっと
『アベニール』―『ガーゼィ』―『王の心』でした。
それもそうだよな、
『アベニール』で面白いアイデアを作って、
『ガーゼィ』で面白い話を構成して、
さらに『王の心』でテーマを追求する。
もっともらしい話だと思いませんか?
そして、僕といえば、
富野の小説家としてのスキルアップを見たと思って、大変興奮した。

でも、実際チェックしてみると、なんと『ガーゼィ』は一番最初の作品らしい。
次は『王の心』で、最後は『アベニール』。
なんだ、オレのイメージと全然違ったじゃん。
だから、これらの出版時期はちょっと整理した。
括弧なかの数字は出版順。

『ガーゼィの翼』① 1995年2月21日(1)
『ガーゼィの翼』② 1995年8月17日(4)
『ガーゼィの翼』③ 1996年3月22日(7)
『ガーゼィの翼』④ 1996年9月28日(9)
『ガーゼィの翼』⑤ 1997年3月1日(11)
『王の心』① 1995年3月10日(2)
『王の心』② 1996年5月25日(8)
『王の心』③ 1996年11月25日(10)
『アベニールをさがして』① 1995年5月31日(3)
『アベニールをさがして』② 1995年8月31日(5)
『アベニールをさがして』③ 1996年2月29日(6)

ついでにOVAも入れてみると:
『ガーゼィの翼 その一 異世界』 1996年9月21日
『ガーゼィの翼 その二 敵影』 1996年11月21日
『ガーゼィの翼 その三 光る翼』 1997年4月9日


第1巻から最終巻までかかった時間から見れば、
『ガーゼィ』は2年、『アベニール』は9ヶ月、『王の心』は1年8ヶ月。
一番長いのはやっぱりOVAもある『ガーゼィ』、次は完成度一番高い『王の心』。
『アベニール』はなんというか、やはりちょっといらない子?という感じ。
でもまあこれらの数字は何を意味するのかを分析する力はないので、
この話題もここで終わりにしようか。
個別の感想は多分これからも書くつもりが、
ここで『王の心』の1巻をオススメます。
「トミノ小説」というジャンルを越えて、文句なしの大傑作です。
これを読んだとき、本当に言葉通り身震えてるよ。
ファンタジー小説としても、一般文芸としても
なかなかこういう優れるモノが見れないと断言できます。
それほど凄まじい作品です。
読書子の皆さんも、ぜひ一読。

富野、再び。

2008/05/23 22:31|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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富野ニュース。

 東京大学工学部は、6月14日(土)に

「テクノドリームI:工学~それは夢を実現する体系~」

を開催します。

 日本は科学技術立国を掲げていますが、若年層の理工系離れが起きています。この原因のひとつを、東大工学部は「かつて工学にあふれていた夢・ロマンを若者が描きにくくなったため」であると解釈し、SFクリエイターを招き、現役の工学部の教員と共に「工学の未来」について語る場を設け、工学の夢を新たに描き直すイベント「テクノドリーム」を開催します。

 第1回にあたる今回は、『機動戦士ガンダム』シリーズなどさまざまな作品を通してSFアニメーション界を牽引し続ける、富野由悠季監督をゲストとして迎えます。東京大学工学部の教授陣との異色のコラボレーションで、工学の夢とロマンを語る本企画に、どうぞご期待下さい!


日時:6月14日(土)15:00~17:00
場所:東京大学駒場キャンパス 13号館 1323教室
登壇者
富野由悠季氏(アニメーション監督・原作者)
下山勲 情報理工学系研究科長・教授(情報理工学系研究科・知能機械情報学専攻/工学部・機械情報工学科)
中須賀真一 教授(工学系研究科・航空宇宙工学専攻/工学部・航空宇宙工学科)
対象者:不問
定員:500名
参加費:無料
申込方法:下記必要事項をご記入のうえ、E-mailでお申込みください。
(1)氏名(2)フリガナ(3)年齢(4)所属(職業または学校名)(5)連絡先(E-mail)

な、なんというハアハアするイベントなんだ!
オレも行きたいよ(´・ω・`)
でも、いかんせん東京(というか日本)は遠すぎるので、
仕方なく断念して、ほかの方のレポートを待つことにしよう...

と、思ったら、ある方はなんと当日西武ドームに行くらしい!
ガーーーーーーーーーーン。
うう...シャアニュースさんや他の人に期待するしかないか。
それにしても、今回は台湾の講演に続く、今年第2回の講演ですな。


でも、工学ですね...
理工系離れって深刻だよね、ウチにもあるらしいから、他人事とは思わないな。
でも、こっちの理工系は金儲けることを最上級命題にする理工系だから、
夢とは程遠いな...文化のコンテンツは足りないから仕方ないけど。

あと、近年科学否定しがちのお富さんですが、
対談やらなんやらでも「道具についての正確な使い方や考え方」を謳歌してるから、
今回はそんなに突発すぎる言動はしない。
科学の夢を何十年も書き続けるお富さんだから、
もし学生さんたちにいい方向を示せるなら、きっととても素晴らしいことですな。

トミーさんと良ちゃん

2008/05/23 01:33|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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富野新作がないここ1年あたりは、すっかり心狭くなったような気がするオレ。
なので、他人に嫉妬しつつも記事を書く。
今回は日経トレンディネットでの高橋良輔氏の連載を引用するだけ。


「どうした?」
「いや、昔ここでガンダムもボトムズも生まれたかと思うと……」
「柄じゃあねえよ」

 そうは言ったものの、俺の足もふと止まる。2、30年前はこの4階建てのビルの1、2階がサンライズの現場、3階は家族ぐるみでやっていた小さな縫製工場、4階はその一家の住居だった。俺が1階で
『太陽の牙ダグラム』で脂汗を流していたころ、2階では富野喜幸、現由悠季が『戦闘メカ・ザブングル』『聖戦士ダンバイン』で疾走していたのだ。常時50人ほどの若いやつらが右往左往していた。
それが今は全4階分の部署をすべて足しても10人に満たない。

(【第一回】「参謀本部!? なんだそりゃあ?」より)

でことは1階は1スタで、2階は2スタか。


「言いたかないがな、監督とはしゃべるのが商売なのよ。あの押井監督だってそう言ってるだろうが」
「そう言えば押井監督もしゃべりだすと止まりませんね」
「監督でしゃべらない奴はダメだとまで言ってるよ」
「それって、ホントなんですか?」

 全員が俺の顔を見る。

「まあ……」

 俺はかつて自身が知りえた監督達のことを思いやった。

「しゃべるね」

 (中略)フリーになってからお付き合い頂いた二人の巨匠、初代ムーミンやルパン三世のおおすみ正秋監督、巨人の星やコン・バトラーVをはじめとするロマンロボットもの三部作の長浜忠夫監督などもよくしゃべった。富野監督はすぐ傍にいながら一緒に仕事をしたことがないので分からないが無口とは思われない。押井監督などはトーク番組やパネルデスカッションなどでは司会者に口をはさませず牛のよだれのようにしゃべる。

(【第四回】「俺ゃあ、おしゃべりじゃねえもの」より)

うーん?なんかオカシイじゃないの?一緒に仕事したことがない?『0テスター』は?
でも考えてみれば、ほとんど被ってないな、この二人。
それに、なんなんだよ、その「無口とは思われない」という言いくるめな言い方?

あと、おおすみ監督といえば、『ラ・セーヌの星』ですね。
そういえば、富野がコレの監督を受けたのも同じ建物の縁だったよな。


「良輔さんとの最初の仕事が『太陽の牙ダグラム』なんだけれど、
その第1話冒頭のナレーションが今の『鉄の腕は萎え、鉄の足は力
を失い、埋もれた砲は二度と火を噴くことはない。鉄の…』」
「戦士は死んだのだ。狼も死んだ。獅子も死んだ。心に牙を持つも
のは全て逝ってしまった。走る青春が、待つ青春が、追う青春が、
数知れぬ青春が駆け抜けていった。炎の時はすぎてしまったが、物
語は語り継がれねばならない。永遠に……」

(【第七回】「それがクイズってことで。チャンチャン」より)

どう?かっこいいだろう?この人文才あるよね、さすが明治生だな。
でも、なんとなく、なんとなくですが、ちょっと気取ってる感じであまり好きではありません。
僕にとっては『ボトムズ』も『ダグラム』もそういう感じがします。
なんというかな、戦争と兵士に憧れが感じ取れるような描写が似合わないかもしれません。
ああ、これだから狭いんだよ僕の心は。
でも、やっぱり泥臭い富野作詞が好きだよなー。


「ま、俺のトラウマだ。だから日本のアニメーターが疲弊してしまったら日本独特のジャパニメーションもダメになるという論理には一理あるとしても、論理のどこかにかつてのアニメーター至上主義の臭いが漂うと、つい足が止まるというか躊躇してしまうんだなあ」

「でもそれってアニメーターだけっすよね。協会はアニメーター演出協会って言うんじゃないすか。演出もカバーしているんすよね?」

「当時の演出家はほとんどがアニメーター出身なの。テレビシリーズのスピードに合わせて絵コンテを切っていくには絵が描けねえと結構しんどくて、当時日大の映画科出身者なんかが演出を目指したが、そのあたりで躓(つまづ)いてアニメーター以外の演出は虫プロではなかなか育たなかった。例外が富野さんね。彼だけが負けん気と才能と努力でその壁を越えて行った。だから俺には協会の言う
アニメーターと演出って同義語に聞こえるんだよ」

(【第九回】「レッツゴー! ビヤー!!」より)

この人はいつも富野を褒めてるという感じがします。
褒めてるが、正直いって、その褒め言葉は時々怖いと感じられます。
なんでかな?やっぱ同期で競争し続けた相手だから、意識なくてもライバル心が出てるかな?
それとも僕の心は狭いからか?いや狭いに違いない。
でも、同じ富野と結構付き合ってるギサブロー氏はこう感じないよな。
ま、杉井監督は先輩だし、スナフキンみたいな人だから。


でも、いいよなー、巨匠扱いこそされなかったものの、こうして毎年新作があるってのは、
富野信者としては羨ましい限りですな。あーだめだ、また心が狭くなってるような気が...

