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井荻麟作詞論 第107回「Gの閃光」

2016/12/30 17:11|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を紹介・分析する話です。いきなり予定より飛びますが、今日の第107回では、『ガンダム Gのレコンギスタ』のエンディングテーマ「Gの閃光」について語りたいと思っております。



Gの閃光
作詞:井荻麟/作曲:菅野祐悟/編曲:菅野祐悟/歌:ハセガワダイスケ

元気でいられるから 元気でいられるから
手を挙げて やってみる
前を向いて やってみる

 この曲は、2006年『リーンの翼』以来、8年ぶりに富野由悠季が手がけた長編アニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』のエンディングテーマである。井荻麟名義で作られた作詞としても、2008年の古谷徹の個人アルバムに提供された「眠ったままでは」以来、6年ぶりの仕事となっている。エンディングテーマでありながら、オープニングテーマ以上に強烈な印象を与える歌詞と映像は、富野の久しぶりのテレビ新作に相まって、大きな話題となっている。



 字数といい、言葉使いといい、この歌詞は一見すると呆れるくらい簡潔なのだが、よく吟味すれば、たくさんの井荻エッセンスが詰め込んでいると分かる。

元気でいられるなら 元気でいられるなら

元気のGは 始まりのG

 全編に渡って再三に強調するように、歌詞全体が明るく仕上げられ、テーマはストレートに「元気であれ」と訴えるような内容となっている。タイトルの連呼といい、『ブレンパワード』以来の、いわゆる「白富野」の精神を受け継いでいる部分は健在で、映像に相まって、「キングゲイナー・オーバー」などとの共通点も見られるはずだ。

明日のことなんて 分からないからって
動かないままなら 始まらないから

つかめプライド つかめサクセス

 それから、命令というにはやや誇張にしても、作詞者から聴く人にメッセージを伝える部分を読み取れる部分は、「眠ったままでは」など近年の作詞で見られる、「次の世代に希望を託す思いがあまりに強すぎるために、結果的に説教的に見えてしまう」という、いわば「説教性」が伺える。作者である富野と、彼の想定した観客の年齢差を考えれば仕方ないかもしれないが、全体的に押し付けるような説教くささがないのは、決して上から一方的な目線ではなく、自分に言い聞かせる部分もあるからだろう。

 しかし、なにより重要なのは、以下の部分だ。

リアルは地獄

出来ると思ってない 出来ると思ってない
だからだろ チャレンジだ

 この最初に打ち出したテーマから一転して、眞逆な方向から切り込んで展開させつつ、最後はテーマを強化する歌詞は、まさに富野がよく使われている手法なのだが、よく吟味すれば、そもそも作り手自身に言い聞かせるようにも聞こえる。となると、この歌詞は若い観客に伝えるメッセージであると同時に、この井荻麟作詞論シリーズで今まで再三繰り返した、富野がガンダムシリーズの歌詞を手がけるときに頻繁に見せる、作品を通さずに直接作者から観客への「意志の表明」というものでもあると分かるはずだ。

 つまり、監督の富野はしきりと「Gレコは脱ガンダムを意識している」と発言しているが、この面から見れば、この「Gの閃光」は潜在意識ではむしろ富野ガンダムの精神を非常に色濃く反映している歌詞といえる。



 ところで、富野はこの曲に対して「AKB48を意識するように作った」という、一見奇妙な発言を残している。しかし、AKB48は富野が常に理想とする大衆芸能の代表という角度から考えれば、その発言の意味も自ずとわかってくるはずだ。井荻麟作詞論では普段作詞と映像を切り分けているが、Gの閃光の芸能性を解かすには、やはり同じく富野が作った映像から考えなければならない。

元気のGは 始まりのG
Gのレコンギスタ

 前の記事で言及したように、近年の富野作品における芸能でいえば、『ターンエーガンダム』や『キングゲイナー』のように、常に踊りや祭りなどといった形として劇中に出している。しかし、「Gの閃光」がそれらと違ったのは、本編でではなく、むしろ現実と作品世界の境界ともいうべきエンディング映像で踊らせるところだ。それが、「Gレコ」きっての名物、敵味方入り混じりで交わした「ラインダンス」というものなのだ。

 本編の関係性を考えれば、海賊とアメリアとキャピタルアーミィの面子は決して集って一緒に踊るわけがない。また、本編のストーリー展開においてもありえないのだ。しかし、ある程度本編と切り分けて考えてもかまらないエンディングなら、それが成立できる。むしろ本編にも縛られないぶん、伝えたいテーマ(歌詞)は明瞭に見せる性能がある。

 つまり、「Gの閃光」のエンディングは、作品世界の登場キャラクターを借りつつ、ダンスという現実に共通する「ハレ」の要素を通して、現実にも作品世界にも属さない「第三の世界」で芸能を再演じることによって、視聴者に登場人物やテーマ性への共感を与えるものだ。シンプルな作りの裏に秘めている極めて高度な手法は、富野由悠季的な演出と井荻麟的な作詞を完璧に融和しないと到底できないもので、路線がまったく異なるものの、その密度が「コスモスに君と」や「月の繭」に比肩するものだと考えると、「Gの閃光」はまさに井荻麟の作詞の集大成にして、究極的な作りといえる。



 異論はあるかもしれないが、「Gのレコンギスタ」という作品の本編映像が特殊な作りゆえに、そのメッセージがやや散漫になっていた部分は否定しようがない。そんな中、作品のテーマを固定して、最初から最後まで持たせたのは、実質的に「Gの閃光」というエンディング曲といっても過言ではないだろう。富野がこの曲を「真のテーマソング」と呼んでいるのも、きっとこれのためだろう。

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井荻麟作詞論 第17回「ビギニング」

2016/08/01 15:46|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は100回予定です。今日は第17回で、劇場版『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』の副主題歌「ビギニング」について語りたいと思います。