富野由悠季と逢坂浩司

2008/05/23 00:05|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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あー、コメントほしいー。
話題もなかなか無いので、去年某所で投下したモノを。
『富野由悠季全仕事』で故・逢坂浩司氏の発言。


『富野由悠季全仕事』より
アンケート「ガンダム世代のひとびと」 逢坂浩司


1.ファースト(1st)ガンダム当時の状況
 高校二年生でした。まず魅せられたのはキャラクター達の描線の美しさで、見たとたん安彦さんの絵に夢中になりました。
 演出(そのときには演出がどういうもので、どういうことをするのかなんて全く知識はありませんでしたが)については、やけに生々しい喋り方(会話)をするし、話の内容も(多感な時期でしたので)刺激的な部分もあり、キャラクターの扱い方とそれを取り巻く状況も複雑で、漠然と「リアルやなぁ…」といった感じで毎週見ていました。

2.最初の富野監督とのお仕事やエピソード(参加作品がある方)
 93年の『Vガンダム』でキャラクターデザインとして、初めて一緒に仕事をさせていただきました。初めてお会いにしたときの印象は、物腰も話し方もとても柔らかくて「あれ? まわりから聞いていた印象と全然違うなぁ」というものでした。それまでに摺り込まれた情報がかなりインパクトの強いものだったので……。
 でも、仕事っぷりは噂通りで、かなり凄まじいものでした。緩急取り混ぜるというか、時には繊細に、時には大胆に、という感じが上がったコンテを見てもそうですし、話をしていてもそうなんです。僕も何度か電話に出るなり怒鳴られたりしたこともあれば、逆に相談をされたりしたこともありましたから。
 あと、どんなことでもきちんとこちらの話を聞いてくれる人です。まずこちらの言い分をちゃんと最後まで聞いてくれる。他人を決して“ぞんざい”にはしない姿勢を持った方です。いわゆる「大人の人だなあ」と言う印象ですね。そういう意味では『Vガンダム』の時もそうですし、今でもそうなのですが大人として仕事をちゃんとしてるなぁと感じます。
 長くなってしまいましたが、富野由悠季という人を一言で言うと。なぜか他人に興味を抱かせて、その後、人を魅きつけるという不思議な力を持ったおじさんですね。
 あっ、それと前に出渕(裕)さんと一緒に飲んでるときに出た見解の“かわいい親父”というのもあります。

3.富野監督の作風で特徴的に思うこと
 富野監督の作品を見ていて、特徴というかいつも気になって興味を持って見るのが、一つはそのフィルムの中での“家族”の書かれ方です。作家としての思いや願いが、搾り出されるようにして込められた、実に様々な形の家族が描かれるアニメフィルムというのは、数あるジャパニメーションの中でも富野作品をおいて他にはないと思います。僕自身が家族を持っていることもあるんで、そういった“家族”に対する思いは今回どんな形で描かれるのだろうかといったところにまず目が行ってしまいます。富野さんて、家族をどう捉えているのか。一度聞こうと思ってはいるんですが。
 もう一つは、やはり“男と女”の描き方ですね。直接な描き方をしている訳でもないのに、男と女がフレームに收まったとき、そこには必ず“性(SEX)”が垣間見える。その辺の見せ方というのは、なまじっかな経験で出てくるものではなく、きっと過去には自分の口では語られていない“凄いこと”が内包されているんだろうと、邪推すらしてしまいます。
 そこから学んだと言うことになるのかどうかは分からないんですが、『Vガンダム』のキャラクター作業以降、男・女に関わらずちゃんと服の下まで想像する癖がつきました。そのおかげで「ルベ・シノ」というキャラクターのヌードを作ったときにほめてもらえる快挙(?)を成し遂げることができましたし、それ以降の仕事でも僕の絵を見ただけで「逢坂さんてスケベでしょ」と、わかってもらえるようになりました。(中には鎖骨の描き方を見ただけで、そういってくださる方もいました。トホホ……)
 また、作業の中で学んだと言うか、絵を描くとき改めて“考える”きっかけを与えてもらったのが、キャラクターを作るうえでの線の整理の仕方です。具体的に言うと、キャラクターにリアリティーや存在感を持たせるのは決して線や影の多さではなく、芝居のさせ方や表情のつけ方なんです。だから、『Vガンダム』のキャラクター作業のときは、それを邪魔する線は徹底的に省かれました。「フィルムをとめるな!」これは『Vガンダム』の作業中でずっと監督に言われて続けていたことなのですが、確かに流れているフィルムの中で、異質絵(特に線や影が必要以上に施された絵)が一瞬でも入ると確かに、そこでフィルムの流れが引っ掛かってしまうんです。そういう“トータルの絵作り”を考えるきっかけを作ってもらいました。「その分の欲求不満はイラストを描くとき晴らせ」とも言われました。このことは確実に現在でも役に立っています。
 余談になってしまいますが、『Vガンダム』の放映も終わってしばらくしたとき、ある席で富野さんに「キャラクターを50何話分も作る自身は、実に全然なかったんですよ」と言ったんです。すると富野さんはこう言ってくれました。「ね、でもちゃんとできたでしょ」

4.『ガンダム』以外で好きな富野作品
 『Vガンダム』は勿論大好きですが、富野作品の中では賛否両論(ファンの間だけかも知れませんが)のある『F91』が結構好きなんです。見終わった後に残る妙な感触、最後の絵の気持ち良さ、あのフィルムの持つ質感が「また見たい気分」を僕に起こさせるのです。
 そういえば、富野作品のあの独特の質感というのは、この『F91』からよりいっそう強くなってきたような気がします。あの妙に“ぬるり”とした肌合いは、意図して表現されたというよりも、自身の本能によって知らず知らずのうちに醸し出されたものだと思うのですが、他のフィルムではなかなか感じられる感触ではないですね。
 あと、富野さんの著作物の中でいうと一番印象が強いのが、『だから僕は…』でしょうか。これを読んだのも高校生のときなのですが、今思うと「そこまで裸にならんでも…。でも、富野さんならやってしまうやろうなぁ」と“富野由悠季”という人を知った後では感じるんですが、高校生のときは“ある一人のアニメ監督”の赤裸々な告白という感じで、興味津々で読ませていただきました。
 そういえば前に一度、富野さんに『だから僕は…』を読んだことを言うと「え~っ、あれを読んだの。だめだよ読んじゃ」と、笑いながらおしゃってました。
 今思うと、あの表紙のはにかんだ様に頬を掻いているシャアが、きっとあの本を書かれたときの富野さんなんですよね。そんな気がします。

5.『ガンダム』が周囲に与えた影響とは
 「ガンダム以降」という言葉が示す通り、ロボットアニメ自体の在り方が明らかに変わったように感じます。言葉は少々乱暴ですが、それまでのロボットアニメには“おもちゃのためのプロモーション”という側面が色濃くあったように思われるのですが、ガンダムというフィルムの出現によって、ロボットアニメでもちゃんとドラマが作れる事。しかも、それで商売になることでソフトの提供側にも、おもちゃのみならず商売の幅が大きく横の展開を含めた形で広がったこと。いわゆる、メディアの側が“ロボットアニメのフィルム”自体で何かが出来る可能性を見つけたということでしょうか。ただ、それは良いことばかりではなくて、“ガンダムみたいなもの”を商売する側が求めだし、事実“ガンダムの匂い”のするフィルムがあっちでもこっちでも表れるという現象も生み出したのですが……。
 あと、「アニメに精神的な影響を与える力」があると実感した出来事で言うと、『Vガンダム』のときに身近でこういうことがありました。僕の友人の近所に不登校の子がいたのですが、あるとき友人がその子に、僕がガンダムを描いていることを言ったらしいのです。もともとその子もアニメは好きだったらしく、その話を聞いて『Vガンダム』を見てくれたらしいです。そして、その子が次に友人に会ったときに言った言葉が「ウッソみたいな(自分より年下の)子が頑張っているのに、自分も頑張らないと」と、不登校をやめて学校に行き出したということです。このことを富野さんに伝わると、実際富野さん自身の身近でも似たようなことがあったらしく、「そんなことがあるんだよねぇ」とおっしゃっていたそうですが、でもよくよく考えてみると、僕自身も思春期にガンダムに夢中になった口ですから、このことは全くわからないことではないんですよね。つまり“富野アニメはなぜかはわからないけれど、人の琴線に触れる力をもっている”ということです。このことを「だって、富野さん自身もあの年で思春期なんだもん」と切って捨てた奴がいたことも付け加えておきます。

6.あなたにとっての『ガンダム』とは
 富野由悠季という人との出会いを作ってくれた作品であり、『1stガンダム』では安彦さんの線と動きによって、アニメーターを目指すきっかけを与えてもらった作品であり、そして何よりアニメーターとしての転機を与えてくれた作品です。

7.メッセージ
 きっと富野さんは死ぬまで富野さんで、その生き方は何によっても変えられることはないのは容易に考えられるのですが、でも、富野さんは富野さんであり続けるためには体が資本です。体だけには気をつけて今後も生み出される作品の中で、“富野由悠季”を見せ続けて下さい。僕はそれを楽しみにしながら、アニメーションを続けていきたいと思います。また、“かわいい親父”と一緒に仕事をできる日を待ちながら……。

(´・ω・`) 逢坂さん...
ちなみに、逢坂氏の部分は何十人も及ぶアンケートのなかでも一番長いモノ。
きっとそれだけ富野と『Vガン』に愛してるよな...。


おまけ、ニュータイプ2004年1月号『Vガンダム』DVDボックス発売するときの発言。ほかにもカトキと石垣のコメントあるが、逢坂氏のだけ。

Vガンが世に出てから十年経っちゃったんだな~。と言うのは実感です。そして、その節目の年にDVDで発売されると聞いた時には、正直嬉しさと、戸惑いのせめぎ合いでした。と言うのも、Vガンは記念すべき初キャラデザ作品なのですが、反面力が足らず反省する点も多かったからです。でも言い換えられば、その反省があったからこそ今でもアニメーターを続けられているのかなぁ、とも、思います。アニメーターになって十年目に出会った作品が、十年経った年にまた新たなメディアで世に出るなんて、僕はかなりの幸せ者なのだと思います。


富野由悠季のペンネームと亜阿子さんの謎

2008/05/22 19:35|富野由悠季関連TRACKBACK:0COMMENT:8
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既出記事3
ペンネームと亜阿子さんとの関連性についての話題。


周知の通り、富野はいろんなペンネームを持ってる演出家。
本名の富野喜幸はまちろん、
今使ってる富野由悠季、井荻麟、斧谷稔以外にも10つ以上の名義が持つ。
ペンネーム盛んでるアニメ界のなかでも、結構多いじゃない?
で、ここでちょっと計算しました。

01.富野喜幸
 本名,初期一番使ってる名義。
 「さすらいのコンテマン」時代の脚本、コンテ、演出とか。
 あと『イデオン』までの総監督も。

02.新田修介
 一回っきりですが結構有名なペンネーム。
 初演出『鉄腕アトム』第96回『ロボット・フューチャー』で使った名義。

03.小田良
 富野一時期マンガ家を目指してた頃が使ったペンネーム。
 言うまでもなく、富野のマンガ道での挫折とともに、自然消滅した名義。

04.阿佐南
 『ムーミン』のコンテ上で使ったペンネーム。
 この名義自体は以外にも一回っきりだが、ほかにもいろんな亜種が存在する。

05.斧谷喜幸:『さすらいの太陽』のコンテのみで見れるペンネーム。
 この名義使ったまもなく稔のほうに移行した。

06.斧谷稔:”テレビアニメ”の脚本、コンテ、演出で使う名義。
 もっとも有名なペンネームの一つ。
 『イデオン・ライナーノート』の頃まで謎のコンテマンらしい?(今見るとバレバレだが)

07.阿佐みなみ
 『ど根性ガエル』と『ラ・ゼーヌの星』と『ダイモス』のコンテで使った名義。
 なんとなく少女漫画っぽい。

08.南阿佐
 『天才バカボン』のコンテ(ちなみに、これ『富野由悠季全仕事』ではカウントされてないな)

09.とみの喜幸
 なんかペンネームを使った気がしませんが、一応ペンネームです。
 世界名作劇場とか『コナン』などで使う名義。
 (『ラスカル』では同時にとみの喜幸と富野喜幸を使うのは謎)

10.富野幸喜
 ペンネームじゃなくて、『ロッキーチャック』での誤植。

11.井草明夫
 『ダイターン3』のみのコンテ・演出・作画監督で使ったペンネーム。

12.日本サンライズ企画室
 厳密的にいえば富野本人のペンネームじゃないが、
 間違いなく創作活動のなか使った名義ですから、ここでもカウントする。

13.井荻麟
 言わずも知れる作詞家、井荻麟先生。噂では富野本人より儲けてる?

14.富野由悠季
 あらゆる活動で使ってる名義。もっとも有名なペンネーム。
 『ザブングル』以降の総監督・近年のテレビアニメ脚本・映画/OVAの脚本・コンテ以外、
 小説なども。
 あと、誤解されがちが、富野本人は改名してない。本名はあくまで「富野喜幸」。

15.下井草伊井乃弼:サンライズ共同のペンネーム?
 『キングゲイナー』のとき、さまざまの伝説を残した悪名高い邪神。
 (ただし、湖川の説もあるから、真偽は不明。内情詳しい人はぜひ教えてください。)

トータル15名義。誤植と企画室を除けば、13つのペンネームがある。
これら以外にも富野と思われる名義はありますが、確定してないから、ここで割愛。


で、ここで上に書いたペンネームを検討。
すると、なんらかの事実が発見することができた:
つまり、本名の「01.富野喜幸」、苗字をひらがなで表記する「09.とみの喜幸」、
誤植の「10.富野幸喜」、「12.日本サンライズ企画室」、
そして「14.富野由悠季」を除外すれば、残りのペンネームはほとんど地名から取ったヤツ。
それらは以下の通り:
03.小田良 → 小田原
04.阿佐南 → 阿佐ヶ谷
07.阿佐みなみ → 阿佐ヶ谷
08.南阿佐 → 阿佐ヶ谷
11.井草明夫 → 下井草か上井草?
13.井荻麟 → 井荻
15.下井草伊井乃弼 →下井草
見事に富野の生活周辺の地名ばっかり。
富野は自分が狭いと言ってるのをなんか分かったような気がする。

で、地名にちなんだペンネーム以外は:
02.新田修介
05.斧谷喜幸
06.斧谷稔
新田修介の由来は皆知ってるから、あえて言わないけど、
ここ一番特殊と思われるのはやはり「斧谷」という名義。


まず、自分が知ってる限り、東京や富野関連なところは「斧谷」にはありません。
グーグルで「斧谷」を検索すると、「斧谷」という地方はやはりどこにもいないが、
富野のペンネームの「斧谷稔」以外には、もう一人「斧谷 彌守一」という方の名が出てくる。
それはどういうことを意味するかというと、つまり「斧谷」というのは苗字ほかない。
だから「斧谷喜幸」や「斧谷稔」も誰かの苗字からにちなんだペンネームと思われる。
じゃあ、誰かと言ったら、あくまで僕の推測ですが、
「斧谷」ってのは、実は「亜阿子」の苗字なんじゃないのかな。
一見唐突な推測ですが、『だから僕は...』での記述、二人結婚する時期などなどから見ても、
やはり「斧谷」というペンネームを使って始める時期には限りなく近い。
(「斧谷喜幸」は1971年4月22日『さすらいの太陽』第3話からで、
「斧谷稔」は1972年4月1日『海のトリトン』第1話から使って始まった)
だから、斧谷は亜阿子さんの旧姓だ!(たぶん)


こんな推測はいかがですか?
この話題にご興味がある方、どうかコメントしてください。

なんとーー!

2008/05/22 17:58|日常話TRACKBACK:0COMMENT:0
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朝青龍が負けただと!?

白鵬も敗れただと!?




















琴欧州今場所強すぎーー!!

とりあえず、朝青龍バイバイ。白鵬もバイバイ。

富野台湾講演NG写真集

2008/05/20 20:45|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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最近忙しいなので、なかなかサイト更新する時間は無いよー。
(というか、話題も無いが...)
というわけで、今年1月25日撮った富野写真を置きたいと思います。
ただしタイトルのとおり、ほとんどNG写真なので、ガッカリするかもしれません。




第1枚
PICT2100_convert_20080520201730.jpg
主催単位が作った看板です。
内容は間違いだらけですよー。




第2枚
PICT2273_convert_20080520202201.jpg
主催単位が置いたデコレーション(らしい)です。
変なポーズを取ってるガンダム。富野にも突っ込まれた。




第3枚
PICT2154_convert_20080520202649.jpg
何故かちょっとオカマっぽい御禿様。
クチビルはやけに艶々。




第4枚
PICT2155_convert_20080520203017.jpg
カンフーマスタートミノ。
完全に失敗した一枚ですが、何故か異様にオーラを離す。




第5枚
PICT2166_convert_20080520203415.jpg
テンション上がってきた。




第6枚
PICT2201_convert_20080520203748.jpg
テンション上がってきた2。
幽霊の実演をしてる時の一枚。




第7枚
PICT2205_convert_20080520204026.jpg
テンション上がってきた3。
............どんだけ下手くそかよ、オレは。


と、まあ、しかしマトモな写真も(少し)ありますので、
ご興味あれば連絡ください。





おまけ、珍しくよく撮れた一枚。
PICT2261_convert_20080521175951.jpg

押井守の視点で語る富野イズム

2008/05/19 23:02|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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既出記事2
押井と富野の話パート2。
内容は前の中国語で書いた記事とまったくは同じですが、ちょっと感想を追加。

シャアは富野作品の究極の悪役
【コメント】 押井守の視点で語る富野イズム


 富野(由悠季)さんとは個人的には全然面識はないのですが、『ガンダム』は観ています。特に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)は、かなりしつこく観ました。
 あれは特筆すべき作品ですね。それまでの『ガンダム』にあった、思春期の少年たちのドラマ、その甘い部分とかほろ苦い部分とか、全部とっぱらっちゃって、ものすごい「中年」になっちゃった。思春期のドラマを取り去ったときに『ガンダム』という作品の本質に残っているのは何か? それが、全部わかってしまった作品だと思いました。元祖の『機動戦士ガンダム』から10年かけてあそこまでエスカレートしてきた。だから究極の『ガンダム』といえるんじゃないでしょうか。
 そこで感じたのはそれまで『ガンダム』でやってきた思想は、やっぱり「本気」だったんだなということでした。
 それは、簡単にはいえませんが、要するに人間は進化しつづけるという「進化論」の人ではないな、ということ。むしろそういうものを憎悪しているんじゃないか。それがよくわかりすぎて、気持ち悪いほどでした。
 もし僕が、同じことをやるとしたら、あそこまで(自分自身の)生な思想をドカンと入れたりはしません。へたをすると、それまでていねいに作ってきた虚構とか、キャラクターの存在感がふっとびかねないから。
 そういうタブーのない方なんだなって思います。とくに『逆襲のシャア』では富野さん自身と作品の距離ということでいえば、それは果てしなくゼロに近づいているのではないでしょうか。
 極端に言えば、富野さんは人間が好きじゃないって事に尽きるんじゃないか。人間とは許しがたい劣性であると……。でもこれは人に言わないだけで、富野さんに限らず誰しも持っている考えなんじゃないでしょうか。宮崎駿さんにだってありますよ。
 だいたい演出家は悪役を活躍させると、そこに思わず本音がでちゃう。悪役っていうのは、物語の必然性以上に、演出家が言いたいことを言うために必要なんです。富野さんにとってシャアは究極の悪役ですよ。
 そのシャアを使って言いたいことを言ってるんじゃないですか。
 さらにブランドである『ガンダム』だからそういうことができたのではないかと思います。それはちょうど僕が『うる星やつら』のメガネっていうキャラクターで、相当ひどいことをわめいてもOKなのと一緒だと思うんです。『ガンダム』っていうロボットもののアニメという認識が、なにを言ってもすべてを飲み込んでしまうから。だからなんでも言える。
 でもそういう状況だけでしか言えないっていうのはむしろ悲壮です。そういうところで言っても誰にも届かないだろうということを知って、富野さんは『逆襲のシャア』をやっている。それも一回観ただけで圧倒されてしまうほどの内容で。
 そのやり方は、ぼくも肯定し、納得できます。その製作スタッフが張りを持って作ってるんですから。作品を仕上げる上で現場的な管理も含めて手練手管な方だと。でもその映画に対して、世の中がどうリアクションして、どうフィードバックしていくのかということは、あまり気にしない方なんじゃないかと思いました。
 僕自身は、自分の作ってるものに本気になっちゃおしまいだと思っています。自分が作っているものに常に距離を持とうと思ってやっているんです。

(「アニメージュ」91年4月号)