 今回取り上げる作詞において、その短さは語る上欠かせないポイントなので、どうかご自分で歌詞を検索してください。

ビギニング
作詞:井荻麟/作曲:井上大輔/編曲:井上大輔/歌:井上大輔

いつか触れて
いつか泣いて

 さて、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』でも、井上大輔と井荻麟のコンビが続投することになったが、この曲「ビギニング」は二人がガンダム劇場版において共に作った三目曲だ。媒体の違いによって主題歌だったり副主題歌だったりと表記も異なるが、ここでは「副主題歌」として統一。

 この曲の最大な特徴は、なんといってもその短さだ。歌詞カードに掲載される歌詞を数えてみれば、なんとわずか71字だけで、驚異的な短さである。これだけ短い詞で詩の世界を立ち上げた井荻麟はさすがといいたいが、実際に歌詞がすごく簡単な分、大半は曲と歌声の力によって支えられているのだろうといっても過言ではない。

 曲調が美しく切ない旋律で展開されて、儚い印象を与える一方、歌詞を見てみると、ものすごくストレートでシンプルに「人の邂逅」を歌うものになっていて、実をいうとかなり映画らしく甘い曲。ニュータイプを描く歌詞なのではないかと疑問を持っている人もいるかもしれないが、監督の富野由悠季が後年に書いた劇場版ノベライズに当たる小説『密会』を読めば、アムロとララァの「ビギニング」も案外一種の恋愛話と帰結できるかもしれない。



 とはいえ、この曲の憎いところは歌詞そのものにではなく、むしろ歌詞と曲のイメージを承知するうえ、劇中での使われ方にある。

 映画のなかで、「ビギニング」は二回使われていた。一回目はアムロとララァが雨天で出会うシーン、そして二回目はアムロがララァを殺した瞬間、二人が精神交感するシーン。どちらのシーンも同じ曲を使われてたのにも関わらず、シチュエーションとしてはまるで天と地の差ほどあった。しかし、この曲はどちらのシーンにも恐ろしくハマっている。

 歌詞は素直に「愛の芽生え」を描くものだとすれば、愛の芽生えで「新しい何かの獲得」という寓意を借りてニュータイプに当てるというメタファーは十二分想像できるが(実際にそれが成功している)、もし監督の富野が言おうとするのは「出会い」も「別れ」も人にとって一種の「ビギニング」だとしたら、それはもう美しいまでの残酷以外の何者ではない。出会いであれ別れであれ、必ず喜びと切なさを伴うものだ。だからこそ残酷なのだが、それゆえに美しいでもある。

 一つの言葉からアンビバレントな感情を同時に伝えるという意味では、「ビギニング」はテレビシリーズの挿入歌「きらめきのララァ」に似ていると言えるのかもしれない。



 余談だが、作曲・歌の井上大輔によると、「ビギニング」はもともと井上氏のなかでは主題歌として作られたものだった。でも実際の映画では「めぐりあい」のほうがかえって主題歌として使われて、びっくりしたという。曲と歌詞がこんなにシンプルなのに、主題歌という意図で作ったぐらいだから、井上氏にとってもよほどの自信作であろう。

 実際に、この曲は劇中の二回以外、スタッフリストにも主題歌「めぐりあい」の後に流されているから、まさに副主題歌という名に恥じない名曲だ。

2016年8月1日追記 本記事は2013年作成した既存記事の修正です。ご指摘を受けて、引用を修正したと共に、旧記事の公開を停止いたしました。ご了承ください



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井荻麟作詞論 第62回 個人アルバムと井荻麟のこと

2016/02/03 11:12|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を紹介・分析する話です。今日の第62回では、これから語るアニメから離れた井荻麟の作詞に備えての前置きを紹介したいと思っております。



 ご存知のとおり、富野由悠季監督はアニメーション監督として、自分のアニメ作品を作る手法の一つとして、たくさんの作詞を手がけております。井荻麟作詞論というシリーズでも、これまで50曲を紹介しました。その作詞はそれぞれ違う狙いを持ちながら、違うスタイルにしていますので、結果的に「富野節」とも比肩できる「井荻麟の作詞」という一大特徴になっていました。

 しかし、井荻麟はアニメ関連の曲だけではない。

 富野監督はさまざまな理由により、井荻麟という名義でいろんな作詞をアルバムに提供してきました。単純に数字を数えても、81曲にも及ぶ作詞のなか、実に30曲もアニメと関係なく、歌手のアルバムに収録されているものです。そして、これらの曲はアルバム曲であるゆえ、違う作法によって展開され、違う特徴を持たされています。その特徴は大雑把いうと、「アニメ作品に頼らない作り」というものではあります。

 ですから、井荻麟の全貌を知りたいためには、30曲にもおよぶ個人アルバムに収録されている作詞まで網羅しないといけません。それゆえ、井荻麟作詞論では63回以降、これらの曲について取り上げたいと思っております。



 本題に入るまでに、まずはそれらの曲と収録されているアルバムをあらかじめ示したいと思います。

ABCDE
アルバム名ザ・ロンゲスト ロード イン 破嵐万丈・鈴置洋孝(1980)LOVE PROFILE(1983)STARLIGHT SHOWER(1984)REVERBRATION IN GUNDAM(1999) HEROES ~to my treasure~(2008)
1Banjoeコスモスは忘れてプロローグ眠ったままでは
2眠りの前に藍は朱鷺シャア ロンリーソルジャー
3ハッシャバイブロンド・ブリリアンセイラ ネイキッドナイフ
4Beyond The Gun Sight三時のベッドGood-bye Tokyo
5薔薇色の女たちよ船出
6都会すきま風ブルーソングはもう…マチルダ 伝言
7暖簾くぐってもうやめませんか阿母麗(アモレイ)アムロ リフレインララの夜想曲-nocturne-
8女万華鏡百年恋慕
9蜃気樓LAG・TIME・LOVE
10哀故郷マイン・ボゥイ・エイジ
11漁火まいり
備考全11曲全10曲全10曲全9曲全7曲
(A~Cはレコード&カセットであるため、AB面に分けられています。実際の収録状況はネットで探してください)


 そのうち、富野本人がアルバム全曲の作詞を担当、もしくは構成に関わってたのは「ザ・ロンゲスト ロード イン 破嵐万丈・鈴置洋孝(1980)」「LOVE PROFILE(1983)」「REVERBRATION IN GUNDAM(1999)」の三作です。一方、「STARLIGHT SHOWER(1984)」と「HEROES ~to my treasure~(2008)」では、富野監督はただ一部の作詞提供に留まっています。

 各アルバムについてはこれからも詳しく説明しますが、まずはその大要を紹介させていただきます。

A:ザ・ロンゲスト ロード イン 破嵐万丈・鈴置洋孝
 1980年発売された声優の故・鈴置洋孝氏の個人アルバム。富野監督は全曲作詞のほか、プロデュースも担当。A面の5曲が破嵐万丈を描く曲で、B面の6曲は鈴置洋孝氏本人の前半生を追うものとなっています。

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B:LOVE PROFILE
 1983年、キングレコードより発売された、たいらいさお氏の1ST個人アルバム。富野監督は全曲作詞を担当。なお、このアルバムについて買取を募集しておりますので、所持している方はどうかご連絡くださいたいらいさお氏のLPアルバム「love profile」買います

C:STARLIGHT SHOWER
 1984年発売されたMIO氏の1stアルバム。『エルガイム』の再録が入っているものの、半分以上が新録。10曲のうちの2曲は富野監督による作詞。

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D:REVERBRATION IN GUNDAM
 1999年、ガンダム20周年の「ビッグバンプロジェクト」に合せて制作された、故・井上大輔氏によるガンダム記念アルバム。新曲(そして当たり前だが既存曲も)は全部富野監督が担当。

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井上大輔,池田秀一,戸田恵子,井荻麟,売野雅勇,高橋千佳子,Tong Hoo

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E:HEROES ~to my treasure~
 2008年発売された、古谷徹氏のアルバム。内容は古谷氏が今まで演じた主なキャラをフィーチャーするものとなっています。7曲のうちの2曲が富野監督の提供。

HEROES~to my treasure~HEROES~to my treasure~
古谷徹

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 最後、これからの記事の構成について少し説明したいと思っております。

 基本的に、上の、富野監督が大きく関わっているA、B、Dの三つのアルバムに対しては、「概要・構成」(63、77、92回)と、「各曲の紹介・分析」(64~75回、78~88回、93~97回)と、「総括」(76、89、98回)の内容を、記事ごとに分けて説明します。一方、CとEは曲の提供に留まっていますので、曲の紹介・分析のみ(90、91、99、100回)にさせていただきます。ただ、これらにも意味があるので、それも総括して説明いたします(101回)。

 また、記事を読む前の予備知識が必要な場合、そのテキストへのリンクも貼ります。歌詞の記事ではありますが、曲の要素はむしろ重要なので、歌詞の説明だけ読んでも大した意味がないと思いますので、著作権をはじめとした権利を侵害しない程度で、なんとか紹介・誘導したいとも考えています。

 なにがともあれ、井荻麟の個人アルバムについて本格的な紹介・説明は今回は、おそらく今回が世界初なので、私自身もいまだに模索しています。もし皆さんに何かご意見ご感想があれば、ぜひ教えてください。よろしくお願い致します。


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井荻麟作詞論 第61回 「本当のエンディングテーマ」

2016/01/30 18:05|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:5
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を紹介・分析する話です。今日の第61回では、「本当のエンディングテーマ」というお題で展開したいと思います。今回は、井荻麟の範疇を超えて、富野作品全般の「エンディングテーマ」についての使い方を語りたいと思います。



 まず、今回の記事タイトルにもなっている「本当のエンディングテーマ」について説明したいと思います。

 TVアニメは通常、OPとEDがあります。OPはオープニングという意味で、冒頭に流されるものです(アパンタイトルの有無を問わずに)。そしてEDはエンディングという意味なので、つまり毎回の終わりに流すものです。

 OPとEDというものは毎回かかれるものなので、作品全体のカラーや雰囲気を作る上、非常に重要な要素なのです。しかし、逆にいうとシリーズ全体を汲んだ上のニュアンスにしなければなりませんので、作品の内容や雰囲気が大きく変わった場合、最終回とのニュアンスに乖離を生じかねません。そのために、映像の差し替え、歌の二番目の歌詞あるいは最終回でED抜きなどの措置で対応したりする作品もあります。

 一方、制作的な都合か、それとも単にそのスタイルを使わないためか、富野作品では最終回でも普通のEDに入ることが大半なのです。そのため、エンディングが単に一つの様式に過ぎないと思ったり、それに物足りないと思う視聴者もきっと少なからずいると思います。そこから生じるのは、「放映フィルムとしてのED」と、「作品にとっての本当のエンディングテーマ」という差が出てくるわけです。

 例を一つ挙げると、たとえば『無敵超人ザンボット3』の最終回のラストシーンでは、多くの家族を失い、ようやく戦い抜けた勝平に向かって、多くの人々が暖かく迎えてくるわけですが、その時かかっているのはエンディングテーマ「宇宙の星よ永遠に」の二番目の歌詞である。