周知の通り、押井はあまりガンダムを好きではありませんし、富野の劇作法やコンテの切り方も結構苦言を放します。
にも関わらず、パヤ...宮崎監督以外のアニメ作品をここまで褒めっぱなしってのは、
押井みたいエゴが強い人にとって、結構珍しいことなんじゃないのかなと思います。
さらに、A監督によると、彼は『パトレイバー2』を自分の『逆襲のシャア』だと言うらしい。
『逆シャア』は押井監督に大きな衝撃を与えたのを、もう言うまでもないことだろう。
ただ、この記事はやはり富野を暗く批判するし、
『逆シャア』のコメントなのに、最後は自分の話を終わる通り、
やはり彼が一番興味持ってるのは彼自身だな、と、思わず納得する。

でも、ひとつ面白いのは、この話は『アニメージュ』91年4月号のモノ。
おそらくF91の公開に控えて、富野イズムをテーマして特集したあの号だろう。
で、特集とは言え、押井はわざわざ2年前以上の『逆シャア』を選んで、コメントした。
さらに、この記事の三年後、彼は富野と唯一の対談を行えた。
その時はすでに94年。『逆シャア』放映からすでに6年目。
それでも、彼は富野に『逆シャア』が大好きと言った。

なんとなくですが、僕はなんだか押井のシャイな性格を垣間見たような感じをした。
ああ、この人はこうでないと、自分の気持ちを表現できないのかな、と。
富野を褒めてる同時、わざわざ「宮崎さんもですよ」と言うあたりは、
可愛いといえば可愛いな、と、僕は思います。

富野と押井(3)-おそらく最終回だろう

2008/05/19 22:12|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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本の返却時期はそろそろ来るので、最後の部分だけ。

押井
 (前略)創始者たちが始めた時は、もうちょっと、小さなところからいろんな試みができた。創始者直後の世代だと、アンチテーゼとしてならまだやりようがある。でも今のアニメーションは、どういう世界の誰の考えがどういうふうぶ反映されているのか、よくわからない部分がある。
 結局アニメっていうのは、宮さんや富野さんや出崎(統)さんや、うちの師匠(鳥海永行氏)もそうだけど……という人たちが初めて、それで終わるんじゃないか。終わるというのは消滅するという意味じゃないよ。ジャンルとしてインパクトを持った季節は終わるのかもしれない、ということ。あとは細々と、趣味の世界として生きながらえていくだけじゃないのか……。創始者とともに終わるジャンルってあると思うんだ。絵とか彫刻とかと比べたら、アニメなんてたかだかここ数十年のものでさ。映画だってここ百年のものにしか過ぎない。創始者とともに終わったジャンルって、これまでにもいっぱいあったんだと思う。
 宮さんや富野さんの新作を待ち望んでいる人がまだいっぱいいるわけでしょ。創始者がまだ生き残ってる世界で、次の世代が未来だのなんだのということを語れるんだろうか。

(『すべての映画はアニメになる』 - アニメは終わりの季節を迎えたのか より)

大したこと話したことないけど、なんだかんだ富野を尊敬してる押井監督。
今年も新作あるので、『スカイ・クロウ』に期待しよう(うちではおそらく見れないけど...)。

ニュータイプ98年10月号『ブレンパワード』記事

2008/05/18 00:06|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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富野写真もあるので、実は雑誌ごとスキャンしたけど、
うちスキャナーが無いので、仕方なく断念。


後半戦突入! ブレンパワード【緊急座談会】
制作者の神秘


物語も佳境にさしかかり、残り話数もあとわずか。
そこで富野監督ほかメーンスタッフに、つくり手の立場から
「ブレンパワード」についてあれこれと語ってもらった。
この中に、注目の最終回のヒントが隠されているかも!?

普通のロボットものとは全然違う最終回
富岡「『ブレンパワード』は先が見えない」って言われますけど、オリジナル作品がいつもそうですからね。
高橋 監督が出してくれるプロットを、ことごとく却下するんです(笑)。でも、コンテで揺り戻しが来るので、結局監督は思いのままにしてしまうというのがわかっているので。素直に書いたこともあったんですけど、逆に却下されたてして(笑)。
淺川 私はプロットを見て一生懸命、理解するのに必死でしたから。「またかってに書きやがって」とか言われてましたけど(笑)。いま、最終回の打ち合わせをしているんですけど、普通のロボットものとは全然違うものになってるから、驚かれると思います(笑)。普通だと戦闘シーンの大決戦で終わるパターンじゃないですか。それが、ねっ。
高橋 いろいろ言われてますけど、伏線張ってないんですよ、本当に。バロンについても、伏線は張らないようにしよう、って。わかる人にはわかると思うんですけど。
河口 話がわかっている人はむしろ何か伏線なのかわからなくて、初めて見る人にはこれが伏線くさいな、と思わせるんじゃないかな。
面出 第14話を見た友達が比瑪が子守歌を歌うシーンを「あれ、伏線なの?」って(笑)。
高橋 オルファンを子守歌で眠らせる、とか言って?
面出 その歌が流れて悲劇的な始末で終わるのか、とか心配してるから(笑)、みんあ考えすぎだよ、って。
無意識にコクピットをつくってしまっていた
河口 画面ができちゃうと「そうだよね」って感じなんですけど、最初に文字しかないと、全部ガンダムくさく思えてくるんですよ(笑)。
安川「ガンダム」ぽいからやめましょう」って言ってるのに、富野さん、武器を持たせたがるんですよね。バロンズゥがいきなり絵コンテで武器持ってるから「やめましょうよ」って。武器はとっぱらいましたけど。
河口 でも、画面があれだけできちゃうと、ガンダムには見えないよな。
安川 だからコクピットをつけたのは惜しかったですね。無意識のうちにつくってた。
高橋 パネルつくったりとかシートとか操縦桿とか。途中から「いらなかったんだ」って、ネリーのブレンではなくなるんですよ。
安川 カント機もナッキィ機もない。
河口 鞍ナシの馬に乗るみたいな。
高橋 壁がいすの形になってくれる、っていう。アジャストしてくれる。
「ガンダムぼけ」から還俗する作業だった
安川 いちばん困ったのが、第3話の作画に入ってるのにチャクラ・フラッシュがどうなるかわからない(笑)。
富野 それまでは誰もわかんなかたんですよ、本当に。だから僕自身も含めて、結局「ガンダムぼけ」に陥ってたんだって。
河口 いちばん重症ですよ、監督が。
富野 そう。14年間新作やってなかったってことがみごとに表われたんですよ。チャクラ・フラッシュのフォルムひとつにしても、うかつに決められない。切り口はまるでわかんないんだよ。どうしようかなって。考えてみればこのスタジオ自体ずっとガンダムつくってるところだから、誰もほかに頭の回る人がいなかった。
安川 ブレンパワードはモビルスーツじゃないっていうのも、作画さんに説明するのに苦労しました。だってその説明をするときに使う模型がガンダムだったりするんです(笑)。
富野 そういうシーンが実際にフィルムになって「なんだ、これでいいんだ!」(笑)って気づくのに6、7話までかかっちゃった。制作する前の去年の10月くらいまでに全部決めとかなくちゃいけないことを、やりながら納得してたっていう(笑)。
河口 リハビリ作品ですよね、富野さんにとっては(笑)。ガンダム教から脱退するのを見ているような。教祖ですからね、なにしろ(笑)。
富野 教祖様が解脱されたら大変なことになっちゃうよ(笑)。だけど、いわゆる還俗する作業だったことは事実です。だからひとつだけ言わせてもらうと、絶対にこの年で一度、ガンダム以外の作品やらせてくれないくちゃ困るんだ、やらないと僕はもう死ぬんだよ、それもガンダム漬けの中で......で、全部封印されちゃうんだろうな、とは感じていました。やってみたらこんあにもスタジオに迷惑をかけてしまって申し訳ない。それをいま、若い人たちが助けてくれて、ありがたいなと思っています。

参加者
【総監督】富野由悠季
【プロデューサー】富岡秀行
【脚本】面出明美
【脚本】淺川美也
【脚本・文芸】高橋哲子
【設定デスク】河口佳高
【設定制作】安川浩司


実に和気藹々な座談会だった。
富野もすっかり良いおじさんになったなと思いきや、ビール瓶事件はコレの後らしい...。

辻真先と富野由悠季

2008/05/16 21:34|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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既出記事1
偉大なる脚本家だった(今はミステリ小説家だな)辻真先氏が富野についての発言。


まずは1996年出版、辻さんの自伝:

 演出者として『リボンの騎士』ではじめて組んだのが、のちに『機動戦士ガンダム』の中核をになう富野喜幸(由悠季)さんだ。絵からはいったほかの演出者の場合は、絵になるかならないかでもめるのに、富やんの場合は、終局にむけてドラマをどう絞り上げるかに力点が置かれ、大いに啓発された。

(辻真先『TVアニメ青春記』より)

こんな偉い方に褒められて、さすが富野だな。ちょっぴり嬉しい。


でも、どういったわけか、辻氏は何故かこの『リボンの騎士』に特別気に入ったらしい:

(二人の出会いについて)
 最初に強い印象を受けたのは『リボンの騎士』でした。

(『富野由悠季全仕事』より)


虫プロ40年同窓会のときでも:

――『リボンの騎士』について
 演出の富野(由悠季)さんのクライマックスへの積み上げに感銘を受けた。それから、ディレクターの勝井(千賀夫)さんにギャラ3割下げさせてと言われたりもしました(笑)。(辻真先/脚本)


さらに、今年3月2日の講演でも:

脚本家、辻 真先先生の講演に行ってきた
アニメ作家としては、富野由悠季氏をリボンの騎士から数多くの仕事を通して、自分の確固たるスタンスをお持ちのすごい方であると話されました。

(参加者のレポートより)


何故だろう?僕もよく分かりませんな。


おまけ:

(出会い)
 最初に強い印象を受けたのは『リボンの騎士』でした。そして『トリトン』、『ライディーン』とつづきます。『トリトン』全話におけるドラマの設定に圧倒された記憶があります。

(仕事時の印象や思い出)
 それまでに出会った虫プロ系演出者とちがってドラマ、ことにクライマックスへの道程を絞り上げるパワーが異色でした。ずいぶん何度もホン(脚本)を直したぞ。

(富野氏の仕事や作品に思うこと)
 演出にも小説にもひとつのスタイルを確実してる点、敬服します。印象にのこるといえば『ガンダム』の第一作(1stガンダム)でしょうか。ロボットアニメの新しい地平に目を開かされました。

(富野作品が周囲に与えた影響)
 新宿駅頭でファンの大群にむかう彼の颯爽たるカリスマぶりを思い出します(『ガンダム』映画公開時のアニメ新世紀宣言)。「TVアニメのオリジナリティとは何か」ということを問題提起していてみごとでした。

(メッセージ)
 アニメから敵前逃亡(単に注文がこなくなっただけですが)した者としては、羨ましく思っています。
 ますます貴方ならではの道を切り拓いていって下さるように!