もう 戦いはない 緑の大地よ
走れ 走れ 風よりも 速く

 この歌詞に相まって、もともと感動的だったシーンはさらに盛り上がり、アニメ史上でも屈指の名シーンの一つを作り上げました。しかし、このシーンが終わる途端、また普通のエンディングに入るわけですが、さきほどの情緒との繋がりは一切ありませんので、ドラマの情感の温度差が感じられます。つまり、上のような「最終回のドラマの情感に繋がれるような歌の使い方」こそが「本当のエンディングテーマ」だと定義できるわけです。

 

 以上の定義に則り、富野作品から「本編で歌がかかっている」というパターンをリストアップすると、以下の結果になります。

海のトリトン : GO!GO!トリトン
無敵超人ザンボット3 : 宇宙の星よ永遠に(の2番目)
無敵鋼人ダイターン3 : カムヒア!ダイターン3
伝説巨神イデオン : コスモスに君と
戦闘メカ ザブングル : HEY YOU
機動戦士ガンダムZZ : 銀河一千万年(の2番目)
機動戦士Vガンダム : いくつもの愛をかさねて
ターンエーガンダム : 月の繭(宵越しの祭り)
OVERMANキングゲイナー : キングゲイナーオーバー!
ガンダム Gのレコンギスタ : Gの閃光

 途中降板の『勇者ライディーン』と途中登板の『ラ・セーヌの星』を除けば、15作のうちの10作には、普段のEDと違う「本当のエンディングテーマ」が使われていましたので、かなり多いと言えるだろう。しかし、それぞれの使い方と用途はあくまでケースバイケースなので、以下で順次説明したいと思う。



1、海のトリトン : GO!GO!トリトン

水平線の 終りには
虹の橋が あるのだろう
誰も見ない 未来の国を
少年は さがしもとめる

 最終回で衝撃の事実を判明した後、主人公である少年トリトンは何も言わずに、ただ仲間たちと一緒に再び旅を去っていく。少年が厳しい世界に向かっての旅出は、当然ED「海のトリトン」の雰囲気に合うはずもなく、むしろOPの雄大なる曲調と歌詞と合致している。(というか、制作的に考えると、むしろOPを意識した上の画作りと言える)

2、無敵超人ザンボット3 : 宇宙の星よ永遠に

もう 戦いはない 緑の大地よ
走れ 走れ 風よりも 速く

 多大の犠牲を払いながら、ついに最後の戦いを生還した主人公・勝平に向かって、家族と友人、そして地球の人々が暖かく迎える。孤独を訴える一番目の歌詞と打って変わって、二番目の歌詞は戦いの後の平和を謳うものとなっていて、映像に相まって実に感動をもたらす。

3、無敵鋼人ダイターン3 : カムヒア!ダイターン3

「1 2 3! ダイターン3!」
涙はない 涙はない
明日に ほほえみあるだけ

 最後の戦いは誰も知らないところで終結した後、仲間は一人ひとり別れを告げた。しかし、バスを待っている執事ギャリソンが「ワンツースリー」と口ずさみつつ去っていくと、万丈宅の窓に光が見えた。果たしてそれが灯だろうか。黎明の光だろうか。寂しい光景のなかで流れ始める明るいOPはふたたび希望と期待をもたらし、言い知れぬ余韻を生じる。OPを本編に実在するかのように介入させる使い方は反則的ではあるが、とても素晴らしいものである。

4、伝説巨神イデオン : コスモスに君と

 敵の総司令であるドバが戦闘の命令を出した瞬間、イデが発動した。「そのときであった、イデが発動したのは」という有名な打ち切りである。「コスモスに君と」はそもそも『イデオン』という作品のテーマを内包していたものなので、エピローグシーンを展開しながら流すのに最適だ。もっとも、『発動編』はより完全な映像演出であることを思うと、ここでの「コスモスに君と」は一種の代替案といえるかもしれない。

5、戦闘メカ ザブングル : HEY YOU

 エルチを取り戻したジロンの前に、仲間たちが暖かく走って来ている…。しんみりとしたエンディング「乾いた大地」と違って、希望溢れて、明日へ向かって走り続けているエピローグなので、疾走感があり、意味も合致する「HEY YOU」が使われた。のちの『ザブングル・グラフィティ』のエンディングで「GET IT!」もほぼ同じであることから、ここの使い方はプロトタイプと言えるだろう。

6、機動戦士ガンダムZZ : 銀河一千万年

 ジュドーが仲間たちと別れて木星へ行く。同じくエンディング曲を使っているものの、2番目の歌詞を使われていて、違う感じをもたらしている。

7、機動戦士Vガンダム : いくつもの愛をかさねて

 雪が降り、一人で去っていくカテジナに向かって、シャクティの頬からは思わず涙が落ちた。50話に続いて、エピローグも使われていた。普通のEDは富野監督本人が書いたものではないことを考えると、そもそも「いくつもの愛をかさねて」は最初からテーマにおけるエンディングテーマのつもりで書いたものであろう。

8、ターンエーガンダム : 月の繭(宵越しの祭り)

 前回も説明したが、エンディングテーマとして使われたが、エピローグのように5分も及ぶフルサイズで流したこそは、月の繭の本当の使い方である。もっとも、『ターンエーガンダム』という作品の曲の使い方は実にくせ者で、本当のエンディングテーマである「月の繭」のあとでも、生命力と輪廻を象徴する「宵越しの祭り」が使われ、さらに普通にエンディングテーマがかかってるところに1話限定のED3「限りなき旅路」が使われる。特にED3は映像とまったく合致しなかったが、上手く直前の「月の繭」と「宵越しの祭り」の気分を拾い上げたので、とても爽快な気分になる。そういう意味では、『∀ガンダム』の本当のエンディングテーマは、三曲があるといえるかもしれないね。

9、OVERMANキングゲイナー : キングゲイナーオーバー!

 アナ姫がキングゲイナーオーバーをいきなり歌いだした。前回でも説明したが、やや世界観のリアリティを超えた気配があるものの、勢いで突破するような「演出」ならば、全体的に違和感がないだろう。とにかく原点に戻って、明るい心を抱えて続いでいるという意味では、『ダイターン3』や『ザブングル』の使い方と似ているかもしれない。

10、ガンダム Gのレコンギスタ : Gの閃光

 「Gの閃光」はもともとエンディングテーマなので、本来数えるべきではない。が、『Gのレコンギスタ』は富野由悠季監督が40年以上の監督歴のなかでも、初めて「正規エンディング抜き」という使い方をした作品なので、ここで取り上げることにする。作詞が外部提供のOP二曲に比べて、「Gの閃光」のほうがテーマを握っているので、ベルリの旅出の映像と一体化するのも、まさに最正解である。



 以上は、本ブログが定義した「本当のエンディングテーマ」と、富野由悠季監督が劇中で使った内容を説明しました。OPやEDにおいては、富野作品は制作の都合で、必ずしも贅沢を尽くしたわけではありません。それでも上のj記事を見れば、やはり富野監督がいかに正確な情緒を拾い上げ、エンディングへ誘導することに腐心していることが分かります。これを念頭に置いて見ておけば、別の楽しみを見つけるかもしれません。

井荻麟作詞論 第60回 劇中歌と芸能としての作詞

2016/01/20 17:08|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を紹介・分析する話です。今日の第60回では、「芸能」というキーワードをめぐり、『ブレンパワード』から『リーンの翼』までの富野由悠季監督およびその作詞について語りたいと思います。時期でいえば、だいたい1998年~2006年頃のことになりますが、特に厳密的に定義しておりません。



 まず、今回のタイトルは「劇中歌と芸能としての作詞」となっていますが、内容的に以下の記事の続きとなりますので、まず読むことがオススメいたします。

井荻麟作詞論 第21回 ザブングル~エルガイム時期の富野由悠季と井荻麟
井荻麟作詞論 第32回 Z~V時期の富野由悠季と井荻麟

 また、前後のビジネス事情にも触れますので、以下の記事も合せてお読みください。

井荻麟作詞論 第27回 富野作品のOP・EDおよび挿入歌におけるビジネス事情その1
井荻麟作詞論 第53回 富野作品のOP・EDおよび挿入歌のビジネス事情その2

 上の話を簡単にまとめると、ガンダムおよびアニメビジネスの拡大で、富野由悠季監督はかつて作品の歌の作詞に関する主導権をレコード会社に明け渡しました。これによって、富野は主題歌の作詞で作品をコントロールする手法を失いましたが、変わりに模索して獲得したのは挿入歌からのアプローチでした。



 『Vガンダム』で一時半引退したものの、のちの『ブレンパワード』で復帰を果した富野は、今までとまた違う手法を手に入れました。自らの精神不調という経験に相まって、復帰後の富野は健やかなアニメを作ることにこだわり続けている。それに合せて浮上したのは「身体性への追求」というものだ。そして作詞において(もちろん作品も)は、富野が見つけた手法は「芸能」を作ることだ。

 具体的にいうと、富野は挿入歌を単に「フィルムを放映する途中に流す曲」ではなく、劇中で実在する歌として扱い、実際の作劇に組み込めたことです。この井荻麟記事ではそれを「肉声」と呼んでいますが、すなわち、劇世界のなかの肉声を再演することによって、世界観の奥行きを浮き彫り、作品を深化させ、「芸能」を果すことなのです。

 そのため、『Vガンダム』の4曲の挿入歌のうちにわずか1曲しか肉声として扱わなかったものの、その『V』を皮切りに、富野は『ブレンパワード』以降を挿入歌を大量に入れた上、『キングゲイナー』の「氷の上のおやすみなさい」を除いて、全ての挿入歌を「劇中に生きる歌=世界を生きている人たちの肉声」として作ったのです。

 それに留まらず、『ターンエー』『キングゲイナー』劇中の挿入歌は大半直接「祭り」を描くことになっています。劇中の演出の仕方を見る限り、全部が有効的だったとはちょっと言いがたい※かもしれませんが、それでも富野がどういう方向性を目指しているのかは明瞭です。

※たとえば『∀ガンダム』の「月の魂」と「宵越しの祭り」は上手く複数回に使えたものの、『キングゲイナー』の「ミイヤの祭り」と「本当かい!」は監督である富野以外は使いこなせなかった節がありました。



 このように、『機動戦士Vガンダム』から兆候を見せ、『ブレンパワード』『ターンエーガンダム』『キングゲイナー』、あるいは『リーンの翼』をも含めた作品群で全面的に打ち出したOP・EDでテーマやメッセージを打ち出し、挿入歌で世界観を深めるという使い分けによって、井荻麟は作品に対するコントロールを再び手に入ることができました。これは富野がビジネスと戦いながら、本当の「作品」を作りたいという20年以上の経験や知恵によって、ようやく編み出した手法でした。

 一見、これはすでに究極的な結論ではあるが、実はそうではなく、やがて『ガンダム Gのレコンギスタ』の「Gの閃光」では、富野はさらなる高峰を作ることになります。これについて、また別の回で説明いたしましょう。

 

井荻麟作詞論 第59回 「はじめてのおっぱい」

2016/01/19 16:48|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:2
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 井荻麟作詞論の記事は、富野由悠季監督が書いた作詞を紹介・分析する文章です。今日の第59回では、ネット配信OVA『リーンの翼』の挿入歌である「はじめてのおっぱい」について語りたいと思います。



はじめてのおっぱい
作詞:井荻麟/作・編曲:樋口康雄/歌:永嶌花音

ひとつぶがいっぱい
いっぱいの・・・

 『リーンの翼』の第2話の冒頭と第6話で少しだけ出ていたこの挿入歌は、残念ながらサントラが発売されていないので、現時点、判明できる歌詞は上掲の部分だけ。なので、将来全文が判明された場合、記事は書き直す予定ではあるが、一応今回は上記の歌詞に則って説明を展開したい。