(『富野由悠季全仕事』より)


なるほど、演出家を保留なく褒めるのは、辻真先氏という脚本家ですね。
ホンを直されたことについてコンプレックスを持ってる脚本家は結構多いのにね...
(脚本家ならそれが当たり前なことかもしれないけど)

それにしても、これだけの発言でも素晴らしい人柄をあらわす方なんだな、と、
素直に感心せずにいられないな。
この人の温厚さと比べれば、我が御大将の大人気なさは一体...(笑)

サイトのちょっとした変更について/本站變更的告知

2008/05/16 20:32|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - サイトのちょっとした変更について/本站變更的告知
サイト開設3週間、ずっと悩んでいることだが。
一応台湾のサイトらしいが、タイトルは皆日本語だし、
中国語で書いたり日本語で書いたり、果たしてこれはどこの人間が見るサイトなんだろう、と。
それで考えた末、あくまで一時のことですが、
一つの記事に当って、しばらく中国語と日本語の記事を書くことに決めたわ。
というわけで、既出記事のタイトルも一部変更。
どうかこれからもよろしくお願いします。


網站設立了近三周,到現在我還在煩惱,
到底這是中文站還是日文站?
所以、總之、基本上、就先暫時一篇文章分別用中文和日文寫好了。
也因為如此,前面以中文寫的內容我也會把標題變更為中文,
請以後継続多多指教。

『麟光之翼』と「約瑟夫・鈴木」

2008/05/16 13:05|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 『麟光之翼』と「約瑟夫・鈴木」
台湾角川が気でも狂ったのか、台湾版『リーンの翼』の第1冊を出版しました。
売れるかどうかは先に置いといて、ダムエーの連載でもちゃんと載せたから、
単行本自体は出してもおかしくない(『教えてください。富野です』はオミットされるのにな)。
できれば僕自らがこの本の翻訳をやりたい気がしないでもないが、まあ出るだけでもいいとする。
日本語の単行本も持ってるから、今更台湾版が出ても買う気なんてサラサラ無いから、
1ヶ月近くこの本のチェックをスルーした(印税は富野の懐にも入るなら買うけど)。


で、今日も何気なくネットサーフィンしたら、突然この『リーンの翼』台湾版の紹介に目をつけた。

地點是自衛隊與美軍基地的市街——山口縣岩國,在日美混血兒的打工族約瑟夫.鈴木面前…突然出現一位來自拜斯頓威爾的美少女琉克絲,以及戰鬥機械靈力戰士。在「聖戰士丹拜因」的異世界舞台上,一則愛與冒險的故事就此展開!!

( ´_ゝ`)フーン
「拜斯頓威爾」はバイストン・ウェル、「琉克絲」はリュクス、「靈力戰士」はオーラバトラーか。
どっちも超がつくほど正直な音訳ですが、まあこれはいいとする。


で、続きを読んだら:

作除了漫畫,更有發行同名小說以及OVA,除此之外更是BANDAI VISUAL所推出網路配信的先驅作品之一。配信時間跨越2005及2006年,是富野由悠季目前最新作品。在2006年11月5日,富野生日紀念曾舉辦免費觀賞活動,僅24小時便湧進了多達50萬的收視人潮,在BV的網路配信之中也屬於收視成績相當不錯的一部作品。

( ´,_ゝ`)フーン
「これはオレが台湾ウィキで書いた内容のまるまる転載じゃねえか。
しっかりしろよ、編集部さんよ」と思いました。




ん?
待てよ?なんかエイサップのところはちょっと...?

在日美混血兒的打工族約瑟夫.鈴木面前

( ゚д゚)
(つд⊂) ゴシゴシ

打工族約瑟夫.鈴木

( ゚д゚)
( Д )  ゚  ゚


約瑟夫.鈴木
約瑟夫.鈴木
約瑟夫.鈴木
約瑟夫.鈴木


ちょ...ちょっと、約瑟夫って誰のことだよ!!
これじゃジョセフになったんじゃないか!!
つまり、台湾のありがたい不思議な翻訳によって、
エイサップ・鈴木くんはめでたくジョセフ・鈴木くんになったのである。
(ちなみに、ジョセフ・ヨットの中国語表記は「約瑟夫・約特」)

「ひびのたわごと」と相互リンク

2008/05/15 23:28|ブログ運営TRACKBACK:0COMMENT:0
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 「ひびのたわごと」と相互リンク
子犬氏の「ひびのたわごと」と相互リンクさせていただきました。

子犬さんは富野資料収集の雄で、その資料の紹介や文字起しにも惜しまない方で、
まさに富野ファンの鑑です。
さらに僕のヘッポコ日本語にもお気になさらず、いつも暖かく対応していまして、
これに就いて、何時も密かに感謝しています^^

押井守談富野主義

2008/05/15 22:42|未分類TRACKBACK:0COMMENT:0
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和上次的對談一樣出自於『すべての映画はアニメになる』,
除去這兩篇外,剩下有提到富野的就只有一個地方了。

註:”富野イズム”(TOMINOISM)是由小祐一郎在F91公開時所命名,
本篇應該是對「富野イズム」的特集,集合了許多動畫作家對富野的評價之超豪華内容。

シャアは富野作品の究極の悪役
【コメント】 押井守の視点で語る富野イズム


 富野(由悠季)さんとは個人的には全然面識はないのですが、『ガンダム』は観ています。特に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)は、かなりしつこく観ました。
 あれは特筆すべき作品ですね。それまでの『ガンダム』にあった、思春期の少年たちのドラマ、その甘い部分とかほろ苦い部分とか、全部とっぱらっちゃって、ものすごい「中年」になっちゃった。思春期のドラマを取り去ったときに『ガンダム』という作品の本質に残っているのは何か? それが、全部わかってしまった作品だと思いました。元祖の『機動戦士ガンダム』から10年かけてあそこまでエスカレートしてきた。だから究極の『ガンダム』といえるんじゃないでしょうか。
 そこで感じたのはそれまで『ガンダム』でやってきた思想は、やっぱり「本気」だったんだなということでした。
 それは、簡単にはいえませんが、要するに人間は進化しつづけるという「進化論」の人ではないな、ということ。むしろそういうものを憎悪しているんじゃないか。それがよくわかりすぎて、気持ち悪いほどでした。
 もし僕が、同じことをやるとしたら、あそこまで(自分自身の)生な思想をドカンと入れたりはしません。へたをすると、それまでていねいに作ってきた虚構とか、キャラクターの存在感がふっとびかねないから。
 そういうタブーのない方なんだなって思います。とくに『逆襲のシャア』では富野さん自身と作品の距離ということでいえば、それは果てしなくゼロに近づいているのではないでしょうか。
 極端に言えば、富野さんは人間が好きじゃないって事に尽きるんじゃないか。人間とは許しがたい劣性であると……。でもこれは人に言わないだけで、富野さんに限らず誰しも持っている考えなんじゃないでしょうか。宮崎駿さんにだってありますよ。
 だいたい演出家は悪役を活躍させると、そこに思わず本音がでちゃう。悪役っていうのは、物語の必然性以上に、演出家が言いたいことを言うために必要なんです。富野さんにとってシャアは究極の悪役ですよ。
 そのシャアを使って言いたいことを言ってるんじゃないですか。
 さらにブランドである『ガンダム』だからそういうことができたのではないかと思います。それはちょうど僕が『うる星やつら』のメガネっていうキャラクターで、相当ひどいことをわめいてもOKなのと一緒だと思うんです。『ガンダム』っていうロボットもののアニメという認識が、なにを言ってもすべてを飲み込んでしまうから。だからなんでも言える。
 でもそういう状況だけでしか言えないっていうのはむしろ悲壮です。そういうところで言っても誰にも届かないだろうということを知って、富野さんは『逆襲のシャア』をやっている。それも一回観ただけで圧倒されてしまうほどの内容で。
 そのやり方は、ぼくも肯定し、納得できます。その製作スタッフが張りを持って作ってるんですから。作品を仕上げる上で現場的な管理も含めて手練手管な方だと。でもその映画に対して、世の中がどうリアクションして、どうフィードバックしていくのかということは、あまり気にしない方なんじゃないかと思いました。
 僕自身は、自分の作ってるものに本気になっちゃおしまいだと思っています。自分が作っているものに常に距離を持とうと思ってやっているんです。

(「アニメージュ」91年4月号)

押井對『ガンダム』處理的主題並不完全認同,
而他對富野的劇作法、分鏡的切法其實也意見頗多;
但是從這篇可以看出來他對『逆シャア』的喜愛,
對於押井主張這麼強,而且除了宮崎作品外幾乎沒誇過他人作品的人,
會這樣毫不保留的稱讚人,實在很難得見到。
甚至稱自己的代表作之一『パトレイバー2』為自己的『逆シャア』,
可見得這部作品對它的衝撃了。

當然,其實這篇裡面可以暗暗看到他對富野的批判,
而且就像最後結論以自己收尾一樣,
不禁讓人體會到:這個人畢竟還是對自己最有興趣嘛。
不過很有趣的一點是,這篇是在『アニメージュ』91年4月号刊載,
距離『逆シャア』的公開,已經2年以上了,可是他卻還是寫了這篇短評。
再加上在這篇的三年之後,富野與押井進行了唯一的對談;
在本篇中雖然沒有提到,但是在『逆シャアの友』裡富野和庵野對談時,
富野也講到押井向他表達對『逆シャア』的喜愛之情,
而這時已經距離公開6年之久了。

從這兩件事中,我似乎看到了押井守這個人的羞赧:
原來他不這樣就沒有法子表達自己的感受。
在誇富野的時候,還要特地提到宮崎這個人,説可愛還真是可愛嘛。

『リーンの翼』とぼく

2008/05/15 17:44|未分類TRACKBACK:0COMMENT:4
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昨日子犬さんからコメントを頂いたので、今回はちょっと『リーンの翼』や昔のことについて書こうと思います。


ぼくの手元には1冊の本があります。それは昭和28年出版の「東京大空襲秘録写真集」という本なんです。その中には焦げになった人々の死体、防火訓練してる婦人たちの姿、瓦礫の山に化した町、避難する一家、自ら自分の家を壊さずを得なかった罹災者、空襲中の情景、疎開する学童たち、死屍累々の川辺、生活苦を耐えながらも尚且つ生き延びたい人間たち...などの写真があります。僕はそれらの情景は見て、どうしでも涙を流さずにいられません。というのも、親身で経験したことではないですが、まったく知らないわけでもありません。

ご存知のとおり、台湾という土地が1895-1945年の間では日本という国の領土でした。つまり、この土地で生まれて育った人間たちは、戦争が終わるまで「日本人」でした。だから沖縄みたいに直接戦場になることはないものの、空襲は何十回も味わったんです(あと空戦も)。高砂族の原住民はもちろん、平地の本島人でも、何万名の兵士と軍属も南洋や大陸に派遣された。また、学徒として日本の兵工場に送られた人もいます。今となって、このへんの解釋はなんだかややこしいになってるが、その当時彼らはそれぞれの思いを持ちながらも、その多くは単純に“国”に尽くしたいため、戦ってきたんです。つまり「家」を守りたい、「国」を守りたいという確固たる思いはみな同じです。そして、戦後の国民政府は日本が残した痕跡をすべて消えようとしたが、幸いこれらの記憶は未だに当時の人々の心に残って、現在に至ったのです。


僕の一番と二番目の伯父の名前は「五郎」と「光男」で、伯母たちは「麗子」、「京子」と「照子」。彼らは戦後生まれの父と違って、台湾にいながらも、日本人として生まれて育ってきたんです。亡き祖父も、伯父と伯母たちをこの土地に生まれる人間のアイデンティティを与えつつ、その国の全部を愛する教育をくれたんです(父の実家は昔「国語の家」だった)。そして、彼らは戦後で別の国の人間になってるが、やはり少年時代のことを忘れることができませんでした。もう何十年も経ってものに、日本語の書類ばっかり読んで、日本の友人にいっぱい親交を交わって、日本のことを大変に熱心してる姿を見て、昔の僕にとってとても不思議なことでした。でも、ここ数年僕自分の日本語も少し上達になって、なんとか彼らと昔のことについて話せるようになったら、もう彼らの中に秘蔵してる感情に実に驚かれた。

かつて国に対する思い、かつての国であった国に対する思い、あのとき本島人として見た世界観、国内情勢、海外情勢、人種問題、戦時の状況、出征する親友や身内を送るときの思い、さらに内地人に対する羨望や複雑さ...など、正直、これらの思いが何十年経って彼らの口から僕に伝わった意味は何なのか、未だに考え続けています。ただし、やはり多少年も取ったし、昔のことについても嗜む程度で勉強したから、「土地」「故里」「家」「社会」「国」は人と関わり合うのも少し分かる様になったつもりです。それはどういうものなのか、うまく説明できないけど、それこそ富野が『戦争と平和』で語った経験と同じように、僕も多少そういう“思い”を想像できるようにもなったんです。

特攻というものに関しても、なぜ人は戦闘行為の中で死んでいけるのかということが、実を言うと最初わからなかったんですよ。だから、当初はテレビアニメのロボットものの中にこんな話もあっていいだろうくらいのところから始めたというのが本当のところです。そして作品の中で、自分でもかなり情が移ったキャラクターに対して、そういうことをさせていくのを自分で見ていて、かなりつらいという経験を何度もしました。絵空事のキャラクターなのに、殺そうとするとかなりつらくなるものです。
そういうことを繰り返すうちに、やがて、つらいと思えるから物語になるんじゃないか、ということもわかってきました。そして「ああ、生身の人間も結局これをやるんだな」ということもわかってくる。すると、ぼくみたいにかなり意気地のない男の子でも、ひょっとしたらそういう局面に立ったときに女房子供のために「おめえ、たたき殺してやる。女房子供には触れさせさせねえぞ。逃げる時間ぐらいはもらうぞ」というふうに考えて、死んでいけるだろうなっていうことを、少しは想像できるようになりました。
だから物語というのは、絵空事ではあるけれども、実は基本的に限りなく人の心を映しているものなんだろうと思うのです。さきほどの、体感したものでないと写らない、体感したものでないと写っていてもわからないという話と同じです。

(富野由悠季『戦争と平和』より)

富野監督の場合はこうだったが、僕自身で言えば昔の人の記憶に通して、自分の知識や経験や思いにも通したからこそ、そういう“物語”(あるいはコンテンツ、なんでもいい)を身につけたと思います。

...と、長文の割りに何を言ってるのがさっぱりですが、要するに日本という国は僕にとってそう遠くないです。そして、日本という国に限定しなくても“国”に対する思いは共通するものだと思います。もちろん僕も僕の叔父、叔母たちも今の日本人と背負ったものはそれぞれ違いますから、皆が皆同じとは言いがたいですが、それでもそういった思いは相当近いだと思います(思い、思いばっかりって訳わからんが、いい語彙が出てこないよー)。



それと、話題はやっと『リーンの翼』に戻ったんですが、その第5話はやはり限りなく現代の日本人に対するメッセージだと思います。その悲しさ、悔しさ、無念さ、哀れさ、怒り...いろいろな感情が交わるような語りは、やはり日本人に共感を喚起するようなモノなんですね。僕にとってかなり同感できる話なんですが、ただ上にも言ったとおり、僕の切り口はたぶん日本人とかなり近いますゆえ、あんまり参考にはらないかもしれません。劇中の描写やサコミズの語りに人の心を揺さぶる力は充分あると思うのですが、それらの背景が分からない海外の人たちにとって、凄い話だと知ってても、結局何を言ってるのか分からないままで物語が終わったんです。特にまるでジェットコースターみたいな構造の5、6話はなおさらだ。この点についてやはりちょっと残念だと思いますよ。

サコミズにも「リーンの翼は沖縄の命、大陸、半島からの命も吸った」と語らせていますが、 この話に共感できるのはこれら太平洋戦争時の話を共有知識として持つ日本人だからであり、別の、文化、歴史、風土の人々には理解されないのではないかと思ったからです。
つまり「日本人の普遍性」にまとまってしまい、 世界的な「普遍性」は持ち得ないのではないかということです。

結局、尺の問題だと思いますよ。確か「リーンの翼は沖縄の命、大陸、半島からの命も吸った」という一言だけ聞いても心が動いてるのは日本人ならではですが(それが富野節のスゴイ所為)、話自体は外人でも分かる内容だと思います。具体的いえば、イーストウッドの『硫黄島からの手紙』なんかはいい例だと思います。アレは日本の真実を描けたというには色々ツッコミがあると思うのですが、それでもああいったシーンや描写を重ね合わせて、ガイジンにも戦争中の日本人の一面を分からせたという面に関して、大変卓越な作りだと思います。それで、別にトミノ贔屓ではなくて、僕は富野監督にもそのような普遍性を描ける能力はあると本気に思うのです。『リーンの翼』はその可能性の片鱗を味わったが、昔の日本人の思いを語りつくすには、5、6話だけではどうしでも足りなかったと思います(だって富野は一気に処理したいテーマは多すぎるもの)。

あと、僕の周りでいえば、『リーンの翼』にあまり動かさない人ばっかりです(もっともこっちじゃネットは配信が見れないためダムエーの連載漫画だが)。理解を示す人もあくまで「おおー、凄まじい光景だったよなー」程度で、それ以上の思考はほとんどしませんでした。たぶん今の若者は昔のことなぞ興味を持って無いということかもしれません。僕はよく分かりませんが。
一方、アメリカの友人でも『リーンの翼』見たのですが、彼がいうにはサコミズは「sad」&「angry」な人で、その気持ちも分からないこともないという。でも、何故それは東京大破壊に繋がるのが理解できません。僕も僕でアメリカ人の友人にどう説明すれば分からないのでした(というより僕も雰囲気こそ掴めるものの、論理的にはよく分かりませんよ、第6話)。
これはあくまで僕の身近の例ですが、皆さんのご参考になれば幸いです。

逆に言えば、富野ファン以外の日本の方はどう『リーンの翼』を観るのかということについては、実をいうと興味津々なんですよ。ただ、そもそも富野ファン以外の人は『リーン』を観るかどうかもあやしいような気がするんですけどね...。

谷口監督とギアスの話について

2008/05/14 20:18|未分類TRACKBACK:0COMMENT:2
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 谷口監督とギアスの話について
前の普遍性や谷口監督の話題はグダ氏に取り上げていただいてたので
今回もその話を書こうと思います。(初トラックバックありがとう。)


あの話は、じつを言うと、ひとえ僕の日本語能力不足によるものなんです。
政治とはあまり関係なく、単に普遍性の話のつもりでした。
谷口監督のコードギアスは面白いと思います。
僕の周りにも一杯ファンがいて、毎週ワイワイ騒いでいます。
はっきりいって、今アニメ中堅のなかでもトップクラスにいる人だと思います。
さらにもう一つ付き加えると、彼は大変な自信家だということも知ってます。

しかし、ギアスの話は谷口監督の個の才能によるものとは、到底思えません。


それで、コードギアスの場合は、普遍性を捨てて、同時代性の問題によって、「物語の力」ではなく、「現実との連想」によって、視聴者を揺さぶって、それを「感動」と誤認させている構造。

あの舞台設定は実を言うと、「ネタ」の範囲に留まるものだと思います。つまり、物語を面白くするためのネタなんです。それは機能したかどうかというと、大変成功だと思います。現にこうやって大勢の人を楽しめていますから。
そして、中華連邦やブリタリアを見て、果たして現実との連想を喚起するかというと、それもあまり無いと思います。というのも、それらは現実の状況とかけ離れて、単に”中華”や”ブリタリア”、”日本人”の固有名詞に反応しても、何の意味もないと思います。そういう見方もあるかもしれませんが、自分は好んでいません(ただし、それは固有名詞が避けられない宿命であって、トミノは常にそれを避けてるのも頷けます)。話を作る時の辛さ、オンエア中の苦労、スタッフとのせめぎ合い、スポンサーの圧力...などなどに耐えながらもあのように物語を出来上がった監督を、僕は大変尊敬しています。

しかし、その程度の話、舞台、設定を作って、何故得意気になれるかというと、やはり彼はちょっと認識を誤ったからといわざるを得ないです。彼がそんな物語を獲得するのは、彼の才能だけによるものではなくて、そんな物語を許せる環境をいるからです。そのような文化圏にいるからです(国というカテゴリに限定したくはないですから)。