 非常にシンプルな歌詞なのだが、吟味できるところが非常に多い。

ひとつぶがいっぱい

 この歌は何を歌っているかというと、つまり「赤ちゃんがおっぱいを吸っている模様」なのだ。さらにカメラを少しロング気味にすると、「小さな女の子が母の哺乳の模様を眺めている」という描写に気づくはず。

 なんという瑞々しい歌詞、なんという瑞々しい情景であろう。

 簡単な歌詞でありながら、女の子の目線を遺憾なく表した。「ひとつぶ」というのは、目を細めて見た母の丸っこい乳首のことであり、そして「いっぱい」というのは、赤ちゃんが小さい口を開けるも、乳首を含んだだけで精一杯になる様子だ。そこには小さな女の子が不思議な目でまじまじと乳首と赤ちゃんを観察している模様が記録されていて、それが大人には決して二度と味わうことのないものの、不思議と懐かしく思う光景だ。

 そしてこれらの歌詞から見出せるのは、つまり母性の芽生えというものだ。



 女の子が母親でしかできない哺乳をじっと観察するというのは、つまり性の意識がまだ確立していない小さな女の子でも、確実に「女性であること」に興味を持つことだ。もっと言っちゃえば、母になることを学んでいることだ。そして、赤ちゃんに興味あるのも、間違いなく母性の発露であるほかならない。

 これを、ほぼ同じ時期で作られた宮崎駿監督の映画『崖の上のポニョ』のテーマソング「崖の上のポニョ」(補作詞が宮崎監督)に対比すると、より一層明瞭になる。メインの作詞は近藤勝也氏ではあるものの、補作詞として宮崎が入っている上、二曲には色んな相似性があるからだ。二曲の歌手は共にリアル幼女(注:永嶌氏が当時10歳、大橋のぞみ氏が当時8歳)であるイメージもくみ上げると、「ポニョ」が「小さな女の子が、小さな女の子が可愛いという唄を歌う」であるのに対して、「はじめてのおっぱい」は「小さな女の子が、赤ん坊が精一杯にお母さんの乳を吸っている所を観察しているという唄を歌う」というものだ。

 つまり、「ポニョ」が小さな女の子の無邪気な一面を切り取って、その一瞬を永遠に愛でたい歌であれば、この「はじめてのおっぱい」は小さな女の子がいつか母になり、生命を産むことを予感させて、その変化していく心性を称える歌なのだ。優劣を比べられないものの、幼女を幼女のままで見ている視点と、幼女がいつか母になることを期待させる視点のどちらは想像(ファンタジー)の幅が広いかというと、答えは明瞭なはずなのだ。

 性の意識どころか、自分さえ確立していないような小さな女の子から見れば、自分より小さい赤ん坊はまるで別のような生き物に見えるだろう。小さな生命に対する好奇心は、即ち赤ん坊~自分~母~赤ん坊という生命の繋がりを想起させるものなので、「はじめてのおっぱい」は女の子の母性を描く唄であり、小さい命の誕生と生きることに対する讃歌でもある

井荻麟作詞論 第58回 「氷の上のおやすみなさい」

2016/01/18 20:32|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。今日の第58回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』の挿入歌である「氷の上のおやすみなさい」を語りたいと思います。



氷の上のおやすみなさい
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:田中公平/歌:国分友里恵

氷の上で 陽射し浴びるのは
ひとりあなたの ものではなくて
今日(このひ)に生まれた 命のためで

 『キングゲイナー』の4曲にも及ぶ挿入歌のなかで唯一、劇中の人物が歌った「肉声」ではなく、かつ1回しか使われなかった曲となっている。また、使っている箇所もラストシーン直前で少しのみだったので、そのため歌詞全体の意味がそれほどはっきりとせず、やや曖昧に見える。



 とはいえ、『キングゲイナー』という作品に則ると、寒冷=絶望・厳しい現実、温暖=希望、未来という構図だと考えると、もう少し分かりやすくなると思う。

氷の上で 陽射し浴びるのは

 このように、寒い天気のなかでも少しの温暖が日差しによってもたらされている。曲調に関しても同じく、ほかに比べて、全体の旋律とテンポが緩やかで少し肌寒い雰囲気を帯びているものの、どこか優しさを持っていて、良いコントラストになっている。

 そして、この小さな希望を持って、次世代を育つのは、この絶望な時代を生きている世代の使命だ。

今日(このひ)に生まれた 命のためで

あなたの母が 託してくれた
命の糸を 織り上げてみれば
未来という刻(とき) 数えられ、さわれ

 命をあえて「糸」と形容したのは、その小さな希望と呼応するためのものではあるし、「命を繋ぐ」という言葉があるとおり、その難しさを伝えるためのものだろう。新世代に期待する要素が入っているのは、『Vガンダム』や『ブレンパワード』『∀ガンダム』にも共通しているものではあるが、ここでは少しだけ違うところもある。

ひとりあなたの ものではなくて

 ここでは明確に「あなた」だけの愛ではなく、あらゆる「生まれた命」だと言い切った。そこには、小さな愛から大きな愛へ歩き出すことが見える。そこにあるのは、すでに「父」か「母」ではなく、もっと包括する目線なのだろう。