正直言って、ギアスみたいな話、こっちじゃどうしでも作れないです。それはこっちの人はみんなバカのためではなくて、無意識的そういう話を拒否しているのです。見るのは楽しいが、作れるのは無理。だからこっちのライトノベルは武侠かファンタジーか遠未来といった架空世界に逃げるしかないのです。ストーリーテリングと現実との折り合いはどうしでもつけないからです(まあ、政治や軍事的でいえば、日本に比べると穏やかではない状況にいるという意味です)。

しかし、虚構の中で現実に勝ちたい!と言う願望については人間らしいとは思いますけどね。僕は。

という点について、完全に賛同してます。そのように自分の身を物語に投影するのはまさには物語の鍵なんです。しかし、何故ギアスは(僕に対して)それを機能しないのかというと、それは......大変失礼な言い方なんですけれども、その話にこっちが直面する現実を越えられる力は持ち得ないからです。だから話やキャラを面白がっても、酔心することはどうしでもできないのです(そういう一歩を引いた見方も悪くないと思いますけど)。

だからといって、ギアスを批判するつもりは毛頭もない。何度も繰り替えますが、ギアスは面白いだと思います。そして、谷口監督も尊敬してます。ただ前も言った通り、一旦さっきの言う見方を認識してると、作品の見方の差も作り方の差も、結局違う環境によるものだと気づいてただけのことです。そして、僕がこのような視点を獲得したのも、間違いなく現実のなかで、台湾という国は消えるという可能性があるという恐怖に常にまみれからです。そして、このように自身の立ち位置を気づいてると、やはりギアスは谷口というたった一人の才能によるものではないと、改めて分かりました。

つまり、どういうことが言いたいというと、谷口監督にももう少し風土や環境に意識してほしいということです。己の才に拘らず、もっと自分の立ち位置、自分を育てくれた環境を自分の中に取り入れることこそ、普遍性を獲得する第1歩なんです(これもわざとクドイ言い回しをしてるのはではなくて、単に日本語は下手のせいです。ごめんなさい)。常に努力してる富野監督はもちろん、宮崎監督の作品の中でもアニミズムという普遍性を感じ取れます。彼らはどこでそれを手に入れるのかというと、所詮周りの環境です。社会というものです。自然風土というものです。


というのも、富野監督とは関係あるのです。
僕にとって、1982-1984年は富野の驕りな時期なんです。もっと具体的いうと、『ガンダム』のヒットが明確化してきた時から『エルガイム』が始まる時まで、その間には『ザブングル』と『ダンバイン』がありました。

ぼくは『ザブングル』も『ダンバイン』も大好きでした。しかし、この2作を観てる時、どうしでも「空回り感」が感じずにいられなかった。それは何故かというと、監督が自分にうぬぼれて、「才」だけに頼って作ったものからです。『ダンバイン』は富野監督の自信作ですが、ご自分後で認めた通り、恣意的に作りすぎた作品です。そして『ザブングル』の一夜で書き直した伝説も、実をいうと同じなものなんです。もちろん個々のエピソードは面白かったし、キャラも生々しいけど、トータルな話から見ると、やはりどことなく空回りな感じが感じ取れるのです。フィルムからすでにそういう制作者の「気分」が見えるからです。で、富野監督もそれを気づいてるから、『エルガイム』で周りの猛反対を押し切ってまで永野の起用に執着するわけです。

新しい才能を採用しないと危険なのだというのが、ソフトを提供する側の感覚なのであるが、 小生について言えば、すでに、ダンバインまでで自分のクリエイティブなものは出し切ってしまっていると感じたので、 永野護という新しい才能を採用させることを決定させたという要素もあった。 結論を先に言えば、そのような感覚を持った製作者がいなくなれば、現今のように似たような アニメの乱立になってしまった現状が証明しているし、永野以後の新しい才能は、アニメからは出ていない。
小生のクリエイトな感覚の発露は、『 ダンバイン]で終了していたと直感しながらも、それでも、現場の仕事に組み込んできた永野護には、慇懃無礼な奴だと感じた。

(マモルマニア寄稿 「ファティマを嫌悪する」より)

だからこそ、僕は「ガンダム」そのものに執着はないですが、自分の才能の限界に気づいて、さらに現実の挫折のなかでもがいて、かえってもっと普遍的な何かを描けたのは『Z』であり、『逆シャア』、『F91』、『V』でもある。

そして、僕にしてみれば、今の谷口監督はなんとなくこの時期の富野監督にダブるので、やはりそれは危険だと感じます。ただし、グダ氏の指摘通り、インタビューの時で謙遜以上卑屈になるのは、やはり富野以外あんまりいません。富野監督の態度を基準にしてると、やはりいろいろ判断を過ちかねないので、これについて僕は厳重に反省しなければなりません。


ここまで書いてきたんですが、もしこれらの話を谷口監督に対する期待と取っていただいてると幸いです。そして、前の記事とこの記事を読んで不快にさせてしまったら、深くお詫びします。

アニメ夜話についてちょっと妄想

2008/05/13 23:34|給華文讀者TRACKBACK:0COMMENT:0
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最近快變成日文網站了,所以還是寫點中文好了。
這次是針對アニメ夜話的妄想。


首先是列表:

BSアニメ夜話 第1弾 (2004年9月6日~9日放送)
 『銀河鉄道999(劇場版)』(監督:りんたろう)
 『ルパン三世 カリオストロの城』(監督:宮崎駿)
 『あしたのジョー』(監督:出崎統)
 『カードキャプターさくら』(監督:浅香守生)
BSアニメ夜話 第2弾 (2004年10月25日~28日放送)
 『機動警察パトレイバー(劇場版)』(監督:押井守)
 『アルプスの少女ハイジ』(監督:高畑勲)
 『ふしぎの海のナディア』(総監督:庵野秀明)
 『機動戦士ガンダム』(監督:富野喜幸)
BSアニメ夜話 第3弾 (2005年3月28日~30日放送)
 『新世紀エヴァンゲリオン』(監督:庵野秀明)
 『映画クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』(監督:原恵一)
 『新造人間キャシャーン』(監督:笹川ひろし)
BSアニメ夜話 第4弾 (2005年6月27日~29日放送)
 『未来少年コナン』(監督:宮崎駿)
 『劇場版 エースをねらえ!』(監督:出崎統)
 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(監督:石黒昇・河森正治)
BSアニメ夜話スペシャル (2005年8月19日放送)
 まるごと!機動戦士ガンダム
BSアニメ夜話 第5弾 (2005年10月24日~26日放送)
 『ほしのこえ』(監督:新海誠)
 『劇場版 少女革命ウテナ~アドゥレセンス黙示録』(監督:幾原邦彦)
 『うる星やつら(TVシリーズ)』(監督:押井守・やまざきかずお)
BSアニメ夜話 第6弾 (2006年5月2日~4日放送)
 『ヤッターマン』(総監督:笹川ひろし)
 『王立宇宙軍~オネアミスの翼』(監督:山賀博之)
 『イノセンス』(監督:押井守)
BSアニメ夜話 第7弾 (2006年8月7日~10日放送)
 『千年女優』(監督:今敏)
 『勇者ライディーン』(監督:富野喜幸、長浜忠夫)
 『鋼の錬金術師』(監督:水島精二)
 『アニメの時間よ永遠に〜脚本家辻真先・1500本のテレビアニメ〜』
BSアニメ夜話スペシャル (2007年3月27日~31日放送)
 とことん!あしたのジョー
BSアニメ夜話 第8弾 (2007年6月25日~28日放送)
 『母をたずねて三千里』(監督:高畑勲)
 『装甲騎兵ボトムズ』(監督:高橋良輔)
 『時をかける少女』(監督:細田守)
 『精霊の守り人』(監督:神山健治)
BSアニメ夜話 特別版 (2007年8月11日放送)
 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(監督:押井守)
BSアニメ夜話 第9弾 (2007年9月25日~27日放送)
 『ど根性ガエル』(監督:岡部英二、長浜忠夫)
 『銀河鉄道の夜』(監督:杉井ギサブロー)
 『カウボーイビバップ(TVシリーズ)』(監督:渡辺信一郎)
BSアニメ夜話 第10弾 (2008年3月17日~19日放送)
 『今日からマ王!』(監督:西村純二)
 『トップをねらえ!』(監督:庵野秀明)
 『伝説巨神イデオン』(監督:富野喜幸)

總共10彈、34部作品。
其中監督複數作品的是:宮崎駿2作、出崎統2作、
押井守3作、高畑勲2作、庵野秀明3作、富野喜幸3作、長浜忠夫2作
而富野作品是第2、7、10弾。
毎一彈的間隔則是:
1-2(45天)、2-3(150天)、3-4(88天)、4-SP1(50天)、SP1-5(66天)、5-6(187天)、
6-7(94天)、7-SP2(228天)、SP2-8(85天)、8-特別(43天)、特別-9(44天)、9-10(171天)
平均隔131天播1彈,如果把特別節目也算進去就是104天。


作品被選上的條件,在Wiki上是這麼寫的:

作品自体は完結している一定の評価を受けているなどの原則があるらしいが、時にマニアックな作品がテーマになることもある。

受到一定評價似乎是必要的。
那麼,富野還有什麼作品有可能入選?


首先是初監督作:
『海のトリトン』,
這一部無論是知名度、劇作法、或是在動畫史都意義十足,所以是有可能被選上的。

再來是『機動戦士ガンダム』前的兩部作品:
『無敵超人ザンボット3』,
這一部在機器人動畫上可説占有絶對不可忽視的地位,所以也擁有十足資格。
『無敵鋼人ダイターン3』
雖然也有一定評價,但是和前作相比就沒有那麼受注目了,所以可能性較小。

再來是富野意欲三部作:
『戦闘メカ ザブングル』,
這部似乎有點微妙,好像還算受到矚目又好像沒有。
可能性並不是沒有,但是順位恐怕會在後面了。
『聖戦士ダンバイン』,
可能是前後三部作品中最有可能的了。
不但和同時期的『マクロス』分庭抗禮,在許多方面提示的方向性,也造成許多影響。
此外,這也是『バイストンウェル』世界的第一作,因此也有相當多的話題可以談。
『重戦機エルガイム』,
不可能。

再來是『ガンダム』系列,雖然在ガンダム之名下容易被埋沒,
但是除去這個有色眼鏡的話,最有可能的就是:
『機動戦士Zガンダム』,
不但有一定評價,而且富野色彩濃厚,還有劇場版的話題,是整個論述中最完整的作品。
『機動戦士ガンダムZZ』,
這部連在『ガンダム』系列作中都不出色的作品,怎麼想都不可能。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』,
也是一部相當有可能的作品。主題強烈,也深受各方評價,
或許是最有力的候補作品之一也説不定。
『機動戦士ガンダムF91』,
雖然也是部優秀的劇場版,但在故事上可能較難評價。
『機動戦士Vガンダム』,
本作雖然也是大傑作,但是在當時和現在評價都有點模糊,
而且容易埋沒在平成ガンダム以及90年代動畫群中,可能性不高。

再來是後期作品群:
『ガーゼィの翼』,
永遠不可能。
『ブレンパワード』,
新生富野第一作,不過不管是在富野作品中還是90年代後半動畫中,似乎都不怎麼顯眼。
『∀ガンダム』,
富野近年的代表作。健全爽朗的作風、對新世代明確的訊息、還有富野的轉變,
都在本作展露無遺,是近年最有可能被選出的作品。
『OVERMAN キングゲイナー』,
這部似乎有點太近了?
『リーンの翼』,
只有六話太短了,而且不怎麼受矚目,所以怎麼想都不可能。

所以,根據我完全的偏見和喜好,
如果アニメ夜話要再選富野作品的話,以下幾部應該是較可能的:
『海のトリトン』
『無敵超人ザンボット3』
『聖戦士ダンバイン』
『機動戦士Zガンダム』
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』,
『∀ガンダム』
而要被選出來,大概要到第13、4彈左右了。
再快大概也要明年了(以3、400天來算)。


不過,考慮到政治正確,不能只有一個人被選出那麼多作品,
所以也要有別人被選出一樣多的作品。
那麼,還有誰的作品?最有可能的是已有3作的庵野,但是他沒有別的作品好提了。
所以押井就成為大候補了:
他的作品多,而且現在仍在持續創作,被選上的可能很大。
至於各被選出2作的宮崎、出崎、高畑,或許之後也還會有作品被選出來也説不定。

富野と『Wrong About Japan』と普遍性について

2008/05/12 20:43|未分類TRACKBACK:1COMMENT:2
このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 富野と『Wrong About Japan』と普遍性について
(注:一応前編の翻訳みたいなモノですが、日本語間違いだらけなので、
見なくてもいいと思います。習作のつもりで張ったんです。)

ずっと興味を持ってるが、最近ネットサーフィン(死語?)したら、
なんとこっちの書店でもこの本を入荷するらしい。今度買ってみようかな。
その前に、ちょっと読前感を書きたいと思います。
意外にも、日本のサイトにこの本に対するレビューはそれなりあるようですが、
今回は一応ひびのたわごとの子犬さんの翻訳を引用するだけ。
子犬さん、ありがとう(というか、無断引用だが...)。


この本の目玉はなんと言っても、富野に対する作者の愚直な問いかけなんでしょう:

「チャーリーと私はいつも機動戦士ガンダムを興味深く見ています。けれども私たちは絶えず私たちには欠けているもの・足りないものがあるのではないかと探してしまいます。日本の視聴者には明白なことであっても、我々には手の届かない何かがあるのではないでしょうか?」
富野氏は目を閉じ、「う~む」と長いこと唸ってから答えはじめた。
「実はあなたたちに足りないものなんてないんです。」ポールが通訳していく。「なぜなら富野氏は作品をつくるときにはそのようなものが全く存在しないように意識して作っているからです。例えば富野氏は民族性を持たせることを避けようとしましたし、多種多様な文化や価値観に基づくそれぞれの「常識」を、人類全体が共有しうる「一般的」「普遍的」なものに置き換えようとしたのです。」

ハァ?

「富野氏はなんらかの民族を特定しうる全ての要素を取り除こうとしたのです。」

この答えに対して、作者はさらにたたみかけて行く:

「おそらく、富野氏は『日本的な普遍性』のことを言っているのではないだろうか?」そう私は提言した。
富野氏は笑顔をうかべるほど和やかだった。
私はさらにしつこく言い寄った。「でも一度キャラクターが話し始めると・・・『日本語』を話し始めると、確実にその話し方自体が何か社会的な意味を伝えるはずではないですか?もしそうなら我々ガイジンにはそれを聞き取ることができません。キャラクターの声はその出身地や教育水準を示唆してはいないのですか?」
富野氏はさも私が何もわかっていないと言わんばかりに「ああぁ」とこぼした。。

「富野氏はこう考えています。」ポールが言った。「そのようにあなたが考えるのは国民性に対して関心を抱いているあなた自身の性格といったようなものではないでしょうか。富野氏に関しては、あなたがこだわるそのようなものを完全に排除しようとしました。富野氏は常にキャラクターを作る際には標準的に、普遍的に、そして地域や国家や民族を連想させないように心がけました。」

(引用はここまで)


ん...普遍性ね...
訓練された富野信者の身として、富野の言う「普遍性」を完全に理解してるつもりですが、
やはりガイジン親子の疑問と伝えたいニュアンスもなんとなくわかります。
監督は常に究極な普遍性を追求してるのも知ってますし、その努力も認めますが、
ここでも示すとおり、明らかにその描写の中で同質性を感じ取れない人もどうしでもいます。
そして、何故そんな短い文章の中ではあそこまですれ違ったのかというと、
一番大きいのはやはり文化の差異なんでしょう・
作者の日本に対する認識不足、あるいは自分が作った「日本」という幻像に囚われすぎのは、
間違いなく作者を偏った解読に導いたのです。
「モノを作る」の理想と現実、作品の「リアル」とは如何なるものか、
キャラの言語や背景、戦争の衝撃や武士道...などなど、
どれ一つも富野の考えとはまったく無いといいほど噛み合わない。
(まあ、富野の奇妙な社会論もその一役を買ってるが)

チャーリー少年の失望っぷりについては...
もしオレは小学生だったら、オレもガッカリと違わないが、
現実と理想の差はみんな一度味わったものなんだから、
きっと成長のいい糧になるでしょう。
社会的はもちろん、世間的にもそうですし、トミノ信者ならみんな経験したものよ。
(そうでなきゃトミノ信者なんて務まれないよw)
まあ、これも一つも境界線ですよ。
多くの人はここで挫折して普通の人になるが、
一旦ここを越えて、ますますトミノを止められなくなったら、
間違いなく、立派な信者の誕生ですよ。


一つ面白いのは、
日本のネット界でこの本に対する反応多くは:作者はちょっと考えすぎなんじゃないの?
なるほど、確か考えすぎかもしれません。
それでも、たとて作者の考え方は日本に対する幻想から立ち上がったものでも、
その思考はやはりなんらかの意味があると思います。
というのも、個人的はとてもじゃないが、
やはり大半の日本の方より欧米の入り方を分かるつもりです。
これこそ富野の言うカルチャーミックスだと自分が理解してるし、
それなり真面目でコレを考えて来たんです。

つまり、どういう話かというと、
いま我々が立ったこの位置、いま我々持ってるこの風土、
我々を最終的にいまのこの視点を獲得させるという考え方です。
加えて、富野は2007年のASIAGRAPHでこういう言いました:

「文化は発生地ではなく同心円状に発展した周辺にこそ残る。地方が中央を意識するからこそドーナツ化で残る」

こういう意味では、我々はまさにこういう文化の重ね合わせている地域にいるのです。

オレ自分でいえば、オレはかなり日本に偏った方と自他とも認めるつもりですが、
それでもオレみたいのも富野が理解できない視点を理解できるのは、
まさにその文化による影響だったんじゃないですか。
中国でも日本でも米国でもないが、でも同時にこの三国のなんらかのモノを持ってる国(風土)。
それは台湾。
道理で、富野は台湾の講演でこう言いました:

そういうものを満たす風土としては、台湾というのは、とても特異な経験をした土地であるために、そこから発信されるものが、ひとつの“指針”になっていくのではないかというふうに思っています。

台湾に住んでる身にとって、まさにこういうことなんですよ。





文化といえば、最近の某アニメを思い出した。
ここ1、2年その作品の盛況っぷりを見て、なんとなく違和感を持ってるんですが、
最近T口監督が雑誌やメディアの発言を見て、ようやく分かったんです。
「ああ、この人は文化が人に与える影響などをまったく意識せずに、
何もかも自分の才能だと思ってるんだ。」
もちろん、荒唐無稽(by手塚先生)の話をドラマまで作り上げるのは、
間違いなく優れる才能だと思うのですが、
自分はどうしてこういう立ち位置にいるのかまったく意識しないで、
オレ一人、自分自身独特な個性によってモノを作れると思うのは、
やはりなんかちょっと違うと思います。


これもオレが自分の立ち位置を考える中、ついでに思いついたものですが、
台湾という環境にいる人、ああいう描写はあまりにもほろ苦いんだ。
あまりにもほろ苦過ぎて、少し矜持がある人ならば作らないし、作れないと思う。
だって、虚構の中で現実を勝つにしようなんてあまりにも空しすぎてほろ苦いじゃないか。
ああいう政治的な統治の状況を見ると、いくら作品は虚構で楽しくて見れるが、
意識深層の中で自然に喚起する現実の環境との連想は、結局どうしでも避けられない。
これはこの土地、この環境で育たれた自分というモノで、否定しようには否定しきれない。
ですから、いくら大上段に構える描写にしても、自分の才能と錯覚するのは、
やはりおこましいだと思います。


結局、
普遍性を放棄して、色々仕掛けを仕掛けた時点から、押井守が言う通りになるのは自明の理:

「仕掛けて成功した作品もありますが、おそらくは仕掛けて成功した時点で終わってしまう。 詳しい方もいらっしゃるかもしれませんが、例えば某スタジオで『コードギアス 反逆のルルーシュ』 を制作して、久々の大ヒットだと言われています。 でも、ぼくはそれでも3年以内に消滅するだろうと思います。仕掛けて成功した作品は、 仕掛けが有効なかぎりは成功するのですが、仕掛けの時期は10年、20年と続くわけではないからです」

押井監督はガンダムについて、認めてないところも色々ありますが、
それでも彼は『ガンダム』の普遍性を完全に認めたんです。
普遍性という要素を捨てる同時、
仕掛けて成功したことよりも大切なことも一緒に捨てられたと気づいてほしいですね。

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