 そもそも、この歌は次世代を育ちながら、次世代へ別れを告げる歌である。

あしたに死ぬと わかっていても
今日のあなたの 微笑みがあれば
あたしは眠れて さよならできる

おやすみあたしと おやすみあなた
もひとつおやすみ あしたのつぎ

 歌詞を見ればわかるとおり、「あたし」は明確に死を意識しているが、そこには一切負の感情が存在しておらず、ただ次世代への優しさと死に対する覚悟を持っている。自分が死んだ後でも生きつづける子(後の世代)へ慈しむ目線を送る。このような目線を持つキャラは劇中には存在していないものだけど、これも監督の富野が還暦を過ぎ、父の役割から脱したからこそ獲得した広い視野なのだろう。

 そういう意味では、全体的に母性が強く感じられる曲ではあるが、前世代から遍く次の世代へ送るものだと考えると、あえて目線の性別を規定する必要もないであろう。

井荻麟作詞論 第57回 「デビルズ・アイシング」

2016/01/18 01:03|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。今日の第57回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』の挿入歌である「デビルズ・アイシング」を語りたいと思います。



デビルズ・アイシング
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:田中公平/歌:西野薫(別バージョン:Maria Napolano)

(原詩)
月は凍りつき 太陽はなく
冷気門を開き 存在を撃つ

 この曲はもともと監督である富野による作詞がつけられたが、後にそれが作曲の田中公平氏の意向でボツにされたという経緯を持つ。外国語にも聞こえるその歌詞の内容は判明されていないものの、田中氏によるとアイヌ語やラテン語などをミックスして作った造語のようだ。

 タイトルのとおり、この歌は劇中では世界を脅かすラスボス的存在「オーバーデビル」を題材とした曲だ。原詩がボツになったので、どのくらい現在の歌に反映されたかはわからないものの、とりあえず今回の記事はなんらかの方向性を示したと仮定する。



氷もって築く 息吹の主は
知恵と記憶それに 命そのものを

 歌詞と劇中での使われ方でわかるとおり、オーバーデビルの覚醒といわゆる「オーバーフリーズ」を描く歌詞となっている。単なるオーバーデビルを歌う唄かと思いきや、劇中でも実際に聞こえた歌として言及されているので、そのような悪魔が誕生するときに聞こえた「声」なのだろう。

 もともと「キングゲイナー」という作品自体は「熱力で酷寒に勝つ!」というコンセプトなので、OPもEDもミイヤ関連の二曲の挿入歌も当たり前のように熱さが篭っている。となると、主人公たちの行動原理に対峙する相手を歌う曲は「限りなく寒い」というものも当たり前なのだろう。

 元の歌詞と実際の歌われる方を見ればわかるとおり、この歌はソプラノ(女声の最高音域)にコーラスという形をとっている。断言は避けるが、限りなく厳寒を表現するために、おちゃらけた民族風から打って変って、あえて凛とする雰囲気を持つ、キッチリとした西洋のソプラノと合唱みたいな形をとったんだろう。



 オーバーデビルは名前のとおり、人類にとって悪魔のような存在である。しかしちょっと違うところもある。

氷の結晶に すべて埋め込み
存在そのものを 消すのだという
人の為したこと 汚濁であるから

 これを読めば、むしろ世界を浄化するために作られた存在と見えてくる。『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』の寒冷化作戦とか、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』とかを思い出してもおかしくないような話で、とにかく世界を浄化するために人を粛清するという、見方によってはむしろ正しい存在である。本編では単なる世界を脅かす敵以上として描かれていなかったものの、この部分を吟味すれば、より面白くなると思う。

 また、歌詞のみではこれらも面白い。

ヤェーエェーヤァー(それは事実か)
アァーエーヤァ(それは事実だった)
ヤォーヤォーヤァー(それは事実とする)

ヤォーアアー(悲しいが)
アアーオオー(悲しめよ) 人よ

 ここでの微妙な機敏や心の移り変わりはあえて説明しないが、人が真実を知り、直撃するときの揺れ動く模様を想像すると、そのなかの醍醐味を味わえると思う。



 余談ですが、この「デビルズ・アイシング」はサントラでは二バージョンがありますが、そのうち本編に使われていたのは西野薫氏によるバージョンです。Maria Napolano氏もまたソプラノ歌手ですので、サントラでは同じ曲が違う音質で展開される楽しみ方もあります。

井荻麟作詞論 第56回 「ミイヤの祭り」

2016/01/17 12:31|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。今日の第56回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』の挿入歌である「ミイヤの祭り」を語りたいと思います。



ミイヤの祭り
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:岸村正実/歌:宮城小百合

あたしのところへ 旅をしにおいで
あたしといっしょに 東に行こうよ

 前回で紹介した「本当かい!」と同じく、1話でさっそく劇中の「肉声」として使われた挿入歌だ。歌手や曲調はもちろん、作風から使い方まで「本当かい!」とほぼ同じであるものの、タイトルで示したとおり、本編でほぼ謎である人物「ミイヤ・ラウジン」をめぐる歌でもある。



 『キングゲイナー』の世界においては、勝手にどこか行くエクソダスというものは犯罪行為である。

あなたを連れて ヤーパンへ
ドームを捨てて エクソダス
あたしといっしょ エクソダス

 にもかかわらず、この歌は「本当かい!」以上に、あからさまにエクソダスを称えている。

氷に吹雪に ブリザードなんて
そりゃ アッホ そりゃ アッホ

 それに留まらず、現状(政権)に対する批判もあからさまに入っている意味では、「本当かい!」以上に強く「エクソダスはいいもの」というプロパガンダのメッセージを打ち出している。エクソダスが頻発し、ポリス全体をめぐる祭りでも公然と歌われる劇中世界の現状を見れば、下手な政治活動よりも有効だろうと想像できる。

鑿(のみ)と金床 持ってさえいりゃ
もっと遠くへ エクソダス

愛と勇気を 持ってさえいりゃ
もっと遠くへ エクソダス

 このへんの歌詞から見てもわかるとおり、エクソダスの辛さに関しては想定に入っているからこそ、あえて「エクソダスの旅自体は祭り」という旅の身軽さと衝動を煽っている。オープニングテーマ「キングゲイナー・オーバー!」の「愛と勇気は言葉」と一緒に見ると、なんとも皮肉に満ちる内容であろう。



 そしてこれを伝説となっている者であり、今の五賢人でもある「ミイヤ・ラウジン」の名を使って行うものだから憎い。

ミイヤのフェスティバル それはエクソダス

 本編を見ればわかるとおり、ミイヤに関する描写はあくまで断片的に留まっている。それゆえに、ミイヤが歌う唄と、その唄が受け入れられている使い方は、間接的にミイヤを描き、世界観を示すものとなっている。

 そして、昔のミイヤはともかく、現代のミイヤがただの能天気な流れの歌い姫であることを考えると、ミイヤを通してエクソダスという理念を伝えるというのは、ミイヤの実人格を無視し、ただ御神輿/媒体として扱うこともわかる。極端にいえば、歌を伝えられるようなミイヤさえいれば、本当の賢人としてのミイヤがいなくても構わない構造となっている。

 つまり、ミイヤはあくまでメッセージを運ぶための役割に過ぎないのだ。本編での使われ方を見ると面白い。祭りの初めは、まず現状に疑問を持たせ、約束の地を想像させる「本当かい!」を流すだけに留まる。そして、祭りがクライマックスのところになると、今度ははっきりとした答えを持つ「ミイヤの祭り」を放送する。そういう意味では、「ミイヤの祭り」は「本当かい!」と対になる曲ではあるし、後者に対するアンサーとも捉えられる



 最後になるが、個人的に興味深いと思っているのは以下の言葉だ。

鑿(のみ)と金床 持ってさえいりゃ

 上の説明とおり、ここで鑿(のみ)と金床を取り上げたのは、、おそらくエクソダスの身軽さを強調するためであろうし、これらの道具は基礎的にして神話のモチーフにも使われているような工作道具だからだろうが、それにしてもここでハマると意外性が出てくる。ご存知かもしれないが、監督の富野は非常に工学の大切さを訴えている人だ。それと無関係だと仮定しても、やはりドームを捨てても、全員が第一次産業(農業)だけでは生きられないから、このような注意をあえて入れたのかな?


▽続きを読む▽

井荻麟作詞論 第55回 「本当かい!」

2016/01/16 16:27|井荻麟関連TRACKBACK:0COMMENT:0
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 井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。今日の第55回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』の挿入歌である「本当かい!」を語りたいと思います。



本当かい!
作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:岸村正実/歌:宮城小百合

東に海があるって 本当かい
海って広いって 本当かい

 1話の祭りシーンの際に、次回の「ミイヤの祭り」と共に流れた挿入歌である。第48回で『∀ガンダム』の挿入歌 「宵越しの祭り」を語る回でも説明したが、この時期の富野が達した結論のひとつとは、劇中世界の「生」の声を作ることで身体性の体現となる「祭り」を再演するという手法なのだが、『キンゲ』においてのこの曲もまさにそうだ。



 全体を見ると、色んな物事に対してひたすら「本当かい?」と問う歌詞になっている。

林が魚育てるって 本当かい
海が雲作るって 本当かい

 一見どういう描写かがよくわからない内容なのだが、これはまさに世界観の表れである。つまり、歌詞に出てくる疑問は、すべてドームポリスの民がこれらの事実を知らないためのものであり、いわばドームポリスの民という生の声なのだ。

 また、ここまで執拗にわかりきったことを延々と展開するのは、もう一つの目的がある。この曲の言葉を聴くと、大半の視聴者はおそらくクスッと笑うと同時に、思わず「おいおい、こんなことも知らないのか……?」と感じるのだろう。しかしよく見ると、それらの内容が歌として伝えられていることは、現象自体が把握されていることなのだ。つまり、民は知識として知っているが、実体験がない状態にいることがわかる。そして、これらのことの答えを知りたい方法はただ一つ。自分で確かめること、すなわちエクソダスだ。

 つまり、この歌詞は「視聴者にとって当たり前のことも体験できない場所に縛られている人たち」と描くと同時に、実体験の大事さを訴えている内容なのだ。当たり前のことも知ることができないのが不幸である。世界観を描きつつ、視聴者の共感性を喚起させる意味では、身体性と祭りといった要素を取り上げる曲として、『∀ガンダム』の挿入歌以上な成熟を見せてくれた



 もっと踏まえて読むと、この歌が歌われることには別の意味が出てくる。

地の果て 麦の穂波が 全部なんて
海峡 魚の群れが 全部なんて
本当かい 本当かい

 これらは一見民の声を代弁するものと同時に、心のなかの願望を喚起する作用も期待されている。エクソダスの旗手であるミイヤ・ラウジンの歌である以上、この曲はエクソダスの思想を伝える「プロパガンダ」であるほかないのだ。

 よく上の歌詞を見ると、歌い手は暗く豊穣の場所--つまり「約束の地」をほのめかしている。シベリアの酷寒に比べて、温暖な気候も、自然に満ちている糧食も、彼らにとって限りなく魅力的に見えるのだろう。この期待こそが、エクソダスにおける何よりの動力だ。そういう意味では、上の「民を代弁する」という生の声が世界観の表側だとすると、その下に隠されている「プロパガンダ」という意図が世界観の裏側と言えるのだろう。



 ところで、この曲については少し語ってみたい。上ではこの歌詞がシベリアの寒さとの対比を狙っていると説明したが、そのような狙いは民族音楽風な曲調と、歌手の宮城小百合が沖縄出身である事実からも伺える。このような熱い歌が酷寒の地に響いたらどうなるか…と想像したとき、『キングゲイナー』という作品は、OPとEDと挿入歌のような熱力を掴みたい旅そのものと言えるかもしれない。

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